人を幸せにする人になろう

2月23日火曜日、博物館実習打ち上げ

◆まあ、寿司くらいあったらと思い、昼にネットで探しケータリング注文。15時に買い出し部隊と でかけるが、その前に学情1階のレストランがピザの宅配をしてくれるというので、これも注文。食い物はお菓子をちょこっと足すだけにして、酒を買い込みに。
◆16:20、蓋を開けると、文系の参加者がやや寂しかったが、そこそこ集まり、楽しく2時間程度、打ち上げをやった。理学部生との話で、文と同じく、実学みたいなもんが重視されるなか、何の役に立つねんとの攻撃に対し、文や理の学問の大切さをめぐって議論するなどした。植物とか動物とか、地質鉱物とか、1人は物理の院生もいたが、そういうことに早くから興味をもち、大学、そして多くは大学院まで進んで勉強している彼ら彼女らとの「近さ」を感じることができた。博物館・資料館でいえば歴史系よりやはり自然史系の博物館は限定されるのだろうが、大阪市立自然史博との関係は文より密のようで、学芸員の方をよく 知っており、やはり身近にそうした存在があることは大きいように思われ、そういう姿をモデルに、専門を活かした職をめざしてほしいものである。
◆散財したが、実に楽しく、飲み過ぎました。それと、この日があるので、提出されている文理の報告書、それに展示関係のこっちの資料を貼り付けて、加えて1人1人に書いてもらった感想文をくっつけて、74頁の2014年度博物館実習展報告書を、前日夜から作り始め、当日印刷し、参加者に渡した。これも青春の記録である。1年目から報告書にまとめてこそ事業の完結とやってきたが、提出されても、こっちの作業も多く、まとめの冊子を作り履修者に渡すことが理想とはいえ、これまでできなかったが、今回はじめて実現した。一度、モデルを作っておけば、次年度は、これを示し、こういうものを作成してゴールだからな、ということで、全体を彼らに任せるように段取りしよう。1年1年、こっちも進歩がある(退歩もあるが)。

イスラム国のこと

◆少し書いておこうと思ったのは、1週間前くらいか。もう忘れかかっているが、思い出して、と。
◆ヨルダンに捕まっている女性は、兄弟3人がイラク戦争で死んだとか。イラク戦争は、大量破壊兵器あるとの勝手な難癖をつけアメリカが攻め込んだもので、あとでなかったということになったもの。日本も賛同。サダムフセインのイラクがいろんな問題をもっていても、それは内政問題。スンニ派とシーア派の対立はなかったし、強権的ではあっても平和だった。それをいまの状態にしてしまったのはイラク戦争である。まずそれを押さえておかなければならない。
◆で、イラク戦争で兄弟が殺された、アメリカ憎し、当たり前である。むろんそれでアンマンの結婚式に突入することにより、多くの人名が失われ、憎悪が繰り返される。が、大国アメリカが憎くても、できることはそういうことであり、原因を作ったのはどっちなんだ、ということ。
◆これを繰り返す限り、憎悪の連鎖は断ち切れないだろう。空爆でイスラム国を叩いて、効果があったとしても、そして一時的に落ち着いたとしても、ぶりかえすに違いない。武力による決着がすべてではない。一方的優勢による休戦合意は、すぐに崩れるだろう。日本国憲法。国際紛争を解決する手段として、永遠に戦争を放棄する、しかないのである。20世紀初頭の勝手な国境の線引きで今に至る混乱を招いた西欧諸国のやるべきことは、休戦を導き、それを維持し、公正な当時者の話し合いを主催し、どこにも肩をもたず、彼らの合意による枠組みの再構築を成し遂げ、そこに民主的な手続きによりモノゴトを決めていく道筋を引き、最低50年くらい持続するまで、責任をもって社会を安定させ、人々の生活が成り立つよう援助することだと思う。

法隆寺に1500円出して入るだろうか

◆法隆寺の拝観者のグラフがあり、維持のため1000円から1500円に増額するんだって。門まで行って引き返す者が増えるだろう。いま、奈良や京都の著名なお寺の拝観料がどんなものか知らないが、800円くらいなら入るかな。学生だったら、まあ500円くらいでないと入らんのとちゃうやろか。

