人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2017年8月20日 記事№3900
◆杉本町で銀行処理をして9:10出勤。河合塾模試。近肖古王37話見れず、終了1024。現説資料アップ1052。フォトスキャン開始1103。新聞読み始める。ブログ1350。サンダーバード処理開始1303。
フォトスキャンを2台に入れ、作業。サンダーバード処理終わり1739。
フォトスキャンを2台に入れ、作業。サンダーバード処理終わり1739。
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今日の1日
◆朝、6:30起床。7:00ぱんのいえで朝食。7:30出発。田尻峠越え、中和幹線、香芝インターから西名阪、郡山インターで降りる(目標8:00)。24号線を北上し、木津インターから京奈和(目標8:30)。城陽インターで降り、現場到着9:00前。西名阪や24号線の込み具合はいろいろ。今回、1回、西名阪がダダ込みで45分遅れたことがあった。
◆学生らは現場近くの空き家を宿舎として合宿。通いの子もいる。朝、お茶をサーバー2~3個に人数に応じて現場へ。午前9時から12時まで3時間だが、気温や作業内容で、1時間弱ごとに2回の休憩をはさんだり、30分1回だったり。昼は近くの弁当屋の弁当。毎日、個数だけ電話で伝える。これ1個いくらなんだろう。月締めでどっと請求がある。ちなみに合宿生活費は、1週間ごとくらいにウン万円か足してやる。道具とかの買い物がある場合は、昼休みにコーナンに買いに行く。
◆午後は、13時から17時だが、基本、作業は16:30までとしている。これも1回か2回の休憩をはさむ。15時休憩には、近くのマツヤスーパーで、サクレのオレンジとレモンを同量買いに行く(10月近くになると引き揚げ。2015年はある時点でサクレがなくなり大ショック)。作業の進捗状況によっては、16:45分くらいまで作業をすることもある。
◆16:30から現場ミーティング。学生隊長の進行のもと、各持ち場の状況を報告し、理解を共有したり、議論をしたり。作法のわかるヤツは、野帳にメモしている。別にそんなことはセヨとは言わない。やる人はやるし、やらない人はやらない。シート掛けして現場作業終了。遺物をテントまで引き揚げ、道具を直し、机をかたずけてテントを封じる。これで17時終了が目安(工藤さんは17:30にはビール)。
◆宿舎に引き揚げ、風呂行きの準備。月曜は梅の湯、それ以外は大久保湯。距離があるので、車で銭湯へ。多ければ2往復する。ず~と学生らと一緒に入浴してきたが、2往復になってきて、自分は入らず、車の中で日誌を書く(これもTM308から変わりなし)。風呂代がけっこうかかるが、これは必要経費です。近くにスーパー銭湯「源氏の湯」があり、通常の銭湯代に加え自分で500円足すなら、行きたいヤツは行け、ということにしている。
◆学生らは19:30頃に食事(食事当番などは泊まり学生ら次第)。2015年は最初は泊まっていたが、クーラーで凍えそうになり撤退(冗談です)。まあ、互いにその方がよいと思っています。ちゃんと自律的にやってくれています。ゴミが溜まることもなく。そして宿舎でも、本日の作業の再確認や、所見、明日の作業など、ミーティングをしてくれています。現地説明会の資料作りも任せています(点検はするにせよ)。このへんのスタイルは玉手山以来、変わることはありません。
◆そんなんで、本日、宿舎に銭湯第2便を送って行って「またあした」と城陽を出たのが18:10くらい。家に到着したのが19:30過ぎ。洗濯機を回し、風呂に入って、上がってきたのが20:00時。そこから食事。終了後、PCに向かい、日誌をアップし、会計簿をつける(学生らの生活費でなく自分のサイフの)。缶チューハイを呑みながら、この記事を書いています(20:45)。洗濯物を干す(21:00)。
