人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
残務を
◆土日はオープンキャンパス。休ませてはくれません。ま、なんとか無事終了しました。大学院生のみなさん、準備ありがとう。助かりました。2日目、4回目のコース説明が担当で、その間、前期試験の答案を採点していました。そう多くはなく、いいところまでいったんですが、終わりませんでした。ヒストリアのピースの原稿も、ちょこっと書いていますが、気力が持続しません。今回は見送るかもしれません。それと事務的な仕事があります。すっきり終わらせたかったのですが、月曜日が来てしまいました。
◆現場優先、全体を見渡しつつ、こうした残務も遅れるにしろ、迷惑をかけない程度で処理していかないといけません。長丁場ですし、自分の体も持続させていかないといけませんし。まあ、そんなんで、暑さでなかなか頭がまわりませんが、努めて冷静を保ち、バランスをとっていきたいと思います。では出撃します。
◆現場優先、全体を見渡しつつ、こうした残務も遅れるにしろ、迷惑をかけない程度で処理していかないといけません。長丁場ですし、自分の体も持続させていかないといけませんし。まあ、そんなんで、暑さでなかなか頭がまわりませんが、努めて冷静を保ち、バランスをとっていきたいと思います。では出撃します。
久津川車塚8月7日(金)
◆自分、長友、道上、原田、土井、山口・佐藤、大澤、城陽市担当者。暑いです。
◆(1)人数いるので、全員造出の東南区に投入。前日まで旧調査区側の南から北向きに進めてい たが、この時点で、墳丘側の東から西へ、調査区南北幅いっぱいに配置 し、造出上面を検出していく。黄色粘質土がそこそこの厚みあり、削りながら遺構面をさぐっていく。東端では混礫赤色土の地山があり、西へと黄色粘質土がかぶり、フラットにすると、ある程度直線的に黄色が落ちており、もしかすると、前方部小斜面のわずかな立ち上がり痕跡かもしれない。埴輪は新規で10個くらいまで。北半部はまだまだです。玉3の時のテントをかけながらやる。がテントは白がよかったのでしょう。趣味で緑にしましたが、色がやや見にくい。8月6日など、曇っているときは手元が暗くもあり、撤去して曇天で見る方が見やすい。そこは臨機応変に。
◆(2)人間が掘っていたのは1箇所だけであったが、造出東北部では作業員さんによる調査区の壁整形をこの日も進める。黄色粘質土がべったりと見える。(1)の造出上面がおおむね決着すれば、人を入れ上面を削れば、後円部残丘そこにとりつく造出北辺のプランは簡単に出てくる。次は黄色粘質土を下げれば、葺石がすぐに出てきそうである(すでに遊離した石が頭
を出す)。
◆(3)造出西北区の機械掘削に入る。すぐに前年度検出していた造出西辺埴輪列の続きの、高く残る埴輪のトップが引っかかる。次いで、機械掘削が北へ進んでいくと、竹の根を起こしたところ、根が抱え込んだ埴輪が1個体?上がってくる。周囲を見ると、樹立状態の埴輪のトップが見える1個体もある。そして、造出北辺の落ちの続きが見えてきた。
◆(1)人数いるので、全員造出の東南区に投入。前日まで旧調査区側の南から北向きに進めてい たが、この時点で、墳丘側の東から西へ、調査区南北幅いっぱいに配置 し、造出上面を検出していく。黄色粘質土がそこそこの厚みあり、削りながら遺構面をさぐっていく。東端では混礫赤色土の地山があり、西へと黄色粘質土がかぶり、フラットにすると、ある程度直線的に黄色が落ちており、もしかすると、前方部小斜面のわずかな立ち上がり痕跡かもしれない。埴輪は新規で10個くらいまで。北半部はまだまだです。玉3の時のテントをかけながらやる。がテントは白がよかったのでしょう。趣味で緑にしましたが、色がやや見にくい。8月6日など、曇っているときは手元が暗くもあり、撤去して曇天で見る方が見やすい。そこは臨機応変に。
◆(2)人間が掘っていたのは1箇所だけであったが、造出東北部では作業員さんによる調査区の壁整形をこの日も進める。黄色粘質土がべったりと見える。(1)の造出上面がおおむね決着すれば、人を入れ上面を削れば、後円部残丘そこにとりつく造出北辺のプランは簡単に出てくる。次は黄色粘質土を下げれば、葺石がすぐに出てきそうである(すでに遊離した石が頭
