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人を幸せにする人になろう

またまた

◆記録として、昨日25日はある講習会に出ていました。それから学情6階の廊下部分の仮パネル4つを貼りに行き、ついでに大学史で少し話をする。本日26日は朝からカミさんの大学に行き、うちの6階展示に使う3D模型を作る放散虫の選択をしてきました。スキャンデータも確認し、データも良好で、模型が作れることも確認済み。
◆カミさんの研究室や実験室に行くと、理系はすごいな~、と思いますね。ある目的にむかって、機器やらそういうのをそろえてある。むろん金を取ってきて100万単位の機械を買ったり、計測に必要な器具は自分で作ったり、と。組織的にやっている様子を感じることができる。むろん考古学でもできるのだが、文系はより個人的ですね。
◆ただし、悲しいことに、そういう研究室で取り組んでいるさまざまなこと、ほんとは院生や学部生が分担して担当し、それぞれが機能することで、全体として研究室の研究が推進されていくわけだが、格好はそうなっていても、カミさんいわく、全部1人でやっている(任せられない、やらせてもできない)のだそうです。
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勢いで書いています

◆学問だから意見の相違はある。邪馬台国問題など、その最たるもの。で、どうするか。互いを攻撃しあうことはやめましょう。そこに労力を割くことはやめましょう。もちろん論争によって、自分の寄って立つ根拠を見直すことにもなり、さらに固まっていったり、修正が加えられたりしていく、という面はある。それを否定はしない。しかし、世の中には攻撃的なものがありますよね。
◆そうではなく、意見の分かれていることに対して、事実を明らかにするには、この先、どのように手を打ち、どこを課題に分析を進めればいいのか、そういうことに労力をかけたいものですね。
◆あかん、ついつい書いてしまうが、もうやめます。

尋ヒロ

◆続けてYさんのヒロ尋1.8mについて考えていた。改めて論文を読み、内容を把握。しかし、考古学の側のヒロ尋1.5mというのは、別途、ちゃんとした論証をしないといけない。実は9尋・7尋・5尋に対応する墳丘があることは、自分でも定北のグラフをもとに提示済み。そこを個々の古墳に即して、もっとちゃんとやらないといけない。プラス、6世紀から7世紀前半の墳丘が南朝尺25㎝の6尺1歩1.5m(これがヒロなわけだが)を、早く論文にすることである。
◆考古学から、ヒロ尋は1.5mであることを論証したうえで、モノ申す必要がある。
◆結論は、旧俗廃止の詔に出てくる2尋は、貨幣的な布として3mの(のちの常)布があったんだろう。これが646年時点の現状を示す。しかし同年正月の改新詔では1丈2尺(3.5m弱)、そして4丈の布のところに出てくる幅2.5尺(約74㎝)、これは換算値でなく、既に改新前に唐大尺は入っていて、この数字が原詔そのものだろう。これは、新税制であり、前代までの2尋というものを基礎にしながら、より長いものにこれからしていくとしたもの、こう理解すべき、というのが結論。一致しなくていい。ヒロ尋実長からはそう導ける。
◆ちなみに幅の唐大尺2.5尺(約74㎝)の布幅は、南朝尺の3尺である。南朝尺でいえば、2尋布は、南朝尺12尺(3m)×3尺(75㎝)布だった。それを唐大尺12尺(3.5m弱)×2.5尺(74㎝)にした、ということ。これが天武初年以前に1丈3尺になり常布が成立するということのようだが、これについてもヒトコトあるが、やめておこう。
◆いずれにしても、漢尺23㎝は知られていても、6世紀になると高麗尺が、というのがずいぶん前の知識であり、甘粕先生の明らかにしていた南朝尺25㎝というのが、ほとんど考古学の世界でも顧みられておらず、どこにも出てこない。文献史のYさんが、2尋を考える際、この時期は高麗尺だから、と、あたりまえのようにそっちに行き、25㎝尺など存在が知られていないわけです。しかし、書いているかどうかわかりませんが、Sさんは倭鏡が、漢鏡の5寸とか7寸とか、中国尺によって器物の大きさが説明できるとしているように、墳丘で確認できる中国尺は、墳丘のみならず(墳丘はその歩数)、器物など尺寸で設計されている常用尺になっているのである。断定的に書いたが、やっていないわけで、これ卒論のテーマになりますよ。貢納物であり、また貨幣的に扱われる布の寸法もまた、尺寸で定められたのであり、5世紀第2四半期頃に南朝の1尺25㎝尺の導入で、世の中はそうなったのである。
◆ついつい長くなりました。論文にならずとも研究ノートでも、3週間くらいあれば1本書けると思うが、そんな時間はどこにもない。
◆さあ、雑用を。今日は頭から改新を抜かねばならない。

