人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
25日の車塚補遺
◆ひとつ言い忘れていた。北区の東北の隅部について、作業員さんに状況確認のため黄色粘質土を東壁沿いに掘り下げてもらったのだが、隅部で撹乱はやや浅くなり、造出しの盛土と思われる赤土が姿を出した。これすなわち、北区の北端まで造出しが伸びていることを示し、造出し北辺が調査区内で収まらないことが判明した点を書き損ねた。
◆そうか、南北長はいったいどのくらいになるのだろうか。今回の調査区内でコの字に埴輪列が検出される望みはこれで絶たれました。北辺の追究は夏に先送りです。
◆そうか、南北長はいったいどのくらいになるのだろうか。今回の調査区内でコの字に埴輪列が検出される望みはこれで絶たれました。北辺の追究は夏に先送りです。
2015年2月27日、車塚
◆朝、歯医者。午前、採点。12時、大学院受験を希望する他大学の学生と面談。で、採点会場に戻り、13:30までやったのち現場に向かう。
◆水曜日、北区の東半分を大きく掘り下げたわけだが、まだ思い切って掘れていないことが、ず~と頭にあり、絶対に攪乱の壁を出してやると決意していた。新しい溝で結論は出ているし、溝際について赤い造出の盛土を思い切り良くないが平面的に出しており、まん中が窪むヘンテコな造出でなく攪乱と信じているものの、ヒヨッている。恐いわけだ。そこをガツンといってやる、と。
◆14:40くらいには着いた。前日の雨でぬかるんでいる。南区の東拡張区を見て、南区本体の周濠内堆積土の機械掘削の様子を見て(実にスッキリ)、南区の西拡張区の機械掘削をやっている様子を見る。北区は、3人が上面の精査、2人が攪乱抗に向かっている。人数は少ない・・・。まあ少ないのは仕方がないが、それはそれで、それに見合った今季のゴールを設定し、格好をつけていく必要がある。
◆南区西拡張区の機械掘削がだいたい掘り上がり、見てくれというので見る。もうすこし下げましょうか、というので、周濠が予想される西壁沿いを徐々に削るよう指示。そうすると、40㎝から50㎝下で造出の西斜面が引っかかってきて、そのあと作業員さんに削ってもらい、造出の西南の角部をほぼ検出した。これ見事ですよ。なお、南辺・西辺とも、埴輪列から肩までほぼ1mというところである。
◆で北区上面だが、チマチマした精査をやめ、女性3人にミニ鶴で削るよう指示。埴輪列以外は、礫もまばらで(流出)、あまりデリケートでもなく、ペースを上げるため。で攪乱だが、バチを持ち、攪乱斜面をガンガン削ってやった。途中まではやはり恐る恐るだったが、気にすることはない、黄色粘質土は洪水堆積層、それを掘り上げて残存面を出すほかなく、ガッツリ削り赤肌を出した。攪乱の壁に確信がもてると早い、かなり壁面を出した。底面にはまだ達していないが、深そうだし、この坑は何なのか、いずれ決着は必要ながら、いま掘り急ぐ必要はない。現状の80㎝程度の段下げ表現にすればよい。壁は真っ赤っか、底面は黄色粘質土、そこに礫やら埴輪片やらが巻き込まれている様子を示せばそれでよい。
◆が、これは何なんでしょうね。井戸ちゃうかと冗談で言っているが・・・。なお、洪水がいつかわかっているのかと城陽市に聞くと、近世文書で、大洪水のあととみられる、堤を高くせよだのという文書が多く残っているようで、17世紀初頭と考えられているとのこと。
◆写真がなくてすいません。余裕がないのはよくないですね。作業途中、あるいは終了後、その日の掘削状況の写真を撮るくらい、せなあかん。