◆(3)造出西北区の機械掘削に入る。すぐに前年度検出していた造出西辺埴輪列の続きの、高く残る埴輪のトップが引っかかる。次いで、機械掘削が北へ進んでいくと、竹の根を起こしたところ、根が抱え込んだ埴輪が1個体?上がってくる。周囲を見ると、樹立状態の埴輪のトップが見える1個体もある。そして、造出北辺の落ちの続きが見えてきた。
久津川車塚8月6日(木)
◆自分、道上・原田・佐藤・大澤、城陽市担当者。本日は雲があるが、むろん暑い。
◆(1)造出南隅部の葺石完了。(2)造出上面の仕上げ、そこそこ削って距離はのびてきている。
◆(3)墓坑の東辺を確認。「掩体壕溝」の壁面に見える黄色砂の落ち込み。昨日の時点で墓坑とみるべきでした。あんな撹乱はない。で、造出上面の礫がなくなっているように、撹乱坑というよりはやや削り込まれた緩やかな凹部にはなっているんだと思いますが、昨日は撹乱としてやや掘り込み過ぎたようです。そこで矩形に墓坑ラインが出てきました。上面で検出できるのは限られた範囲で、あとは溝の斜面を下りて行き、掩体壕溝の西壁面途中を北へ抜けていく。だいたい、昨年検出した墓坑の東辺はこれでとらえた。
◆問題は、昨年は東西畦を越えた南側で造出上面から掘り込んだ墓坑ラインを検出したの
だが、今回のラインとけっこうずれていること。本日追いかけた範囲では、前回の東西畦あたりで南辺が上がっていくように思われたが、まだ機械掘削の状態なので、先行きは未確認。畦は取っ払っているが、その部分をきれいにして、前回の墓坑ラインと、今回のラインがつながるのか、どっちかが間違いなのか。短辺側でぐいちになってつながることを想定してはいますが、畦の下を精査してなんとか早い目に決着を。
◆(4)協議して拡張することになった掩体壕北側の 部分の機械掘削で、造出北辺を検出。北向きに落ちていく斜面が色の違いで よくわかる。それと東端(作業員さんがいるところ)では後円部の墳丘(混礫赤色の地山)が出てきている。くびれ部は調査区外へ斜めに潜り込むだろうが、谷線上端はこの調査区のなかで検出できることがはっきりした。しめしめ。ただし、これも掩体壕にともなうかと思われる撹乱溝(右端)が通り、埴
輪列はちょうど飛んでいるかもしれません。メジャーで略測すると、掩体壕ごしで斜距離だが、23m。そこまではいかないにせよ、19mでは済まず、もうすこし長くなりそうな雰囲気です。
◆いや~毎日毎日、ならし期間もなく、いきなりの本番です。今日は、オープンキャンパスの準備で大学に戻りましたが、泊まり込んでいるところはネット環境はありません。1週間ごとのまとめての報告になりそうです。
◆(1)造出南隅部の葺石完了。(2)造出上面の仕上げ、そこそこ削って距離はのびてきている。
◆(3)墓坑の東辺を確認。「掩体壕溝」の壁面に見える黄色砂の落ち込み。昨日の時点で墓坑とみるべきでした。あんな撹乱はない。で、造出上面の礫がなくなっているように、撹乱坑というよりはやや削り込まれた緩やかな凹部にはなっているんだと思いますが、昨日は撹乱としてやや掘り込み過ぎたようです。そこで矩形に墓坑ラインが出てきました。上面で検出できるのは限られた範囲で、あとは溝の斜面を下りて行き、掩体壕溝の西壁面途中を北へ抜けていく。だいたい、昨年検出した墓坑の東辺はこれでとらえた。
◆問題は、昨年は東西畦を越えた南側で造出上面から掘り込んだ墓坑ラインを検出したの
◆(4)協議して拡張することになった掩体壕北側の 部分の機械掘削で、造出北辺を検出。北向きに落ちていく斜面が色の違いで よくわかる。それと東端(作業員さんがいるところ)では後円部の墳丘(混礫赤色の地山)が出てきている。くびれ部は調査区外へ斜めに潜り込むだろうが、谷線上端はこの調査区のなかで検出できることがはっきりした。しめしめ。ただし、これも掩体壕にともなうかと思われる撹乱溝(右端)が通り、埴
◆いや~毎日毎日、ならし期間もなく、いきなりの本番です。今日は、オープンキャンパスの準備で大学に戻りましたが、泊まり込んでいるところはネット環境はありません。1週間ごとのまとめての報告になりそうです。
造出について
