人を幸せにする人になろう

府センターの鏡

◆弥生博で、特展中の池島・福万寺遺跡出土の鏡4点の撮影。塚本君にお世話になる。2001年、茶臼山の測量9971b201.JPGの時、いま鳥取県の君島君が連れてきた東大生だった。どっかで見たことあるな~と思っていたら、そうだった。またまた言われるまでわからず失礼なことをしてしまう。続縄文をやっているという話を聞いたことを思い出す。報告書ができた時、君島君から大阪にいると聞いて送ったはずだ。ごめんな。
◆弥生博のみなさんと名刺交換。壁には入館者グラフ、5万人を超え、ノルマの数字は達成しているとのこと。次年度のことは、6月中にも決まるのだとか。いまさら廃止はないとは思うが・・・。近畿弥生の会の支援も続いている。写真を撮っている時、外では小学生が竪穴住居の組み立てキットで体験学習。これ人気があるらしい。
◆翌日、府センター中部事務所に鏡の写真を撮りに行く。岡戸さん、河端さんにお世話になる。玄関でタバコを吸っている秋山さんに会う。実にひさしぶりである。
◆そのあと、同志社田辺キャンパス。若林さんにお世話いただく。同志社の資料館、むかし新町キャンパスで展示室を見た記憶がある。京田辺に移ってからも、一度、岩倉古窯跡群がらみで須恵器を見に行った記憶があるが、覚えちゃいない。やはり井辺八幡山の資料がすごい。それ以外にもちょこちょこと気になるものがあった。津堂城山の盾形埴輪とか・・・。

大阪城天守閣

◆大阪城の調査の関係で、天守閣に行く。内容はいずれ公表できるときがきたら書きます。で、天守閣。これでa9d4169e.JPGたったの2回目。数年前に1度行ったが、これは学芸員の人に会って話をきくため。このときは展示をみなかった。今日、5月31日、10時に館長と約束していたので、展示を見ておこうと9持に行く。
◆学校の見学と中国人が朝早くからいる。8階まで階段で上がると足ががたがたになる、情けない限り。展望台から周りをながめ、ひとつずつ下りながら展示を見る。実際に資料がならぶのが4階と5階だったか。まあ考古資料としては瓦くらいだが、やっぱり文書とか絵図とかがメイン。一通り見て勉強になった。
◆端から忘れているが、豊臣秀次事件のことと、夏の陣後、秀頼には一男一女の子供がおり、息子は殺されたが、娘は尼になって没したということを知る。それと1階に行くと、「プリンセス・トヨトミ」のポスターだらけであった。ロケ地として客を呼び込もうとしているらしい。

続き

◆どことも、同じような項目の並ぶ中期目標を立て、近隣のどこそこ大学がこんなことをやっているとなると、うちもせなあかん。これではだめ。みんな同じようなことをする。平均的な標準的な、あたりさわりのない、どこにもある、特徴も何にもない、そんな研究機関って、きっとダメだろう。
◆法科大学院の話に戻る。国家試験はあんまりぶれずデンとしていてくれたらいいのだ。年齢制限も、とくだんの受験資格もいらない。工夫された試験をして、合格者を出せばいいのだ。司法試験をめざす人、いろんな人がいていい。なんだっけ、大阪副市長やってたヤンキーネエチャン。ああいう人だって、思い立って、ものすごい勉強したそうだが、それで合格していく。国家試験ってそうあるべきですよね。それまでがどうだか、なんて関係ない。資格を与えるのに必要な学力や適性をみるような試験があるのみ、という姿。
◆なのに、どこもかしこもロースクール。極端にいえば、司法試験予備校に大学が負け、それを大学が奪い取った、だが失敗した、ということのようだ。