◆フォトスキャンにむかってもいいのだが、ひとまず学生らが銭湯に入っている間に書いた日誌をアップしたが、これから写真の整理が待っている。韓流ドラマを見たりして、早ければ23時ごろに寝るし、遅ければ1時とか・・・。
◆こんな暮らしが、毎年1か月半。基本的に、こんな古墳が掘れることは幸せなことで、楽しくやっております。学生らには、きめ細かにというわけではないですが、道具の使い方や、掘り方や、土の見方や、一定のことはやってます。こっちが疲れ切るとよくないし、そこは自分を維持しながら、できるだけ理解を共有し、目的意識をはっきりさせ、作業に向かってもらうよう心掛けたいものです。上の学年、院生らから、現場で宿舎でいろいろ教えられたり、注意されたりしながら、多くのことを学んでいく。そして現場の作法を身に着けていく。主体的に学びたいと思っている人は、わからないことを聞くだろうし、吸収しようと思うだろう。ぜんぶ教えてもらうなんてことはないと理解すべし。そもそもが、義務で参加してほしくない。掘りたい人間の集団で掘りたいもの。そこは、どうしてもお客さん的に参加している者は、それなりのことしか伝達できない。基本は最初から完了まで一通りやってなんぼである。
◆学生らは現場近くの空き家を宿舎として合宿。通いの子もいる。朝、お茶をサーバー2~3個に人数に応じて現場へ。午前9時から12時まで3時間だが、気温や作業内容で、1時間弱ごとに2回の休憩をはさんだり、30分1回だったり。昼は近くの弁当屋の弁当。毎日、個数だけ電話で伝える。これ1個いくらなんだろう。月締めでどっと請求がある。ちなみに合宿生活費は、1週間ごとくらいにウン万円か足してやる。道具とかの買い物がある場合は、昼休みにコーナンに買いに行く。
◆午後は、13時から17時だが、基本、作業は16:30までとしている。これも1回か2回の休憩をはさむ。15時休憩には、近くのマツヤスーパーで、サクレのオレンジとレモンを同量買いに行く(10月近くになると引き揚げ。2015年はある時点でサクレがなくなり大ショック)。作業の進捗状況によっては、16:45分くらいまで作業をすることもある。
◆16:30から現場ミーティング。学生隊長の進行のもと、各持ち場の状況を報告し、理解を共有したり、議論をしたり。作法のわかるヤツは、野帳にメモしている。別にそんなことはセヨとは言わない。やる人はやるし、やらない人はやらない。シート掛けして現場作業終了。遺物をテントまで引き揚げ、道具を直し、机をかたずけてテントを封じる。これで17時終了が目安(工藤さんは17:30にはビール)。
◆宿舎に引き揚げ、風呂行きの準備。月曜は梅の湯、それ以外は大久保湯。距離があるので、車で銭湯へ。多ければ2往復する。ず~と学生らと一緒に入浴してきたが、2往復になってきて、自分は入らず、車の中で日誌を書く(これもTM308から変わりなし)。風呂代がけっこうかかるが、これは必要経費です。近くにスーパー銭湯「源氏の湯」があり、通常の銭湯代に加え自分で500円足すなら、行きたいヤツは行け、ということにしている。
◆学生らは19:30頃に食事(食事当番などは泊まり学生ら次第)。2015年は最初は泊まっていたが、クーラーで凍えそうになり撤退(冗談です)。まあ、互いにその方がよいと思っています。ちゃんと自律的にやってくれています。ゴミが溜まることもなく。そして宿舎でも、本日の作業の再確認や、所見、明日の作業など、ミーティングをしてくれています。現地説明会の資料作りも任せています(点検はするにせよ)。このへんのスタイルは玉手山以来、変わることはありません。
◆そんなんで、本日、宿舎に銭湯第2便を送って行って「またあした」と城陽を出たのが18:10くらい。家に到着したのが19:30過ぎ。洗濯機を回し、風呂に入って、上がってきたのが20:00時。そこから食事。終了後、PCに向かい、日誌をアップし、会計簿をつける(学生らの生活費でなく自分のサイフの)。缶チューハイを呑みながら、この記事を書いています(20:45)。洗濯物を干す(21:00)。