◆水曜日、北区の東半分を大きく掘り下げたわけだが、まだ思い切って掘れていないことが、ず~と頭にあり、絶対に攪乱の壁を出してやると決意していた。新しい溝で結論は出ているし、溝際について赤い造出の盛土を思い切り良くないが平面的に出しており、まん中が窪むヘンテコな造出でなく攪乱と信じているものの、ヒヨッている。恐いわけだ。そこをガツンといってやる、と。
◆14:40くらいには着いた。前日の雨でぬかるんでいる。南区の東拡張区を見て、南区本体の周濠内堆積土の機械掘削の様子を見て(実にスッキリ)、南区の西拡張区の機械掘削をやっている様子を見る。北区は、3人が上面の精査、2人が攪乱抗に向かっている。人数は少ない・・・。まあ少ないのは仕方がないが、それはそれで、それに見合った今季のゴールを設定し、格好をつけていく必要がある。
◆南区西拡張区の機械掘削がだいたい掘り上がり、見てくれというので見る。もうすこし下げましょうか、というので、周濠が予想される西壁沿いを徐々に削るよう指示。そうすると、40㎝から50㎝下で造出の西斜面が引っかかってきて、そのあと作業員さんに削ってもらい、造出の西南の角部をほぼ検出した。これ見事ですよ。なお、南辺・西辺とも、埴輪列から肩までほぼ1mというところである。
◆で北区上面だが、チマチマした精査をやめ、女性3人にミニ鶴で削るよう指示。埴輪列以外は、礫もまばらで(流出)、あまりデリケートでもなく、ペースを上げるため。で攪乱だが、バチを持ち、攪乱斜面をガンガン削ってやった。途中まではやはり恐る恐るだったが、気にすることはない、黄色粘質土は洪水堆積層、それを掘り上げて残存面を出すほかなく、ガッツリ削り赤肌を出した。攪乱の壁に確信がもてると早い、かなり壁面を出した。底面にはまだ達していないが、深そうだし、この坑は何なのか、いずれ決着は必要ながら、いま掘り急ぐ必要はない。現状の80㎝程度の段下げ表現にすればよい。壁は真っ赤っか、底面は黄色粘質土、そこに礫やら埴輪片やらが巻き込まれている様子を示せばそれでよい。
◆が、これは何なんでしょうね。井戸ちゃうかと冗談で言っているが・・・。なお、洪水がいつかわかっているのかと城陽市に聞くと、近世文書で、大洪水のあととみられる、堤を高くせよだのという文書が多く残っているようで、17世紀初頭と考えられているとのこと。
◆写真がなくてすいません。余裕がないのはよくないですね。作業途中、あるいは終了後、その日の掘削状況の写真を撮るくらい、せなあかん。
文化人材育成メニュー
◆前にも書いたかも知れません。履修証明プログラムというヤツで、大阪の歴史や文化のガイドさ
んや、それをめざす方々を募り、日本史教員で対応する科目を新設する。そのなかで、5人が休日午後の1回ずつ、それぞれの時代の現地見学を組み込み、あとは履修者の関心に沿ってガイドプログラムを作成してもらい、みんなで議論し、充実させていく、という内容。で、後半のものは、またわたくしめが担当することになっておりまする。
◆で、考古でどこへ連れて行くか、日程はもう決まっているが、どうしようと考えていた。そうした折、改新シンポの打ち上げで、先輩であるM氏が、たぶんわたしが前に紹介した大阪の歴史散歩ガイドマップ(文化庁事業)の話をしたんだろうと思いますが(ほぼ憶えてません)、いるんだったらと残部から送っていただいた。再度挙げておきます。感謝、感謝です。
◆レキハクは履修生はみんな見ているだろうし、もちろんそこで解説を加えてもいいのだが、たぶんあまり行ったことのない、街角ミュージアムをめぐった方がいいかと考え始めている。どこに、いつの時代の、どんな展示があるのかを確認し、メニューを作ってみようと思う。
◆で、考古でどこへ連れて行くか、日程はもう決まっているが、どうしようと考えていた。そうした折、改新シンポの打ち上げで、先輩であるM氏が、たぶんわたしが前に紹介した大阪の歴史散歩ガイドマップ(文化庁事業)の話をしたんだろうと思いますが(ほぼ憶えてません)、いるんだったらと残部から送っていただいた。再度挙げておきます。感謝、感謝です。
