人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
上野の条里
◆学内のある原稿を、やっと出した・・・。もう18時をまわってしまったが、これでひとつ終わりと。
◆こないだの条里制研究会で、群馬県の方が上野の条里の発表をしていて、いちばん興味があった。その前に昨年のニンジャ君の発表が論文になっていて、会誌を読んでいたが、まあ細かいことがいろいろ書いてあって、さっぱりだが、項目としては勉強になります。が、前提が条里はずいぶんあととの認識で、土地区画がなくても班田できるんだとか、やはりそういう論調だし、やはり文献からすると8世紀以降の話しかできない、ということもよくわかる。
◆でまあ、この上野の発表は楽しみにしていた。両側の河川から水を引いてくる水路の年代が8世紀中頃で、ケイハンの下の区画溝の遺物は8世紀後半で、と結論は8世紀後半としつつ、児玉条里と同じく7世紀後半にさかのぼる可能性を示唆する。8世紀前半には面的に施工されていた、というところまで、まずはいかないかなと希望するが、それは発掘の蓄積を待つほかないだろう。なんや8世紀後半かと資料では感じたが、報告者と話をしてみると、さらにさかのぼるとみているようである。
◆資料にも児玉条里の引用はあったが、こっちと同じく『月刊文化財』で、ソースは同じだが、そ こはちゃんと埼玉県の報告書を見ておられるようで、畦下の埋納坑の土器は7世紀後半なんだそうです。すごいヤンケ。7世紀後半でっせ。関東では条里の研究会が行われているようで、どんな論調なのか知りたいところであるが、是非、『条里制・古代都市研究』で、児玉条里の土器埋納坑の遺物を報告してほしいもの。それと残念なのは、昨年の静清条里の報告が掲載されなかったことで、これについても、第2東名だか90年代の盛り上がり時には8世紀中頃みたいな話だったかと思うが、その後の成果があるかどうか知らんが、どこまでさかのぼりうるかということと、面的施工だという点を、是非、次号に掲載してほしいものです。
◆で、群馬のこういうよくできた労作の図を見ると、ついうれしくなってしまいますね。A3片側だけのスキャンで、この右側もあります。
◆こないだの条里制研究会で、群馬県の方が上野の条里の発表をしていて、いちばん興味があった。その前に昨年のニンジャ君の発表が論文になっていて、会誌を読んでいたが、まあ細かいことがいろいろ書いてあって、さっぱりだが、項目としては勉強になります。が、前提が条里はずいぶんあととの認識で、土地区画がなくても班田できるんだとか、やはりそういう論調だし、やはり文献からすると8世紀以降の話しかできない、ということもよくわかる。
◆でまあ、この上野の発表は楽しみにしていた。両側の河川から水を引いてくる水路の年代が8世紀中頃で、ケイハンの下の区画溝の遺物は8世紀後半で、と結論は8世紀後半としつつ、児玉条里と同じく7世紀後半にさかのぼる可能性を示唆する。8世紀前半には面的に施工されていた、というところまで、まずはいかないかなと希望するが、それは発掘の蓄積を待つほかないだろう。なんや8世紀後半かと資料では感じたが、報告者と話をしてみると、さらにさかのぼるとみているようである。
◆資料にも児玉条里の引用はあったが、こっちと同じく『月刊文化財』で、ソースは同じだが、そ こはちゃんと埼玉県の報告書を見ておられるようで、畦下の埋納坑の土器は7世紀後半なんだそうです。すごいヤンケ。7世紀後半でっせ。関東では条里の研究会が行われているようで、どんな論調なのか知りたいところであるが、是非、『条里制・古代都市研究』で、児玉条里の土器埋納坑の遺物を報告してほしいもの。それと残念なのは、昨年の静清条里の報告が掲載されなかったことで、これについても、第2東名だか90年代の盛り上がり時には8世紀中頃みたいな話だったかと思うが、その後の成果があるかどうか知らんが、どこまでさかのぼりうるかということと、面的施工だという点を、是非、次号に掲載してほしいものです。
◆で、群馬のこういうよくできた労作の図を見ると、ついうれしくなってしまいますね。A3片側だけのスキャンで、この右側もあります。
土日は入試業務
◆タイトルだけです。大阪城とか、高槻とか、1日研究室にいることがないので、雑用がたまっている。本日、14日、久しぶりで何もないので、朝から、予算執行の最後の伝票処理やら、ブログを書いて、資料類を整理したりしております。
