人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2月26日渋谷向山
◆第9回目、12箇所目の立入り。今年もまた立入りの世話役。前日夜、なんとか40部の資料を印刷 し、かばんにつめて持ち帰る。帰りの電車で資料を見返していると、過去の調査区を記入した図のトレンチ番号などがなぜだが飛んでいる。帰ってから、再度、玉1の報告書を読み返して予習をしておこうと思っていたが、資料の作り直しである。で、読みながら、所見を記入してなんとかA3の資料を作り直し、朝、コンビニにPDFを持ち込んで印刷。
◆比較的早目に出て桜井まで行き、巻向駅から歩いて到達、茶店で時間まで待機。1時間弱前くらいに現地入りして、みなさんの到着を待つ。予定通り13時から2時間の予定でなかに入る。いろいろと考えるところがあったが、復元案という形でまとめる必要がある。感じたのは、周濠を造り上げている土塁こそ、近代の陵墓の象徴だ、ということ。目隠し的に土塁をめぐらせ、内側を濠状に整えている姿、これが渋谷向山古墳だけでなくどこでもそうなのだが、古墳の当初の姿をゆがめてしまっていて、それを取っ払った、修陵前の田 畑の姿にリセットして、そこから調査区の成果を理解していかなければならない。
◆造り出し、造り出しなんでしょうね。入れてくれませんでしたが。これ手前の平坦面から上面までは1.5mくらいかもしれないが、濠底からすれば、かなりのボリュームの土壇になる。
◆終了後、天理に移動して検討会、その後反省会。
◆比較的早目に出て桜井まで行き、巻向駅から歩いて到達、茶店で時間まで待機。1時間弱前くらいに現地入りして、みなさんの到着を待つ。予定通り13時から2時間の予定でなかに入る。いろいろと考えるところがあったが、復元案という形でまとめる必要がある。感じたのは、周濠を造り上げている土塁こそ、近代の陵墓の象徴だ、ということ。目隠し的に土塁をめぐらせ、内側を濠状に整えている姿、これが渋谷向山古墳だけでなくどこでもそうなのだが、古墳の当初の姿をゆがめてしまっていて、それを取っ払った、修陵前の田 畑の姿にリセットして、そこから調査区の成果を理解していかなければならない。
◆造り出し、造り出しなんでしょうね。入れてくれませんでしたが。これ手前の平坦面から上面までは1.5mくらいかもしれないが、濠底からすれば、かなりのボリュームの土壇になる。
◆終了後、天理に移動して検討会、その後反省会。
さて2月25日
◆国公立前期入試。構内はひっそりし、研究室で仕事をしています。明日の陵墓の資料作りがメイン、それと夕方の会議を欠席するうちの日本史学会の委員会に提出する資料作り、28日の久津川の会議に出す資料も、とは思うが、どこまでいきますか。
2月24日 大阪市→久津川
◆午前に大阪市の豊臣石垣の会議があり出席する。終了後、金曜日からの測量にむけて、久津川車塚古墳の下見。線路の東側に手をつけた最後の測量は2014年12月27日で、その後、西側の2回の発掘に入り、中座していた。杭はちゃんとあり、計測しても問題はなかった。初日の金曜日、わたしは不在なもので、院生に任せることになるので、その1日、作業がちゃんと進められるよう、見に行った。
◆線路際はブッシュまたブッシュで、ちょっと草刈りを入れないとしんどい。なので、やりやすいところを南へ攻めていくこととし、3本の新規杭を打設しておいた。
◆この間、電車のなかで古市・百舌鳥古墳群の被葬者論の原稿を書いており、ほぼ完了した。ちょっと分量が多くなったので、図を入れ込み、文章をかなり削らないといけない・・・。
◆線路際はブッシュまたブッシュで、ちょっと草刈りを入れないとしんどい。なので、やりやすいところを南へ攻めていくこととし、3本の新規杭を打設しておいた。
◆この間、電車のなかで古市・百舌鳥古墳群の被葬者論の原稿を書いており、ほぼ完了した。ちょっと分量が多くなったので、図を入れ込み、文章をかなり削らないといけない・・・。
2月23日 岩屋山リーフを入稿する
◆2年前の研究費で、1基計測する予定だったところ、岩屋山についてはデータ提供をいただけることに なり、新規で文殊院西の計測とデータ加工、+岩屋山のデータ加工を実施し、このためリーフレット予算がなくなり、公表できてなかったもの。
◆文殊院が1尺長い・・・
◆文殊院は既に納品済みで、2月23日に岩屋山を入稿した。次は松岳山の測量概報告である。これも3月中には納品されるであろう。まだ入れてませんが。摩湯山の本報告も少し動いているが、溜まっている正式報告を加速させねばならない。それと、久津川の測量の残り、線路の東側を春にやってしまう予定だが、測量が完了したら、夏までに測量概報16頁ものを出す予定である。