◆レキハクは履修生はみんな見ているだろうし、もちろんそこで解説を加えてもいいのだが、たぶんあまり行ったことのない、街角ミュージアムをめぐった方がいいかと考え始めている。どこに、いつの時代の、どんな展示があるのかを確認し、メニューを作ってみようと思う。
28日の土曜日、さて今日は
◆昨日27日、採点を切り上げ、午後、現場にむかう。で本日、土曜日、しゃかりきでやって採点を終える。今日はこのあと、ここ2週間分のできごとを整理し、雑用を徹底的に片付け、明日は丸1日開けて、コウケンの準備をやりたいものだが・・・。
【追記】いま20:30。エンエンと雑用をテキパキ片づけているが、終わりが見えません。やることがありすぎる。
【追記】いま20:30。エンエンと雑用をテキパキ片づけているが、終わりが見えません。やることがありすぎる。
疲労困憊
◆25日は現場終了後、大学へ向かうつもりではいたが、帰り、車を走らせていると疲労感でぐったり。ドカ掘りをしたからでなく、現場では元気なのだが、このところの疲労で、楽しい現場を離れるとぐったり。早々に家に帰り寝る。
◆が、なかなか疲労は回復せず、26日、入試の採点会場でもグッタリ。明日27日、なんとか2日目を切り抜け、土日はようやく何もないので、ここで回復させよう。なお、降雨のため、26日は車塚の発掘はなし、学生らは埴輪洗いをやりました。
【追記】どうも睡眠不足のよう。疲れていたのは確かで、現場やって早く家に帰り、酒を飲んで早くに寝るも、現場の高揚感か、このところ4時くらいに目が開いてしまうのを繰り返し、もっかい寝たらいいのだけど、ついつい、あそこはどう掘るといったことに頭がいってしまい、そのまま起きているので、そういうサイクルになっていることが原因のよう。
◆が、なかなか疲労は回復せず、26日、入試の採点会場でもグッタリ。明日27日、なんとか2日目を切り抜け、土日はようやく何もないので、ここで回復させよう。なお、降雨のため、26日は車塚の発掘はなし、学生らは埴輪洗いをやりました。
【追記】どうも睡眠不足のよう。疲れていたのは確かで、現場やって早く家に帰り、酒を飲んで早くに寝るも、現場の高揚感か、このところ4時くらいに目が開いてしまうのを繰り返し、もっかい寝たらいいのだけど、ついつい、あそこはどう掘るといったことに頭がいってしまい、そのまま起きているので、そういうサイクルになっていることが原因のよう。
2月25日車塚、黄色粘質土との戦い
◆国公立大学前期入試。なにも役回りがなく、この日は1日、現場。今日は重機で拡張。
◆北区では新しい現代溝を前日に掘り、下の様子がかなり判明する。どうやら墳丘側の東半分は大穴が開いていたらしく、洪水層が厚く堆積している。そこで、面的に削り、この凹部を平面で検出して掘っていくべきなのだが、現代溝の断ち割りで答はわかっているので、東半分に正丁を投入してドカ掘り。2スコ以上の厚みを掘っていき、かなりの土量を上げた。造り出し上面にあった家形埴輪の破片が凹部に落ち込んでおり、大きな礫もかなり入り込んでいる。
◆東の墳丘斜面側からの転落石もあるのかもしれないが、造り出し上面に大穴が開けられたのは、そんな早い時期でもないと思われ、墳丘斜面は腐葉土に覆われ安定し、上からごろごろ石が落ちてくる状況でないだろうし、埴輪とからみながらの石の出方からすると、今日
凹部から掘り出した拳大からそれ以上の大きさの礫は、元はすべて造り出し上面の礫敷の石だろう。
