人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2019年9月18~20日、和泉市合同調査(3)
◆2日目、何をしていたかというと、絵図のフォトスキャン。井坂家文書2500点のなかに絵図がいく つかある。うち、かなり巨大な畳2枚分くらいのものもある。上からも撮れないし、壁に下げるにしても危ない(糊付けがはがれているところもある)。1日目夜のミーティングの時に、「そや、フォトスキャン!」だと。
◆できあがりの画像は示せませんが(作業上の画像で)、ほぼうまくいきました。フォトスキャンなので、斜め写真でもいい(片側から撮るにしても向こう側は遠い)。ですが、合成したものを見ると、やはり角がひずんでいます(畳が反っていますよね)。基本、長い絵図に対し、長辺側に立ち、ずれながら同一方向から撮ったが、たぶん、撮影者が一周するように撮った方がいいようだ。
◆が、まあまあできるわけです。いちおう合成したものに対してXYZ座標が自動的に設定されているので、オルソーを出せば正規化された画像がえられる。このXYZの座標系の枠は表示されているので、もし修正するなら枠を動かすこともできる。
◆なお、もっとも時間がかかるメッシュ作成は、現場のトレンチでも時間はかかるができていたが、これが何度やっても、かなりの時間を要し、メモリが足りませんと止まってしまう。なんなんでしょうか。点群データが多いのでしょうか。そこでメッシュの素材を低密度クラウドにするとあっという間にできた。部分拡大をするなら別だが、全体を示すこと、あるいは文字を読みに行くには十分である。
◆前に杉本村絵図について、部分写真をイラレで合成し、いちおう作り上げた。できるだけ垂直に撮影しても、色調が違い調整しないといけないし、隣の画像とはどうしても合わない(チョー重いし)。が、ソフト上で合成され継ぎ目なく、色合いも変ではない。十分ではないか。
◆できあがりの画像は示せませんが(作業上の画像で)、ほぼうまくいきました。フォトスキャンなので、斜め写真でもいい(片側から撮るにしても向こう側は遠い)。ですが、合成したものを見ると、やはり角がひずんでいます(畳が反っていますよね)。基本、長い絵図に対し、長辺側に立ち、ずれながら同一方向から撮ったが、たぶん、撮影者が一周するように撮った方がいいようだ。
◆が、まあまあできるわけです。いちおう合成したものに対してXYZ座標が自動的に設定されているので、オルソーを出せば正規化された画像がえられる。このXYZの座標系の枠は表示されているので、もし修正するなら枠を動かすこともできる。
◆なお、もっとも時間がかかるメッシュ作成は、現場のトレンチでも時間はかかるができていたが、これが何度やっても、かなりの時間を要し、メモリが足りませんと止まってしまう。なんなんでしょうか。点群データが多いのでしょうか。そこでメッシュの素材を低密度クラウドにするとあっという間にできた。部分拡大をするなら別だが、全体を示すこと、あるいは文字を読みに行くには十分である。
◆前に杉本村絵図について、部分写真をイラレで合成し、いちおう作り上げた。できるだけ垂直に撮影しても、色調が違い調整しないといけないし、隣の画像とはどうしても合わない(チョー重いし)。が、ソフト上で合成され継ぎ目なく、色合いも変ではない。十分ではないか。
2019年9月18~20日、和泉市合同調査(2)
◆4班編成で、ひとつの班は水利担当で、一緒に1日目に歩いた。午後も1人で歩く。ここには、基幹 間水路の久保津土井、観音寺で完結する小山池・小井、の3つの水利組合がある。これら3つの組み合わせ方の概略を知ることができた。久保津土井については、和気町の合同調査でかなり歩いた。写真上は観音寺北側の段丘崖裾を通る久保津土井。
◆久保津土井の取水口に近い観音寺は、その水を使うのは西側の丘陵先端をまわってきたあたりで、集落東側の田地は丘陵地のため池による。小山池水利組合というのは、 牛神池、七ツ池、大池、三ツ池という、4つの谷に設けられたため池による水利の総称とのこと。条里に沿う東西に集落まで一直線に通る水路が「大溝」とよばれる幹線である。写真下がそれ。
