人を幸せにする人になろう

冨田靖子の話はしましたっけ

◆まあ同世代、薬師丸ひろ子は1964年生まれ、斉藤由貴は1966年生まれ、冨田靖子は1969年生まれ、宮沢りえは1973年生まれ、だそうです。昔、斉藤由貴のファンでした。CDも2枚はある。冨田もよかったですね。変人らしいが。で、年末に、あさがきたの総集編を見ていて、実に久しぶりに冨田靖子を見て、感激した、そういう話です。

さて2月6日の土曜日

◆瓦の研究会があり、日曜日は播磨の埴輪の研究会があるが・・・。今日は2つは必ずやっつけようと。岩屋山と改新シンポの資料作り。
◆小学生で携帯もってるのも当たり前になってきているようだが、親がちゃんとしているところはガラケー、ほかはスマホとはっきり分かれるという。ゲームに走り、格差も広がると。
◆正社員化を進めることが正統。そうでないと、結局、犯罪が増え、生活保護が増え、経費がかかり続ける。ちゃんと人並みに暮らせる雇用にしていくことが目指すべき道。そうなったとき、使えない者ばっかりという現実もあるのかもしれない。だから、小中高そして大学、教育の底上げが基礎。うちの博物館科目に来ていただいている非常勤の先生は、市大の学生はちゃんと聞いてくれる、やりがいがあると、複数から聞く。うれしい。が、その対比として、ある私立大学の教員と話をしていて、本務校での授業の話などを聞く。まあ、愕然とする基礎学力のなさ、そういうところでは親との面談もあるが、この親にしてこの子あり、というのも歴然だと。
◆そうでない場合もあろうが、所得格差・教育格差は解消されることなく伝世する、というのがいまの日本なのである。文科省大学局の職員は、3流大学、あるいは底辺校の事務職に1年行ったらどう。グローバルとか、英語とか、なんとかとか、センター試験をいじるとか、中期目標を立てさせて自己評価し、外部評価も受けてとか。そんなことよりも今の大学の実態、すなわち義務教育を含めた日本の教育の現状を、まっとうに把握し、危機感を抱き、そこからどうすればいいのかを真剣に考えるのが仕事ですよ。90°、60°、30°の直角三角形の辺の比は、2:1:ルート3なんです。そんなことも覚えていない工学部生がいて、会社に就職していく。
◆これもどことは言わないが、ヒマにして仕事をしない男正社員、めっちゃ働く派遣のおばちゃん、そういうところもある、これも現実。

すみ文講座

◆降って湧いた話で、住吉でのシンポを引き受けることになる。今日、関係の方が来られ、うちの 国文の村田先生や住吉大社の権禰宜の方と3人が25分しゃべり、そのあとトークするという企画のよう。連続講座の1回分と思っていたが、違っていた。村田先生の前でしゃべるのは緊張するかも。
◆こういう企画、断るわけにはいきませんね。住吉の歴史や魅力を考えるヒントを提供できればと思います。このチラシ確定ではありませんので。

まず文殊院西

◆日々やらないといけないことをこなしつつ、間に、これまで出せていなかった成果物を完成に もっていこうとしています。松岳山の測量報告もそのひとつ。これはもう一息です。昨日は、なんとか文殊院西を終えて入稿しました。科研の分担金でなんとか執行してしまいたい。
◆岩屋山も関係者に遅くなって申し訳ないが、なんとか、この勢いでやってしまいたいが、墳丘のこともある。墳丘もいろいろ文献を集め、図を作ってはきているが未完。明日香村のなんか最新のものを見た記憶があるが、覚えていない。

2月1日、今日から免停

◆意見聴取があり、免許を取り上げられ・・・、本日から90日の免停。取り上げられるんですね。で、 また満了時には取りに来いと・・・。ゴールドまでもうちょっとだったんですが・・・。
◆7月はじめの日曜日の朝9時、ほ とんど車のない阪神高速堺線で、60㎞のところ50㎞オーバー、オービスに引っかかり、一発免停。意見聴取も集団で、ひとりひとり前に出て確認をしていく。その多くが阪神高速だ。急なカーブの所など、最高50㎞のところもある。が、ぴかっと光ったところは、大阪の都市部のぐにゃぐにゃを抜けて直線的になったところだと思う。高速道路なのに60㎞制限で、50㎞オーバーの同じ事情の者が多かった。これ、どう思います。
◆そんなんで門真に行く。足が腫れている。講習に行き試験で点を取れば45日になる。が、長期講習で丸2日かかる。2.6万円。また金かかるし。3月の上旬くらいに行くかな。

茄子作

◆行くとき、第2京阪の交野南で下りたのだったか。途中、茄子作の村を通る。いや農村風景がよ く残っていて、びっくりしました。通り過ぎてしまいましたが、改めて訪れたいものです。ストリートビューでイメージを。
◆あとは香里園。弾薬庫の話。持って帰ってきた資料をいろいろ読んでいると、3箇所ほどあったような・・・。大爆発を起こしたものがあること、府文化財センターも発掘していたことは知っているが・・・。そのへん、不確かな知識しかない。調べました。香里は火薬製造所。煙突など、いくつか残っているらしい。禁野が弾薬庫で、1939に大爆発があったらしい。いま香里ヶ丘という火薬製造所のあったところに住宅公団が作った団地は、公団の最初期のもので、1958年入居開始で、東洋一の団地といわれたらしい。ロバートケネディとか見学者が多数訪れたとのこと。多田道太郎が住んでいてサルトルとボーボワールが訪れたとも。
◆禁野の弾薬庫も住宅公団が開発したらしい。中宮団地というらしい(1956)。センターの発掘はその建て替えによるみたいですね。