◆江戸時代の洪水層は相当なものなので、周濠を埋め尽くし、長期間水没し、微粒の粘土がメートル単位で堆積したもの。なので、造り出し上面も水流で洗われたであろう。なので、今日もちまちまと埴輪列 を含め上面の仕上げを2人にやってもらい小礫を出しているが、それもまばらであることが示すように、本来はそういうものの上に握拳大やさらに大きい、凹部に落ち込んでいたような礫で敷き詰められていたにちがいない。
◆それと、そういう状況を考えると、南区の南斜面に小礫が上面から続くように出てきていることも、全体が洗われていることからすれば納得できる。座った埴輪は残ってはいるものの、それ以外は洗い流されて周囲に流出したのであろう。
◆北区では新しい現代溝を前日に掘り、下の様子がかなり判明する。どうやら墳丘側の東半分は大穴が開いていたらしく、洪水層が厚く堆積している。そこで、面的に削り、この凹部を平面で検出して掘っていくべきなのだが、現代溝の断ち割りで答はわかっているので、東半分に正丁を投入してドカ掘り。2スコ以上の厚みを掘っていき、かなりの土量を上げた。造り出し上面にあった家形埴輪の破片が凹部に落ち込んでおり、大きな礫もかなり入り込んでいる。
◆東の墳丘斜面側からの転落石もあるのかもしれないが、造り出し上面に大穴が開けられたのは、そんな早い時期でもないと思われ、墳丘斜面は腐葉土に覆われ安定し、上からごろごろ石が落ちてくる状況でないだろうし、埴輪とからみながらの石の出方からすると、今日
◆江戸時代の洪水層は相当なものなので、周濠を埋め尽くし、長期間水没し、微粒の粘土がメートル単位で堆積したもの。なので、造り出し上面も水流で洗われたであろう。なので、今日もちまちまと埴輪列 を含め上面の仕上げを2人にやってもらい小礫を出しているが、それもまばらであることが示すように、本来はそういうものの上に握拳大やさらに大きい、凹部に落ち込んでいたような礫で敷き詰められていたにちがいない。
◆それと、そういう状況を考えると、南区の南斜面に小礫が上面から続くように出てきていることも、全体が洗われていることからすれば納得できる。座った埴輪は残ってはいるものの、それ以外は洗い流されて周囲に流出したのであろう。
2月24日車塚
◆この日の報告ももらっているので、枠取りをしておきます。あとで埋めます。
◆午前/昨日と同じく北区のガリかけ作業を継続、レベル移動と南区の東壁・西壁の分層作業/午後/午前の作業の続き。人が多いので一気に北区を片付ける作業。Kさんに造出南側斜面を出す作業をしてもらう。石がごろごろ出ている。南区の東壁・西壁の層位図は作成完了、写真撮影も行ったので、明日は重機を入れて拡張予定。北区の調査に移る。既に攪乱を受けていると思われる耕作溝を掘り下げて北区の土層を確認した。耕作溝を掘り下げた断面をみると、表面の汚れた層の下に洪水堆積層が20cm程度みられた。東から西にかけて洪水層は上がっていき、墳丘構築土の赤い土が主体となる。恐らく北区東側は大きく攪乱を受けており、そこに洪水層が溜まったと考えられる。西側に向かうにつれて、墳丘や埴輪が残っていると思われる。耕作溝の底からは拳大の石や埴輪片が確認された。
◆以上、ミッチーの報告でした。助かるわ~。
◆午前/昨日と同じく北区のガリかけ作業を継続、レベル移動と南区の東壁・西壁の分層作業/午後/午前の作業の続き。人が多いので一気に北区を片付ける作業。Kさんに造出南側斜面を出す作業をしてもらう。石がごろごろ出ている。南区の東壁・西壁の層位図は作成完了、写真撮影も行ったので、明日は重機を入れて拡張予定。北区の調査に移る。既に攪乱を受けていると思われる耕作溝を掘り下げて北区の土層を確認した。耕作溝を掘り下げた断面をみると、表面の汚れた層の下に洪水堆積層が20cm程度みられた。東から西にかけて洪水層は上がっていき、墳丘構築土の赤い土が主体となる。恐らく北区東側は大きく攪乱を受けており、そこに洪水層が溜まったと考えられる。西側に向かうにつれて、墳丘や埴輪が残っていると思われる。耕作溝の底からは拳大の石や埴輪片が確認された。
