人を幸せにする人になろう

藤ノ木・平林・牧野

◆昨夜から、この3つの古墳の須恵器を眺め、書き込みをしていた。で、藤ノ木は平林より古いだろ う。いちいち指摘しないが、メモを書き込んでおきました。で、これは理念的産物としての(TK10とTK43の間に来る)MT85でよいだろうと。
◆そこで、MT85、TK10、MT15も上にくっつける。そうなんだ、窯の編年を重視したことによる弊害。一括性にこだわりすぎ、器種はそろわんし、同時期の偏差さえわからん。石部先生の話を聞いている身としては、一括性そのものが怪しい。それより横山浩一に立ち返り、良好な古墳資料で配列していった方がよほど実用的なのだ。
◆と、前からず~と考えていたが、結局のところ、誰もやってくれないわけで、自分でいじらないとダメということです。さて藤ノ木古墳の年代は?。ひとまず6世紀第3四半期とすべきであろう。後葉には下りません。穴穂部・宅部なんて、ありえません。石室からも。前に7世紀を配列したことがあったので(どこにある?)、ぜんぶつなぎたいですね。

ガリ版資料館

◆前に日野に行った時、帰り道にガリ版資料館というのを通過し、行き過ぎたのを戻り、立ち寄 る。とても面白かった。近代になり、お役所仕事が膨大に生まれる。簡易な印刷機が必要。そこでガリ版を開発した人の資料館です。
◆ガリ版の経験がある人とない人を区切ったらどうなるんでしょうね。わたしはあります。高校時代だから1980年頃、クラブの簡単な冊子『温故知新』も会誌『ナイル』もぜんぶガリ版やったんとちゃうやろか。ガリ切り、鉄筆で蝋原紙に字を書いていきます。それをセットして、ローラーにインクをつけてムラのないようにして、1枚1枚印刷していきます。
◆入館記名をしたら、チラシが送られてきました。

太田天神山

◆太田天神山古墳の空中レーザー測量?、をやる話は歴博共同研究の時に聞いていた。その後、報告書も刊行されて いるらしい。協会の資料に陰影図が掲載されていた。ちょっとやってみると、津堂よりも前方部の開きがあり、上石津ミサンザイとみられるようです。
◆既に検討済みなのかもしれません。みなさん、それぞれやってみてください。
◆浅間山もやりかけたが、

ウワナリ

◆いろいろと失敗しています。またデカイし。途中ですが。

次は天理

◆京奈和で北上し西名阪、昼を取り、石上大塚へ。  
◆フォトスキャンやってみました。いちおう50の1。正確なのは平面図くらいです。あとはオルソではなくスクリーン画像を適当に配置しています(高さはだいたいあっているはずです)。試みとしては、ひとつ失敗している(Hz0の設定の仕方)。本日のデータでやれないことはないが(換算すればいいのだが)・・・。
尾輿〔活躍期534~662〕が片袖でいいのだろうか。天理は難しいですね。西乗鞍がアラカイとして。東乗鞍は?。それと塚穴山もある。場所が違うのは、物部系でも系統の違い?。まあ、わかりません。テルちゃんが何か言っているんでしょう。

次は水泥

◆南へ下り、水泥北と南を見に行く。西尾さんにお願いすると、南古墳の鍵を開けてくれ、お宅の 裏の北古墳を案内いただける。おまけに門の横には展示ケースがあり、土管を見ることができる
(いま御所市の企画展で主要なものはそっちに行っていたが)。
◆南古墳もいいのだが、北古墳に感動する。でかい、石舞台式だ。でも羨道からすると、まだ石舞台のようにはなっていない。でもこれは必ずしも時期差ではないかもしれませんね。巨勢臣猿は欽明31年(570)7月に登場。そのあと、崇峻4年 (591)11月に大将軍となって坏氏に出陣、推古3年(595)7月に戻るんだそうです。別に推古朝に大摩呂というのがいたらしいが、これは何にでてくるんでしょう。北古墳は猿より大摩呂にふさわしいように思います。
◆なんと年間500人くらいが見学に訪れ、対応されているそうです。

巨勢寺跡

◆西にJR、東に近鉄吉野線が通り、はさまれて塔跡が残存する。

権現堂

◆なんと東大阪から京奈和経由、巨勢谷の権現堂へ。奥壁なく、あちら側に羨道がのびるが埋って  いる。立派な縄掛突起のある石棺が鎮座するが、さらに石棺があったらしい。
◆片袖部のみFSをやってみました。大きいブロックの下にもう1石あります。

2019年11月3日、見学会

◆和歌山方面の見学会と10月初めには決めたのだったか。が、卒論生の1人が横穴式石室をやってお り、その関係の石室めぐりをすることに。
◆まずは、片袖の例として東大阪市夫婦塚に行くことにし、集合は近鉄石切駅9:00。6人、自分をあわせて7人。夫婦塚はすぐ近く。夫婦塚として片袖の西石室の図ばっかりみていたが、片袖が2つ並ぶ。看板では双円墳の可能性を示唆する。墳丘は削り込まれて判断のしようもないが、南面して2つの片袖石室が開口する姿は、確かに夫婦塚というにふさわしい。
◆結論的には、西石室が6世紀前半で、東石室が石舞台式だったか。石室からすると年代差がある。しかし片袖である点は、高安古墳群ととともに、6世紀前半に片袖石室が導入され、それを墨守し、両袖の最新モードが入っていないのだろう。看板では東石室への埋葬が最初とあるが、石室からすると逆である。石室型式による前後の判断の方が妥当だろう。

少しは前向き?

◆再帰的。認識が先で、そのように事実が立ち現れる。宣伝、洗脳も、これ。現人神たる天皇、神国日本、戦争に負けるわけがない、そのような教育や言説により、戦前日本の人々は「そんなもの」と考えるようになる。
◆自分が更年期だ、脳が劣化している、年寄りだ、引退だ、といっていると老け込むということでしょう。まだまだ精神的には若い、若い頃のように体は動かないが、まだまだできる、そう考えることで、そのように行動できる、ということです。流行を作っていくように、自分を形作っていくことができるわけです。少しは前向きになったのでしょうか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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