人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
日曜日は休む!
◆2016年からは日曜日は仕事をせず、あっちこっち行っていろんな世界を知ったり、家のことを したりと、思ってはいるのですが、今日も朝から研究室で仕事をしております。市大日本史の原稿もボチボチ集まってきております。ほんとは自分の論文を書きたいのですが。論文2つと書評1本がありますが、論文のひとつは義務。もう一本がほんとうに今書きたいこと。1週間あれば書けると思いますが、そんなまとまった時間がないというのが、いまの大学研究者です。これは夜、シコシコとやるんですかね、1時間ももたないように思いますが。
◆そんなんで、堺の台場の話を聞きに行きたいものである。
【追記】あさからモロモロやっつけているが、既に18時過ぎ。なんにも、まとまった仕事はできていない。すべて細切れの雑用であります。
◆そんなんで、堺の台場の話を聞きに行きたいものである。
【追記】あさからモロモロやっつけているが、既に18時過ぎ。なんにも、まとまった仕事はできていない。すべて細切れの雑用であります。
小山田古墳
◆3月2日に新聞発表されました。ネットでだいたいのことはわかります。豊浦寺の瓦片が出土したのだという。年代を絞り込む情報もさらにえられたということのよう。そして70mにもおよぶ方形墳ということからも、既に以前から名前が挙がっていたように、舒明初葬墓か蘇我蝦夷墓か、ということになってきた。さながら、7世紀中頃の、もっといえば改新直前の、大王と蘇我大臣の力関係がどうであったか、ということに確かにつながる。蝦夷説でいけば、『日本書紀』に書かれた蘇我の振る舞いを裏付けることになり、乙巳の変も理解しやすくなる。
◆榛原石の問題もある。確かに段の塚との近さが感じられるのであろうが、蝦夷だって使おうとするだろうし使えるのであろうし、必ずしも決め手にはならないだろう。それよりは解体されていることをどう理解するか、であろう。猪熊さんがいってるように、天皇の改葬事例で、初葬の古墳はほとんどわかるはずもないが、植山古墳は推古初葬墓とみるのが有力で、これは石室や墳丘を取り壊してはいない。東石室の石棺も残っている(改葬先が磯長谷だからであって、比較的近い場所なら石材等の再利用もありうるのかもしれないが、事例が少なすぎて、まあわからん)。一般論的には、新たに作り、旧の方はそのままにする、という方が理解しやすいように思う。また、白石先生のコメントのように、あれだけの規模のものを作り上げながら、改葬する理由はなかなか見出しがたい。あれが舒明初葬墓だったなら、飛鳥の都市整備ということも指摘されてはいるが、確かによほどの理由がないと考えにくいこと。解体されている事実は蝦夷墓説に有利なように思う。とはいえ、舒明墓が移設されたのは事実で、その理由は引き続き考えないといけないし、「よほどの理由」があったことも、「ありえない」と棄却できるわけではない。
◆そして場所の問題ですね。これについては既に議論があるところで、舒明墓があそこにあることを「ありえない」ともいえないし、一方で蝦夷墓なら「なるほどね~」と納得できるように思うが、議論が深まっていくことをながめておこう。わたしは宮ヶ原古墳や菖蒲池古墳をあわせたあの地域と、もひとつ南の平田梅山古墳の東西方向の地域、この墓域の区分に説得力を感じているところです。とはいえ、さらに小山田古墳の調査も継続するようですし、大陵とした場合、小陵をどこに考えるか、という調査や研究が進むことを期待しよう。
◆で、なぜ現地公開をしないのか。養護学校内ということへの配慮なのかもしれないが、ほんとうにできないことなのだろうか。7世紀史にとってこれだけ重要な調査成果が、公開されないことが残念だし、なぜなんだという疑問がわく。
