人を幸せにする人になろう

網野つづき

◆車だと論文を読むことはできず、5世紀の年代について考え、車中でぶつぶつ論じていました。N先生の論文で、雄略没は489年という。N先生は言わないが、これは古事記崩年干支に一致するということで、允恭は古事記454、書紀453。書紀は越年称元法なので、安康元年454年がほんとの允恭没年で、それを安康元年にするから、允恭末年は453年になる。すなわち一致している。それと、倉西さんの美しい方程式。允恭20何年かのキナシ立太子は、後継者と決まるもスキャンダルで自殺することが古事記では允恭没後のことになっており、代替わりを意味する可能性が高い。それが454年とすると、允恭元年は433年。で允恭5年に反正のモガリ記事がある。5年前に死んだ反正のモガリが5年後というのはありえず、実際にはこの時に反正は死んだんだろう。そうすると、允恭元年が433とすると允恭5年は437年となり、古事記崩年干支の反正没年に合致する。これ美しいですね。またこれは、2王並立が図らずも現れている事例になる。
◆とにかく、古事記崩年干支は、雄略の489、允恭の454、反正の437、と一定の信憑性があることが裏付けられる、ということ。考えたかったことは応神なのだが、とにかくこんなことを、声を出しながら思考し、頭の体操をしながら丹後へ向かいました。
【写真】会議の行われた会場から望む銚子山。伐採が進んで、側面がよく見える。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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