人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
大歴の現地見学検討会
◆5月29日、伏見城で見学検討会をやった。朝、桃山御陵前で参加者を待っていると、ぞくぞくと人が集まって
くる。せいぜい100名、だが、資料は150刷っておこうと、前日の晩、作成したが、それは集合時間の10:00よりも20分前にはなくなった・・・。結局、250参加、午後は270という。
◆それからが大変。資料はないし、会場の呉竹のキャパは120くらい。車で行ってたので、四条烏丸のキンコーズに走り、資料を100部増し刷り発注、それから呉竹にとって返し、会場の相談。椅子を後に60ほどならべ、前のほうにゴザを敷いて、床に座ってもらうことに。立ち見がそれでも出たが、おおむね収容した。
◆おそるべし伏見城である。見通しが甘い。それでも資料がまわらなかった人に記帳してもらい、後日、60部を送った。
◆翌月曜日の委員会で、こうした学会の現地見学検討会は、伏見城は特例としても、学会と市民をつなぐ重要な手段であり、テーマ設定は人気取りでなく学術的な見地から選定する必要はあるが、きちんと宣伝して人に来ていただくことは、学会として重要な社会的活動だ、これからは年2回でもいいのではと、自分の首を締めるような提案をしてみた。これは前から思っていることだが、毎度、企画に難渋することを考えると冒険だが、やっていいんではないかな。
◆それと、この会を通じて、あとの懇親会の場を通じて、伏見城プロジェクトを立ち上げる話を進めている。どこぞの学会は、一緒にやろうという誘いを断ってきた。まあよい。図体がでかくてフットワークが軽くない学会は、放っておこう。主力は中世の城郭史の人たちにやってもらうしかないが、オレは、宮内庁との話し合いや、京都府・京都市との合意形成で動きたいと思う。まあ、あんまり欲張らず、伏見城の基礎的調査を大阪歴史学会が音頭をとって数年やって、そのあとは専門家が進めたらいいと思っている。
◆それからが大変。資料はないし、会場の呉竹のキャパは120くらい。車で行ってたので、四条烏丸のキンコーズに走り、資料を100部増し刷り発注、それから呉竹にとって返し、会場の相談。椅子を後に60ほどならべ、前のほうにゴザを敷いて、床に座ってもらうことに。立ち見がそれでも出たが、おおむね収容した。
◆おそるべし伏見城である。見通しが甘い。それでも資料がまわらなかった人に記帳してもらい、後日、60部を送った。
◆翌月曜日の委員会で、こうした学会の現地見学検討会は、伏見城は特例としても、学会と市民をつなぐ重要な手段であり、テーマ設定は人気取りでなく学術的な見地から選定する必要はあるが、きちんと宣伝して人に来ていただくことは、学会として重要な社会的活動だ、これからは年2回でもいいのではと、自分の首を締めるような提案をしてみた。これは前から思っていることだが、毎度、企画に難渋することを考えると冒険だが、やっていいんではないかな。
◆それと、この会を通じて、あとの懇親会の場を通じて、伏見城プロジェクトを立ち上げる話を進めている。どこぞの学会は、一緒にやろうという誘いを断ってきた。まあよい。図体がでかくてフットワークが軽くない学会は、放っておこう。主力は中世の城郭史の人たちにやってもらうしかないが、オレは、宮内庁との話し合いや、京都府・京都市との合意形成で動きたいと思う。まあ、あんまり欲張らず、伏見城の基礎的調査を大阪歴史学会が音頭をとって数年やって、そのあとは専門家が進めたらいいと思っている。
ひさしぶりに
◆家が無線になって快適になったが、このブログの更新は久しぶりである。前は5月25日。
◆さて、菅内閣に変わりましたね。鳩山と小沢が退場した。もうひとり、うるさいのがいる。もと自民党の亀井静香だ。仙石官房長官はいいんではないですか。少なくとも平野君より人望がぜったいあるよな。
◆あしたはいよいよ玉1が納品される。楽しみだ。
◆ということで、これから少しブログを書こう(2010年06月08日)。
◆さて、菅内閣に変わりましたね。鳩山と小沢が退場した。もうひとり、うるさいのがいる。もと自民党の亀井静香だ。仙石官房長官はいいんではないですか。少なくとも平野君より人望がぜったいあるよな。
