人を幸せにする人になろう

豊中歴史同好会2011年7月9日

◆テーマは〈考古学からみた4・5世紀の政権交替〉、むこうが決めたか、こっちで決めたか、あんまりよく覚えてい70f4b8af.jpgない。14時から16時、豊中市蛍池。
◆直前にばたばた準備した割にはマアマアか。佐紀は政権交替か。実質そういうことかとは思うが、東アジア情勢に対する遷都であって、そのへんはあいまい。河内政権の登場は明らかな政権交替。そして允恭即位も政権交替と同じことだ。そして河内政権が弱体化しつつ存続するなかでの継体擁立は政権交替に相当する。そして継体を擁立した勢力に対する、欽明を立てて対抗した側の巻き返し、いわゆる「辛亥の変」も政権交替である。
◆古墳時代は卑弥呼擁立によって国家の枠組みを作り上げた、それは平和をもたらしたものだし、早熟ともいえるが、政治的にはきわめて不安定で、勢力争いが繰り返された、そんな時代ですよというのが、今日の結論。
◆津堂城山の最新の測量図を資料に出し、共和さんに作ってもらった動画を途中で流す。動画はわかりやすくていい。そして下の図は、岸本道昭さんが作った播磨の首長墳の編年。これ太子町の講演会の時に作ったものだが、そのあと、よく使う。古墳時代がどう推移したのか、すべてここに現れているといっていい。(1)みんなのオオヤマト時代、(2)半島派兵のため特定首長優遇の始まる佐紀時代、(3)ホムダワケのクーデタ39ae5f31.jpgによる古市・百舌鳥時代、(4)允恭・雄略による一定の中央集権化と前方後円墳築造規制、(5)雄略没後の混乱、(6)継体擁立にともなう前方後円墳の復活、その後・・・。地域の首長は翻弄されたことだろう。
◆そのあと、反省会と称する飲み会、そのあとの2次会も含めて、みなさん方と楽しく話をする。こういうのは、あんまりないことだ。例会発表中も、誉田御廟山は反正墓で、大仙は允恭墓だ、「どうですか?」、「信じられませ~ん」といったビビッドな反応が返ってきて、楽しかった。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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