◆榛原石の問題もある。確かに段の塚との近さが感じられるのであろうが、蝦夷だって使おうとするだろうし使えるのであろうし、必ずしも決め手にはならないだろう。それよりは解体されていることをどう理解するか、であろう。猪熊さんがいってるように、天皇の改葬事例で、初葬の古墳はほとんどわかるはずもないが、植山古墳は推古初葬墓とみるのが有力で、これは石室や墳丘を取り壊してはいない。東石室の石棺も残っている(改葬先が磯長谷だからであって、比較的近い場所なら石材等の再利用もありうるのかもしれないが、事例が少なすぎて、まあわからん)。一般論的には、新たに作り、旧の方はそのままにする、という方が理解しやすいように思う。また、白石先生のコメントのように、あれだけの規模のものを作り上げながら、改葬する理由はなかなか見出しがたい。あれが舒明初葬墓だったなら、飛鳥の都市整備ということも指摘されてはいるが、確かによほどの理由がないと考えにくいこと。解体されている事実は蝦夷墓説に有利なように思う。とはいえ、舒明墓が移設されたのは事実で、その理由は引き続き考えないといけないし、「よほどの理由」があったことも、「ありえない」と棄却できるわけではない。
◆そして場所の問題ですね。これについては既に議論があるところで、舒明墓があそこにあることを「ありえない」ともいえないし、一方で蝦夷墓なら「なるほどね~」と納得できるように思うが、議論が深まっていくことをながめておこう。わたしは宮ヶ原古墳や菖蒲池古墳をあわせたあの地域と、もひとつ南の平田梅山古墳の東西方向の地域、この墓域の区分に説得力を感じているところです。とはいえ、さらに小山田古墳の調査も継続するようですし、大陵とした場合、小陵をどこに考えるか、という調査や研究が進むことを期待しよう。
◆で、なぜ現地公開をしないのか。養護学校内ということへの配慮なのかもしれないが、ほんとうにできないことなのだろうか。7世紀史にとってこれだけ重要な調査成果が、公開されないことが残念だし、なぜなんだという疑問がわく。
東京にいます
◆ところが、2日目の夜に電話が入り、急遽、東京に行くことになりました。3日目の予定を変更することになり、みなさんに迷惑をおかけしました。いますこし注記の残るものをアイリスインで継続してもらい、既に完了した箱を整理室に戻すのを午後にやって東京に向かうことにしていたが、昼飯の段階で早めてもらうことにし、13:30過ぎに近鉄で京都駅に向かいました。
◆さいわい、急遽入ったマターも解決し、4日、大阪に戻ってきました。
◆さいわい、急遽入ったマターも解決し、4日、大阪に戻ってきました。
明日3月1日から3日まで城陽で合宿
◆2015の埴輪整理。46箱分の注記です。一気にカタをつける時間も取れず、やはり3月になる。 1日は10名(泊9人)、2日は11名(泊7名)、3日は8名。わたしは2日の昼、大阪城の豊臣石垣の会議で一時抜ける。めでたく予定通り完了。台帳も一部追加補訂し、土器の分離は洗いの時にやったが、抽出できていなかった埴輪箱に残存していたものも分離した。注記しながら袋単位で接合して問題ないものは接合する。また特徴的なものでは、これは見た、というものは袋を越えて接合するものもあった。そして、洗いの時に基本的に地区別に箱を区分したが、再度、箱に収納している内容を確認しつつ、造り出し上面、墓坑上、東西南北の列、南斜面・西斜面・北斜面など、箱詰めをして表書きを明確にした。
◆アイリスインという宿泊施設。1日2日と夜の10時までやる!、と宣言していたが、21:45までほぼ予定通りやる。8:30~12:00、13:00~18:00、19:00~21:45、缶詰め状態でやりきりました。写真は2日目21:30の作業風景。
◆1例を挙げると、これこの個体の天側が手前の写真になってしまってますが、囲いの横トゲです。板状の破片と、 発掘時から注意してたトゲ破片が見事にくっついた。K君のひらめきでした。すごい!。横トゲ、本邦、2例目となりました。手前の板破片の縦線は、柵塀の板の継ぎ目表現です。かなり間隔があり、大ぶりなトゲになるはずですが、折れたトゲの破片は見当たりませんでした。あと、南斜面、すなわち造り出し南辺と前方部側面とのくびれ部に配置されていた?水鳥の破片が、ある程度識別できるようになり、ひとつの箱に集めておきました。