◆朝、杉本駅を出てコンビニによってから職場にむかうと、駅のところで4回生が立っており、電車の中でわたしを見かけたらしいが、傘をもってないようだったので、待ってくれていたのだとか。いや~、人を幸せにするひとですね。でも気をつけて、男はすぐに誤解するので。
◆ちなみに、いつも朝行く「ぱんのいえ」で、なかなかの女性が一人いるのですが、前に「歩けるようになったんですね」とニッコリほほえんでくれ、幸せな気持ちになりました。
◆明日から、免停期間短縮のため、休みを取って丸2日の講習を受けに門真に通います。ちょうど90日の半分に到達するので、申し込んだ際、2日目の帰りに免許を受け取れるらしい。それはありがたい、もっかい、免許証をもらいに行かないといけないと思っていたので。で、2日目の16日には、長女が北海道から帰ってくる。長男は19日という。大学院進学の手続きを終えたらしい。こっちはこっちで、2人分の下宿の火災保険の振り込みをしたり、と。
◆で、コンビニで支払った用紙を整理していると、もうひとつ城陽の水道代を払ったのだが、何も考えずに、10月初めに引き払った宿舎の残額がえらい長いことかかっているなと思ったら、1月2月分とあり、アチャー、水道止まってない・・・!。その間、基本料金を何も見ずに支払っていたのでありました。あほ。
◆朝、杉本駅を出てコンビニによってから職場にむかうと、駅のところで4回生が立っており、電車の中でわたしを見かけたらしいが、傘をもってないようだったので、待ってくれていたのだとか。いや~、人を幸せにするひとですね。でも気をつけて、男はすぐに誤解するので。
◆ちなみに、いつも朝行く「ぱんのいえ」で、なかなかの女性が一人いるのですが、前に「歩けるようになったんですね」とニッコリほほえんでくれ、幸せな気持ちになりました。
◆明日から、免停期間短縮のため、休みを取って丸2日の講習を受けに門真に通います。ちょうど90日の半分に到達するので、申し込んだ際、2日目の帰りに免許を受け取れるらしい。それはありがたい、もっかい、免許証をもらいに行かないといけないと思っていたので。で、2日目の16日には、長女が北海道から帰ってくる。長男は19日という。大学院進学の手続きを終えたらしい。こっちはこっちで、2人分の下宿の火災保険の振り込みをしたり、と。
◆で、コンビニで支払った用紙を整理していると、もうひとつ城陽の水道代を払ったのだが、何も考えずに、10月初めに引き払った宿舎の残額がえらい長いことかかっているなと思ったら、1月2月分とあり、アチャー、水道止まってない・・・!。その間、基本料金を何も見ずに支払っていたのでありました。あほ。
3月11日は高槻
◆朝、考古の作業日。年度末で買わしてもらった、136のトナー・インクやコピー用紙の整理棚、博物館実習関係の諸道具を収納する整理棚が来たので、それを据えて、モロモロの置き場所を整理し、部屋全体も整える。残り時間で、久津川の遺構トレースをしてもらうのに、2回生にイラレの使い方を教える。12時に大学を出て高槻に。2時間の予定の会議は3時間にのび、3つほどの議題について審議する。2年前のことを思い出しつつ、さてどうするか、というところ。
◆文化庁からも埋蔵の主任調査官含め2名が出席し、懇親会に誘われ出る。委員長のW先生と議論し、少しおこられ、反省する面と反発する面と・・・。いずれにしても心配をおかけしていることを認識する。
◆この間、世界史の漫画をず~と読んでいたのと、どこからか塚口先生の論文集に書く、津堂城山 古墳の原稿に取りかかる。図面をずっといじっているが、なかなか津堂はわからないですね。墳丘裾部の定点が片側しかないもので。合理的な復元案まではいかないのは仕方ない、か。空中写真、空中レーザー図、藤井寺の図、うちの地上レーザー図、濠内の探査図、調査区とのその遺構などなど、あらゆるものを総合する。が主軸もわからんし、後円部の心も決まらんし、とほほです。
◆文化庁からも埋蔵の主任調査官含め2名が出席し、懇親会に誘われ出る。委員長のW先生と議論し、少しおこられ、反省する面と反発する面と・・・。いずれにしても心配をおかけしていることを認識する。
◆この間、世界史の漫画をず~と読んでいたのと、どこからか塚口先生の論文集に書く、津堂城山 古墳の原稿に取りかかる。図面をずっといじっているが、なかなか津堂はわからないですね。墳丘裾部の定点が片側しかないもので。合理的な復元案まではいかないのは仕方ない、か。空中写真、空中レーザー図、藤井寺の図、うちの地上レーザー図、濠内の探査図、調査区とのその遺構などなど、あらゆるものを総合する。が主軸もわからんし、後円部の心も決まらんし、とほほです。
