人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
カミさん語録
◆コンプレックスが強く、プライドが高い人ほど、マウンティングをしたがる。
7月13日(土曜日)は紀美野町
◆7月後半なのに、梅雨空で、かんかんの暑さにはほど遠い。なんでも、昔はこんなんじゃなかっ た、最近はおかしい、異常気象だというのは好きではない。そうかどうか、ちゃんと比べてはいない議論だろう。
◆海の日が月曜にくっつけた3連休。私立大学では普通に授業が行われている。そんな祝日、いらんのとちゃう。休み過ぎ。それよりちゃん年休を取るように監督したらいいのだ。
◆最初の13日(土曜日)、紀美野町に行く。あまり体調はよくないよう。美里園に行き、海南市別 院に行く。花をたくさんもらう。晩御飯を食べるところまでいて、大阪に戻る。ゆっくりとさせてもらった。
◆翌7月14日(日曜日)は、著書の初校直しのチェックで終わってしまう。この再校は、いつ返せるか。雑用がひとつも片付いていない。で、既に前に書いた15日(火曜日)と16日(水曜日)。
◆写真は美里園にかかげてあった格言。山本五十六だって。
◆海の日が月曜にくっつけた3連休。私立大学では普通に授業が行われている。そんな祝日、いらんのとちゃう。休み過ぎ。それよりちゃん年休を取るように監督したらいいのだ。
◆最初の13日(土曜日)、紀美野町に行く。あまり体調はよくないよう。美里園に行き、海南市別 院に行く。花をたくさんもらう。晩御飯を食べるところまでいて、大阪に戻る。ゆっくりとさせてもらった。
◆翌7月14日(日曜日)は、著書の初校直しのチェックで終わってしまう。この再校は、いつ返せるか。雑用がひとつも片付いていない。で、既に前に書いた15日(火曜日)と16日(水曜日)。
◆写真は美里園にかかげてあった格言。山本五十六だって。
7月12日、免停短縮講習
◆原則、連続する2日のところ、分離せざるをえなかった2日目に行く。最後に試験があり、その成 績次第で短縮度が変わる。とはいえ、講習を受けるかどうかは任意で、受ける者は講習費を支払っており、金をもらって短縮されないのは困る、らしい。なので、教則本にもとづく座学のなかで、ここが出ますよ、とぜんぶ教えてくれる。これ、連続する2日でない場合、問題が違うかも、と心配していたが、同じのようだった。実際の問題には、問題Cとあり、額面だけでいくと、やはり何パターンか用意はされているようである。たまたま一緒というのも不自然だし、ある期間はしばらく同じなのかもしれない。
◆心理学の先生が講義に来る。前の時は、少し異なっていたが、それはこういう講習の講師を引き受けた先生次第なのかな。前の時は、グループで、先生が1人1人と対話するような形態だった。
◆車の運転をして講評を受ける。2点指摘を受け、それはその通りだな、と。1日目にやった適性検査の結果なども、最後に配られる。やっぱり、せっかちなんだそうです。動体視力が落ち・・・。
◆写真は門真運転免許試験場から見た飯盛山城。
◆心理学の先生が講義に来る。前の時は、少し異なっていたが、それはこういう講習の講師を引き受けた先生次第なのかな。前の時は、グループで、先生が1人1人と対話するような形態だった。
◆車の運転をして講評を受ける。2点指摘を受け、それはその通りだな、と。1日目にやった適性検査の結果なども、最後に配られる。やっぱり、せっかちなんだそうです。動体視力が落ち・・・。
◆写真は門真運転免許試験場から見た飯盛山城。
いや~疲れます
◆昨日(7月16日)は朝から1・2・3限、そのあと博物館の打ち合わせで17時。それから多量の論文の束をかかえて、ファミレスで読んでいた。全部読むのは不可能だが、なんとか全体をとらえ、メモを作る。
◆今日(7月17日)は11時からひとつうちあわせ、そして3限・5限、その授業の準備をしつつ、多量の論文を引き続き読み、夜は会議。21時過ぎ、ようやく解放された。あ~あ、疲れる。
◆その日暮らしが続く。あれもこれもできてない・・・。
◆今日(7月17日)は11時からひとつうちあわせ、そして3限・5限、その授業の準備をしつつ、多量の論文を引き続き読み、夜は会議。21時過ぎ、ようやく解放された。あ~あ、疲れる。
◆その日暮らしが続く。あれもこれもできてない・・・。
遊郭
◆10年前の見学会の時も案内してもらった。が、それは市が買い取ったものの常に公開しておら ず、連絡して見学したいと希望すれば入れていた段階のよう。その後、耐震補強工事をして、2018年1月から全面公開が始まったという。解説はシルバー人材センターの人たちとのこと。ひととおり解説してもらい、3階建ての建物を見せてもらう。1924年の建物で、いまは登録文化財にもなっており、昭和33年3月まで営業していたという。
◆調べると、GHQの指令で公認の売春規則をなくすも、名前を変えて(特殊なんとかとか)、実態は続いていた。戦後、国政に女性議員が参加し、何度も売春防止法が議員立法で審議されるも、否決されてきた。それが自民党が女性票を獲得するために、ようやく賛成にまわり成立する。転業や廃業のための猶予期間を置いて、昭和33年3月で廃止となったのだとか。まだ生まれていないが、その少し前までは、まだ江戸時代だったわけである。
◆奈良県で3か所あったという。そのうちのひとつがここ。まだ10棟あまりの当時の建物がよく残っている。空き家もあるし、ふつうの居宅になっているところもある。空き家を改修するのもお金がかかるわけだが、飲食店などに活用して維持していければいいのでしょうが。