◆あしたはいよいよ玉1が納品される。楽しみだ。
◆ということで、これから少しブログを書こう(2010年06月08日)。
いくつか
◆めでたく車の3年間のローンが完済となった。で、車検だ。金がかかる。
◆ミドリ電化に行き、前からの懸案だった、家のパソコンを無線にする。快適。
◆高梨学術奨励金も採択され、3連勝となる。
◆玉手山3号墳の概報の編集も、今日でほぼ終えた。1号墳と同時にできあがりそうだ。
◆次は、牧野古墳のパンフレットにとりかかろう。A3で2つ折り、まあ1日仕事だ。
◆ミドリ電化に行き、前からの懸案だった、家のパソコンを無線にする。快適。
◆高梨学術奨励金も採択され、3連勝となる。
◆玉手山3号墳の概報の編集も、今日でほぼ終えた。1号墳と同時にできあがりそうだ。
◆次は、牧野古墳のパンフレットにとりかかろう。A3で2つ折り、まあ1日仕事だ。
田植え
◆22日、カミさんの和歌山の実家で田植えをする。岳父は80歳、小学校教諭の傍ら、家の田をずっと作り続け
ている。さすがに、本人も、まわりも、心配になり、今年は手伝ってくれと要請され、こっちも願ったり叶ったりで、前から約束していた。
◆田はもっとあるが、だんだん縮小し休ませている田も少なくなく、いまは3枚分。あわせて1反くらいという。だいたい、家族4人、どのくらいの田があれば、どのくらい米が取れて、食っていけるかも、現代のわれわれはほとんど知らない。近世史の人間はわかっていて、こないだも、江戸時代の普通の農民は、どれくらいの田をもっているのか尋ねてみたところだ。
◆だいぶ前に田植えを一度やったが、なかなか機械をおもうように操れなかった。その時は、見ちゃいられない、といった感じで、結局、義父がやったように思う。今回、前のトラウマがあっ
て、まずまっすぐに植える以前に、機械を操る練習がしたいと主張したが、結局は、まあやりながら慣れるしかないということで、こっちは、苗を置かないでいくらか練習したかったが、いきなり本番となった。まあ確かに、2回端から端へ植えてみると、もう大丈夫。簡単だった。案ずるより産むが易し、だ。
◆むしろ、植えてきた苗と間隔をあわせ、かつまっすぐに進むことが難しい。これは、轍をあわせて折り返すこと、かつボーリングのスパットと同じで目標を見定める必要がある。とはいえ、起伏のある表面に沿って進む機械は左右にも傾く。それをコントロールするには、しっかりハンドルを調整しなければならない。
◆まあしかし、あっという間に終わった。いい経験をさせてもらった。
◆田はもっとあるが、だんだん縮小し休ませている田も少なくなく、いまは3枚分。あわせて1反くらいという。だいたい、家族4人、どのくらいの田があれば、どのくらい米が取れて、食っていけるかも、現代のわれわれはほとんど知らない。近世史の人間はわかっていて、こないだも、江戸時代の普通の農民は、どれくらいの田をもっているのか尋ねてみたところだ。
◆だいぶ前に田植えを一度やったが、なかなか機械をおもうように操れなかった。その時は、見ちゃいられない、といった感じで、結局、義父がやったように思う。今回、前のトラウマがあっ
◆むしろ、植えてきた苗と間隔をあわせ、かつまっすぐに進むことが難しい。これは、轍をあわせて折り返すこと、かつボーリングのスパットと同じで目標を見定める必要がある。とはいえ、起伏のある表面に沿って進む機械は左右にも傾く。それをコントロールするには、しっかりハンドルを調整しなければならない。
◆まあしかし、あっという間に終わった。いい経験をさせてもらった。
河内の葡萄栽培とワイン醸造
◆河内のあのあたりを歩いていると、葡萄畑が美しい。小さな実がつ
きはじめ、ひとつひとつ焼けないように紙をか
けている。ビニールは、天気がよいと、めくり上げ、風も入れてやる。
◆たぶん、営業的にも一定の採算ベースに乗っているのだろう。勝沼はだめになってきているらしいが、河内ワインはもっと大阪として支援してもいいと思う。ワインは柏原ワイン、河内ワイン、飛鳥ワイン、とどうやら大きく三つはあるらしい。こないだ飲んだのは、どれだったか。900円のロゼと白はけっこういけましたよ。こないだ、NHKのニュースでも、ヘリコプターから河内の葡萄畑を映していました。