ことのついでに
◆大阪城に公園駅側から入ると、いやとにかく青屋門側から入ると、東内堀は確かに迫力 がある。この石垣の陰影図を作るにはどうしたらよいだろうか。
◆大阪城はとにかくデカいので、石垣といっても、ぜんぶ観察しようとしても、なかなかできない。普通は、出入りする途中に見えるものを眺めているだけである。前に、1枚の写真を撮るのに2時間くらい、この東内堀をうろうろしていたが、ほんとはそれくらいかけて観察しないと、顔が見えてこないのだろう。もっとも、その時はあくまで写真が必要だからやったのであって、石垣を観察したわけでもない。大阪城の石垣のツラがわかっている人は、ほぼいないのだろう。
◆1期から3期の時間差や、大名による差など、学問的にやろうとすれば、途方もない観察時間がいるし、写真とメモではしんどい。やはり資料化された石垣の図を作るのが重要。とはいえ対象はでかく、ぜんぶいっぺんにとなると、結局は整理しきれなかったりもするだろう。効率的に、どのくらいの水準の図を作るか、そして南内堀→東内堀と、区切りをつけながらやっていくしかない。なにより研究費を取ってくることが大事、という根本問題もある。まじめに研究費を取りに行こうと、考えつつある。
◆どうやるか、ドローンによる写真撮影とフォトスキャンでのマッチング、それと現地での基準点 測量の組み合わせ、というのがいちばんいいかも。前に本丸500分の1作成業務を出したとき、地上レーザースキャンなわけだが、試しに天守台の1/100陰影図を作った。まあ、もひとつ前に刻印まで出るようなスキャンをやってもらった精度は出ないが、ひとまず石垣をとらえるには一定十分。それが右。やっぱり、こういう図があるからこそ、積み上げの書き込みとか、隅の処理の仕方とか、といった作業が可能となる。
◆が、内堀となると距離が離れている。また地上レーザーで、この天守台でも、石垣の上の方は見上げになって、データそのものもよくないんだろう。陰影図になっても白っぽい。やはり写真かなと。ドローンだと高いところも、いろんな角度からの写真が撮れる。
◆大阪城はとにかくデカいので、石垣といっても、ぜんぶ観察しようとしても、なかなかできない。普通は、出入りする途中に見えるものを眺めているだけである。前に、1枚の写真を撮るのに2時間くらい、この東内堀をうろうろしていたが、ほんとはそれくらいかけて観察しないと、顔が見えてこないのだろう。もっとも、その時はあくまで写真が必要だからやったのであって、石垣を観察したわけでもない。大阪城の石垣のツラがわかっている人は、ほぼいないのだろう。
◆1期から3期の時間差や、大名による差など、学問的にやろうとすれば、途方もない観察時間がいるし、写真とメモではしんどい。やはり資料化された石垣の図を作るのが重要。とはいえ対象はでかく、ぜんぶいっぺんにとなると、結局は整理しきれなかったりもするだろう。効率的に、どのくらいの水準の図を作るか、そして南内堀→東内堀と、区切りをつけながらやっていくしかない。なにより研究費を取ってくることが大事、という根本問題もある。まじめに研究費を取りに行こうと、考えつつある。
◆どうやるか、ドローンによる写真撮影とフォトスキャンでのマッチング、それと現地での基準点 測量の組み合わせ、というのがいちばんいいかも。前に本丸500分の1作成業務を出したとき、地上レーザースキャンなわけだが、試しに天守台の1/100陰影図を作った。まあ、もひとつ前に刻印まで出るようなスキャンをやってもらった精度は出ないが、ひとまず石垣をとらえるには一定十分。それが右。やっぱり、こういう図があるからこそ、積み上げの書き込みとか、隅の処理の仕方とか、といった作業が可能となる。
◆が、内堀となると距離が離れている。また地上レーザーで、この天守台でも、石垣の上の方は見上げになって、データそのものもよくないんだろう。陰影図になっても白っぽい。やはり写真かなと。ドローンだと高いところも、いろんな角度からの写真が撮れる。
豊臣大坂城天守台サウンディング
◆夏の山里丸の続きの第2弾が当初計画であったが、工事?の関係で、追加調査が難しそうなので、 対象を変えて天守台とした。これ博学連携の共同調査で、経費は同僚のN氏の研究費である。
◆豊臣大坂城の復元案は、なんとかさんが図化しているが、2年前だかに作成した500分の1本丸図に、改めて下層の豊臣大坂城を重ね、比較的浅い位置で石垣が捉えられるのではないかと思われるところを、埋設管も考慮して計画。右図は2012年6月の報告会の時に作ったパワポの1枚で、豊臣大坂城本丸は3段築成だが、その一番上の詰の丸の石垣を捉えるにはどこが候補になるか、考えたときのもの。
