人を幸せにする人になろう

網野は写真

◆が、執政王は、ホムダワケ→イザホワケ→ミズハワケ→イチノベオシハワケ、とワケが付く系列とみているわけで、履中イザホワケのあと允恭オアサヅマでは困るわけです。オオササギ→オアサヅマでないと困る。なので、古事記では、仁徳のほんとの没年は(履中の)432、履中のほんとの没年は(仁徳の)427なのだが、仁徳を427、履中を432に入れ替えたと。
◆神聖王仁徳の即位は、応神没後の執政王である履中即位より早い。だから王統譜は応神→仁徳→履中。だけど、実際には履中は427に没した。要するに神聖王仁徳の在位期間中のなかに履中の在位がすべて含みこまれてしまう。仁徳の崩年干支をそのまま432とすると、履中の在位はなかったことになってしまう。仁徳即位後に執政王となった履中没の427をそのまま記すと、1系論では矛盾するわけです。なので没年を入れ替える操作をした。こんな風に考えているわけです。あかんかな。
◆あたりまえだけど、本人はまじめに考えているんですけどね。世間はそんなアホな、でしょうね。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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