◆千客万来がいいわけではないが、カミさんが言うには、前にカリフォルニアの
ワイナリーに言ったとき、直営の酒場というのかレストランがあって、お客がやってきて、ワインを飲むと。そういうのを作ったらいいのにと。どこか、一面葡萄畑という景観の一等地に、そこにワイナリーがあり、レストランがあり、そこに畜産農家などもかかわって、チーズや肉やらも出し、柏原駅や国分から送迎バスを出すような、そんな一大観光地にすることもできるだろうにと。
◆つけたし、飛鳥あたりでは、畑を見ると、無数にサヌカイトが落ちている。そして、住宅地に入り、その石垣を見てると、かなりの割合でサヌカイト礫なんだ、これが。
◆もうひとつ。橋の欄干、これ通法寺に向かうところにあった。二上山なんでしょうね。なかなかいい。
◆たぶん、営業的にも一定の採算ベースに乗っているのだろう。勝沼はだめになってきているらしいが、河内ワインはもっと大阪として支援してもいいと思う。ワインは柏原ワイン、河内ワイン、飛鳥ワイン、とどうやら大きく三つはあるらしい。こないだ飲んだのは、どれだったか。900円のロゼと白はけっこういけましたよ。こないだ、NHKのニュースでも、ヘリコプターから河内の葡萄畑を映していました。
◆千客万来がいいわけではないが、カミさんが言うには、前にカリフォルニアの
◆つけたし、飛鳥あたりでは、畑を見ると、無数にサヌカイトが落ちている。そして、住宅地に入り、その石垣を見てると、かなりの割合でサヌカイト礫なんだ、これが。
◆もうひとつ。橋の欄干、これ通法寺に向かうところにあった。二上山なんでしょうね。なかなかいい。
近つ飛鳥まで歩く
◆5月16日、近つ飛鳥の展示を見に、家からカミさんと歩く。出発は遅く11時。自宅から駒ヶ谷へ抜け、竹之内
街道に沿って飛鳥へ(写真は飛鳥川)。
◆まず駒ヶ谷の杜本神社へ。もとは、飛鳥戸氏を祭る神社とか。その参道沿いに寄附者の名前。これがおもしろい。金銅さん、真銅さん、麻野さん、この3つが有力。それにしても、金銅さん、真銅さんって、いったい・・・。古墳時代に金属加工をしていたのかな~、なんて想像する。
◆飛鳥、観音塚古墳に立ち寄り、途中で飛鳥戸神社による(写真)。前から行ってみたかったところだ。岸俊男だったか、編戸が渡来人に始まるのではという見解のもとになったもの。そして百済の昆支を祭り、息子の東城王はここ河内で育ち、百済王となる。東城王は殺害され、異母兄の武寧王が百済を中興する。いま住む人の血筋をさか
のぼると、百済王室にまでたどりつくかも。いまはちっちゃい、実にちゃちい神社だが、韓国の人が訪ねてきた新聞記事が貼ってあった。ところで、飛鳥戸神社の寄附者一覧によると、飛鳥では仲村さんばっかり。仲村トオルはここの出身だったりして。ちがうか。
◆で、地図を持たず太子町に突入し、用命陵のところを南下して、と思ってたら、道を間違い、結局、敏達陵のある西側に出てしまい、近つへ。驚いた。駐車場があふれている(写真)。きっと講演会なんやで、水野先生とか・・・、といってると、ほんとうにその通りであった。ハヤシライスを食べて特別展を見る。なにがよかったかな。並んでるのは、ケイ甲に馬具に、似たようなもの。似たようなものであるところに意味があるんだろうが。石人と石馬がよかったかな。図録もいろいろ勉強になりました。
◆帰りも歩きを選択。通法寺跡。源頼なんとか(義家の父)の屋敷は、八幡宮の西だったかな。河内源氏の本拠の発掘調査はどこまで進んでるんだろうか、ちょっと調べてみようと思った。通法寺は前に、御嶺山古墳を探し回ったときに立ち寄ったが、墓はなんか谷間の暗~いところで、気味悪い、くらいの印象を受けたが、羽曳野市にとっては、大きな歴史遺産が眠っていると言える。
◆そして壺井八幡神社に寄ってから、国分に戻り(19時)、酒屋で地元のワインを2本買い、今日はイタリアンということで楽しくやりました。歩きすぎて、足が痛い。
◆まず駒ヶ谷の杜本神社へ。もとは、飛鳥戸氏を祭る神社とか。その参道沿いに寄附者の名前。これがおもしろい。金銅さん、真銅さん、麻野さん、この3つが有力。それにしても、金銅さん、真銅さんって、いったい・・・。古墳時代に金属加工をしていたのかな~、なんて想像する。
