人を幸せにする人になろう

ヒストリアの仕事で

◆今週はひたすら修論・卒論を読まねばならないのだが・・・。ひとつは修士課程院生の中間発表で、 毎日2人とむきあっている。それとヒストリア、陵墓、ぴーす、現地見学検討会、そしてさぼっていた兵庫城の話も舞い込む。これらをやっつけて、試験とレポートの採点をして、修論・卒論を早く読める環境を作り出さないといけないと、必死でやっているのだが、紀要の人文研究の原稿とか(ちょっとしたものです)、バックボーンとしては改新シンポとコウケンもあるし(だいたい行き帰りの時間でのイメージ作りに終始し作業をする余裕なし)、大阪城の本丸の測量の段取りとか、いろんなものが押し寄せてくる。来週には発掘器財を城陽に運ばないといけないし。
◆という次第。いかに無駄なく、優先順位を考え、仕事のバランスを取りながら、抜けなく、全体をうまくまわすために頭を使う日々です。
◆ひとつだけ。淡輪ニサンザイの宮内庁の調査の見学報告だが、若いモンに任せており、昨日、原稿が上がってきて、こっちで調整しているが、地図がいるやろと作り始め、作ってみました。西小山の位置がわからんが(そうか古い大阪府の報告書ならあるかも)。【追記】鹿児島方面から記入いただきました。ありがとうございます(下)。
◆もうひとこと。新聞にコメントが掲載された。原稿を見せられたとき、紀小弓の話は、また世間から非難される、と表現を変えてもらおうと思ったが、思い直してそのままとした。だって、そうかもしれないと思っているから。自分の気持ちにウソはつけない。ただし、なぜそう思うか。むろん一定の説明はできるが、自分としては和泉市史で、和泉の古墳時代中期をどう考えるか、そのなかで淡輪の評価は避け得ない、根使主をどう考えるか、そういうことをさんざん考えてきたことは、このブログにも書いてきたとおり。そういうバックボーンがあるわけだ。淡輪に葬るという記事は無視できない、がそれに相当するものは見あたらない、なんでやと。その上に、見学会で、くびれ部 の「方墳」を見て、もしかしてこれ?、と。
◆むろん、そういう思考を重ねてこようが、そこを強調したところで、間違っていたらそれまでのこと。訂正し、また考え直さなければならないが。またアイツはあんなこと言って、と批判があるだろうが、いろんなことを考えてきた上で、可能性としてアリではないかという意見なのである。別にわかってくれなくてもよい。孤独なもんだ。
◆もとい。陵墓の原稿も入稿、ぴーすの記事も書いて入稿。これから三田の見学会の広告文を書き上げて入稿、あとひとつちっちゃいのがあるが、ヒストリア2月号はこれで尾張。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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