法科大学院は破綻している

◆新司法試験の受験資格を、原則、法科大学院修了者として、2006年から新司法試験に移行。が既に予備試験という上記の原則からはずれる精度を今年度から導入するという話。
◆法科大学院の修了者は5年間で3回の新司法試験の受験資格が与えられるんだって。でも、なんで3回なのか、5年以内なのか、そしてそれでだめだったら資格が消滅するんやろ。
◆で、とくだん、旧司法試験時の、予備校のつめこみの弊害みたいなことは改善されていないらしい。そりゃそうでしょ。法曹をめざすものばかりでなく、それは全体の傾向だろうし、まして司法試験なんて、判例はじめ、要するに条文と解釈をひたすら覚える暗記、しかも新たな法律もできるし判例もできる。それを必死で覚える。そうなるわ。人間的にウンヌンいっても、そんな経験を積むような生き方をしてたら合格できない。
◆で、3回落ちた人はどうなるか。もっかい、高い授業料を払って法科大学院に入り直しなんだって。で、それがあんまりだからか、予備試験という、新司法試験の受験資格認定試験を、2011年度からやるんだと。司法試験予備校はどうなったのだろうか(伊藤塾とか)。法科大学院を作るということは、法学部とは別に司法試験コース大学院を大学に作らせたということで、予備校に大きなダメージを与えたはずだろう(どうなったかは知らない)。予備試験ができるということは、法学部を卒業し、法科大学院に行かずとも、予備校に行き予備試験を受けて合格し、新司法試験を受ける道が開かれたということになる。法科大学院は破綻したわけである。
◆法曹界にすぐれた人材を合格率高く送り出し、日本の法曹人口は質的にも量的にも増えていく、そういうもくろみは破綻したわけだ。法科大学院がタケノコのように次々できたが、そりゃ法科大学院を設置せにゃしゃーないわな。結局のところ、新司法試験合格者が増えたのかどうかは知らんが、思うようにはいかなかったということ。そして今回、新司法試験の受験資格を法科大学院修了者以外にも認めた。元にもどったということだ。きちんと司法試験をやり、合格者の質が問題なら、それはそれで司法修習生時代を充実させるなり、そうした努力をすべきであったのだ。誰がこの制度を作ったのか、責任者は誰かは知らんが、文科省は「失敗した」と素直に認めたらいい。
◆大学設置認定を文科省が握っているために、右往左往させられる。大学の評価も義務づけられ、評価基準に沿うようあくせくさせられている。日本的な風景ですね。うちのカミさんいわく、JABEEも、ちゃんとした大学はみな離れていっている、そんなところに認定してもらう必要など、これっぽっちもないと。

いや~

◆このいや~は鏡の話。デジカメ、そんな高価なものではなくイオスキッスで撮っている。で、これまでもっとも高画質のJPEGのモードで撮影してきたが、RAWデータと二つのファイルで記録するモードにすべきであった・・・・。JPEGのみだと、1コマで2~3メガくらい。やはり線数を多くした精細印刷にかけるには不十分。イオスキッスでも、RAWデータで撮っておけば、よりデータ量が多く加工にも適しているのだそうだ。柏原市の3面から切り替えた。ファイルを確認すると、1枚あたり13メガくらいである。それだけ違うのである。ああ、もっと早くそうしておけば・・・と思うが、あとの祭り。まあしゃーない。いままで撮ってきたデータをもとに、最大限いいものにしよう。
◆カメラそのものは、キャノンの5DマークⅡがよいとのアドバイスをもらい調べてみると、ボディで20万円する。たぶんレンズも買った方がいい。去年知っていれば買っていたのだが、今年度の科研の配分はそう多くなく、発掘費用も取っておかないといけないので、あんまり贅沢はできない。ヤフオクでも3つほど出ていたが、やっぱり人気があるようで、かなりな数の入札があり、値段は結局、新品の量販店価格に近いところまでになっている。ボーナスで買ってもいいのだが、そこは自由になるわけでもなく・・・。でも欲しいよな~。
◆あっちこっちでこのブログを見ています、との声をいただき、感謝。カウンターをつけてはみたい気もするが、やっぱりやめときます。なんか数字に支配されるようでいやである。
◆どうもアップする時間がかかり、これは混んでいるのかもしれないが、容量がかなり満杯に接近していることも理由ではないだろうか。記事は700を越え、そろそろ古いものを整理した方がいいのかもしれない。

津堂城山の図面成る!