◆飛鳥、観音塚古墳に立ち寄り、途中で飛鳥戸神社による(写真)。前から行ってみたかったところだ。岸俊男だったか、編戸が渡来人に始まるのではという見解のもとになったもの。そして百済の昆支を祭り、息子の東城王はここ河内で育ち、百済王となる。東城王は殺害され、異母兄の武寧王が百済を中興する。いま住む人の血筋をさか
◆で、地図を持たず太子町に突入し、用命陵のところを南下して、と思ってたら、道を間違い、結局、敏達陵のある西側に出てしまい、近つへ。驚いた。駐車場があふれている(写真)。きっと講演会なんやで、水野先生とか・・・、といってると、ほんとうにその通りであった。ハヤシライスを食べて特別展を見る。なにがよかったかな。並んでるのは、ケイ甲に馬具に、似たようなもの。似たようなものであるところに意味があるんだろうが。石人と石馬がよかったかな。図録もいろいろ勉強になりました。
◆帰りも歩きを選択。通法寺跡。源頼なんとか(義家の父)の屋敷は、八幡宮の西だったかな。河内源氏の本拠の発掘調査はどこまで進んでるんだろうか、ちょっと調べてみようと思った。通法寺は前に、御嶺山古墳を探し回ったときに立ち寄ったが、墓はなんか谷間の暗~いところで、気味悪い、くらいの印象を受けたが、羽曳野市にとっては、大きな歴史遺産が眠っていると言える。
◆そして壺井八幡神社に寄ってから、国分に戻り(19時)、酒屋で地元のワインを2本買い、今日はイタリアンということで楽しくやりました。歩きすぎて、足が痛い。
パソコンと複合機
◆科研と福武で研究費は潤沢。で、バイトも4人使っている。福武は、陵墓を全部デジタルトレースし、キャドデー
タにし、3Dを作り、3Dプリンタで模型を作るというもの。ちょっと1年では無理かもしれないが、いいところいくだろう。
◆で、パソコンを新しくした。ウィン7で、64ビット。すこぶる早い。イラレでもインデザインでも、クリックすると、すっと立ち上がる。だが64ビットの弊害は、これまでの機器があわないのだ。ドライバーは、ウィン7用も出ているが、32ビットで、64ビットはなかったりする。で、カミさんが、周辺機器も新しくしたら、というので、カラーレーザ、スキャナ、ファックスの複合機を買った。これに書類のPDF化のためにスキャンスナップを入れていたので、すべて1台となる。スキャンが300dpiなので、報告書用は前のをまだ使わなきゃならないが。
◆今日の授業用に、昨日、スキャンをしていて、めっちゃ快適でした。進化したものだ。こうして、前のデスクトップは、バイト用とし、各種調査データは、すべてそこに放り込んで専用機にした。こうした分化もすごい合理的。あっちこっちに調査データが分散していたが、すべて前のデスクトップに、遺跡ごとにフォルダを作り整理した。いましばらく、新環境に慣れるまで、あっちのパソコンにいったり、難があろうが、全体としてすこぶる快適だ。
◆ちなみに、下の画像が、試験的に行ったメスリの3Dデータによる石膏模型だ。これについては、京都大学工学研究科の援助をえている。データを渡してやってもらったが、測量業者のキャドデータで、そのままいかなかったらしく、さわっているうちに、反転したらしい。それと色もつけていて、彩色されるはずだが、色の乗せ方が、そのままではだめらしく、いまは無地。これも改良を加えていこう。、
◆で、パソコンを新しくした。ウィン7で、64ビット。すこぶる早い。イラレでもインデザインでも、クリックすると、すっと立ち上がる。だが64ビットの弊害は、これまでの機器があわないのだ。ドライバーは、ウィン7用も出ているが、32ビットで、64ビットはなかったりする。で、カミさんが、周辺機器も新しくしたら、というので、カラーレーザ、スキャナ、ファックスの複合機を買った。これに書類のPDF化のためにスキャンスナップを入れていたので、すべて1台となる。スキャンが300dpiなので、報告書用は前のをまだ使わなきゃならないが。
◆今日の授業用に、昨日、スキャンをしていて、めっちゃ快適でした。進化したものだ。こうして、前のデスクトップは、バイト用とし、各種調査データは、すべてそこに放り込んで専用機にした。こうした分化もすごい合理的。あっちこっちに調査データが分散していたが、すべて前のデスクトップに、遺跡ごとにフォルダを作り整理した。いましばらく、新環境に慣れるまで、あっちのパソコンにいったり、難があろうが、全体としてすこぶる快適だ。