◆フォトスキャンにむかってもいいのだが、ひとまず学生らが銭湯に入っている間に書いた日誌をアップしたが、これから写真の整理が待っている。韓流ドラマを見たりして、早ければ23時ごろに寝るし、遅ければ1時とか・・・。
◆こんな暮らしが、毎年1か月半。基本的に、こんな古墳が掘れることは幸せなことで、楽しくやっております。学生らには、きめ細かにというわけではないですが、道具の使い方や、掘り方や、土の見方や、一定のことはやってます。こっちが疲れ切るとよくないし、そこは自分を維持しながら、できるだけ理解を共有し、目的意識をはっきりさせ、作業に向かってもらうよう心掛けたいものです。上の学年、院生らから、現場で宿舎でいろいろ教えられたり、注意されたりしながら、多くのことを学んでいく。そして現場の作法を身に着けていく。主体的に学びたいと思っている人は、わからないことを聞くだろうし、吸収しようと思うだろう。ぜんぶ教えてもらうなんてことはないと理解すべし。そもそもが、義務で参加してほしくない。掘りたい人間の集団で掘りたいもの。そこは、どうしてもお客さん的に参加している者は、それなりのことしか伝達できない。基本は最初から完了まで一通りやってなんぼである。
久津川車塚2017年8月17日(木)最高気温31度
◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、長友、大澤(市大M1)、吉村(立命M1)、川北(京大M1)、山口・山崎(立命3)、佐藤・中野・宮下(立命3new)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)。
◆17-2(西くびれ部上段)トレンチ。(1)上段裾部の葺石の続き
が検出され、前方部側面に移 行した。ほぼ前年度調査区南壁から30㎝程度か。上段裾部大溝のあたりでは、出てきている石が段差状になっており、やはりヤラレかもしれない。(2)テラス面の礫は新規調査区で、前年度調査区から南へ30㎝程度まで礫面が出始めている。まずはアラ出しを南壁までやってしまう必要がある。(3)前年度の埴輪養生をはずし、前年度、南壁で半分出ているものの残り半分を検出。それにほぼ接して南隣の埴輪も検出したが、今日はそこどまり。高さ的には下がっているが、残りが悪いのか今のところ頭が出てこない。そして前方部への折れを確認した。まだ数は少ないわけだが、前年度に半分出していたものが、径32㎝で大きく、これが屈曲点になるらしい。北隣の埴輪に朝顔口縁があるが、それが大型埴輪かな、と。この埴
輪と新規に出た1個を結ぶと、後円部埴輪列から前方部側面へと角度を変えている。昨年の南壁がくびれ部ラインだった!、ということになる。(4)埴輪より外側のテラス面は、明らかにやや下り斜面となって流れており、盛土のテラス面が露呈し、礫はほとんどない。(5)中段斜面肩部はほぼ掘り上がり。肩ラインで見ても、後円部の肩と前方部の肩が折れを示す。
◆明日で、およそ掘り上がり近くまでいくだろう。上段裾部の石たちを決着させることである。葺石面を確定させ仕上げるのと、攪乱を確認して、攪乱なら掘り上げる。礫面の清掃は手間だが、どこかの段階で、大勢でよってたかってやるべし。
【今日のひとこと】発掘とは、掘り上げなければならない土を掘り上げること。
◆17-1(後円部西墳端)トレンチ。昨日の夜以来、後円部基底と陸橋
の折れはもう少し上がるの ではないか、礫面もそれにあわせてもう少し縮めないといけないのでは、と思い始める。ともかく、あそこは壁面沿いに石をはずし、地山の整形と礫の堆積状況を確認する必要があると思い始める。裏を取っておくダメ押しの断ち割りは、すべての記録を取ってからでいいだろうが、遺構の理解や掘り上がりに直結する課題は、早めに探る手段をとり、確実な理解のもとに仕上がる必要があるな~と。なので、協議の上で、本日、午後から石をはずす。
◆結論。やはり地山の整形に対応して、礫の下が地山の内側に対し、外側は濠内堆積土に乗っており、1m弱は内側になりそうである。勢いでの掘り上げは、一息入れるべし。これも真理。が、その時点時点で判断してやってきており、掘り間違って失ったわけではないし、土壇場でなく早めに確認できたわけで、改めて掘り上げ、また写真も撮ればよい。来週ですかね。
