人を幸せにする人になろう

1月30日、水野先生の告別式

◆昭和ひとけたで、自分の親と同世代。森本六爾の『考古学研究』に感銘を受けて、この世界に入り、京大人文研で開催された日本考古学協会の大会で、高校生ながら発表に対して鋭い質問をして注目される。大阪学芸大学に進学し、鳥越憲三郎に接し、土井が浜の調査や、京大の調査に参加。松岳山古墳の報告書の石釧の図はすごいですよ。滋賀県教育委員会、大阪府教育委員会、どこかで奈文研にも在籍したはずだが、文化庁に行ったのはいつなのか、1979年の奈良大赴任までの生き様、滋賀県や大阪府に在籍した時はいつで、どんな調査をやり、どんな問題が起こった時期であったのか、なかなかわれわれにはわからない。ついに、ご本人としては書き残さず逝かれたのか、あまり流布しない形の冊子などがあるのか、それもわからない。
◆走り続け、振り返る機会もないまま、エンジンが停止してしまったのかもしれない。カミさんは「しゃべり続けて燃料が切れたのかな」と。亡くなる前の直前も、今城塚古代歴史館で1時間40分、講演されたとのこと。火曜日、朝食を取ったあと、心不全に襲われたのだという。
◆(1)日本の遺跡保護行政における開発前の原因者負担制度の確立、(2)700人という文化財業界でいま一線で仕事をしているみなさんを育てたこと、(3)膨大な講演を通して、考古学ファンを生み出し、考古学や遺跡保護の普及に大きな役割を果たしたこと、が挙げられる。人の2倍も3倍もの仕事をされた。そして楽しく掘り、学び、研究し、仕事をする姿勢、これもまた忘れることはできない。こうした水野イズムの、いくらかであれ継承していきたい。
◆高槻の会議のあと、JR線で大阪まで一緒だった機会が1回だけある。数々の講演のスケジュールで埋まっている話、「年いったらお腹がすかない、あんまり食事せんでもええ」といった話を聞いた。
◆もうひとつは、根来の問題。たしか、奈文研の庁舎とのお別れ会で、田辺さんから、「お前、やりすぎや。水野先生が、どれだけいろんなことを考えて、各方面に働きかけ、まとめようとしているか、ちゃんとわかっとけ」と怒られた。当の水野先生は、その時カバンにあった根来寺跡保存管理計画の図を出してきて、考えるところを説明してくださった。「いま保存管理計画の検討段階のものはもっていないから、いずれちゃんとあなたに説明する機会を作るから」、といったこともおっしゃられた。田辺さんが説明してくださったこともよくわかるし、水野先生に「すいません」と頭を下げた。でもその時も、もう忘れたが、「あなたたちの言っていることもわかる」とか、「そういうことを言うことも必要なんだ」というニュアンスの言い方をされたように思う。数々の保存問題に対処されてきた水野先生は、怒ってはいなかったと思う。すべて丸く収まることはありえないなかで、現実的なところをさぐり、考え方をちゃんと説明するからと、誠実に対応してくれようとしたのだと思う。
◆そういう水野先生を信頼しているし、最終的に折り合えない点があるにせよ、それぞれ遺跡に即して考えているという相互理解はあったと信じている。晩年、ようやく話をさせていただく機会ができたくらいで、それまではほとんど接点がなかったが、水野イズムの影響を受けていることは間違いない。

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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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