◆3月8日~10日の3日間で実施。中日の9日は雨で、午前やり始めたが、ぜんぜんガラに当たって入 らんし、やめにした。写真は3日目(10日)の天守台東辺ねらいの設定の様子。
◆この間、呑み会も続いてしんどく、終了後、大学へ行く気力もなく、早く家に戻り、だいたい寝ていた。また大阪城公園駅からのコースを選択するが、本丸は遠く、足が痛む。足の方はまだ完全とは言えず、右足をひきずりつつ、2年ほど前からの左膝も痛い。
◆豊臣大坂城の復元案は、なんとかさんが図化しているが、2年前だかに作成した500分の1本丸図に、改めて下層の豊臣大坂城を重ね、比較的浅い位置で石垣が捉えられるのではないかと思われるところを、埋設管も考慮して計画。右図は2012年6月の報告会の時に作ったパワポの1枚で、豊臣大坂城本丸は3段築成だが、その一番上の詰の丸の石垣を捉えるにはどこが候補になるか、考えたときのもの。
◆3月8日~10日の3日間で実施。中日の9日は雨で、午前やり始めたが、ぜんぜんガラに当たって入 らんし、やめにした。写真は3日目(10日)の天守台東辺ねらいの設定の様子。
◆この間、呑み会も続いてしんどく、終了後、大学へ行く気力もなく、早く家に戻り、だいたい寝ていた。また大阪城公園駅からのコースを選択するが、本丸は遠く、足が痛む。足の方はまだ完全とは言えず、右足をひきずりつつ、2年ほど前からの左膝も痛い。
条里制・古代都市研究会つづき
◆研究発表の話はこれくらいとし。この間、都城やら古代寺院やら、地方官衙やら、基本的には遠のいていたが、年1回くらいは、こういう話を聞くのも勉強ではある。
◆初日の懇親会はどうしようかと思ったが、考古側の発表者の知り合いも少なくないので参加、2次会にも行きました。帰り着いたのは0時20分くらいだったか。2日目も、午後終了後、16時くらいから西大寺で呑む。
◆府中の森博物館に、ごっつい国府の模型ができて据えてあるらしい。熊野神社古墳の時に委員会に出ていたが、博物館にいかずじまい。機会を見つけて行かないといけません。府中市が50年間1700次にわたって発掘調査を継続してきたことに改めて敬意を表するとともに、備後国府の40年の取り組み含め、それだけの覚悟と腰を落ち着けて調査を重ねることの重要性を感じざるをえない。
◆初日の懇親会はどうしようかと思ったが、考古側の発表者の知り合いも少なくないので参加、2次会にも行きました。帰り着いたのは0時20分くらいだったか。2日目も、午後終了後、16時くらいから西大寺で呑む。
◆府中の森博物館に、ごっつい国府の模型ができて据えてあるらしい。熊野神社古墳の時に委員会に出ていたが、博物館にいかずじまい。機会を見つけて行かないといけません。府中市が50年間1700次にわたって発掘調査を継続してきたことに改めて敬意を表するとともに、備後国府の40年の取り組み含め、それだけの覚悟と腰を落ち着けて調査を重ねることの重要性を感じざるをえない。
またしばらくご無沙汰でしたが、この間
◆3月5日と6日は条里制・古代都市研究会に行きました。委員になり、また自分が発表して以降、行くようになり3年目ですが、1回目、2回目とも、翌日は別の研究会でしたが、今回初めて2日間とも参加しました。
◆府中の武蔵国府の話や、受領の話など、国府がどう推移し、終わっていくか、というのがひとつのテーマでした。2日目の備後国府を含め。12、13世紀くらいまでのようです。
◆素人的には、地域による差があるのはわかる一方で、なにか共通の経緯みたいなものはないのか、と漠と考えていた。自然消滅ということはないんだろうから、どこかで国庁はじめ国府諸施設を基本的に放棄するということなのだろうから、それはなんで?と。全国的に廃止令があるようなものでないにせよ、守護が置かれるとか、共通する経緯があるんとちゃうんかな、と。
◆それと、中世府中への移行の問題。ぜんぜんわかりませんが、古代的国府はなくなるにしても、国衙の機能もあるのか?とか、中世の府中とはいったいなんやねん?、という基本的な理解がないもので。場所が変わるところはそうとして、古代国府が中世府中に移行しているところも多かろう。武蔵だってそうなわけです。古代国府がいつごろ姿を表すのか、7世紀の後半とか終わりだとして、12世紀まででも500年のなかで地域の中核としての伝統は形成されており、人々の一定集住する都市的な発展も遂げたとして、不連続的に中世府中として再利用されていくのか、なにがしかの機能が続いていて古代的国府遺跡外でそれが継続していて、そこに守護所もくっついてきて、府中として連続していくのか、そのあたりの問題。