◆この日、『市大日本史』の入稿作業にも着手する。
◆文殊院が1尺長い・・・
◆文殊院は既に納品済みで、2月23日に岩屋山を入稿した。次は松岳山の測量概報告である。これも3月中には納品されるであろう。まだ入れてませんが。摩湯山の本報告も少し動いているが、溜まっている正式報告を加速させねばならない。それと、久津川の測量の残り、線路の東側を春にやってしまう予定だが、測量が完了したら、夏までに測量概報16頁ものを出す予定である。
◆この日、『市大日本史』の入稿作業にも着手する。
2016年2月14日 近つ
◆午前、考古で近つの速報展に行く。ついでなので、代表的な横口式石槨として鉢伏山西峰・観音塚と、聖徳太子墓を見てから、館へ。
◆論文試問にむけて読んでないのを読まないといけないので、わたしはここまで。院生・学生らは奈良に向かう。
◆論文試問にむけて読んでないのを読まないといけないので、わたしはここまで。院生・学生らは奈良に向かう。
2016年2月12日 301部屋の整備など
◆考古の作業日。136/127の遺物、暗室の遺物などを、301に運び込み、展示ケースならびに研究資料棚に収め、あわせて報告書の整理もすこしやる。
21日の日曜日
◆招聘したお二方とも、やはり都城関係で何度も来られていて、奈良はまわっているので、堺市に 続き、大阪側の見学地をセットする。大阪歴博の方に車を出していただき、最初に藤井寺市のシュラホールに行き、古市古墳群を知ってもらい、そのあとは富田林の寺内町を案内する。ほんとはわたしの車だったはずなんですが、免停なもので・・・。和風の屋敷や民家をけっこう楽しんでいただけましたよ。そこでお昼もすませる。
◆午後は高槻市に行き、今城塚の資料館。館長さんにお願いしており、古墳現地から展示室まで、丁寧に案内いただきました。企画展の最終日でもあったようです。そのあと新池の窯跡にも行き、大阪に戻り少し時間もあったので、大阪城の石垣も見てもらいました。18 時から懇親会。
◆朱先生は日本語はまったく問題なく、梁さんはそうではないので、日本語、筆談、英語で、意思疎通を図ろうとするが、こっちの英語があきれるくらいお粗末で、ぜんぜん出てこないが、まあ仲良くなれるものである。
◆午後は高槻市に行き、今城塚の資料館。館長さんにお願いしており、古墳現地から展示室まで、丁寧に案内いただきました。企画展の最終日でもあったようです。そのあと新池の窯跡にも行き、大阪に戻り少し時間もあったので、大阪城の石垣も見てもらいました。18 時から懇親会。
◆朱先生は日本語はまったく問題なく、梁さんはそうではないので、日本語、筆談、英語で、意思疎通を図ろうとするが、こっちの英語があきれるくらいお粗末で、ぜんぜん出てこないが、まあ仲良くなれるものである。
シンポ当日
◆あいにくの雨。やはりやや客足に影響したかも知れません。330席に対し、事前の申し込み、抽選 で、来ない人も2割程度はあるので、考慮の上で抽選したが満席にはならなかった。むろん寂しくはなく、多くの人に集まっていただきました。
◆みなさん、ものの見事にほぼプログラム通りの時間で進む。最後のディスカッションに臨むも、一定予想はされたが、メインの中国や韓国の報告に対する質疑でほぼ終わってしまい、日本側の共同研究メンバーもそれぞれ15分発表し、ディスカッションに登壇したが、座っているだけでした。
◆改進論で議論を闘わすには、大阪側の者は改新そして難波宮を大きく評価することでまとまってしまっているので、それほど大きく評価しない側の研究者と議論する、ということが必要ですね。
◆学情に場所を移して懇親会。お開き後、もう一軒、久しぶりに雪国に行く。
◆みなさん、ものの見事にほぼプログラム通りの時間で進む。最後のディスカッションに臨むも、一定予想はされたが、メインの中国や韓国の報告に対する質疑でほぼ終わってしまい、日本側の共同研究メンバーもそれぞれ15分発表し、ディスカッションに登壇したが、座っているだけでした。
◆改進論で議論を闘わすには、大阪側の者は改新そして難波宮を大きく評価することでまとまってしまっているので、それほど大きく評価しない側の研究者と議論する、ということが必要ですね。
◆学情に場所を移して懇親会。お開き後、もう一軒、久しぶりに雪国に行く。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。