人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
藤ノ木・平林・牧野
◆昨夜から、この3つの古墳の須恵器を眺め、書き込みをしていた。で、藤ノ木は平林より古いだろ う。いちいち指摘しないが、メモを書き込んでおきました。で、これは理念的産物としての(TK10とTK43の間に来る)MT85でよいだろうと。
◆そこで、MT85、TK10、MT15も上にくっつける。そうなんだ、窯の編年を重視したことによる弊害。一括性にこだわりすぎ、器種はそろわんし、同時期の偏差さえわからん。石部先生の話を聞いている身としては、一括性そのものが怪しい。それより横山浩一に立ち返り、良好な古墳資料で配列していった方がよほど実用的なのだ。
◆と、前からず~と考えていたが、結局のところ、誰もやってくれないわけで、自分でいじらないとダメということです。さて藤ノ木古墳の年代は?。ひとまず6世紀第3四半期とすべきであろう。後葉には下りません。穴穂部・宅部なんて、ありえません。石室からも。前に7世紀を配列したことがあったので(どこにある?)、ぜんぶつなぎたいですね。
◆そこで、MT85、TK10、MT15も上にくっつける。そうなんだ、窯の編年を重視したことによる弊害。一括性にこだわりすぎ、器種はそろわんし、同時期の偏差さえわからん。石部先生の話を聞いている身としては、一括性そのものが怪しい。それより横山浩一に立ち返り、良好な古墳資料で配列していった方がよほど実用的なのだ。
◆と、前からず~と考えていたが、結局のところ、誰もやってくれないわけで、自分でいじらないとダメということです。さて藤ノ木古墳の年代は?。ひとまず6世紀第3四半期とすべきであろう。後葉には下りません。穴穂部・宅部なんて、ありえません。石室からも。前に7世紀を配列したことがあったので(どこにある?)、ぜんぶつなぎたいですね。
次は水泥
◆南へ下り、水泥北と南を見に行く。西尾さんにお願いすると、南古墳の鍵を開けてくれ、お宅の 裏の北古墳を案内いただける。おまけに門の横には展示ケースがあり、土管を見ることができる
(いま御所市の企画展で主要なものはそっちに行っていたが)。
◆南古墳もいいのだが、北古墳に感動する。でかい、石舞台式だ。でも羨道からすると、まだ石舞台のようにはなっていない。でもこれは必ずしも時期差ではないかもしれませんね。巨勢臣猿は欽明31年(570)7月に登場。そのあと、崇峻4年 (591)11月に大将軍となって坏氏に出陣、推古3年(595)7月に戻るんだそうです。別に推古朝に大摩呂というのがいたらしいが、これは何にでてくるんでしょう。北古墳は猿より大摩呂にふさわしいように思います。
◆なんと年間500人くらいが見学に訪れ、対応されているそうです。
(いま御所市の企画展で主要なものはそっちに行っていたが)。
◆南古墳もいいのだが、北古墳に感動する。でかい、石舞台式だ。でも羨道からすると、まだ石舞台のようにはなっていない。でもこれは必ずしも時期差ではないかもしれませんね。巨勢臣猿は欽明31年(570)7月に登場。そのあと、崇峻4年 (591)11月に大将軍となって坏氏に出陣、推古3年(595)7月に戻るんだそうです。別に推古朝に大摩呂というのがいたらしいが、これは何にでてくるんでしょう。北古墳は猿より大摩呂にふさわしいように思います。
◆なんと年間500人くらいが見学に訪れ、対応されているそうです。
2019年11月3日、見学会
◆和歌山方面の見学会と10月初めには決めたのだったか。が、卒論生の1人が横穴式石室をやってお り、その関係の石室めぐりをすることに。
◆まずは、片袖の例として東大阪市夫婦塚に行くことにし、集合は近鉄石切駅9:00。6人、自分をあわせて7人。夫婦塚はすぐ近く。夫婦塚として片袖の西石室の図ばっかりみていたが、片袖が2つ並ぶ。看板では双円墳の可能性を示唆する。墳丘は削り込まれて判断のしようもないが、南面して2つの片袖石室が開口する姿は、確かに夫婦塚というにふさわしい。
◆結論的には、西石室が6世紀前半で、東石室が石舞台式だったか。石室からすると年代差がある。しかし片袖である点は、高安古墳群ととともに、6世紀前半に片袖石室が導入され、それを墨守し、両袖の最新モードが入っていないのだろう。看板では東石室への埋葬が最初とあるが、石室からすると逆である。石室型式による前後の判断の方が妥当だろう。
◆まずは、片袖の例として東大阪市夫婦塚に行くことにし、集合は近鉄石切駅9:00。6人、自分をあわせて7人。夫婦塚はすぐ近く。夫婦塚として片袖の西石室の図ばっかりみていたが、片袖が2つ並ぶ。看板では双円墳の可能性を示唆する。墳丘は削り込まれて判断のしようもないが、南面して2つの片袖石室が開口する姿は、確かに夫婦塚というにふさわしい。
◆結論的には、西石室が6世紀前半で、東石室が石舞台式だったか。石室からすると年代差がある。しかし片袖である点は、高安古墳群ととともに、6世紀前半に片袖石室が導入され、それを墨守し、両袖の最新モードが入っていないのだろう。看板では東石室への埋葬が最初とあるが、石室からすると逆である。石室型式による前後の判断の方が妥当だろう。
少しは前向き?
◆再帰的。認識が先で、そのように事実が立ち現れる。宣伝、洗脳も、これ。現人神たる天皇、神国日本、戦争に負けるわけがない、そのような教育や言説により、戦前日本の人々は「そんなもの」と考えるようになる。
◆自分が更年期だ、脳が劣化している、年寄りだ、引退だ、といっていると老け込むということでしょう。まだまだ精神的には若い、若い頃のように体は動かないが、まだまだできる、そう考えることで、そのように行動できる、ということです。流行を作っていくように、自分を形作っていくことができるわけです。少しは前向きになったのでしょうか。
◆自分が更年期だ、脳が劣化している、年寄りだ、引退だ、といっていると老け込むということでしょう。まだまだ精神的には若い、若い頃のように体は動かないが、まだまだできる、そう考えることで、そのように行動できる、ということです。流行を作っていくように、自分を形作っていくことができるわけです。少しは前向きになったのでしょうか。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。