〔来客〕小澤さん、加納さん(京都市埋文研)、漫画家睦月さん(お茶などをいただきました)。
◆17-2(西くびれ部上段)トレンチ。(1)上段裾部の葺石の続き
◆明日で、およそ掘り上がり近くまでいくだろう。上段裾部の石たちを決着させることである。葺石面を確定させ仕上げるのと、攪乱を確認して、攪乱なら掘り上げる。礫面の清掃は手間だが、どこかの段階で、大勢でよってたかってやるべし。
【今日のひとこと】発掘とは、掘り上げなければならない土を掘り上げること。
◆17-1(後円部西墳端)トレンチ。昨日の夜以来、後円部基底と陸橋
◆結論。やはり地山の整形に対応して、礫の下が地山の内側に対し、外側は濠内堆積土に乗っており、1m弱は内側になりそうである。勢いでの掘り上げは、一息入れるべし。これも真理。が、その時点時点で判断してやってきており、掘り間違って失ったわけではないし、土壇場でなく早めに確認できたわけで、改めて掘り上げ、また写真も撮ればよい。来週ですかね。
〔来客〕小澤さん、加納さん(京都市埋文研)、漫画家睦月さん(お茶などをいただきました)。
いつものことながら悩みます
◆陸橋以外の後円部葺石をみておきます。横列石、あるのかもしれません
ね。石の大きさが違う。それとくびれはどこなのか。もしかすると図のように、いま少し内側なのかもしれません。そうなると、陸橋裾部も今残しているものより、だいぶ内側になります。礫を斜面のみならず濠底にのばしている、ということもあるのかもしれません。津堂の島もそんな大きくない礫だったような気もする。基底石というか縁石はあったんかいな。それがないと、なかなか礫で生き死にの判断は難しい。
◆西壁を割るしかないですね。地山面がどこで立ち上がり、陸橋として掘り残して形づくられているのか、そこに礫がどのように堆積しているのか。その状況をまずは確認すること。割っても判断がつかなければそれは仕方なし。しかし割って、基底石があるとか、間層があるとか、埴輪が内部に入っているとか、ということになってくると、やはり内側ということにもなる。箸墓前方部を思い出す。累々たる石、転落石か本来の葺石か、調査する側としては上からはずしていき、こうちゃうか、というところで止めるしかない。で断ち割り。箸墓では内部から巨大な基底石が検出されている。が、それを全体にわたって再検出はしていない。確か埋め殺しと判断していたと思う。いや内部で見つかったのが基底石だ、と思うが。
【追記】久津川調査団は伊藤さんを待っている。
◆西壁を割るしかないですね。地山面がどこで立ち上がり、陸橋として掘り残して形づくられているのか、そこに礫がどのように堆積しているのか。その状況をまずは確認すること。割っても判断がつかなければそれは仕方なし。しかし割って、基底石があるとか、間層があるとか、埴輪が内部に入っているとか、ということになってくると、やはり内側ということにもなる。箸墓前方部を思い出す。累々たる石、転落石か本来の葺石か、調査する側としては上からはずしていき、こうちゃうか、というところで止めるしかない。で断ち割り。箸墓では内部から巨大な基底石が検出されている。が、それを全体にわたって再検出はしていない。確か埋め殺しと判断していたと思う。いや内部で見つかったのが基底石だ、と思うが。
【追記】久津川調査団は伊藤さんを待っている。
陸橋
◆陸橋の上の葺石を見ると、2列の列石があり(北側は2個だけのと
ころとする→南隣かもしれません)、おおむね等間隔。陸橋端部からひとつめの列石心 が1.4m約1歩、ふたつの列石心間も1.4m約1歩、拡張区北端まで1.1mだった。次の単位は約30㎝先の壁の下という推測ができる。それが陸橋端部であれば計3歩4.2m。もうワンスパンあれば計4歩5.5mということになる。あと30㎝のような気がする。埋め戻し前に壁を垂直に立てれば30㎝はいくかも。しかしギリギリだと、落ちるかどうかがわからない。しかし今の断面層位を見ると、陸橋にあわせて濠内堆積の灰色土も下っているので、ある程度えぐれば、落ちていく気配はわかるような気もする。