◆ちなみに、下の画像が、試験的に行ったメスリの3Dデータによる石膏模型だ。これについては、京都大学工学研究科の援助をえている。データを渡してやってもらったが、測量業者のキャドデータで、そのままいかなかったらしく、さわっているうちに、反転したらしい。それと色もつけていて、彩色されるはずだが、色の乗せ方が、そのままではだめらしく、いまは無地。これも改良を加えていこう。、
吉川弘文館の仕事に飽きた
◆史跡の一覧表に手を入れているが、これがなかなか大変(時間がないという理由で、そのままええかげんな遺跡解説を載せることに反対し、結局、省略することになった)。予定では、5月17日念校で、21日校了、27日印刷
完了とある。が、オレの仕事の遅れからずれ込んでおり、必死で挽回しようとしている。最終校正は来週月曜日、これで終わりだ。
◆校正といえば、玉手山1号墳の校正がやっと出た。もはや読む気力はない。図など、致命的なミスだけ点検し、ただちに印刷にかかってもらおう。
◆『市大日本史』第13号も5月14日に無事に刊行された。いまは玉手山3号墳の概報をやっているが、来週の月曜日にはほぼ、完了するだろう。これもただちに印刷。で、昨日から、摩湯山古墳の編集に取りかかった。測量図のトレースは、所さんがこないだ完成させてくれた(右)。で、前からやってた墳丘写真の図版についての、インデザイン編集を、我慢できずにやったわけだ。ホントは、前から決めてある構成にしたがい、執筆予定者に原稿依頼をちゃんとやるのが先決だが・・・。まあ、来週やね。
◆そんなんで、ちょっとイヤになったので、いまからブログをまとめて書こうと思う。カミさんは、こないだの一連のブログを見て、そんな暇があるならハヨ帰ってこい、と。しかし、たいがいは、自宅で深夜やっているのです。でも、今日は、いまから大学で・・・。
◆校正といえば、玉手山1号墳の校正がやっと出た。もはや読む気力はない。図など、致命的なミスだけ点検し、ただちに印刷にかかってもらおう。
◆『市大日本史』第13号も5月14日に無事に刊行された。いまは玉手山3号墳の概報をやっているが、来週の月曜日にはほぼ、完了するだろう。これもただちに印刷。で、昨日から、摩湯山古墳の編集に取りかかった。測量図のトレースは、所さんがこないだ完成させてくれた(右)。で、前からやってた墳丘写真の図版についての、インデザイン編集を、我慢できずにやったわけだ。ホントは、前から決めてある構成にしたがい、執筆予定者に原稿依頼をちゃんとやるのが先決だが・・・。まあ、来週やね。
◆そんなんで、ちょっとイヤになったので、いまからブログをまとめて書こうと思う。カミさんは、こないだの一連のブログを見て、そんな暇があるならハヨ帰ってこい、と。しかし、たいがいは、自宅で深夜やっているのです。でも、今日は、いまから大学で・・・。
さらにヨーロッパと日本
◆もうひとつ前から思っていること、ヨーロッパは、第1次世界大戦の戦場となった。戦災もある。だが、基本的には、ゆっくりと変化してきたと思うのだ。それに対して、日本の戦後の激変、これがよくない。
◆パリもさっき言ったように300万人だ。地方都市もあり、そして田舎がある。町が異様に肥大化することなく、つまり田舎からの人口流入がなく、中世以来、ゆったりと経過している。むろん産業革命期の変化は大きかったであろうが。
◆日本はどうだ、大都市、地方都市、田舎、その点はおなじだが、都市部への人口集中が極端に進み、田舎が疲弊している。この差はなんなんだろうか。人口の差もあるんでしょうね。ヨーロッパ諸国は数千万人だから。地勢もあろう。日本は山がちで平野部に人々が集中する。ヨーロッパでは、アルプスはあるが、山は少なく(たぶん)、丘があり盆地がある。そうしたところに分散的に住んでいる。
◆都市の方が快適で、収入もあろうが、田舎が維持されるのはなんでだろう。これは是非研究して欲しい。
