人を幸せにする人になろう

ちょこまかと

◆久津川車塚のトレースをする。線路沿いはだいたい埋まったが、埋めたつもりが、墳丘斜面側に 穴がまだある・・・。課題を整理しておいたつもりなのだが・・・。まあしかし、なんとか進んではいる。あと3日あれば、線路西側の史跡地は完了しそう。
◆線路東側はまったく足をはこんだこともないが、面積はあるが基本的に平地なので、4日程度か。まあ、年末年始で完了としたいもの。2月から発掘である。

久津川車塚2014年11月4日

自分+山口+佐藤+土井(14:00~)9:00~16:45 はれ
◆D4の紙。東くびれ部の残り。線路の土盛りとの間の凹部、その残り南側を埋める。
◆前方部東側面に移動。まずは伐採。P56を新たに打ち、基準点測量。そのあとD3の紙ももち、上から、既存の点を確認し、修正しつつ下に降り、東側のD4についても線路際まで埋めて完了する。→昼飯。
◆午後、前方部西南隅部に異動する。基準点をどこに打つかを検討し、西南稜線上のP48に機械を据え、BSをP47とし(いずれも既存白杭)、新たにP58を求める。まずは伐採をかける。ようよう、P58に据えて測量を始め、オレは伐採を続けるも、測量がヘンであることが判明し、自分の出した基準点の値がおかしいことが判明、やり直す。P58を再度座標・水準を出して、改めて測量にかかる。敷地の輪郭と、前方部前面の崖面の等高線をいくつか入れたところで終了する。中軸よりのコンクリート基礎の建物跡背後の斜面は、P58ではなかなかしんどい。というよりも、伐採した竹などがくぼみを埋めるように既に積み上げられており、下が見えない状態で、また墳丘裾の崖面の等高線を測るには、さらに伐採をかける必要がある。それと、逆に西側については、さらにE1の紙を用意する必要がある。区切りもあるので、ここで撤収する。

久津川車塚2104年11月3日

◆天気良し。自分+土井(~16:00)+佐藤+左海(~12:00)。
◆マシンは昨日に引き続きP9。紙C4。34m、33.75m、33.5mと、北側の残存分を処理。
◆午後、3人で伐開。x-865からX-875あたりの線路沿い。高まりを入れ、等高線を入れ、これで限界。少し埋まらない範囲を残すが、あとはなんとか、内業で作図すれば済むか?。
◆しかるのち。東くびれ部の穴(未身測量部)に移動。まずは3人で伐開。そののち、マシンはP42に据える(BS:P8)。まず、C4の紙の端部分。線路際の等高線。前の測量がおかしいところを、35.5m以下、33.75までを埋める。紙をD4に変えて、線路と墳丘裾との間の窪みを埋める。
◆しかしこれも限界。16:00土井さん帰り、佐藤と2人で南側の伐開。16:30。そのあと、切り開いたぶぶんの測量にかかるも、いいところまできたが、日没リングアウト。まあ、暗いのである。あと小1時間くらいの仕事が残ってしまう。まあ、仕方なし、明日は続きから、ということにしよう。

久津川車塚11月2日

◆自分+土井+山口+佐藤。9:00~17:00。今回はソキアのマシン。
◆まず、昨日打設した3本の新規杭の基準点測量。
◆そのあと、まずB4。新たに作ったP54にマシンを立てる(BS:P9)。高さ36.75mから下げていき、前に測っていた33mまで無事に接続する。そのあと、畑地の残り部分を測量し、JRの法面を測量し、いちおうこの紙は簡潔。鉄道の線路敷きの向こう側もやるべきだったのだが・・・。
◆そのあと、C4の紙。マシンはP9に据える。以前に36mまでは測っており、線路敷き沿いの崖面を、35.75mから34mまで、北側について入れていき、日没。
◆本日は4人いたので、やはり1日伐採を続け、測量環境と整える。50歳にしては、いい運動である。