◆ここを葬列が通ったか。葺石上を棺桶かついで登ったのか。中央区はきっちり葺石を面をそろえて葺いていて、まあ通れるのではと思うが。そうか、列石があるから、両側は葺石があり、真ん中は土、ということも、あるいは考えられるかもしれない。テラスに取り付き、くびれ部まで移動し、鞍部へと登るのか。
◆池田古墳前方部のデータを見ておく必要がある。
◆陸橋部の基底石の下半部までは濠内堆積土が上がってきている。重機で斜めにそいだ形なので、層が順番に露呈しているわけだが、濠内堆積土の下が黄白マダラで、基底石はそこに据えられている。基底石の外側20~30㎝は本来の陸橋上面が残っている。礫はない。埴輪もない。褐色の堅い層は、地山が白色粘土なので、土を選んで叩いたのかもしれない。陸橋の高さを測っていないな~。60㎝くらいかな。
◆ここを葬列が通ったか。葺石上を棺桶かついで登ったのか。中央区はきっちり葺石を面をそろえて葺いていて、まあ通れるのではと思うが。そうか、列石があるから、両側は葺石があり、真ん中は土、ということも、あるいは考えられるかもしれない。テラスに取り付き、くびれ部まで移動し、鞍部へと登るのか。
◆池田古墳前方部のデータを見ておく必要がある。
◆陸橋部の基底石の下半部までは濠内堆積土が上がってきている。重機で斜めにそいだ形なので、層が順番に露呈しているわけだが、濠内堆積土の下が黄白マダラで、基底石はそこに据えられている。基底石の外側20~30㎝は本来の陸橋上面が残っている。礫はない。埴輪もない。褐色の堅い層は、地山が白色粘土なので、土を選んで叩いたのかもしれない。陸橋の高さを測っていないな~。60㎝くらいかな。
久津川車塚2017年8月16日(水)最高気温31度
◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、長友、大澤(市大M1)、吉村(立命M1)、
川北(京大M1)、 合田・松井(市大3)、山口・山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)
◆朝、昨日以来の雨で、17-1(後円部西裾)トレンチの周濠底にそこそこは滞水。ポンプ小では、昼までに抜けなかった。
◆17-2(西くびれ部上段)トレンチ。8月14日に着手したが2時間程度で、本日から本格稼働。上段裾部とテラス面そして中段斜面の肩部にかけての調査区。竹の根との戦いにも勝利し、表土突破、黄色流土となり、埴輪片もそこそこ上がってくる。本日1日で、上段裾部では石が出てきて、昨年の葺石面の続きまではいかないが、その上の転落石がごろごろ出始める。なので、葺石面がくびれ、前方部側面に移行しているかどうかはまだ判然としない。この部位、上段裾部に境界溝?なのか幅のけっこうある溝が通り、基底部そのものは失われている。この溝には掘り上げた葺石材が放り込まれているが、その続きの石たちも頭を出し始めた。テラス面の部位では、礫敷まではあ
と10㎝以内くらいのところまできた。埴輪列の続きもあと一息。明日中には、上段葺石裾部および埴輪列が、この拡張範囲のなかで屈曲するかどうかはっきりするだろう。埴輪列の外側のテラス面は昨年度の検出面の高さ近くまで下がってきている。そして調査区西端の中段斜面では、盛土(だろう)の残存面の続きがおよそ検出され、前方部へと折れ曲がっているように見える。
◆とにかく朝は湿度が高く、汗が吹き出し、上も下もべたべたになる。15時ごろ、通り雨(ごく短く)、その前は暗雲のなかで心地よい風が通り抜ける。それが過ぎると西の空は晴れ、西日が照り付ける。
◆17-2トレンチ脇の基準点
(T1)に初めてマシンを据えてみた。いまある基準点について、ライカに局地座標の数値も入力した。
◆それと、月曜日の摂南大生のフォトスキャン用写真であるが、経験値がなく、写真のできがよくなかったとのこと。昼前に石のある部分のみシートをめくり、ポンプ大に切り替えて水が抜けたのち、再撮影を済ませた(95枚)。経験なく架空のシミレーションをするのが無理。本番での経験を重ねるべし。