◆で、極端論に戻る。江戸時代の江戸の人口が何人だったか知らないが、100万人くらいだろう。だが、それが1300万人という。1300万人といっても、東京都区部なんでしょうね。千葉、埼玉、川崎、横浜と、切れ目なくひとつづきの市街地である。こんな人口集中が起こったら、住む場所は必要で、山野はずたずたにされ、景観は一変する。しかもそれは戦後だ。近代以降の変化も大きいが、戦後の上昇の角度は著しい。短期間での激変・・・ゆっくりと、旧市街の外に徐々に町ができていき、といった通常の経過をたどらない。むろん地理的平面位置としてはそうだが、当然、無秩序な乱開発だ。
◆極端はよくない、新しいものが生まれても、それをゆっくりと受け入れ、徐々になじんでいく、という歩調をとることが望ましい。いましかし、中国が、この極端な社会変革が進行中だ。
◆パリもさっき言ったように300万人だ。地方都市もあり、そして田舎がある。町が異様に肥大化することなく、つまり田舎からの人口流入がなく、中世以来、ゆったりと経過している。むろん産業革命期の変化は大きかったであろうが。
◆日本はどうだ、大都市、地方都市、田舎、その点はおなじだが、都市部への人口集中が極端に進み、田舎が疲弊している。この差はなんなんだろうか。人口の差もあるんでしょうね。ヨーロッパ諸国は数千万人だから。地勢もあろう。日本は山がちで平野部に人々が集中する。ヨーロッパでは、アルプスはあるが、山は少なく(たぶん)、丘があり盆地がある。そうしたところに分散的に住んでいる。
◆都市の方が快適で、収入もあろうが、田舎が維持されるのはなんでだろう。これは是非研究して欲しい。
◆で、極端論に戻る。江戸時代の江戸の人口が何人だったか知らないが、100万人くらいだろう。だが、それが1300万人という。1300万人といっても、東京都区部なんでしょうね。千葉、埼玉、川崎、横浜と、切れ目なくひとつづきの市街地である。こんな人口集中が起こったら、住む場所は必要で、山野はずたずたにされ、景観は一変する。しかもそれは戦後だ。近代以降の変化も大きいが、戦後の上昇の角度は著しい。短期間での激変・・・ゆっくりと、旧市街の外に徐々に町ができていき、といった通常の経過をたどらない。むろん地理的平面位置としてはそうだが、当然、無秩序な乱開発だ。
◆極端はよくない、新しいものが生まれても、それをゆっくりと受け入れ、徐々になじんでいく、という歩調をとることが望ましい。いましかし、中国が、この極端な社会変革が進行中だ。
和歌山線はもういちど
◆今回、和歌山線は夕暮れから夜だったので、車窓から外を眺めることができなかった。なので、もっかい、やらねばならん。
◆笠田駅というのがある。カミサンの実家に行くとき、京奈和の高野口でおりて、笠田まで行き、南に折れる。笠田は、そう、荘園絵図で有名な(キヘン+上・下)田荘なんだな。和歌山って、柳田国男のなんとか論ではないが、古い地名やそんなのが残っているので、驚く。たとえば、神社名で、丹生官省符神社というのがあるんですよ。世界遺産になってるけど。むかし大学時代に和歌山の後輩がおり、そいつの言葉に驚いた。なんだっけか、「あが」だ。「あがのなになに」て自分のなになに、ということですよね。我?吾?、ともかくも、そんな言葉が残っている。
◆和歌山が周辺部というのは事実だ。突帯紋土器は残るし、Ⅴ様式も残るし。でもバカにしてるんじゃないですよ。そういう、和歌山こそ、ほかで失われたものが残っており、それが今日的な価値になりうるんだ、ということ。
◆笠田駅というのがある。カミサンの実家に行くとき、京奈和の高野口でおりて、笠田まで行き、南に折れる。笠田は、そう、荘園絵図で有名な(キヘン+上・下)田荘なんだな。和歌山って、柳田国男のなんとか論ではないが、古い地名やそんなのが残っているので、驚く。たとえば、神社名で、丹生官省符神社というのがあるんですよ。世界遺産になってるけど。むかし大学時代に和歌山の後輩がおり、そいつの言葉に驚いた。なんだっけか、「あが」だ。「あがのなになに」て自分のなになに、ということですよね。我?吾?、ともかくも、そんな言葉が残っている。
◆和歌山が周辺部というのは事実だ。突帯紋土器は残るし、Ⅴ様式も残るし。でもバカにしてるんじゃないですよ。そういう、和歌山こそ、ほかで失われたものが残っており、それが今日的な価値になりうるんだ、ということ。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。