◆アイリスインという宿泊施設。1日2日と夜の10時までやる!、と宣言していたが、21:45までほぼ予定通りやる。8:30~12:00、13:00~18:00、19:00~21:45、缶詰め状態でやりきりました。写真は2日目21:30の作業風景。
◆1例を挙げると、これこの個体の天側が手前の写真になってしまってますが、囲いの横トゲです。板状の破片と、 発掘時から注意してたトゲ破片が見事にくっついた。K君のひらめきでした。すごい!。横トゲ、本邦、2例目となりました。手前の板破片の縦線は、柵塀の板の継ぎ目表現です。かなり間隔があり、大ぶりなトゲになるはずですが、折れたトゲの破片は見当たりませんでした。あと、南斜面、すなわち造り出し南辺と前方部側面とのくびれ部に配置されていた?水鳥の破片が、ある程度識別できるようになり、ひとつの箱に集めておきました。
2017年2月28日末日、今日もようやったで
◆27日の晩は完全な徹夜。何をしていたかというとほぼ朝6時頃まで大歴の仕事をしていました。委員会のあと、やっとかなという義務感に燃えてました。で、今日は3つあって、大学史運営委員会、第1回卒論演習、市大日本史学会の委員会。なんも準備しとらん。朝8:30に研究室に着き、まずは第1回卒論演習の準備をする。例年の「卒論とは」という説明資料を読みながら直した方がいいところを直しつつ、言葉で補うところを資料に書き込んでいく。だいたいできあがったところで、10:40から大学史運営委員会。つつがなく終了した後、ワーキングのメンバーは残るように言われ、展示室のワイヤーやら照明やら、結局、展示するのがこっちなものなので、事務局サイドがほぼほぼ考えてくれているが、最終的にはこれでよいかという確認。実際に展示室に行き、あ~だこ~だ、と。金があれば旧学長室を展示室に改装する、展示設計なども業者に投げて、というところだが、大学史の引っ越し関係の執行が先で、残額が確定した段階で、どこまでの工事や物品の購入するかを検討しているわけです。
◆まあ、手作り感がありますね。全面的にやる、という専門性があるわけでもなく、照明は何ルクスといわれてもわからん。が、しかし、そこはわからん者同志が、カタログを見つつ、必要最低限の整備を、できるだけ安価な形で実現させようというもの。
◆このくらいで。12:30くらいまでかかり、文学部に戻り、13時から第1回卒論演習で、「卒論とは」といった説明を教務担当なものでやる。それから現3回生(新4回生)の1人5分の構想発表5分の質疑でまわし17:30頃までかかる。そこから、明日から3日間の城陽での埴輪注記大会で使うものを車に積み込み、科研の出勤簿を出しに行き、市大日本史の資料を作って印刷して18:30に会議室に滑り込む。20:00、ああ終わった。
◆まあ、手作り感がありますね。全面的にやる、という専門性があるわけでもなく、照明は何ルクスといわれてもわからん。が、しかし、そこはわからん者同志が、カタログを見つつ、必要最低限の整備を、できるだけ安価な形で実現させようというもの。
◆このくらいで。12:30くらいまでかかり、文学部に戻り、13時から第1回卒論演習で、「卒論とは」といった説明を教務担当なものでやる。それから現3回生(新4回生)の1人5分の構想発表5分の質疑でまわし17:30頃までかかる。そこから、明日から3日間の城陽での埴輪注記大会で使うものを車に積み込み、科研の出勤簿を出しに行き、市大日本史の資料を作って印刷して18:30に会議室に滑り込む。20:00、ああ終わった。
2017年2月19日はKR研
◆立命館大学で開催。朝10時集合で埴輪の接合、午後が研究会だった。朝、ゆっくりさせてもらい、11:30頃に到着。梅田に行きたくないので、ついつい八木まわり。どうやって行こうか。丹波橋で京阪に乗り換え(最初から京阪でもよかったですね)、三条から初めて京都の地下鉄東西線に乗りました。降りて立命までタクシー。790円だったか。