明日から久津川車塚

◆学祭もあり、土曜日から火曜日まで4日あるので、久津川の測量にでかける予定。が、天気は良く ないよう。いま21:14。ぜんぜ ん準備していないわ。さっさと。
◆黄色をなんとか。
【追記】出撃したんですけど雨ですわ。

10月31日は卒論中間発表会

◆出席できない1名をのぞき、8名が報告。考古1、中世3、近世2、近現代2。考古は前方後方墳です わ。こういう機会はあった方がいいですね。レジュメの作り方なども、自分のを顧みることになるだろうし。むろん、中身、進捗の程度、詰められ方などなど、いろいろ意識することだろう。同一学年は運命共同体。切磋琢磨の学年は、全体が伸びていったりするし、逆もまたしかりであろう。こんなところでええか、というのがいちばん困るわけである。
◆あと2ヶ月程度、人生でいちばん勉強したというくらいやって、自分に挑戦せよ。やる時にやらんやつは、人生、いつもがんばれませんよ。どこまで到達できるか、その差の開きはかなりのものである。しかし、そのエンジンは、やってて面白い、わかってきたり、発見したりすることの喜びであろう。まずなりよりも対象が好きで、面白く、やっていて楽しいモノでないとだめ。いろんな作業をしたり、史料を読み、表をつくったり、それはひとつひとつシンドイことだが、それで進んでいくことの達成感ですよね。自走してくれればいいのですが。去年の考古/古代史のOさんは、ひとりで進んでいきましたよ。あれもせなこれもせな、と。きっと前はそういう人が多かったんでしょうね。そういう場合は、報告を聞いて、考えるところを話せばよい。が、いまはそうでない者も多いわけだ。何をやりましょ、どうやりましょ・・・。自走しない。補助輪をつけて押してやらんと走り始めない。指導が悪い・・・のかもしれませんが。

イラク国立博物館

◆博物館概論の授業のため、ネットを検索していると、文化財流出の件で、実に詳細に、ニュースソースも明示しての記事に行き当たる。
◆それを見ていて、イラク戦争開始前に、ACCPというアメリカの美術品協会みたいなところが、国防総省に対して、文化財の流出を厳格に取り締まってくれるなと要望を出したのだとか。博物館の資料などが奪われると、それを取り締まろうとすると表に出ないではないか、むしろ報奨金を支払って表に出し、俺たちに買わせろ、そしたらメトロポリタンに、メソポタミアの一級資料が集められるではないか、と。政府はそれに屈服したと。
◆事実、イラク国立博物館は、計画的用意周到にごっそりやられた、と。14万点といったか。サダムフセインは国外流出を厳格に取り締まっていたのに。ナチスの略奪した美術品は、世界の主要美術館が買い求め、隠匿していることが判明しているが、それにあたっていたドイツの特務機関の関係者の自宅から、名画がごっそりと出てきたという記事は記憶に新しい。戦後70年なんですけど。イラク国立博物館から流出した遺物も、世界の主要博物館が購入し、何十年と隠匿していくのでしょう。流出したら最後、元に戻ることは困難であろう。
◆エジプトの棺桶やミイラをヨーロッパの博物館で見るとイヤな思いがして素通りする。エルミタージュでも、中国といっても西域なんだろうが、仏教壁画をこれでもかと剥がしたものを展示しているのを見て、実に痛々しかった。ペルガモン博物館にある、ゼウスのなんとかというやつ、ペルガモンの遺跡を検索すると、一部の階段しか残っていない現地の写真が出てくる。暗澹たる気持ちになる。怪盗紳士アルセーヌルパンがいるなら、一夜にしてエルギンマーブルを大博物館から盗み出し、アテネの新アクロポリス博物館に届けてくれないもんだろうか。

