人を幸せにする人になろう

陸橋

◆陸橋の上の葺石を見ると、2列の列石があり(北側は2個だけのと ころとする→南隣かもしれません)、おおむね等間隔。陸橋端部からひとつめの列石心 が1.4m約1歩、ふたつの列石心間も1.4m約1歩、拡張区北端まで1.1mだった。次の単位は約30㎝先の壁の下という推測ができる。それが陸橋端部であれば計3歩4.2m。もうワンスパンあれば計4歩5.5mということになる。あと30㎝のような気がする。埋め戻し前に壁を垂直に立てれば30㎝はいくかも。しかしギリギリだと、落ちるかどうかがわからない。しかし今の断面層位を見ると、陸橋にあわせて濠内堆積の灰色土も下っているので、ある程度えぐれば、落ちていく気配はわかるような気もする。
◆ここを葬列が通ったか。葺石上を棺桶かついで登ったのか。中央区はきっちり葺石を面をそろえて葺いていて、まあ通れるのではと思うが。そうか、列石があるから、両側は葺石があり、真ん中は土、ということも、あるいは考えられるかもしれない。テラスに取り付き、くびれ部まで移動し、鞍部へと登るのか。
◆池田古墳前方部のデータを見ておく必要がある。
◆陸橋部の基底石の下半部までは濠内堆積土が上がってきている。重機で斜めにそいだ形なので、層が順番に露呈しているわけだが、濠内堆積土の下が黄白マダラで、基底石はそこに据えられている。基底石の外側20~30㎝は本来の陸橋上面が残っている。礫はない。埴輪もない。褐色の堅い層は、地山が白色粘土なので、土を選んで叩いたのかもしれない。陸橋の高さを測っていないな~。60㎝くらいかな。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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