◆以上、ミッチーの報告でした。助かるわ~。
2月24日、兵庫城
◆神戸市教育委員会と協議し開催されることになった見学検討会。案内としては大阪歴史学会主催という形を取る。現場の対応やその後の検討会のキャパもあり、見てもらったらいいと思われる範囲へ連絡してもらう形となる。その点、申し訳ありません。
日時 2月24日(火)
見学会 10:00~13:00 現地
調査担当者による遺構の説明(約1時間)
その後自由見学(調査担当者が随時説明)
意見交換会 14:00~16:00 中央市場本場 会議室 神戸市職員10人以上参加
研究会 17:30-19:30 三宮勤労市民会館
◆8:21の準急でほぼ10時現地着、広大な区画は3区に分けて調査され、最後の今回の区画は残存す
る城跡がそっくり入るように設定され、堀の石垣が丸ごと検出されている。総勢30人くらいか、関西圏の城郭屋にかなり来てもらえたようである。昼を取り、2時から2時間ばかり、市教委の方も大勢加わり、遺構についての意見交換会。
◆終了後、大歴主催で、三宮に場所を移し、そこまでの議論をふまえつつ、学会側でどう対応していくかを検討した。今度の土日に具体に考えよう。ヒストリア4月号で城の専門家に書いてもらい、わたしも見学会参加記とともに、書きておきたいこともある。が実際には、3月中にどこまで何をするのかの方が大事。店舗建設で杭位置で壊れるところはむろん発生するが、設計変更がなされ、石垣はほぼそっくり地中に残るようである。遺跡は消失すること
なく、9割方残る。なによりこれが大事。よかった。あとは、近代の最初の兵庫県庁であったことを含め、遺跡のありようを買い物に来た神戸市民に伝えることができるような、活用に課題が移っている。
◆3部構成で、20時終了、神戸大I氏のおかげで、1部、2部、3部とも、イメージ通りの内容となり、とても有意義であった。見学会、意見交換会をセットいただいた神戸市教委に改めてお礼申し上げるとともに、I氏のご尽力に敬意を表したい。で、神戸大のもうお一方と3人で慰労会をやり、帰宅したら23時でした。
日時 2月24日(火)
見学会 10:00~13:00 現地
調査担当者による遺構の説明(約1時間)
その後自由見学(調査担当者が随時説明)
意見交換会 14:00~16:00 中央市場本場 会議室 神戸市職員10人以上参加
研究会 17:30-19:30 三宮勤労市民会館
◆8:21の準急でほぼ10時現地着、広大な区画は3区に分けて調査され、最後の今回の区画は残存す
◆終了後、大歴主催で、三宮に場所を移し、そこまでの議論をふまえつつ、学会側でどう対応していくかを検討した。今度の土日に具体に考えよう。ヒストリア4月号で城の専門家に書いてもらい、わたしも見学会参加記とともに、書きておきたいこともある。が実際には、3月中にどこまで何をするのかの方が大事。店舗建設で杭位置で壊れるところはむろん発生するが、設計変更がなされ、石垣はほぼそっくり地中に残るようである。遺跡は消失すること
◆3部構成で、20時終了、神戸大I氏のおかげで、1部、2部、3部とも、イメージ通りの内容となり、とても有意義であった。見学会、意見交換会をセットいただいた神戸市教委に改めてお礼申し上げるとともに、I氏のご尽力に敬意を表したい。で、神戸大のもうお一方と3人で慰労会をやり、帰宅したら23時でした。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。