◆5月30日、橋本市の共和さんから津堂城山のデータが届く。図面の仕上げについては、校正段階ではあるが、dfebe17e.jpg一式の成果物をすべて受けとった。
◆キャドデータをイラストレーターで保存したファイルもあり、これは便利である。無数のレイヤーがあり、地図屋が描き分けている道路や石垣やいろんな標柱やあらゆるものが別になっており、線の太さなどを変えるのは自由。で、すこしいじってみたものを示す。等高線は前もそうであるのだが、キャドはアンカーポイントのところで、ひげが回転しており、平面でも二重線みたいな部分がアンカーごとにあって、これは何とかならんのかと思うが、なんともならんのでしょうね。正・副の成果物の副のセットをただちに藤井寺市に送る。宮内庁にも図面を送らねばならないのだが、ちょっと待っていただこう。
◆で、サイクロンのビューアが、このパソコンは64ビットなためうまく開かなかったが、画像をひとつ出しておく。で721ea484.JPG、このまわりの宅地や電柱・電線が入ったもので動画も作ってくれていて、これが見ていて楽しい。図面そのものは、やっぱりというか、ああいう墳丘の状況なので、極端に言えば都市計画図がより精細になった・・・くらいなのである。それにくらべて、やはり全データをとっているので、こうした動画のリアリティーがなかなか楽しめる。
◆むろん図面も、仕上がりが悪いのでなく、対象の墳丘の残り具合の問題であって、精度の高い図面がこれでえられた意義はむろん大いにある。過去の調査成果などを落とし込みたい。それと前にも書いたが、さらに内堤、外濠、外堤もなんとかできればいいのだが。
◆もうひとつ、できるかどうかわからんが、やりたいことの表明をしておく。津堂城山型の典型例は加西市玉丘だが、もうひとつ候補となるものを測量したいと思っている。群馬県太田茶臼山古墳である。

弥生・近つ・橿考研

◆5月29日の日曜日は、滋賀県方面の見学会を予定していて、遺跡の簡単な解説資料を3回生に割り当てて作b169cc5d.JPG成も済んでいたが、あいにくの台風。で、また後日とし、博物館めぐりをすることに。天王寺から南下。はじめて天王寺にできたキューズモールを見る。これのおかげでイオン南花田店は客足がめっきり落ちたという。弥生博は9:30から、すこし早いので、和泉市の聖神社に立ち寄る。
◆弥生博。3回生なので、常設展から丁寧に見ていくと、約2時間を要した。特別展は池島・福万寺。まず入り口の「写真Ok」に共感。いまやどこでもフラッシュを焚かなければ写真OKは世の趨勢。館蔵品はそうできても借りたものはそうはいかないというのが実情だが、影響のないものは、借りるときに了解を取り付けてでも、そうやる方向にすればいい。とにかく、写真を撮っていいか聞かないといけないのでなく、表に堂々とOKを出していることに大賛成。もっといえば、OKからさらに進んで、「写真を取ってください!」くらいでもいいと思っている。その特別展で撮e9bfb954.JPGった遠賀川。5e99d907.JPG
◆狭山池にも行くつもりだったが、この調子では奈良までたどりつかないのでパスし、近つ。またまた駐車場はかなり埋まっていて、なんかあるなと思ったら、東野治之先生の講演会であった。大雨警報なんて無関係。整理券を配っている関本さんに挨拶して昼飯。そのあと展示。またまた大阪府の福田さんと会う、「よく会いますね~」。世界遺産の話をする。名刺をもらったが、咲洲庁舎29階。WTCだ。
◆展示を見ていると、なんと寛弘寺の鏡がまとめて展示されている。大阪府教委分は事務所で確認してもらっているところだが、寛弘寺分、また撮影に寄せてもらわなあかん。特展は文字。やっぱり文献屋ではないので、木簡には心ときめかない。
◆橿考研。出迎えは「イワミン」。特展は半分は自然史。例の縄文のノコギリクワガタを見る子供たち。どことも展示経費は厳しいんでしょうね。まわっているe491b2a7.JPGと、秋の企画展に対し、春は少しおさえてといったところかとの印象を受ける。学生らは常設展をはりきって見ている。やっぱり質・量ともすごいからね~。今尾さんに会う(4月から博物館勤務という)。それにしても、カシコーケン、家族連れが多いのにビックリである。常設をまわっていると、考古少年らしい中学生くらいが両親といっしょに見に来ていて、話ていることがマニアックで驚く。これは特例としても、旧石器・縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良、まあ中世も、ひととおり一級品で勉強できるからこそ、家族連れが多いんでしょうね。