さくやこのはな館

◆そこから鶴見緑地、さくやこのはな館に行きました。初めてです。花博は1990年だそうです。鶴 見緑地は1970年から造成されたのだそうです。鶴見緑地、GISの図を見てると、高いんです。がここは低湿地でしょ。島がにょきっと出てたのかと。人口の山なんでしょうね。
◆花博の時に作りすぎた建物等は老朽化して閉鎖されたものも多いらしい。さくやこのはな館の温室だけでなく、公園内もいろいろな樹木があるのだと思うが、そのへん、植物園的な要素がそう強くないのかもしれません。スポーツ施設含め、雑多。いろんな利用者がいるとは思うが、大阪を代表する植物園の色彩をもっと出せばいいのではと思う。基本は緑地で公園で、散策すればいいのだが、もっと舗装を落として自然に近づけられないものだろうか。
◆このはな館の植物たちは、写真を撮るには絶好で、マニュアルで、オートフォーカスをはずし て、気合いを入れて撮ってみました。
【追記】鶴見緑地はゴミの山らしい。最初は10mくらいの予定が、さすが大阪というべきか、40m盛ってしまえと。で、メタンガスが発生して、さながら火山のように火を噴いていたらしい。またゴミが圧縮され高さが減じるのを予定し、50mくらいにして、やっぱり10mほど下がったのだとか。これが大阪市最高峰なんだって。

念願の枚方宿

◆1.5㎞ほど、京街道にそってのびる宿場町。枚方市駅のすぐ近く、これが東の方で、建物がよく 残っているのは西側で、鍵屋資料館がある。鍵屋はしばらく前まではまだ営業していたようだが、2000年代に廃業し、枚方市が資料館としたものという。表に昭和50年頃の写真があり、両側とも町屋が続く。これが残ってれば伝建だったろう。それでも資料館界隈は雰囲気を味わえる。
◆資料館でいろいろ資料がおいてあり、かなり金を投じてまとめて買った。いずれ何かの役に立つこともあるだろう。そして資料館内の展示は、新しく、よくできていて、枚方宿の概略を学ぶことができる。3名以上要予約だが、食事をすることもできる。本日はイベントをやっており、63畳敷の大広間は見れなかった。ふさわしい行事には貸し会場として提供しているようである。1ヶ月ほど前、大歴の現地見学検討会をここでやろうと、学芸員さんと電話で話したことがある(結局、貝塚でやることになりましたが)。
◆京街道の陸路と、三十石船の経由する港があり、水陸の結節点となっているのが枚方宿の特徴 で、その賑わいぶりは、シーボルトも書き残している。むろん、「くらわんか船」は有名。都市の中心部でもあり、だいぶ建物は新しくなっているが、京街道をたどる雰囲気は味わえる。古い町屋は小物売りや飲食店にもなっており、天野川を越えるところまで、ほんとうは歩くべきなんですが、足の具合もあり、鍵屋周辺にとどまりました。この背後の丘陵にはおがみ神社があり、ここが万年山古墳です。上がりませんでしたが。

翌日は枚方宿に

◆前から歩きたかった枚方宿に行く。その前に淀川資料館というところに行きました。これが実に ちゃんとした淀川治水の資料館で、勉強になりました。国交省の淀川事務所、これ近畿圏でいうと、琵琶湖とともに、治水対策を長く続けてきた恒常的な事務所が置かれ、その事業の普及啓発用に作ったものだそうです。一時期、閉鎖したと言っていたか、館内にいるボランティアの方2人と話をして、「いやとても勉強になりました」とお礼を言う。雰囲気としては、隣の事務所で働いていた国交省の職員OBのようでした。デレーケの治水は著名だが、直線的な新淀川を通したくらいは知っていたが、浅い流れに対して両側に水制を施し、流れを狭め、川の力で水深を浸食させ深くするといった技術も導入されたのだとか。この結果「わんど」と呼ばれる干潟が両岸に発達した。そうした歴史展示、イタセンパラはじめ生き物の展示、それと堤防を作っている頃の古い写真の企画展をやっていました。明治期には三十石船はなくなるも、蒸気船に置き換わ り、京阪電車の敷設で水上交通がなくなるまで、運行していたようです。
◆淀川の「わんど」の再生事業もやっているそうで、資料館でも、淀川を美しくするとか、外来魚の駆除とか、そういう活動もやっているようです。
◆資料館を出たところには、八幡市で掘りだされた、かつての煉瓦造りの樋管施設を一部移築して説明看板を立てているほか、加茂町で高橋美久二さんが調査した大阪城残念石1個も据えてありました。

1月30日は京都で呑み会

◆3人でしたが、近鉄側の飲食店のなかのおっさん飲み屋で・・・。そのあとカラオケを1時間。この 間、富山にも電話しました。すいませんでした。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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