人を幸せにする人になろう

いつものことながら悩みます

◆陸橋以外の後円部葺石をみておきます。横列石、あるのかもしれませんね。石の大きさが違う。それとくびれはどこなのか。もしかすると図のように、いま少し内側なのかもしれません。そうなると、陸橋裾部も今残しているものより、だいぶ内側になります。礫を斜面のみならず濠底にのばしている、ということもあるのかもしれません。津堂の島もそんな大きくない礫だったような気もする。基底石というか縁石はあったんかいな。それがないと、なかなか礫で生き死にの判断は難しい。
◆西壁を割るしかないですね。地山面がどこで立ち上がり、陸橋として掘り残して形づくられているのか、そこに礫がどのように堆積しているのか。その状況をまずは確認すること。割っても判断がつかなければそれは仕方なし。しかし割って、基底石があるとか、間層があるとか、埴輪が内部に入っているとか、ということになってくると、やはり内側ということにもなる。箸墓前方部を思い出す。累々たる石、転落石か本来の葺石か、調査する側としては上からはずしていき、こうちゃうか、というところで止めるしかない。で断ち割り。箸墓では内部から巨大な基底石が検出されている。が、それを全体にわたって再検出はしていない。確か埋め殺しと判断していたと思う。いや内部で見つかったのが基底石だ、と思うが。
【追記】久津川調査団は伊藤さんを待っている。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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