人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
アンダルシアの旅(43)カディス博物館
◆最初、間違って別館から入り、これだけ?と思ったが、本体は大き![1b876d69.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1333421858?w=150&h=97)
かった。写真の正面が別館で、右側が本館。別館は企画展用らしい。《カディスの歴史展》を開催中であった。
◆本体は、旧考古学博物館と美術館が1980年に合体したものという。1階が考古学展示。2階は絵画。カディスそのものが、ガデアというローマ都市であったことを知る。それと先端の旧市街だけが島なのではなく、砂州および背後の部分を含めた全体が大きい島である。陸地側からは低湿地に阻まれ、容易に近づけない、そんな場所であったようだ。
◆1階。なにやらエジプトくさいのだ。が、これはエジプト直ではなく、フェニキア人のもたらしたものらしい。そしてローマとなる。
◆ローマ時代の推定復元の絵があったが、どこまでわかっているんだろうか。こうした歴史的都市は、なかなか日本のように発掘調査ができるとは思えない。壁面には、このあと、ローマが衰退して
諸施設が荒
廃している段階の絵もあったが、どっかの時点で壊すんだろうが、基礎はたぶん残っているんだろう。しかしその上に再生された都市は、石造りで、それも何度かの作り替えはあるのだろうが、いずれにしても日本の木造建築やコンクリート建築と違って寿命は長い。あるブロックを立て替えるにしても、数100年に一度くらいかもしれない。発掘調査の機会はほとんどないわけだ。近代化のなかで古いものが顔を出し、記録され出土物が取り出され、そうしたものを収集保管する博物館が必然的に生まれるのだろうが、現代都市が丸ごと遺跡で、計画的に調査しようにもできない。それはしかし地下に残っているということでもある。大阪城下町も同様ではあるが、頻度がかなり違うのだろうと感じた。
◆本体は、旧考古学博物館と美術館が1980年に合体したものという。1階が考古学展示。2階は絵画。カディスそのものが、ガデアというローマ都市であったことを知る。それと先端の旧市街だけが島なのではなく、砂州および背後の部分を含めた全体が大きい島である。陸地側からは低湿地に阻まれ、容易に近づけない、そんな場所であったようだ。
◆1階。なにやらエジプトくさいのだ。が、これはエジプト直ではなく、フェニキア人のもたらしたものらしい。そしてローマとなる。
◆ローマ時代の推定復元の絵があったが、どこまでわかっているんだろうか。こうした歴史的都市は、なかなか日本のように発掘調査ができるとは思えない。壁面には、このあと、ローマが衰退して
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。