堅下の葡萄

◆05月27日、柏原市立歴史資料館に鏡3面の写真撮影に出向く。窓際の自然光が入る場所に設定し、これにライト1燈で文様を出し、いい写真が撮れた(と思う)。逆に密閉された写場だと39634d9f.JPG実は困る。ストロボで撮るわけではないので、やはり基本的な明るさ、自然光がなにより大事。そうでないとシャッタースピードが落ちてブレが怖い。
◆1時間ほどで終了。「柏原ぶどう物語」の展示を見る。日本における葡萄栽培は鎌倉時代にさかのぼるんだとか。で、甲州ぶどうなんだそうだ。歴史は長いのである。河内でも江戸時代には富田林で栽培していたという。堅下の葡萄の栽培は幕末の頃からで、明治9年に道明寺にあった大阪府のぶどう試験園から甲州ぶどうの苗木をもらい、その後、本格化していくらしい。昭和初期には大阪府が全国一、その30%を堅下村が生産していたという。もうかったらしい。
◆大正に入って葡萄酒造りが始まる。たくさんの醸造所があったらしい。しかし、戦後の台風で大きな被害を受け、また高度経済成長により、次第に宅地化が進行し、かつての葡萄畑が激減していったという。そういえば、播州ぶどう園の史跡指定の会議にかかわったが、あれはその後、どうなっただろうか。
◆大阪府下の資料館、だいたいは廻ったが、いま柏原市のようにちゃんと企画展を重ねているところは、実はあんまり多くはない。展示施設がないところ、あっても常設のみに近いところも少なくない。そのなかで、柏原市、河内長野市や八尾市は、地道によくやっていることがわかる。
◆一方、いまのやっている企画展でいえば、愛知県陶磁資料館(実質、県立博物館?)のアンデス・メソf83fff75.JPGアメリカ展、神戸市博の大英博物館所蔵古代ギリシャ展、大阪歴史博物館の超絶技巧。まあ、大きいところは話題になるようなものを打ち上げないといけないんかもしれないけれど、どうだかな~と思う。年間の企画展も数多いのだろうし、こんなんばっかりではないと思うが、神戸市の博物館であり、また大阪市の歴史博物館なのに、地元に根ざした企画が疎かになって軽んじられているのではないか。図体がでかくて、埋文含めた文化財、市史編纂とか、そういうのから遊離してしまっているんだろう。