1月30日、水野先生の告別式

◆昭和ひとけたで、自分の親と同世代。森本六爾の『考古学研究』に感銘を受けて、この世界に入り、京大人文研で開催された日本考古学協会の大会で、高校生ながら発表に対して鋭い質問をして注目される。大阪学芸大学に進学し、鳥越憲三郎に接し、土井が浜の調査や、京大の調査に参加。松岳山古墳の報告書の石釧の図はすごいですよ。滋賀県教育委員会、大阪府教育委員会、どこかで奈文研にも在籍したはずだが、文化庁に行ったのはいつなのか、1979年の奈良大赴任までの生き様、滋賀県や大阪府に在籍した時はいつで、どんな調査をやり、どんな問題が起こった時期であったのか、なかなかわれわれにはわからない。ついに、ご本人としては書き残さず逝かれたのか、あまり流布しない形の冊子などがあるのか、それもわからない。
◆走り続け、振り返る機会もないまま、エンジンが停止してしまったのかもしれない。カミさんは「しゃべり続けて燃料が切れたのかな」と。亡くなる前の直前も、今城塚古代歴史館で1時間40分、講演されたとのこと。火曜日、朝食を取ったあと、心不全に襲われたのだという。
◆(1)日本の遺跡保護行政における開発前の原因者負担制度の確立、(2)700人という文化財業界でいま一線で仕事をしているみなさんを育てたこと、(3)膨大な講演を通して、考古学ファンを生み出し、考古学や遺跡保護の普及に大きな役割を果たしたこと、が挙げられる。人の2倍も3倍もの仕事をされた。そして楽しく掘り、学び、研究し、仕事をする姿勢、これもまた忘れることはできない。こうした水野イズムの、いくらかであれ継承していきたい。
◆高槻の会議のあと、JR線で大阪まで一緒だった機会が1回だけある。数々の講演のスケジュールで埋まっている話、「年いったらお腹がすかない、あんまり食事せんでもええ」といった話を聞いた。
◆もうひとつは、根来の問題。たしか、奈文研の庁舎とのお別れ会で、田辺さんから、「お前、やりすぎや。水野先生が、どれだけいろんなことを考えて、各方面に働きかけ、まとめようとしているか、ちゃんとわかっとけ」と怒られた。当の水野先生は、その時カバンにあった根来寺跡保存管理計画の図を出してきて、考えるところを説明してくださった。「いま保存管理計画の検討段階のものはもっていないから、いずれちゃんとあなたに説明する機会を作るから」、といったこともおっしゃられた。田辺さんが説明してくださったこともよくわかるし、水野先生に「すいません」と頭を下げた。でもその時も、もう忘れたが、「あなたたちの言っていることもわかる」とか、「そういうことを言うことも必要なんだ」というニュアンスの言い方をされたように思う。数々の保存問題に対処されてきた水野先生は、怒ってはいなかったと思う。すべて丸く収まることはありえないなかで、現実的なところをさぐり、考え方をちゃんと説明するからと、誠実に対応してくれようとしたのだと思う。
◆そういう水野先生を信頼しているし、最終的に折り合えない点があるにせよ、それぞれ遺跡に即して考えているという相互理解はあったと信じている。晩年、ようやく話をさせていただく機会ができたくらいで、それまではほとんど接点がなかったが、水野イズムの影響を受けていることは間違いない。

ピースリニューアル関係記事

◆東京新聞、京都新聞、でこれは神戸新聞の記事です。

博物館概論の続き

◆やってて楽しいだけでなく、勉強になる。ブログをみていただいてもわかると思うが、博物館の授業のために、いろんな博物館や資料館を見に行くことになる。それだけでなく、町並みとか。これまで古墳をはじめ遺跡だけを見に行っていたことからすると、ずいぶんと変わってきた。文化財の仕事は、遺跡だけでは成り立たない。むしろ今残る民家や近代建築、寺社、そういうものがメインで、遺跡もそういうものの素材のひとつで、伝統工芸や特産品とも連携し、人づくり、地域づくりという、さらに大きな目的のなかにある。博物館はそういう情報の基地であり、実行部隊でもある。
◆考古学をやってきたが、博物館の科目を担当するようになることで、その前から志向性はあったが、文化・文化財を通した地域作りということを強く意識するようになり、とてもためになっていることを実感している。

