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旧代師団司令部&大阪市立博物館

◆いまの大阪歴博ができたことにより、2001年に市立博物館としては閉館し、そのまま。大阪城の魅力33f0b4d5.JPGアップ会議の課題のひとつ。

◆大阪市は1929年2月に昭和天皇即位の記念事業として、大阪城公園の整備と大阪城天守閣の復興とともに、城内に分散していた陸軍施設を集約するために陸軍第4師団司令部庁舎を新築し、国へ寄贈した。設計は第4師団経理部、施工は清水組があたり、1929年4月に着工し、1931年3月に竣工した。この記念事業の財源は大阪市民からの寄付150万円によって賄われたが、天守閣の再建費用が47万円であったのに対し、第4師団庁舎建設費用は80万円だった。外観は左右対称のロマネスク様式で、ノルマン地方の古城の意匠をもとに褐色色斑スクラッチタイルで仕上られた。戦災を受けず終戦を迎え、戦後は連合国軍により1948年まで接収される。返還後、大阪市警視庁本部、大阪府警察本部の庁舎として利用される。大阪府警が現在地の大手前に移転した1958年に再び大阪市の管理下に置かれ、利用方法として大阪市は郷土博物館、歴史博物館とすることに決め、1960年5月1日に教育委員会に博物館創設事務室を設置した。この時、開館日を12月1日と決定し、博物館への転用のための改装工事が行われたが、軍事施設として頑丈に作られていたため、改装に時間がかかることから、1階と地階部分を第1期改修とし、2~3階部分を未改修のまま、1階部分のみを開館することとなった。また、もともと所蔵品が無く、資料の蒐集と調査の準備期間が短かったため、当初は他館やコレクターの所蔵品による企画展示に頼っていた。1962年に一旦休館した上で、2~3階の改修工事を行い、11月1日に全面会館。大阪の歴史に関する史料・資料を最終的には7万点も揃えるようになり、1963年に人文系博物館資料の分類表をはじめて発表するなど、研究活動も盛んになり、地域の歴史を扱う博物館の先駆的存在だった。【ウィキ】

◆そうか、それまでは美術館だったんだ。それで市立博物館ができる。たぶん、これで考古系は博物館に移るんだろうな。そういうことも、あんまり知らない。
◆大阪歴史博物館の分館として、大阪近代史博物館とでも命名すればよい。あるいは軍都大阪博物館、名前がいやなら戦争博物館。で、ピースには行ったことがないが、右翼に軍都大阪の歴史を、左翼にピースを移設するとか。いずれにしても、大阪砲兵工廠は終戦前日の空襲で焼け落ち、城東は様変わりしてしまったので、大村益次郎に始まる大阪の軍の歴史をたどる博物館にすればいいのだ。
◆あるいは、大阪文化財研究所が入るとか、大阪城の公園事務所が入り、将来的には大阪城研究所が入ればよい。とはいえ、大阪城本丸に来る外国人を含む観光客の多さを考えると、戦争博物館にすれば、かなり優れた教育施設になりうるだろうな~。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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