◆朝、昨日以来の雨で、17-1(後円部西裾)トレンチの周濠底にそこそこは滞水。ポンプ小では、昼までに抜けなかった。
◆17-2(西くびれ部上段)トレンチ。8月14日に着手したが2時間程度で、本日から本格稼働。上段裾部とテラス面そして中段斜面の肩部にかけての調査区。竹の根との戦いにも勝利し、表土突破、黄色流土となり、埴輪片もそこそこ上がってくる。本日1日で、上段裾部では石が出てきて、昨年の葺石面の続きまではいかないが、その上の転落石がごろごろ出始める。なので、葺石面がくびれ、前方部側面に移行しているかどうかはまだ判然としない。この部位、上段裾部に境界溝?なのか幅のけっこうある溝が通り、基底部そのものは失われている。この溝には掘り上げた葺石材が放り込まれているが、その続きの石たちも頭を出し始めた。テラス面の部位では、礫敷まではあ
◆とにかく朝は湿度が高く、汗が吹き出し、上も下もべたべたになる。15時ごろ、通り雨(ごく短く)、その前は暗雲のなかで心地よい風が通り抜ける。それが過ぎると西の空は晴れ、西日が照り付ける。
◆17-2トレンチ脇の基準点
◆それと、月曜日の摂南大生のフォトスキャン用写真であるが、経験値がなく、写真のできがよくなかったとのこと。昼前に石のある部分のみシートをめくり、ポンプ大に切り替えて水が抜けたのち、再撮影を済ませた(95枚)。経験なく架空のシミレーションをするのが無理。本番での経験を重ねるべし。
久津川座標
◆造り出しは、別途、造り出しの角度にあわせて局地座標を切った。しかし、
今後は墳丘各部を調 査継続していく上で、車塚古墳の主軸にあわせた車塚座標を設定する必要がある。玉手山古墳群もすべてそれでやってきた。今日では、座標換算も、画像上の座標の切り直しも簡単にはなっているが、やはり基本的には古墳座標を設定する方がいいと思っている。このへんは試行錯誤です。
◆数日前の画像をバージョンアップしたものを示します。これ車塚座標を切ったもの。車塚の場合、以下のように設定する。推定中心点の座標を求める。現状での墳丘の主軸を見定める。その振れは国土座標に対して11.1度。そして先の推定中心を、すべてプラス数字にするため(X300/Y200)になるようにする。測量時には、国土座標のXー250,000およびYー20,000は省略し、メートルは100ケタでやってきた。なので、
◆局地座標x=国土座標X*0.9813(cos11.1)+国土座標Y*0.1926(sin11.1)+1199.958
◆局地座標y=国土座標Y*0.9813(cos11.1)-国土座標X*0.1926(sin11.1)+223.427
◆ちなみに掲げた図では陸橋を推定してみた。とはいえ、この遺構、陸橋?
、造り出し?、出島状 遺構?、などさまざまな見解がある。確定は次年度の課題になりそう。わたしは陸橋と思っている。仲津山・女狭穂塚も、ほぼ同じ位置に陸橋がある。水鳥がいます。
〔追記〕久津川座標は用いるが、そっちが表でなく、国土座標を基本にする、ということにしたい(170821)。
◆数日前の画像をバージョンアップしたものを示します。これ車塚座標を切ったもの。車塚の場合、以下のように設定する。推定中心点の座標を求める。現状での墳丘の主軸を見定める。その振れは国土座標に対して11.1度。そして先の推定中心を、すべてプラス数字にするため(X300/Y200)になるようにする。測量時には、国土座標のXー250,000およびYー20,000は省略し、メートルは100ケタでやってきた。なので、
◆局地座標x=国土座標X*0.9813(cos11.1)+国土座標Y*0.1926(sin11.1)+1199.958
◆局地座標y=国土座標Y*0.9813(cos11.1)-国土座標X*0.1926(sin11.1)+223.427
◆ちなみに掲げた図では陸橋を推定してみた。とはいえ、この遺構、陸橋?