博物館概論の評価

◆3年目、本日が最終日であった。なんとか授業回数分の内容の整備ができたかな。しんどい面はあるが、やっていて楽しい面もある。ぜんぶうまくはいっていないが、比較的熱心に聞いてくれた半期だった。で、1年目、2年目は試験をしたのだが、今回はレポートにした。読むのが楽なのは試験で、博物館概論となれば、覚えておいてほしいこともある。が、いろんなことは資料を見ればわかる。授業に際しては、伝えたいのはハートというつもりでやっている。なので、過去2年間の試験でも、いろんな知識を問う問題でなく、考え方を書いてもらうようなものではあった。
◆今回のレポートのテーマは「市民とともにつくる博物館」とし、具体的な提言を含めて書いてもらうことにした。これはこれで、ひとつの試み。だが、とたんに読まないといけない分量がぐーんと厚くなり(約70人分)、これはこれでしんどいものである。

水野先生

◆1週間前、出席予定の高槻市の会議に、体調がということで欠席され、どうなんでしょうねと話をしたばかりでした。いろんな意味で大先輩で、いつ頃からか名前も覚えてもらい、高槻市の史跡整備の委員をやらしてもらうようになり、年に数度お会いするようになっていた。
◆残念です。でも、驚くべき講演の回数を通して、しゃべりつくしたのではないか、とも思う。1979年に奈良大に赴任されるまで、記念物課の主任調査官として、記録保存調査の確立に尽力され、いまのマイブン世界の道筋を作った実質的な功労者であったのだろう。

博物館実習Ⅰ、打ち上げ

◆明日の授業で、今年度も終わり。試験がひとつ、その採点。たいへんなのはレポートだが・・・。で、今日の博物館実習Ⅰ。展示後、企画・準備から実施、反省点などを報告書にまとめているが、今日までに一通りの原稿が出そろい、文・理それぞれ統合してもらったものを配布し、みなで最終点検してもらう。少し注文をすることはあるが、ほとんど干渉することはしていない。文・理、それぞれちゃんと意見を出し、こうした方がよいという議論の上、追加や改める点が整理されていく。授業全体としても、実際の展示直前は、こっちも全力投入にはなるが、基本的に自発性に任せている。全体のスケジュール管理を、もうすこしこっちが枠を示しておく必要があると反省はしているが。
◆博物館実習Ⅰは1年なので、今日の5限で最後となると、なかなか感慨深いものである。今日の叩き台となった学生等の作成した報告書原案を時間内でひととおり目を通していたが、それぞれ企画から実施まで、きちんとまとめられている。そして今日、全体を全員で読みながら、議論している姿も、なかなか頼もしいものである。
◆で、理系チームから、打ち上げはしないんですか、と。そうだよな~。1年間、つきあってきた彼ら・彼女らと、報告書も完成した上で、乾杯したいものである。これ1年目も理系からそういう声があったのだが、こっちに余裕がなく、やれなかった・・・。昨年は、文学部60周年展で疲弊し、そういう発想がそもそもなかった。いま、あんまり学内で飲み食いするのは不適切?/ダメ?だが・・・。学生だった頃、考古学研究室に残っていると、先生が酒を出してきて酒盛りが始まったもんだ。市大でも、PLの花火の日に、歴史の学生の部屋で酒盛りし、酔っぱらって法学部棟11階に、遠くで打ち上がる花火を学生達と見に行った記憶もある。そういえば、最近、とんと学内で呑むことがないですね~。みなさんの職場ではどうですか。そういえば、文化庁記念物課でも、日本酒好きの課長がいて、その時は時折、酒盛りになったもの。さてと・・・。

久津川車塚春の陣

◆2月9日~、機械掘削、2月16日、人力掘削開始、3月20日までの予定。西造り出しの確認。裾部まで 掘り下げるのは夏になる。造り出しが、くびれ部にくっつくか、恵解山のようにやや距離を置いて張り出すか、わからん。アバウトな勘。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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