◆調べると、GHQの指令で公認の売春規則をなくすも、名前を変えて(特殊なんとかとか)、実態は続いていた。戦後、国政に女性議員が参加し、何度も売春防止法が議員立法で審議されるも、否決されてきた。それが自民党が女性票を獲得するために、ようやく賛成にまわり成立する。転業や廃業のための猶予期間を置いて、昭和33年3月で廃止となったのだとか。まだ生まれていないが、その少し前までは、まだ江戸時代だったわけである。
◆奈良県で3か所あったという。そのうちのひとつがここ。まだ10棟あまりの当時の建物がよく残っている。空き家もあるし、ふつうの居宅になっているところもある。空き家を改修するのもお金がかかるわけだが、飲食店などに活用して維持していければいいのでしょうが。
箱本館紺屋
◆前来たときには入らなかったような。紺屋川の水路が東西に通る通り。郡山城下町は、江戸時代で は奈良町に次ぐ都市だったろう。町の規模も大きい。が、まあ昭和50年代以降はすたれてきている様子がよくわかる。昔ながらの町屋を数えると、どのくらい残っているのだろうか。ガイドマップでは10軒くらいが挙がっていた。
◆紺屋は、よくできた展示施設、プラス藍染めの体験ができる。入って行くと説明を受ける。藍の葉を発行させて「すくも」を作ること、いま「すくも」を作ることのできる技術者は10 人いないという話を聞く。そして「すくも」から染料にする作業をやっていた。藍の花というのを知る(桶のまんなかに浮かんでいるもの、じゃなく、膜として浮かんでくるものだそうです。いやまんなかのでヤッパリよいか)。
◆紺屋は、よくできた展示施設、プラス藍染めの体験ができる。入って行くと説明を受ける。藍の葉を発行させて「すくも」を作ること、いま「すくも」を作ることのできる技術者は10 人いないという話を聞く。そして「すくも」から染料にする作業をやっていた。藍の花というのを知る(桶のまんなかに浮かんでいるもの、じゃなく、膜として浮かんでくるものだそうです。いやまんなかのでヤッパリよいか)。
2019年7月7日、大和郡山
◆昼に今井町なので、午前中どこかに行こうということになり、大和郡山に向かう。9時前には着 き、車をとめて、まずはお城に向かう。10年ぶりくらいか。歴史学教室の見学会で行ったが、あんまり覚えていない。市役所の向かいの城跡公園入口あたりに、全体の説明看板がほしいですね。城と城下町の絵図、いまとの比較、など。
◆2年前の2017年3月に、県史跡郡山城の保存整備事業が竣工したらしい(これもまた国史跡になっていないんですね)。草が繁茂する石垣や堀を見ながら大手から入る。そうするとむこうにきれいになった天守台が見え てくる。柳沢文庫の脇を通り、本丸に入る。天守台のひとつの隅部の上半を解体修理したらしい(柳沢文庫で動画を見るのがもっともわかりやすい)。天守台から展望する。薬師寺東塔の素屋根が見え、平城宮朱雀門の素屋根も見える。
◆柳沢文庫に入る。保存整備工事にともなう考古展示が多くを占めるようになっている(以前のことを覚えているわけではないが)。これは公益財団法人、郡山市立ではない。とはいえ、郡山城や城下町の全体像がわかるような展示がほしい。1960年にできたものだが、手狭であるし、市と財団とで将来像を考えていいのでは。
◆2年前の2017年3月に、県史跡郡山城の保存整備事業が竣工したらしい(これもまた国史跡になっていないんですね)。草が繁茂する石垣や堀を見ながら大手から入る。そうするとむこうにきれいになった天守台が見え てくる。柳沢文庫の脇を通り、本丸に入る。天守台のひとつの隅部の上半を解体修理したらしい(柳沢文庫で動画を見るのがもっともわかりやすい)。天守台から展望する。薬師寺東塔の素屋根が見え、平城宮朱雀門の素屋根も見える。
◆柳沢文庫に入る。保存整備工事にともなう考古展示が多くを占めるようになっている(以前のことを覚えているわけではないが)。これは公益財団法人、郡山市立ではない。とはいえ、郡山城や城下町の全体像がわかるような展示がほしい。1960年にできたものだが、手狭であるし、市と財団とで将来像を考えていいのでは。
寝屋川と枚方丘陵
◆明治の地図の等高線で描かれた山は「枚方丘陵」でいいんですかね。淀川に突き出た先端が枚方宿。いまこの丘陵上は家だらけ。が、かつては交野郡と讃良郡を区切るものであった。赤は旧道、京街道・枚方街道・東高野街道。青はいまの行政界、門真、森口、四条畷、大東など。緑が鉄道(交野線は入れてませんが)。学研都市線と京阪で、駅の位置に丸をした。茶色が国道。1号線と171号線、それと清滝街道。第2京阪は太いのでわかりますよね。
◆まあ、明治の地図を見ると、けっこうな丘陵が張り出して、河内平野を画している印象を受けますよね。太秦や高宮廃寺が高台にあることは知っていても、「こんな山だったのか」と、地図を見るとまあびっくりなわけです。こういう話をしていると、カミサンが職場から写真を撮って送ってくれました。
◆ああ、7月6日の20時43分、土曜の夜もとっぷりと暮れました。帰ろか。明日は今井町に行きます。
◆まあ、明治の地図を見ると、けっこうな丘陵が張り出して、河内平野を画している印象を受けますよね。太秦や高宮廃寺が高台にあることは知っていても、「こんな山だったのか」と、地図を見るとまあびっくりなわけです。こういう話をしていると、カミサンが職場から写真を撮って送ってくれました。
◆ああ、7月6日の20時43分、土曜の夜もとっぷりと暮れました。帰ろか。明日は今井町に行きます。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。