◆で、埴輪の接合をして2つほどくっつけました。いま立命にあるのはくびれ部の囲いで す。で、埴輪を見ながら、いったいぜんたいどんなもんになるのか、部分の破片をつなぎながら考えていくと、片流れといってたのは裾部の台だろうと。で、寸法を測りながらホワイトボードに復元をしていきました。その下に突出の大きい突帯を一番下にもってきましたが、合理的な理由はないな~、とみなと議論していると、これこそ別の家形の破片だ、ということになり、すべて落ち着きました。なので、画像のいちばん下のところは修正が必要で、一番下の破片は別物としてはずしてください。で、囲いの姿としては、垂直の壁板があり、そこに裾部の屈曲ある土台部が取り付く、というものになる。
◆で、つっぱり。2条突帯の下から、下の土台の水平面に斜めに取り付けます。なので、この屈曲する土台部は通常のものよりかなり長く張り出させる必要があり、それだけ重くはずれやすいものとなる。なので、その下に、だからこれは写実でなく埴輪造形上だと思うが、下の当てとして、斜め棒を取り付ける必要があったものと思う(でも棒よりも三角板の方がいいですよね・・・)。
◆いや~とにかく、囲いの柵の外にそれを支える添え柱がある!、という、ゲンセツ段階から推測されていたこととはいえ、今回、確定することとなった。隅部にもある!。本邦初ですよ。で、これこそ(支え柱の取り付け)、この種の上等の施設の写実的な姿と考えることができる。城陽市さん、すいません。あらあらの見通しを書いてしまいました。お許しを。
◆で、埴輪の接合をして2つほどくっつけました。いま立命にあるのはくびれ部の囲いで す。で、埴輪を見ながら、いったいぜんたいどんなもんになるのか、部分の破片をつなぎながら考えていくと、片流れといってたのは裾部の台だろうと。で、寸法を測りながらホワイトボードに復元をしていきました。その下に突出の大きい突帯を一番下にもってきましたが、合理的な理由はないな~、とみなと議論していると、これこそ別の家形の破片だ、ということになり、すべて落ち着きました。なので、画像のいちばん下のところは修正が必要で、一番下の破片は別物としてはずしてください。で、囲いの姿としては、垂直の壁板があり、そこに裾部の屈曲ある土台部が取り付く、というものになる。
◆で、つっぱり。2条突帯の下から、下の土台の水平面に斜めに取り付けます。なので、この屈曲する土台部は通常のものよりかなり長く張り出させる必要があり、それだけ重くはずれやすいものとなる。なので、その下に、だからこれは写実でなく埴輪造形上だと思うが、下の当てとして、斜め棒を取り付ける必要があったものと思う(でも棒よりも三角板の方がいいですよね・・・)。
◆いや~とにかく、囲いの柵の外にそれを支える添え柱がある!、という、ゲンセツ段階から推測されていたこととはいえ、今回、確定することとなった。隅部にもある!。本邦初ですよ。で、これこそ(支え柱の取り付け)、この種の上等の施設の写実的な姿と考えることができる。城陽市さん、すいません。あらあらの見通しを書いてしまいました。お許しを。
大歴事務局としてやれることを
◆まあ2年間の事務局で、みなさんやっとこさやっているのが大歴の実情。そこは、12年間 委員会に出続けたので、だいたいのことはわかっている。そこは順番がまわってきたから事務局長になる人とは違う。
◆で、けっこう改革してきましたよ。会誌発送の仕方や、バックナンバーの整理とか(右表)。従来通りの踏襲から、将来を見据えて整理できるものはする。今日は、終了後、庶務委員2人と下の喫茶店で、庶務のカスタマー窓口担当の仕事を、いかに効率的にするかということで少し話をした。で、大きな問題がひとつ発見された。あれれ、そんなんもやってないの、というもの。HPだって、よりよいものに、という点検をしなければ、だいたいがルーティンでしかまわらない。もうひと仕事しないといけませんね。
◆話は変わりますが、ようやっと大学史ニュースの原稿を出しました。
