人を幸せにする人になろう

財団法人調査組織

◆今日まで、悪ではないが、原因者負担にのっかり、これからは事業量減とともに役割を終えて消えゆく存在と思っていた。が、いやそうではない、非常によくできた仕組みで,、むしろきちんと位置づけし、公共に組み込むとともに、今後も1人立ちできるようにして、育てていくべきではないか、と思った。
◆イギリスやフランスなどでは、遺跡の取り扱いや調査を実施する専門家集団、それがどんなものなのか明確な像はないが、そういうものがあると聞いている。開発行為と遺跡保護をどう調整をつけるか、最終的には行政が判断を行うが、その際、遺跡に関しては、考古学的な観点からの専門的知見が必要であり、重要性の判断、そして発掘となるとその調査を実施すると理解している。そこには、ある種の権威がともなっている。それは遺跡のことを一番わかっている学術組織であるということだ。その意見がすべてに優先して尊重されるということはない、それは行政が、開発行為の公益性なり住民の便益などから総合判断するからだが(バランスのとれた総合判断ができる能力の高さが行政マンには求められるが)、しかし、遺跡のことはきちんと意見聴取をし、意見は「聞いておく」のでなく、きちんと尊重される、そんなイメージ。
◆かつて協力者会議のなかで、日本のシステムでは、行政の人間はつらいという意見があったのを思い出す。遺跡の生き死にを決める重大な判断をさせられるが、そうしたジャッジは、もっと上位の権威ある機関でやってもらいたい、というような意見だった。
◆いま都道府県のなかでそうした仕組みに近いものがあるのは岡山県だ。遺跡なんとかというのがあって、大学人などからなり、岡山県文化課の取り扱い判断に意見をのべる専門家グループ。近藤義郎がつくったもの。お墨付きを与える役割でなく、実際上、機能していたと思う。そのメンバーから近藤先生をはずしたのが、時の文部省から来ていた課長の最大の功績だ、という話があるので、実際、いろんな意見が出る、県教委にとってはウルサクて仕方がなかった存在だったようだ。現状は、新納さんや澤田さんにきけばわかろう。これは悪いことではない。文化財保護審議会があるが、これは指定が主な役割で、実に形骸化したものだ、つまらん。そうでなく、遺跡の取り扱いにかかる第三者機関への意見聴取という1枚があることは重要だ。いまの都道府県には、そうしなくとも経験から適正な判断ができるので不要だという意見もあろう。しかし、これも澤田氏にこないだ聞いた岡山の事例や、大阪をはじめ記録保存に慣れきった現状を見ると、そういうものも必要ではないかと思う。
◆やや脱線した。ともかくも、イギリス・フランスが実際どんなんで、うまくいっているかどうかはともかく、行政は専門家集団でなく(文化は役所のなかでは専門家を多く置いている分野だが)、行政が専門的事項を専門家に意見を求めるの同様、遺跡に関しては餅屋に任せる仕組み、外部の専門家組織が機能していると理解している。
◆日本でもそういう姿に近づかないものか・・・と漠然と思っていた。それと財団法人調査組織が結びついたわけである。
◆もうちょっと説明すると、なぜ公共(官より公であって欲しい)が記録保存の調査をしなければならないかという理屈を、会議を前に考えていた。1)記録保存こそ、遺跡を殺す非常に重要な措置であること(文化庁は取り扱いが決まったものだから民間でもいいという理窟を立てるが違和感がある)、2)現業部門であるが土木工事ではなく学術調査だ、3)活用が叫ばれるが、活用の素材であるのは遺跡、またそこからえられる成果や意味、それをもっとも引き出すことのできるのが発掘調査、それに行政が携わらないことで失うものは大きいのではないか、その遺跡に携わり発掘した人間だからこそ、大事さや意味を熱く語れるのではないか、この3点に整理した。
◆この2番目、学術調査なのでという部分。土木工事で、決まった材料と設計にもとづき組み上げる、建築する、構築する、という世界ではなく、学術的行為なんだ、同列ではないと。午後の会議にむけて午前中、こうした整理をしていて、天王寺にむかう電車のなかだったか、これと財団が結びついた。そういう学術的調査なんだから、西欧のような専門家組織としての調査が日本でもできないのか、近づけないかと。経費があまりにも莫大なら問題になるが、積算基準も策定されている現在、適正な調査実施にはこれだけかかるという予算で、粛々とやるべきだ。それを競争だ、ダンピングだというのにはなじまない。そうすると、それいまでも財団やん、と思った次第。
