人を幸せにする人になろう

2011年1月13日雄略陵

◆雄略陵で配水管の埋設工事が行われていて、その見学会があるので行く。なんと20数名が参加。まあ、e2cb8dbb.JPGけっこう大がかりな管を埋設している。
◆雄略陵は、高鷲丸山という円墳を後円部に見立て、前方部を作りあげた(捏造)ものだが、西田孝司さんの研究があり、今日も直接、西田さんから近世以降、そして幕末から明治にかけての修陵の話が聞けた。ぼんやりとしか知らなかったが、こうして現地を訪れ、西田さんの話を聞いて、一定の認識をもつ。
◆まず第1段階として、丸山の円墳の整備と、東側の平塚という地点を方形に整備することが行われ、明治10何年かに、前方後円墳が作られる。とはいえ、別に土を盛るのでなく(ちょっと盛っているのかもしらんが)、要するに区画してつなぐだけのこと。そういう過程をたどる。それと平塚というのは方墳なんだろうと思っていたが、実は怪しいらしい。
◆幕末以前の絵図では、畑地になっていた平行四辺形状の高まりがあったらしい。平塚という名前からすると、わりと低いものだったのだろうか。こうした高まりが自然地形で、周囲の水田化によって方墳状の高まりの残丘となって残ったものか、西田さんの本をきちんと読んで考えてみたい。ともかくも古墳という証拠はないらしく、今回の工事では、この平塚のある「前方部」南側をずうっと掘削しているわけだが、周濠のようなものはないし埴輪も一切出土せず、確かに怪しいらしい。
◆説明を聞いていて、古墳にかかわるような遺構や埴輪はないとの説明に対し、「平塚は古墳ですか」と聞いてみたかったがやめた(雄略陵のはずなので答えにくいわな~)。
◆天理大の小田木君にずいぶん久しぶりにあう。東大寺山の報告書について、ご苦労様と話をする。

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雲楽
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1964/03/22
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兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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