都構想と大学統合問題

◆大阪都の構想案が府市ともに否決されたとか。住民投票に進むのかどうか、まあ難しいんでしょう。一方で、大学統合の話は、そうした政治情勢を横目で見つつ、トーンダウンしたように見えてストップはしておらず、新たな新大学プランが打ち出された。こないだの教授会で、まだ外に出すなと注意されたが、公開されたようで、新聞に小さく載っていた。
◆わたし、正直、どちらも賛成なんです。都構想にまったく詳しくはないが、基礎自治体は適正な規模で、そこに広域行政の府がある、その方がいいのではないかという一般論です。大阪府と大阪市という巨大な予算規模を擁する行政組織がふたつあって、基本仲が悪いというどこにでもある図式より、よほど役割分担が明確化し、すっきりするんでは?。大学は、先に書いた新構想案の議論が続いていたことをまったく知らなかった。昨年?から維新が選挙に勝てなくなり、今年に入り、思うように進まず、大学統合も時期尚早とされ、ストップしたと誤解していた。で、両大学が、そんな政治情勢とは関係なく議論してこそ大学と思っていた。それが、まあ関係者の間では議論が進められていたわけである。当初のタイムスケジュールのようにはいかない、今後の政治情勢により、大学側の議論なぞお構いなしに白紙になることもありうるのかもしれない。が、どうであれ大学側で、時間はかかっても議論して考えていくことに賛成である。結局どうなるかはわからないし、これまでは政治主導で上意下達で進められ、有無をいわさずという観で推し進めてきたことによる議論の未成熟はある。
◆賛成というのも、絶対的な考えがあるわけではない。やはりこれまで培ってきた、これも適正規模というのがあり、大きくなることが絶対的にいいというわけではないだろう。が考えてみる価値はあると思うわけです。が、そういう議論の機会はこれまでなかった。文学部でも全学でも。そこは議論のなかで熟していくもんでしょう、考えも変わっていくもんでしょう。

学長監視下のツイッター

◆ある知り合いは、いろんなことをツイッターで発信しているようで、大学の悪口もいっぱい書いてるんでしょうね。学長の監視下にあるという。いや、すごいですね。それをものともせず、意地でもやめない、とのこと。続けてください。
◆こっちはこっちで、このブログがある一方で、しかるべき場所で、しかるべき時に、言うべきことは言わんといかん。例えば、大学に関することなら、教授会の場で。でもね~、全体に報告を承る場になっていて、昔のような議論の場面はやはり少なくなっていると感じざるをえない。そういうことに文句を言う前に、会議に臨む姿勢を考え直さないといけないんでしょうね。大学自治、民主的運営の基本となる機会で、それを生かすも殺すも参加者の気構えであるわけだから。流されずに・・・。そこは、ブログを書いて満足していてはダメなわけです。これも恐いことだが、全体の雰囲気というのがありますよね。やはりチャンとした方は、重要案件の場合、ひとことやはり言う。そこはどうせ言っても、となると、どんどん自分たちで会議を形骸化したものに貶めていくことになる。
◆その一方で、不特定多数にむかって発信することの意味や効果も、ないではないわけです。学長監視下にあるということは、それを通したホットラインがあるということでもある。すごいですね。

女性の地位

◆日本が世界で105位とか104位だとか。なんでも、カミさんは勤務先の役で、なんか女性研究者の、なんだろう支援組織みなたいなものに関わらせられると。で、なんでもそういう運動を横に広げていくので、他大学とか行政とか、なんかやらされているらしい。で、大阪でいえば、ドーンとか、クレオとかを調べると、がっくりだと。起業支援とか、パッチワーク教室とか、そんなことしかやってない。本来やるべきことの本体は、社会で働いている普通の女性の、支援とか待遇改善とか、そういう活動が中心であるべきなのに、そんなことはこれっぽっちも、と嘆いている。
◆なにが悪いのかはよくわからない。行政がそういう支援の法律にもとづいて、建物は造り、なんか活動をするものの、中身を誰も考えていないとか、しかし器はできたのだから、それを生かして活動すべき人の問題なのか、そもそもしかしそんなところに集まって議論する余裕もなく仕事に追われているという現状なのか。

プラグイン

カレンダー

05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
8 9 10 11 12 13 14
15 17 18 19 20 21
23 24 25 26 27 28
29 30

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索