〔追記〕久津川座標は用いるが、そっちが表でなく、国土座標を基本にする、ということにしたい(170821)。
久津川車塚2017年8月14日(月)最高気温30度 第3週
◆参加者 城陽市担当者、工藤さん+1、自分、長友、大澤(市大M1)
、園原・吉村(立命M1)、川北(京大 M1)、合田・松井(市大3)、前田・山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、摂南生3人。
◆シートを全開し、濠底の水を抜く間、壁面や犬走などの清掃にかかる。水が抜けた段階で、石の仕上げと清掃にかかる。谷間裾部や礫石裾部の始末を判断し、葺石材をいくらか除去して、これで掘り上がりとする。礫の重なり部は、いますこし面をそろえる調整をしてもいいのだが、時間なし。振り返らないことにし、掘り上がりとして見えている石の目地出しを進める。この間、工藤さんはテラス面の清掃。葺石部分が終わってくると、陸橋上面の清掃、さらには墳丘斜面の清掃にかかる。時間なし。12時は過ぎるも、そのまま清掃を続ける。12:30、摂南生が3人到着し、斜面清掃に参加
。13時、共和さんも到着。最終的には13:30までやって撮影に入る。その間、ヤグラのセッティングは工藤さんら。
◆写真が始まった段階で、みな弁当を食べる。ヤグラは最初は西側、次は南側、最後が北側で、終了は15:30となる。協和さんには15時にはスタートできるようにしますと言っていたが、30分はずれ込む。
◆レーザースキャンは15:30~17:00。
◆レーザー計測にかかった段階で上のトレンチに着手。鍬やスコをもって竹の根との格闘を開始する(遠景の写真)。このトレンチは昨年手をつけたものだが、後円部上段の裾部はヤラレが入り、テラス面の埴輪列は屈曲せず、開けたのは後円部斜面およびテラス面の
範囲と判明し、今年度持ち越したもの。なので、計画では前方部側に大きく開ける図を描き、予定のピンポールも立っているが、かなり広いので、ひとまず新規部の幅を半分程度とした。昨年度分の北壁から2.8mの幅とする。この範囲で、葺石と埴輪列が屈曲してくれるといいのだが。
◆レーザースキャン後、摂南大機械工学科学生らがフォトスキャン用の写真撮影。これがおよそ17:50くらいまで。
◆なので、それが終わらないと全面シート掛けができないので、上段くびれ部トレンチは17:45までやる。そのあと下のトレンチを全面シート掛けをして密封した。
◆今晩から天気が悪くなる予想だったので、本日、写真と計測までやることが使命だったが、無事、完了させることができ、メデタシメデタシでした。墳端トレンチは実働9日間で終了した。
【この日デビュー】奈良の春鹿と海南の黒牛
◆シートを全開し、濠底の水を抜く間、壁面や犬走などの清掃にかかる。水が抜けた段階で、石の仕上げと清掃にかかる。谷間裾部や礫石裾部の始末を判断し、葺石材をいくらか除去して、これで掘り上がりとする。礫の重なり部は、いますこし面をそろえる調整をしてもいいのだが、時間なし。振り返らないことにし、掘り上がりとして見えている石の目地出しを進める。この間、工藤さんはテラス面の清掃。葺石部分が終わってくると、陸橋上面の清掃、さらには墳丘斜面の清掃にかかる。時間なし。12時は過ぎるも、そのまま清掃を続ける。12:30、摂南生が3人到着し、斜面清掃に参加
◆写真が始まった段階で、みな弁当を食べる。ヤグラは最初は西側、次は南側、最後が北側で、終了は15:30となる。協和さんには15時にはスタートできるようにしますと言っていたが、30分はずれ込む。
◆レーザースキャンは15:30~17:00。
◆レーザー計測にかかった段階で上のトレンチに着手。鍬やスコをもって竹の根との格闘を開始する(遠景の写真)。このトレンチは昨年手をつけたものだが、後円部上段の裾部はヤラレが入り、テラス面の埴輪列は屈曲せず、開けたのは後円部斜面およびテラス面の
◆レーザースキャン後、摂南大機械工学科学生らがフォトスキャン用の写真撮影。これがおよそ17:50くらいまで。
◆なので、それが終わらないと全面シート掛けができないので、上段くびれ部トレンチは17:45までやる。そのあと下のトレンチを全面シート掛けをして密封した。
◆今晩から天気が悪くなる予想だったので、本日、写真と計測までやることが使命だったが、無事、完了させることができ、メデタシメデタシでした。墳端トレンチは実働9日間で終了した。
【この日デビュー】奈良の春鹿と海南の黒牛
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。