梅雨入り・・・

◆「梅雨のあとさき」という歌を知っていますか。さだまさしです。昔、大学生の頃、LPを借りてきてそのなかに入っていて、それ以来、好きな歌である。とはいえ、さだまさしの湿った歌(だいたい別れる歌)は、大学生の不安定な頃にはハマルのだが、いま聞くことはないな~。
◆それはさておき、雨はうっとおしい。まだ5月というのに。カエルは喜んでいるだろう。こないだ田植えをした時もカエルだらけだったし、卵も浮かんでいた。
◆26日、大阪市の7点の鏡を撮影するため、大阪文化財研究所(旧大阪市文化財協会)の保存科学室を訪ねる。長原の事務所にあったのだが、事務所の廃止により、引っ越してきて4月に開設したばかりという。前漢鏡片1、後漢鏡の破れ鏡3点、小型ボウ製鏡3点である。
◆破片は俯瞰だけにしようと思っていたのだが、例えば破れ鏡で言えば、摩滅状況とか、穿孔部の状況とか、破片のヤツも斜め写真はあった方がいいと思い撮影した。破片も俯瞰と斜めを組み合わせるとなると、やっかいである。これまで破片はあんまり撮影していないが、ないことはなく、それらは俯瞰しか撮影していない。まあしゃーない。やっぱりそろえるとなると、また出向くしかなかろう。
◆ところで、ボストン美術館には例の大仙古墳とされる百舌鳥出土の鏡ほか、長持山古墳出土とされるものがある。フリアギャラリーには、松岳山古墳出土の可能性が高い三角縁神獣鏡がある。こいつらの撮影はあきらめているが・・・、なんとかならんもんかいな。

弥生のはじまりも簡単じゃない

◆研究会の帰り、吉田君と小林謙一さんに京成電車のなかでいろいろ教えてもらう。恥ずかしい話、議論の意味がよくわかっていないので、そこを理解するため解説してもらう。で、理解したこと。
◆突帯文土器そのものが、こないだ韓国で土器を見せてもらった意味がわかっていなかったわけだ。朝鮮半島の突帯文、日本の突帯文が、年代観が定まっていくことで接近してきたらしい。両方に同じような土器があるんなら関係あるに決まってるやんとは思うが、そこは年代が違っていたためあまり結びつけて考えられてこなかったらしい(判明してきたのが新しいか?)。で、むこうの突帯文のもっとも(?)新しい部類と、日本の突帯文が年代的に連続することがほぼ確実になってきた。そしたら、西日本の突帯文って外来土器にとってかわられたんかと思ってしまうが、そのへんは、現段階としてはそうではなく、、縄文土器なんだが半島の影響を受けたと考えるらしい。
◆で、紀元前11世紀(?)、突帯文にともなって、水田稲作+畑作のアワ・キビという農耕がもたらされる(第1波)。これによる稲作は、北部九州にはなく(ほんとにないのか見つかっていないだけなのか?)、山陰や岡山の方が早いのだそうだ。で、突帯文の後半?に平行する同じ頃の東日本にも影響が及んでいるらしく、アワ・キビの畑作が認められるということらしい。
◆で、弥生への引き金である第2波は、夜臼期(山の寺じゃないの?)に、玄界灘沿岸にまとまった形での移住があり、これが弥生化をもたらす。弥生早期がBC10世紀というから、100年とか200年くらいの時期差か。また、第1波のイネと第2波の本格的な水田稲作とは、時期差もあるのだが、朝鮮半島での系譜差も考慮すべしということらしい。
◆問題は、第1波による水田もあるイネ、これをどう評価するかだ。縄文文化のなかの以前からある原始的栽培に試行的な穀物栽培が加わったあくまで縄文文化と位置づけるのか、縄文文化とは一線を画し、だが弥生とはいえない中間段階あるいは移行期とするのか、弥生時代に編入するのか、なかなか難しいということらしい。現時点は、確実な資料を探索し内容を明らかにする段階といえ、それをふまえないと簡単には決められないというところか。
◆第1波と第2波は穀物栽培の波及という大きな流れとしては共通するものではある。第1波のみだったら、それこそ列島のなかで長時間かけて水田稲作技術をゆっくりと発展させていったのかもしれない。だが実際はそうではない。影響力の強い第2波があり、その波及にはやはり人々の移住が必要で、今日の年代観によると以前考えられていたような短期間ではないものの、しかしそれぞれの地域で急激な変化をもたらし、列島の人々の暮らしを転換させる。ここでいう第2波以降こそが弥生時代だと考えてきたし、そうするのはたやすいが、それでいいのか?、そう簡単でもない、ということを学んだ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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