◆久保津土井の取水口に近い観音寺は、その水を使うのは西側の丘陵先端をまわってきたあたりで、集落東側の田地は丘陵地のため池による。小山池水利組合というのは、 牛神池、七ツ池、大池、三ツ池という、4つの谷に設けられたため池による水利の総称とのこと。条里に沿う東西に集落まで一直線に通る水路が「大溝」とよばれる幹線である。写真下がそれ。
2019年9月18~20日、和泉市合同調査(1)
◆今年は観音寺。観音寺山遺跡。この丘陵上の宅地開発で、観音寺寄りのところは「弥生町」とな る。昔、摩湯山古墳の測量をしていたころ、この丘陵を横断し、弥生町との地番を見て、このへんかと思い込んでいたのは1丁目・2丁目あたりの西側部分。だが、実際に調査されたのは4丁目となっているあたりであった(写真下の左側)。
◆三井不動産による開発だが、当時の調査は工事に追われ、一部にとどまったらしい。同じように西北にのびる丘陵の、調査地外にどれだけ弥生の集落が広がっていたのかは、もはやわからなくなっている。そうなのだ。報 告書の経緯のあたりを丁寧に読み込む必要がある。
◆弥生の集落が、この槇尾川と松尾川にはさまれた一帯で、いくつか知られているようだ。池上のように大規模なものはない。が、観音寺山遺跡を考えると、各所にあった集団を足せば、そこそこの集団規模になるのだろう。尾根もいくつかに分かれ、住み分けることも可能だ。観音寺山遺跡は弥生後期の長きにわたって存続するという。山にあがって100年あまりは降りてこなかったのか。なぜだ、ということを考えていた。答は簡単ではないが・・・。
◆三井不動産による開発だが、当時の調査は工事に追われ、一部にとどまったらしい。同じように西北にのびる丘陵の、調査地外にどれだけ弥生の集落が広がっていたのかは、もはやわからなくなっている。そうなのだ。報 告書の経緯のあたりを丁寧に読み込む必要がある。
◆弥生の集落が、この槇尾川と松尾川にはさまれた一帯で、いくつか知られているようだ。池上のように大規模なものはない。が、観音寺山遺跡を考えると、各所にあった集団を足せば、そこそこの集団規模になるのだろう。尾根もいくつかに分かれ、住み分けることも可能だ。観音寺山遺跡は弥生後期の長きにわたって存続するという。山にあがって100年あまりは降りてこなかったのか。なぜだ、ということを考えていた。答は簡単ではないが・・・。
2019年9月16日、紀美野→泉佐野
◆15日、14時には加古川を出て、オープンキャンパスをやっていたカミサ ンの職場に向かい、広 い、一度、家に戻る(忘れ物)。そこから紀美野へ。
◆16日、施設に入っている岳父に会いに行き、買い物をし、とある茶店に入る。フレーバーティーで打ち出している店で、古民家でやっている。
◆昼ご飯を取り、14時半くらいには出たか。泉佐野長滝の蟻通神社の薪能に行く。カミサンの同僚 から誘われたもので、ちょうど子供2人も帰ってくるのに重なったので、追加で2名のチケットも押さえ、でかけたもの。昔、院演習で日根野に行ったとき、立ち寄った。16時半開園。実行委員長についで、泉佐野市長のあいさつ(最後まで鑑賞していました)。世阿弥の確実な作に「蟻通」というのがあり、和歌山に赴こうとした紀貫之の話。狂言をはさんで、後半は「乱」というものでした。16時半だとまだ明るかったが、後半には暮れる。いちおう、ひととおりのセリフを文字にしたものの配られていた。そのまま聞いていても、半分はわからない。音は明瞭でも、言葉が古く、なかなかたどれませんね。でも、能というのも楽しめます。
◆16日、施設に入っている岳父に会いに行き、買い物をし、とある茶店に入る。フレーバーティーで打ち出している店で、古民家でやっている。
