人を幸せにする人になろう

阪神高速大和川線は地下だ・・・

◆工事が進んでいるのは、横をいつも通っているので知っていたが、これ地下なんですね。 大和川にさらに高架の阪神高速ができると、まあ完全に分断される形にはなるわな。工法の理由はなんでしょう。

昨日2019年7月29日(月)はぼけていて

◆朝、博物館準備委員会のニュースレターを仕上げ、10:50からの打ち合わせに行く。今日の議論を整理し ておかないといけません。
◆13:30から、城陽市の久津川車塚古墳の調査に協力するため、機材等を倉庫から出してきて、搬出準備をする。それからテントを洗い(みな楽しそう)。写真はそのあとのプリン!
◆夕方、大歴の委員会なので、17:30まで資料を作っていた。で印刷し、電車に乗ると電話がかかってきて、「今日、委員会なんですけど・・・」。時計を見ると、18:30すぎ。なぜだか1時間間違えました。体力も気力も脳みそも劣化が著しい。みなさん、わたしの場合は昨年の54歳くらいから、自覚あり、でしたよ。

御墓山古墳は佐紀石塚山型か

◆ちょっくら作業をしてみました。このくらいのささやかなことはさせてください。前方部上段の 発達、開き具合からすると、陵山はダメで、石塚山かなと。石塚山は東が高く、西が低いので、設計はおなじでも仕上がりが左右非対称になる。まあ、いい線かなと。
◆たぶん南側に、後円部に取り付く造り出しがあるのでしょう。それと後円部背後の陸橋が明瞭です。それと後円部背後の長方形墳2基も、なんだか石塚山に近いですね。同寸でなく、ひとまわり御墓山が小さいです。寸法までやってませんが、150歩に対して140歩くらいなんでしょうか。
◆津堂でもやらなあきませんね。

御墓山の図がだいたい上がってきました

◆まだ、完全な納品状態ではありませんが、ほぼ上がってきました。
◆こういうのを見ると、研究費を獲得して測ってもらおうと思いますね。厳密に言えば、植生等の条件がよく、かつ草刈り等の管理もされていて、ベストシーズンを選べば、ということです。
◆早稲田J君は、Nさんと同様、ちゃんとターゲットを立てて、確実な点を無数に取っていくやり方で、実習的な面がある(ただし、かなりの単調な作業だろうが)。技術的には、レーザーだと、統合して立木をはじめ不要データを除去していくという調整が必要(自動的にかなりやってくれるソフトなど技術的進歩もあろうし、慣れによる習熟もあろうが。)。一方はデータはXYZでシンプルにそのまま使える。条件がよい状態での地上レーザーは、おそらく遜色ないだろう。
◆まあ、一方で、学生が測量を実際にやるという醍醐味も捨てがたいものがある。今年度も、自分らで測量する対象と、レーザーでやってもらう対象の、それぞれの候補を考えている。

西宮山古墳

◆これまで竜野への里帰り展示はなかったでしたっけ。兵庫県の考古博物館には一部あったよう な。京博には新しくなってから、まったく行っていない。一度くらいは行くかな。でも、西宮山の資料が常設でならんではいないのでは。これを機に貸与すればいいのに。
◆西宮山35mという。計算すると、25歩37.5mなのかな。

清水芳裕さん

◆職場メールは・・・、見ていないのは理由にならないが、清水さんが7月3日に亡くなられたのを、遅 れて知る。6日、葬儀に行くべきでした。
◆大学に入った時、泉さんがセンターにまだおられ、たぶん2回生の時に、山中先生が奈良大から着任されて、泉さんが奈良大へ移ったのだと記憶する。で、それ以降は、清水さんは、埋文センターの一番上となり、現場というより、中で仕事をずっとされていたように思う。一時期、埋文センターでバイトをしたことがあった。し~さん(とよばれていましたっけ)の科研で、胎土分析をする土師皿の、図面を書けと。一段ナデとか、大きいの、小さいの、実測した記憶があります。

埴輪の研究会

◆案内をいただきました。3日は行けなが・・・。 これ宣伝していいのかな。
◆ああ、7月20日、朝から雑用を片付けようとしましたが、いま19:00、ほぼ大歴の仕事で終わっちまいそうである。ようやく、机まわりの書類がやや片付いてきた。が、久津川には進めない。
◆まだ大歴(19:52)。引退したい・・・。
◆玉手山も。新しい話はまったくできません・・・。

太田茶臼山

◆2000年代はじめに宮内庁が堤の調査をしたのだったか。誘われて、ほぼ終了時点で見学に行った 記憶がある。外回りで話を聞いたくらいだったかな。住宅が貼りついていて、車で行くと、どうしてもゆっくりはできない。今回は東側の藍野病院のところから望むので終わった。駐車場に入れて、周囲を歩くくらいのことはやらんといけません。
◆紫金山も、京大が掘っている時に、車で行ったはずだが、まったく覚えていなかった。今回で、まあ覚えました。ほうせんか病院の受付で、青松塚にも行く。海北塚には足をのばせませんでした。

安満遺跡公園

◆3月に1次オープンしたところなんですね。とはいえ、これは安満遺跡そのものの整備でなく、中 心部より西側の元京大農場部で、エントランスにあたる部位。オープンしたてではあるが、おそろしく込んでました。
◆高槻市内でも中心部近くに、これだけの面積の公園ができ、広い遊び場があれば、子供を連れて来てくれますね。なにか災害があった場合の避難所とも位置付けられていたはず。かなりの額で国から土地を買ったはずだが、英断だった。
◆久しぶりにB1とA1に上がった。が、ここでいいんだろう、というほど山林として放置された形。これも1960年代初頭に宅地開発のなかで残されたからこそ。まあ、残っていくものなので、行政的には緊急性の高いものからになるので、いたしかたないが、環境整備を進めてほしいものです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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