◆府中の武蔵国府の話や、受領の話など、国府がどう推移し、終わっていくか、というのがひとつのテーマでした。2日目の備後国府を含め。12、13世紀くらいまでのようです。
◆素人的には、地域による差があるのはわかる一方で、なにか共通の経緯みたいなものはないのか、と漠と考えていた。自然消滅ということはないんだろうから、どこかで国庁はじめ国府諸施設を基本的に放棄するということなのだろうから、それはなんで?と。全国的に廃止令があるようなものでないにせよ、守護が置かれるとか、共通する経緯があるんとちゃうんかな、と。
◆それと、中世府中への移行の問題。ぜんぜんわかりませんが、古代的国府はなくなるにしても、国衙の機能もあるのか?とか、中世の府中とはいったいなんやねん?、という基本的な理解がないもので。場所が変わるところはそうとして、古代国府が中世府中に移行しているところも多かろう。武蔵だってそうなわけです。古代国府がいつごろ姿を表すのか、7世紀の後半とか終わりだとして、12世紀まででも500年のなかで地域の中核としての伝統は形成されており、人々の一定集住する都市的な発展も遂げたとして、不連続的に中世府中として再利用されていくのか、なにがしかの機能が続いていて古代的国府遺跡外でそれが継続していて、そこに守護所もくっついてきて、府中として連続していくのか、そのあたりの問題。
岩屋山のリーフレットがでけた
◆これについては2年前にデータ提供とか、関係機関にお世話になりながら、できていなかったが、文殊院西に続いて仕上がりました。表紙の写真がちょっとボケてて、あれれ。3月中に、もうひとつカラー16頁モノを上げるので、いろんなところに送るのは4月に入ってからですね。
◆国の予算も通ったそうだし、科研は4月1日に結果はわかりますね。通らんもんかな。採択されれば、スタートダッシュで、横口式石槨をばしばし計測してやる!、と思っているのですが。
◆それとこないだ、フォトスキャンのデモを見せてもらいました。画像のマッチング技術はすごいですね。4つキーを叩いたら、3D画像ができる。発掘された葺石がグルグル回ってました。
◆国の予算も通ったそうだし、科研は4月1日に結果はわかりますね。通らんもんかな。採択されれば、スタートダッシュで、横口式石槨をばしばし計測してやる!、と思っているのですが。
◆それとこないだ、フォトスキャンのデモを見せてもらいました。画像のマッチング技術はすごいですね。4つキーを叩いたら、3D画像ができる。発掘された葺石がグルグル回ってました。
3月5日(金)
◆朝早めに行き、午後からの卒論演習(これいまの3回生全員に対する卒論の説明と、各自の構想発表という定例行事)の資料を印刷する。10時からは博学連携の会議。改新シンポⅢのアンケート結果も示された。主な議題は次年度の話だが、既にメタセコイア、真田丸のシンポ、石山本願寺の連続講座、とだいたい固まっている。来年度は、真田丸のシンポでの豊臣大阪城で1本しゃべるくらいかな。とはいえ、これ山里丸でのサウンディング調査を報告しろ、ということで、むろんやらせてもらえるならやるんですが、詰の丸の再発掘の話も1本あり、そっちと一緒にしゃべってもらった方がいいように思い、なにか別ネタをとも思っている。が、まあ戦国期のもちネタがあるわけでもなく・・・。
◆13時から卒論演習。まあなんとか説明する。古代史は多いが、来年は考古は0なのです。氏姓制度とか、対外関係とか、古墳時代にかかわるテーマの人もいるんですが。まあ院生3人(うち修論2)に集中しよう。
◆まあ、へろへろです。明日は条里制・古代都市研究会だし・・・。1月31日に枚方宿に遊びに行って以来、休んでないですね。富山に行ってホタルイカを食ってカラオケをしたいものです。
◆13時から卒論演習。まあなんとか説明する。古代史は多いが、来年は考古は0なのです。氏姓制度とか、対外関係とか、古墳時代にかかわるテーマの人もいるんですが。まあ院生3人(うち修論2)に集中しよう。
◆まあ、へろへろです。明日は条里制・古代都市研究会だし・・・。1月31日に枚方宿に遊びに行って以来、休んでないですね。富山に行ってホタルイカを食ってカラオケをしたいものです。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。