◆昼ご飯を取り、14時半くらいには出たか。泉佐野長滝の蟻通神社の薪能に行く。カミサンの同僚 から誘われたもので、ちょうど子供2人も帰ってくるのに重なったので、追加で2名のチケットも押さえ、でかけたもの。昔、院演習で日根野に行ったとき、立ち寄った。16時半開園。実行委員長についで、泉佐野市長のあいさつ(最後まで鑑賞していました)。世阿弥の確実な作に「蟻通」というのがあり、和歌山に赴こうとした紀貫之の話。狂言をはさんで、後半は「乱」というものでした。16時半だとまだ明るかったが、後半には暮れる。いちおう、ひととおりのセリフを文字にしたものの配られていた。そのまま聞いていても、半分はわからない。音は明瞭でも、言葉が古く、なかなかたどれませんね。でも、能というのも楽しめます。
2019年9月15日、加古川→紀美野
◆翌日、カミさんはオープンキャンパスで職場に向かう。わたしの祖父母、子供らとでかける。い ちおう、多可郡のどこぞに行くと計画するも、加西市の鶉野飛行場→闘龍灘→西脇市となる。
◆鶉野飛行場では、特攻隊「白鷺隊」が編成され、63人が亡くなっている。その慰霊碑前で、地元のガイドさんが熱心に解説していた。6月に紫電改の実物大模型が設置されたことがニュースになっていたので、見に行く。まあ、それから間もないし、多くの人が訪れていた。もともと、鶉野飛行場が、川西航空機姫路製作所組立工場の専用飛行場だったもので、軍も使うことになったもの。で、紫電改の組み立て工場も近傍にあり、試験飛行をしていたとのこと。
◆西脇市の郷土資料館に、実に30年近くぶりに行く。帰る時間がせまっていて、ざっとひとまわり するだけになった。再度、じっくり見に行こう。なかなか充実しているが、早い時期にでき、施設としてはやや古く、お客さんもいなかった。今日的にリニューアルできればいいですね。
◆鶉野飛行場では、特攻隊「白鷺隊」が編成され、63人が亡くなっている。その慰霊碑前で、地元のガイドさんが熱心に解説していた。6月に紫電改の実物大模型が設置されたことがニュースになっていたので、見に行く。まあ、それから間もないし、多くの人が訪れていた。もともと、鶉野飛行場が、川西航空機姫路製作所組立工場の専用飛行場だったもので、軍も使うことになったもの。で、紫電改の組み立て工場も近傍にあり、試験飛行をしていたとのこと。
◆西脇市の郷土資料館に、実に30年近くぶりに行く。帰る時間がせまっていて、ざっとひとまわり するだけになった。再度、じっくり見に行こう。なかなか充実しているが、早い時期にでき、施設としてはやや古く、お客さんもいなかった。今日的にリニューアルできればいいですね。
14日、放散虫写真展→加古川
◆まず14日は、11時に今井町に行き、カレーを食べる。15時に大阪本町のフジフィルムのギャラ リーで放散虫の写真展があり、新潟大のM先生のギャラリートークがあるので聞きに行く。最近、放散虫の絵本が刊行され、それに使ったマリアナ海溝で採取した放散虫の電子顕微鏡写真の展覧会だ。M先生は、世界的権威なんだが、普及活動も活発にやっている。話も平易に面白かった。
◆放散虫は動物性プランクトン?。骨格がガラスなので、死んだら海底に沈んでいく。ほかのもの はガラス質でないので分解されてしまう。なので海底には放散虫の死骸ばかりが堆積する。これが固まったのがチャート。1970何年かに、深海探査機でマリアナ海溝の下り斜面で1個の石が採取された。この石から、多くの基準となっている放散虫化石が採取されたのだとか。しかしモノは小さく、1個の石にも膨大な数が含まれており(というよりダラケ)、実際に石を砕き溶かし、取り出した化石はまだまだわずかなよう。ジュラ紀と白亜紀で、ある種?の形態変化による3時期のものが示されていた。それを見ながら、実際には同一母岩に累積しているなかで、A→B→Cという順番をつけるのは型式学か、と考えていた。考古学でもそうですが、実際には、判明しているこれより古い時期のもの、新しい時期の形態から、CBAでなくABCであると考えるのでしょうか。
◆放散虫については、うちのミュージアムの展示で取り扱う予定。
