人を幸せにする人になろう

研究ノート

◆Yさんは、7世紀後半に現れる「常布」をはじめとする布の規格を検討し、そのなかで「1ヒロ(尋)=1.8m」との見方を導いている。しかし考古学の側では、「1ヒロ(尋)=1.5m」と考えてきた。
◆大宝令で、唐(大)尺による長1丈3尺(3.85m)×幅2尺4寸(71.3㎝)の布を1常とする「常布」が現れる。貨幣的な役割を果たす基本規格という。こうした役割を果たす近似した大きさの布はそれ以前からあり、それが「常布」へ継承されるとみられている。改進詔第1条段階では、常布につながる布の規格は、長1丈2尺×幅2尺5寸であった。
◆Yさんの1ヒロ(尋)の長さに関する議論は、改進詔に見える長1丈2尺×幅2尺5寸であるが、改新時の尺度は自明でなく実長は不明で、それを旧俗改廃の詔に現れる2ヒロ(尋)布と実態は同じと考え、これにより「1丈2尺布」の成立を説明しようとするものである(改新詔の尺は唐(大)尺とみて実長を考えて問題ないと思うが・・・、それは措く)。
 (Ⅰ)改新詔1丈2尺布=布2ヒロ(尋)布と考える。
 (Ⅱ)2ヒロ(尋)の単位尺は高麗尺(35.5㎝)と考えられる。
 (Ⅲ)1ヒロ(尋)は手を広げた程度の長さであるから5高麗尺(1.775m)とみるのが妥当で、
   5高麗尺は6唐大尺でもあるから、
   2ヒロ(尋)=10高麗尺=12唐大尺(=3.55m)となる。
◆結論としては、貨幣的に流通していた7世紀前半までの2ヒロ(尋)(推定約3.5m)という規格の布が、改新詔において唐大尺に換算され1丈2尺と書かれた、というもの。
◆しかし、(Ⅰ)改新詔1丈2尺布=布2ヒロ(尋)布というのは、同一実態で「近代的な」唐尺で表記したものという理解はひとつの見方であるが、断定はできない。(Ⅱ)2ヒロ(尋)の単位尺を高麗尺(35.5㎝)と考えているが、これは誤りである。
◆筆者の結論は、1ヒロ(尋)は南朝尺の6尺1歩の歩数と同じであり、1ヒロ(尋)=1.5mである(これは別に論証するとして)。改新詔には布幅として唐大尺2.5尺が現れるが、これは南朝尺の3尺である(布幅に変化はないだろう)。したがって、7世紀前半に貨幣的に扱われた2ヒロ(尋)布は、5世紀以来の南朝尺による「長12尺(3m)×幅3尺(75㎝)」という規格。7世紀前半に導入される唐尺でいえば長10尺×幅2.5尺。これが改新詔を出す前。
◆以上のことが妥当とすると、改新詔の新税制の制度設計において、基準となる布の長さを約3mから約3.5mに1.2倍にした、と考えられる。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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