◆それと、会議をやっていた過程だったか・・・。都道府県がもともとは調査をやってきたが、事業量増に対応するために財団を作った。事業量は減って、そういう対処という意味合いは薄らいできている。が、今日的には、公益性が高く行政でやる(行政が責任をもつ)べきだけれども、行政そのものはスリム化がさけばれるなか、学術的な実働部分は公共が作った専門家集団が実施していく・・・、これ実によくできた仕組みじゃないのか!!!!。ハタと思いついた。増淵氏も賛成してくれた。はからずも、編み出してきた方式は、遺跡調査という公益性ある事業をを実施するにふさわしい形態なんでは?。
(以下は、もうすこし考えるべきなので、見え消しにする。◆これとは別に、市町村は市町村でやるべし、と言ってはきたが、実際には規模に大きな差がある。また、発掘において、たとえば関西の場合、いざ縄文だったり旧石器だったりすると、そんな調査したこともない、ということはザラだ。都道府県こそ、各時代の専門がいて、得意な人間を担当者にできるが、市町村はなんでもかんでもせにゃならんのはきついと。まして文化財行政の根幹をなす市町村の担当者は、マルチにいろんなことをやらんといかん。だから、財団が府下のすべての調査をやったっていい。先にのべてきたような、専門家集団として、あくまで公共の仕事として、都道府県教育委員会のコントロール下にある組織なら、市町村担当者は、指摘されているように発掘調査のみが保護行政ではないので、発掘調査から手を引き、自分のところの文化財の保護と活用に専念したらいい。指定に向けての内容確認の調査でも、史跡整備の調査でも、すべて財団がやればいい。)
◆府教委もそうだ。いまの調査事務所はやめる。広域自治体として府下の文化財行政に専念するべきだ。現業部門をコントロール下に切り離し、保護「行政」、市町村指導などにあたるべきだ。
◆最後の方は勢いで書いているので、さらによく考えてみよう。けれども、これは考えてみる価値はある。その場合、財団が利益に眼がくらまないようコントロールする必要がある。専門家集団として特化し、単独になると、すべての言い分に反論できなくなり、利益誘導がなされる恐れがある。(少なくとも適正な調査予算を算出するのは府であるべきだ。)過去には、親方日の丸の公共事業を請け負う都道府県財団は、がっぽりと潤ってきた。むろん間接経費も多かったが、調査費そのものも、いくらでもやりくりできただろう。同じ発掘調査ながら市町村から異業種と言われる贅沢な調査、現場に出ずに、クーラーの効いた豪奢なプレハブで論文を一日書いていることがまかり通ってきた世界、これらは断固、やめなければならない。
◆もしそうしたことが脱却できるなら、それには、それこそ府教委の監理、センターとのなれ合いでなくセンターの監理をきちんとし、積算根拠も常に見直していく、それが不可欠だ。それと、滋賀県との対比で出てきたが、国の事業の時、滋賀は県が契約し、その仕事を財団に委託する、一方、大阪はセンターが直接やる、その問題もある。国とセンターの直接契約は話は早いかもしれないが、随契の問題もあるが、センターは公共だという立論からすれば滋賀県方式がよい。ここまで考えて、そうすると、公立センターに限りなく近いんじゃないかと思えてきた。
◆公立と財団の違いはないんだろう。職員人件費が100%都道府県が出しているならむろん公立だけど、兵庫県など、県費職員と原因者負担職員がいるのも公立だ。100%原因者が財団だ。ちゃう、いやそう。兵庫県は原因者負担にもとづき給料をまかなっている部分もありながらも、兵庫県職員として位置づけているから公立なんだ。
◆間接経費を積むのは適正な範囲であれば不適当な考えではないと思うが、財団の財政基盤の脆弱さはずっと和田さんが言ってきていることだし、公共としての位置づけを再設定していく場合(むかしは出資金に意味があったんだが・・・)、なんらかの府の財政出動は必要だろう。何人かはセンターに送り込むことも必要かも。馴れあっては困るが。