◆造出の全面調査としては一番でかいかも、と。で、これまでの造り出しの調査事例を考えてい
る。いまはリポジトリなどで、報告書PDFをHDに入れてくる時代なのですね。で、池田古墳がでかいというのをすぐに教えてもらう。しかも両造出とも掘っており、左右での機能差がかなり明瞭。
◆ひとまず規模。池田古墳は墳丘規模が135mで(設計は100歩なんだろう)、下段の高さが2mあり、1.4m下に造り出し上面があり、造り出し土壇の高さは60㎝。基部はおそらく9.5歩×13歩で、上面が8歩13.3m×12歩16.4mだろう。2:3ですね。で、久津川車塚の西造り出しであるが、小斜面が飛んでいて正確ではないが、上面が9歩12.5m×14歩19.7mと推定していこう。2:3とすれば13.5歩18.7mなのかもしれない。レーダーの反応をだいたい拾えば19.4m。さあ、どっちに近いか。ちなみに、久津川車塚の埴輪列は、7.5歩10.4m×13歩18mである(長辺は推定)。かなりの長方形になったので、埋葬施設はもうひとつあるとふんでいる。
◆図は春にちょこっと作ったもの。池田古墳、および宮内庁がこのところバンバン造出を掘っているので、洗う必要がある。
◆ひとまず規模。池田古墳は墳丘規模が135mで(設計は100歩なんだろう)、下段の高さが2mあり、1.4m下に造り出し上面があり、造り出し土壇の高さは60㎝。基部はおそらく9.5歩×13歩で、上面が8歩13.3m×12歩16.4mだろう。2:3ですね。で、久津川車塚の西造り出しであるが、小斜面が飛んでいて正確ではないが、上面が9歩12.5m×14歩19.7mと推定していこう。2:3とすれば13.5歩18.7mなのかもしれない。レーダーの反応をだいたい拾えば19.4m。さあ、どっちに近いか。ちなみに、久津川車塚の埴輪列は、7.5歩10.4m×13歩18mである(長辺は推定)。かなりの長方形になったので、埋葬施設はもうひとつあるとふんでいる。
◆図は春にちょこっと作ったもの。池田古墳、および宮内庁がこのところバンバン造出を掘っているので、洗う必要がある。
久津川車塚8月5日(水)
◆自分、道上・山口・原田・園原・大澤、城陽市担当者。もちろん灼熱地獄。
◆朝、2手に分かれる。Dは造出南隅部。葺石の残存は見通せたので、上に戻り、前方部側面最上部の葺石欠落部における斜面出し。3回生は造出の上面検出。造出南隅部はかなり東へ食い込み、なんとか前方部下段斜面かと思われる混礫赤色土を出し、残存する葺石裏側まで出す。ここで、3回生を投入し葺石の石出しに入ってもらう。この日の終了時までに、ほぼ現状の範囲での下部の葺石までを検出する。前方部の葺石端部が谷線に沿って通る。造出南面部でも縦目地かと思われる石がならぶ。
◆造出上面でこの日進んだのは北へ幅50㎝程度。埴輪は2個出る。途中からテントを投
入する。旧調査区末端から幅50㎝程度までは礫がある程度残るが、それより北側では礫が途切れている。尾山さんが「掩体壕溝」を掘り、その壁面からすると、礫の端部から落ち込みが始まり、すぐに深く落ちていくことが確認でき、大きな攪乱が下る様子が見て取れる。それで礫敷が途切れるところから攪乱斜面を出していく。赤い地山だと思うのだが、午後の後半になると西日で色がいまひとつ見えない。「掩体壕溝」壁面沿いについて削り込んだが、平面的に落ち込みを検出しているわけではな い。生き土には礫があるので、削り込んで落ちラインを出すわけにはいかないので、落ち込み内側から黄色粘質土を削りながら、へりを確認し仕上げていくほかない。
◆なお、
造出が南北に長くなったため、くびれ部位置は今回の調査区では入ってこないように思うので、拡張について相談する。が、今回はいま考えている範囲も完了できるかどうか慎重にやる必要があり、次回送りもやむなしとし、予定通りの機械掘削の範囲とする。入口の関係で機械が小さいのだが、効率を上げるため、来週にはより大きいものを投入することになる。機械掘削は来週いっぱいまでを要する。なお、くびれ部は無理にしても、造出上面は、2回に分けたくないので、掩体壕を越えた北側部分を拡張することになる。