◆放散虫は動物性プランクトン?。骨格がガラスなので、死んだら海底に沈んでいく。ほかのもの はガラス質でないので分解されてしまう。なので海底には放散虫の死骸ばかりが堆積する。これが固まったのがチャート。1970何年かに、深海探査機でマリアナ海溝の下り斜面で1個の石が採取された。この石から、多くの基準となっている放散虫化石が採取されたのだとか。しかしモノは小さく、1個の石にも膨大な数が含まれており(というよりダラケ)、実際に石を砕き溶かし、取り出した化石はまだまだわずかなよう。ジュラ紀と白亜紀で、ある種?の形態変化による3時期のものが示されていた。それを見ながら、実際には同一母岩に累積しているなかで、A→B→Cという順番をつけるのは型式学か、と考えていた。考古学でもそうですが、実際には、判明しているこれより古い時期のもの、新しい時期の形態から、CBAでなくABCであると考えるのでしょうか。
◆放散虫については、うちのミュージアムの展示で取り扱う予定。
子供らが返ってきて
◆娘が10日に、息子が12日に帰ってきた。息子は17日に東京に戻ったが、娘はまだいる。琉球大学の先生に会いに行くとのことで、昨日20日、沖縄に行くはずだったが、台風の関係で飛ばなくなったらしい。修士論文があるんですが、なんかのんびりしているように見える。
◆タコの色素胞の写真の画像処理について、兄に考えてもらっていた。
◆こないだの3連休、両方の祖父母のところに行く予定を組んでいた。
◆タコの色素胞の写真の画像処理について、兄に考えてもらっていた。
◆こないだの3連休、両方の祖父母のところに行く予定を組んでいた。
8月24日、日野
◆出勤するつもりだったが、前から行きたかった日野に行く。カメラは用意していなかった。なの でスマホで写真を撮る。これまでもスマホで撮った時はあり、枚数が少なければ、いちいち送信して取り込んでいたが、日野ではそこそこの枚数を撮った。こういうのをクラウドに上げ、そこから落とすことをやっておらず、どうしていいかわからない。結局、後日、息子にやってもらったが、 まだダウンロードしていない。
◆日野川の段丘沿いに町場がある。近江商人のひとつの集住地。漆器から始まり、丸薬製造で発展し、関東に店を多く出した、のだったか。が、本宅はあくまで近江で、奥さんがきりもりしている、という話を聞く。
◆湖東は奥行きが広いですね。で、ポツポツ山がある。愛知川を超えると平坦なんだ。
◆写真下は、この日買った地のものなど。
◆日野川の段丘沿いに町場がある。近江商人のひとつの集住地。漆器から始まり、丸薬製造で発展し、関東に店を多く出した、のだったか。が、本宅はあくまで近江で、奥さんがきりもりしている、という話を聞く。
◆湖東は奥行きが広いですね。で、ポツポツ山がある。愛知川を超えると平坦なんだ。
◆写真下は、この日買った地のものなど。
少し社会復帰してきたか
◆さまざまな不義理のリカバー、一定の時間が当然必要で、働き続け、ようやっと整理もついてきて、追いついてきたかな・・・。とはいえ、体の方のだるさが取れるのにも時間を要するようになった。それより、ぼ~としている頭を、なんとか元に戻すのに、なかなか時間がかかります。
履修主義のお勉強、習得主義の研究
◆15回90分などの履修主義。これにこだわり強要する。お勉強ですよね。大学の学びにおいて、授業はひとつの柱ではあっても、ごく一部。資格をえるために詰め込むのなら、それは専門学校でよい。大学の学びは、自分が主体的に力を獲得する習得主義であるべきだ。教室の授業なんか・・・。これすなわち研究ということ。卒論や修論をゴールに、問題意識をもち、必要な先行研究を読んだり、それを比較して現状を把握したり、実際に資料にあたり、そして考え、分析していく。そういう考えぬいて結論を導き出していく力を身に着ける。進学するとかそうでないとか、関係ない。就職するにしても、ひとつの学問分野の世界で、資料に即して議論を組み立て導き出していく、という、そういう営みを経ていることが、社会に出ても意味をもっていくわけだ。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(01/27)
(01/16)
(01/13)
(01/11)
(01/05)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。