◆で、けっこう改革してきましたよ。会誌発送の仕方や、バックナンバーの整理とか(右表)。従来通りの踏襲から、将来を見据えて整理できるものはする。今日は、終了後、庶務委員2人と下の喫茶店で、庶務のカスタマー窓口担当の仕事を、いかに効率的にするかということで少し話をした。で、大きな問題がひとつ発見された。あれれ、そんなんもやってないの、というもの。HPだって、よりよいものに、という点検をしなければ、だいたいがルーティンでしかまわらない。もうひと仕事しないといけませんね。
◆話は変わりますが、ようやっと大学史ニュースの原稿を出しました。
毎月の大歴委員会
◆2月は今日27日でした。原則は月の最終月曜日。いつも直前でないと動きませんが(いや、事務局となるとそうもいきませんが)、昨日から準備を進めてきた。これまでの事務局は、庶務委員の1人を大会担当にしていましたが、うちのいまの事務局のあり方から割り振りできず、慣れてきてからおいおいと、ということで2月になりました。そろそろポカのないように大会にむけての準備をということで、わたしの方で大会担当の引き継ぎ書を、かたっぱしから目を通し、いらんものを捨て、まずは大筋のスケジュールを作成しようと、作業をしておりました。で、当日の今日。委員会資料の作成にかかり、議事録の点検からはじめ、あれやこれやとやっていると、今日は1日あったはずが、あっという間に17時になりました。
◆今日は編集委員の方々もかなり出席があり、いろいろ議論できました。ちょっと8月 号・10月号・12月号が頁オーバーがかなりになり印刷経費が大幅な赤字となっています。1月委員会以来、これは2017年総会で、事務局の管理能力を問われると頁数削減を打ち出し、いろいろな反応をもらいました。今日の議論で、そもそも年間900頁以上になる年6冊のヒストリア、その年会費が5000円というのが、どこを探してもそんな安い学会誌はないと。そう、年間1000頁になる年もあり、必然的にそれだけの印刷経費がかかる。投稿はさいわい安定的にあり、順次、掲載していっている。それは学会にとってよいことであって、そういう投稿先として定着して採用論文が増えていくなら、年6冊刊行以上のことは無理であり、1号の頁数を増やしていくしかない。毎年、赤字基調にあり、そもそも会費とアウトプットのバランスが取れていないわけです。結論、会費値上げ。順当だし、理解は得られるし、それで会員が減少しない、と力強い意見をもらいました。
◆会費値上げは大きなことだし、みな事務局のときはやりたくないだろう。が、これは予算書とか、経費をいじっていて、こちらも同じ見解だったものだが、もっと積極的な意見を今日はもらったわけである。
◆今日は編集委員の方々もかなり出席があり、いろいろ議論できました。ちょっと8月 号・10月号・12月号が頁オーバーがかなりになり印刷経費が大幅な赤字となっています。1月委員会以来、これは2017年総会で、事務局の管理能力を問われると頁数削減を打ち出し、いろいろな反応をもらいました。今日の議論で、そもそも年間900頁以上になる年6冊のヒストリア、その年会費が5000円というのが、どこを探してもそんな安い学会誌はないと。そう、年間1000頁になる年もあり、必然的にそれだけの印刷経費がかかる。投稿はさいわい安定的にあり、順次、掲載していっている。それは学会にとってよいことであって、そういう投稿先として定着して採用論文が増えていくなら、年6冊刊行以上のことは無理であり、1号の頁数を増やしていくしかない。毎年、赤字基調にあり、そもそも会費とアウトプットのバランスが取れていないわけです。結論、会費値上げ。順当だし、理解は得られるし、それで会員が減少しない、と力強い意見をもらいました。
◆会費値上げは大きなことだし、みな事務局のときはやりたくないだろう。が、これは予算書とか、経費をいじっていて、こちらも同じ見解だったものだが、もっと積極的な意見を今日はもらったわけである。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。