◆朝、2手に分かれる。Dは造出南隅部。葺石の残存は見通せたので、上に戻り、前方部側面最上部の葺石欠落部における斜面出し。3回生は造出の上面検出。造出南隅部はかなり東へ食い込み、なんとか前方部下段斜面かと思われる混礫赤色土を出し、残存する葺石裏側まで出す。ここで、3回生を投入し葺石の石出しに入ってもらう。この日の終了時までに、ほぼ現状の範囲での下部の葺石までを検出する。前方部の葺石端部が谷線に沿って通る。造出南面部でも縦目地かと思われる石がならぶ。
◆造出上面でこの日進んだのは北へ幅50㎝程度。埴輪は2個出る。途中からテントを投
◆なお、
久津川車塚8月4日(火)
◆自分、道上・山口・原田・園原・大澤、城陽市担当者。朝から立命の3人来る。もちろん灼熱地獄。
◆いま開いているなかでできる、造り出し南の谷筋斜面の掘り下げにかかる。黄色土をバチで削る。3回生が削り、Dが排土する。葺石がすぐに出てきて下部に続く。谷線に沿って造出上面から30㎝もないあたりから。ただし、最上部はややずっている状態かと思われるが、ちゃんと積み上がっている。前方部側面と造出南面の2面の斜面が下がっていき、調査区は狭くなる。
◆一方、機械掘削は、墳丘にもっとも近い東拡張区をやっている。旧調査区の埴輪や礫の位置のやや上の位置まで削る。しかし、墓坑寄りの西側では黄色粘質土が厚いので、さらに下げてもらう。やはり攪乱が東側にも広がり、中央部はくぼんでいるようである。掩体壕にともなうかと思われる、前回も出ている溝が入り込んでいる。墓坑の東辺はこの溝でかなり壊されていると推測される。
◆写真中央部の土嚢が造り出しの方形埴輪の屈曲部。その向こうが今回新たに掘るところで機械で下げたところ。手前が造りだしの南側隅部に当たる位置で、掘り進んでいる。石が見えてきている。
◆いま開いているなかでできる、造り出し南の谷筋斜面の掘り下げにかかる。黄色土をバチで削る。3回生が削り、Dが排土する。葺石がすぐに出てきて下部に続く。谷線に沿って造出上面から30㎝もないあたりから。ただし、最上部はややずっている状態かと思われるが、ちゃんと積み上がっている。前方部側面と造出南面の2面の斜面が下がっていき、調査区は狭くなる。
◆一方、機械掘削は、墳丘にもっとも近い東拡張区をやっている。旧調査区の埴輪や礫の位置のやや上の位置まで削る。しかし、墓坑寄りの西側では黄色粘質土が厚いので、さらに下げてもらう。やはり攪乱が東側にも広がり、中央部はくぼんでいるようである。掩体壕にともなうかと思われる、前回も出ている溝が入り込んでいる。墓坑の東辺はこの溝でかなり壊されていると推測される。
◆写真中央部の土嚢が造り出しの方形埴輪の屈曲部。その向こうが今回新たに掘るところで機械で下げたところ。手前が造りだしの南側隅部に当たる位置で、掘り進んでいる。石が見えてきている。
お待たせしました、久津川車塚初日8月3日(月)
◆自分、長友、道上・山口・佐藤、城陽市担当者。もちろん灼熱地獄。8:30天王寺、レンタカー屋。が、予約日を間違えている!。な
んとか手配してもらい、9:00過ぎレンタカーで大学へ。9:30着、荷物を積み込み、9:45発。11:20頃に現地に着く。
◆現場の荷物を降ろし、宿舎に行き宿舎用の荷物を下ろし、レンタカーを伏見駅前に返す。13:00頃過ぎ戻り、ガストで昼飯。コーナンへ買い物に行く。この間、長友さんにフトン屋さんやガス屋さんの対応をしてもらう。現場に戻る。
◆この日から機械掘削も始まる。われわれの作業時間は短く、旧調査区のブルーシートの上に残存する土をはねたくらい。が、それだけで、むろん熱いからだが、へこたれる。この日は、泊の者はいなかったので、帰宅する。
◆現場の荷物を降ろし、宿舎に行き宿舎用の荷物を下ろし、レンタカーを伏見駅前に返す。13:00頃過ぎ戻り、ガストで昼飯。コーナンへ買い物に行く。この間、長友さんにフトン屋さんやガス屋さんの対応をしてもらう。現場に戻る。
◆この日から機械掘削も始まる。われわれの作業時間は短く、旧調査区のブルーシートの上に残存する土をはねたくらい。が、それだけで、むろん熱いからだが、へこたれる。この日は、泊の者はいなかったので、帰宅する。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。