◆例えば、活用事業、大阪府はやっていない前年度の調査速報展を実施する予算をつけることは、やるべき。普及事業は行政の責務やろ。それと、保存処理や動植物の分析とか、そういういま市町村が、元興寺やらパリノやらに出しているものを、材料費や手間賃程度の安価でやる体制を構築すべし。その初期投資はすべきでは。
◆将来像はどうあるべきか、以前から漠然と考えつつ成案がなかったが、方向性の像が結んだような気がする。むろんこれはあくまで岸本個人の見解。少なくとも都道府県で、福岡県はじめ九州諸県のような直営、文化課・文化財保護課が直でやるということに立ち戻ることはない。その場合、大阪府のセンターが役割を終えて、人員減とともに整理・廃止、府の調査事務所に一本化するというのでなく、むしろ府は、府下の行政に専念し、センターを独立組織でなく、きっちりと公共的機関として位置づけることだ、というのが結論。
◆繰り返しに近いが、さらに言わせてもおう。協力者会議の時、静岡の関野さんが民間を主張していた。土木工事と同じや、ちゃんと監理(監督・管理をまとめてこう言うんだって)すればよい、本来の行政はもっとやることがあると。後半は賛成だが、前半には違和感があったが、上記の考えは両方を解決するのではないか。関野さんのココロは、行政は、いまの言葉で言うと政策立案・評価、文化財保護施策を進めるところで、それをやるべしということだった。だけども発掘調査は土木工事やあらへん、と思っていた。設計と監理をちゃんとやれば、どこがやってもいいんだ、ということに対する違和感、それは公共機関がやるということで解決する。税金の無駄はなくすべきだ、だから常に経費のチェックが必要だ。だが安くて同じ仕事が出来るならそれが絶対的によく入札すべし、とは思わないということ。さらに言えば、関野さんも、静岡県の財団のことでなく、市町村のことを念頭にしゃべっていたように思う。市町村こそ、発掘に追われていたら何にもできないと。だから民間か、という違和感も、その都度、入札業務や、落札した個々の場合で異なる会社に対応し、その都度、説明したりすることはめんどくさい非効率なことだが、はるかに安心だ。
◆国交省や公団と交渉し調査の契約をするのは府であるべきだ。なぜなら、(1)大阪府が発掘調査業務は府民の公益にかかることで、責任があるという姿勢を示す意味、(2)明解な積算根拠をもってこれだけ必要であると説明する責任はそれこそ官が負うべき、(3)予防的な意味だがセンターが過大に積算し要求することの防止、である。また契約が府であることによって、府には事業が適正に遂行されているかセンターの発掘を監理しなければならないし、ここを残せという話をすべき責務も本来は行政にあるのであって、その責務も必然的に府に生じるだろう。府とセンターの関係として(遺物のこととか無数に整理が必要だが)、調査内容の点検はむろんだが、経費については一定の緊張感をもつべきで、センターがこの現場はこんなんだから苦しかったとか、単価を上げてくれとか、むろん要求していいのだが、その緊張感のなかで、確認調査の精度をあげることや、確認調査からどう積み上げるか、積算の精度を上げていくことだ。直接経費はちょうどであることをめざすことが税金の節減だ(う~ん大阪は土の掘削量がすべてなんだった・・・)。
◆いや~、おれもこういう世界、好きやね~。とどまることなく文章を書いている・・・。考古学の原稿書くより生き生きしている。まあ、それにしても、大阪府の会議に出れてうれしい。思ったより、というよりほとんど対立点がないのは、ちょっとつまらないが。このへんは、市町村の入ったWG会議にオブザーバーとして参加したら、けっこう面白いのだろう。それを希望してみようかな。

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雲楽
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男性
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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