雑用を

◆いろんなことをさぼっております。今日はちゃんと仕事をしないといけません。やりたいことをやっているわけにはいかない。改新をやってたわけです。というか岩波講座のIさんの論文を自分なりに再構成しようとしておりました。が、これら手をつけていることすべてが、中途半端に終わりそうです。
◆国ー評ーサト五十戸は大化元年から3年くらいだ、ということを学ぶ。基本的に国造のクニをそのまま評にして、さらにそれが649年と653年に調整される。652年戸籍は、戸主を上げたものとして作成されているだろうと。ま、このへんは時間の問題なので、木簡が解決してくれるだろう。改めて論ずることもないわけだが、自分の勉強不足が判明した。
◆それと東国国司の派遣がなぜまず出てくるのか。それは西日本については、基本的に田地は既に把握されているからだろうと思う。人口調査はするが。ひとつ前の記事もあわせ、7世紀前半のあり方が、今後フロンティアの課題になっていくだろう。戸数の把握、50戸単位の区分、それによる新税制、それをまとめた評、さらには坂東八国を考えると、大化のはじめに地方行政制度は出発している。

大山誠一氏の改新論

◆『東アジアの古代文化』の2号分で、必要なところをちぎって保管していたものが発掘され出土。改新論関係の部分。山尾さん、森さん、別号の大山さん。
◆思想的背景+世代差+柔軟性、などで差がありますね。改新を否定的にみる立場は、あくまで天武朝。山尾さんのはひどい。が、ぜんぜんかというと、中央官制・地方統治制度は認める、その一方で、サト編成や戸籍や班田収授は否定する。意見の違いは、サトはやはり改新だろうという点と、1人1人の戸籍は庚午年籍としても、戸数の把握はあったという点。班田が軌道に乗るのは、たしかに持統期にくだるんだろう。面白いのは前期難波宮で、これが長柄豊碕宮だったら全面的に認めるが、これが孝徳期であることをなお疑うという点。大山さんが、この山尾さんの見方を徹底的に批判しています。で、それでいいと思うわけです。
◆森さんも、中間型だが否定論に近い方と表明している。
◆さて大山論。今後はこの方向だと思った。とても刺激に満ちたものだが、もっとも重要な点は推古期のクニーイナギ(県?)をちゃんと評価すべしという新たな「改新否定論」というところ。つまり、孝徳期に一気に進むという面はあるにせよ、前提となる地方支配として、国ーコホリーサト以前に、既に地方行政制度が始まっているという見方だ。これですね。
◆あとは天武万歳説の否定。ヤツはたいしたことない、という話もとても面白かった。
◆『条里制研究』に論文を書いた時も、50戸制の前に30戸制があったことが否定できないようだ、ということは知ったが、それを扱う能力はなく、そのままとしたが、このクニーイナギをどうやって追及するか、これ考古学の大きな課題です。

文化審議会のまとめ

◆フォローできていませんが、夏ごろ、中間まとめで話題になり、パブリックコメントに対応した が、その最終報告が出たというもの。そして、具体的に文化財保護法をどう変えるかがわかってきているようである。これは朝日の社説。
◆文化庁の動向について、きちんとした文章をまとめておく価値はあるなと、10月ごろ、いろいろ調べながら思ったが、ちゃんと書くには文化庁に行く必要もあるし、できそうにもありません。なお、大阪歴史学会の見解はHPに挙げてあります。ミソは、活用というのは、基本的に住民が考えるものである、という点。

佐紀陵山の渡土手

◆M1の院生に聞くと知らないようだったので、みなさんに知っといてもらおうと思います。右が「狭木寺間陵の墳丘外形調査」(『書陵部紀要』43、p122)にある記述です。そこから出た楯形埴輪が写真で見るものです。かつて、大正期に墳頂が盗掘された際に出た楯は、空襲で失われたのだったか、写真が残っているやつだが、それとは別に書陵部の展示図録に収録された楯類は、渡土手から出たものです。
◆左は、それを紹介した拙文の抜粋。思い込みに満ちたものかもしれませんが。場所は正確に落とされたものがないので、はっきりしませんが・・・。

大学史展示も

◆昨日の2限で、年内の授業がおわっちまった。あとは年明け、か。1月までの授業時間中で、ひと とおりやり遂げようとすると、これもスパートしないと・・・
◆このパネル作りも、従来の実習展の規模よりはるかに広い壁面なので、やってられません。1か月専属でやればできるんでしょうが。そこは、30数人の履修生にちゃんと機能してもらい、できるだけ自分らでやってもらうとともに、仕上げを効率的にやる必要がある。まあしかし、こういうのは行動あるのみ、イケイケでやらんとでけへん。

Jムークが終われそう・・・

◆第2回目の最後の画像。『都市史研究』第4号に比恵那珂を加えた。

2017年12月17日、上町台地先端部

◆です。昨日の夜から、元図は昨年作ってあったのですが、等高線をなぞったり、とほほです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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