人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
文系展示はじまる
◆この土日かかりっきりでした。理系は、パワポで、文字と図表の組み合わせを示してくれました が、文系は、文は文、そこにこの写真を入れる、くらいで、具体の組み合わせ、配列を示してくれないもんで。そこはパネルという実際の実物に仕上げるということは、そこまで計算しなければならないわけである。
◆いまのスマホ社会にも何となく通じるような気がする。いまかれらはやりとりはずべてSNSになっていて、情報を共有することはよいことなんだけれど、電子的というか、画面上の世界というか、バーチャルというか、実物に表現する、実物として仕上げる、ということと距離があるように思うわけです。頭の中で、この文にこの写真なんかをくっつけて、というイメージはするけれど、その写真はタテかヨコか、大きさはどのくらいにとか、そういうことをやるには、実際にプリントして打ち出しを見たり、配列してみたりという営為が必要なわけです。
◆まあしかし、昨日の時点でどうなるかと思ったが、本日の午前中を含めて巻き返し(いや~途中印画紙がない!と言われ、買いに走りましたが)、無事、5限の時間を中心に、少しオーバーして18:20にはなりましたが、展示を終えました。ちょこちょこ、手直しも発見され、それを居残りで今日中にやってくれるようです。24日以降、大学に来たくないですからね、今日中にすべてを仕上げる!、と宣言していた通り、なんとかなりました。
◆いまのスマホ社会にも何となく通じるような気がする。いまかれらはやりとりはずべてSNSになっていて、情報を共有することはよいことなんだけれど、電子的というか、画面上の世界というか、バーチャルというか、実物に表現する、実物として仕上げる、ということと距離があるように思うわけです。頭の中で、この文にこの写真なんかをくっつけて、というイメージはするけれど、その写真はタテかヨコか、大きさはどのくらいにとか、そういうことをやるには、実際にプリントして打ち出しを見たり、配列してみたりという営為が必要なわけです。
◆まあしかし、昨日の時点でどうなるかと思ったが、本日の午前中を含めて巻き返し(いや~途中印画紙がない!と言われ、買いに走りましたが)、無事、5限の時間を中心に、少しオーバーして18:20にはなりましたが、展示を終えました。ちょこちょこ、手直しも発見され、それを居残りで今日中にやってくれるようです。24日以降、大学に来たくないですからね、今日中にすべてを仕上げる!、と宣言していた通り、なんとかなりました。
いくつかのこと
◆ここ数日で、カミさんと言い合いになったことが2点。ひとつは夫婦別姓の問題。当たり前だが、 選択肢として別でいっこうにかまわないことに賛成なのだが、しかし違憲とされなかった。最高裁の女性裁判官、弁護士出身の男の裁判官は違憲、裁判所あるいは法務省上がりのお役所の人間はすべて合憲ということがすべてを語っていよう。民意のグラフは本日の新聞に出ていた通り。通称で、なんでしたっけ不具合は一定解消されるから、違憲とはいえないというのが結論でしたね。戸籍上は同姓に甘んじよ、通称を名乗ればいいではないか、というもの。そうすることの精神的苦痛が、こうした裁判官には伝わらないのでしょう。我慢しろ、と。もめたのは、これを転換させるにはどうしたらいいのか、という手法の話ですが、詳しくはやめときます。
◆もひとつの、女性が再婚するのに100日間をあけるという規程が残ったことも、あほらしい話である。
◆昨日、八剣伝で呑んでいてもめたのは、なんだったか、もう忘れちまった。脳細胞はここまで衰えてきている。
◆もひとつの、女性が再婚するのに100日間をあけるという規程が残ったことも、あほらしい話である。
◆昨日、八剣伝で呑んでいてもめたのは、なんだったか、もう忘れちまった。脳細胞はここまで衰えてきている。
五代友厚像
◆文学部と商学部の間に設置予定の銅像の基礎工事が始まっている。これはむろん「あさがきた」 なんかより早く、同窓会組織が発案して大学側に求めたもので、大学史室長らは、五代が創設者とはいえない、といった反論をしたのだが、その文章自体は出てこないので論点は不明。私設の大阪商業講習所1880の設立に深くかかわり、これが市大の源流というわけであろう。
◆これが1881府立商業講習所→1885府立大阪商業学校→1889市立大阪商業学校→1901市立大阪高等商業学校(東京と神戸、すなわちいまの一橋大と神戸大とならぶ3つの高等商業学校。高等教育機関への位置付け)→1928大阪商科大学(大学化)となる。
◆ちなみに市大は、1949年に、4つの学校をまとめるとともに、総合大学化したので、源流は大阪商科大学だけでない。工業関係の学校、家政科の学校、そして医学、それぞれの歴史があり、1949年までの発展があり、それら市が管轄する学校をまとめたわけである。むろんそのなかで、戦前から大学だったのが大阪商科大なので、メインストリームといえるが。
◆ちなみに調べていると官公立という言葉が出てくる。いまでいう国公立なわけだが、国家が枢要で「官」なる言葉のもつ重みがあったのでしょうね。官憲とかも。が引っかかるのは「公」の方で、むろん設置者の区別のために、ここでいう「公」には国が入らないという形で識別する必要性はあるのだろうが、国は「公」ではないみたいな気持ちになってしまう。本来はすべて公立で、そのなかに国立と都道府県立と市立がある、というのが現代社会では望ましいのだろう。
◆大学史資料室も、府大と一緒になるとさらにたいへんですね。ちなみに、いま大学史が図書館でやっている大学の歴史の展示は、図書館のなかでももっと東側の広報スペースに移して、いまの展示部分は企画展でまわしていくべきだ、と言っているのですが、そう簡単ではないようです。
◆これが1881府立商業講習所→1885府立大阪商業学校→1889市立大阪商業学校→1901市立大阪高等商業学校(東京と神戸、すなわちいまの一橋大と神戸大とならぶ3つの高等商業学校。高等教育機関への位置付け)→1928大阪商科大学(大学化)となる。
◆ちなみに市大は、1949年に、4つの学校をまとめるとともに、総合大学化したので、源流は大阪商科大学だけでない。工業関係の学校、家政科の学校、そして医学、それぞれの歴史があり、1949年までの発展があり、それら市が管轄する学校をまとめたわけである。むろんそのなかで、戦前から大学だったのが大阪商科大なので、メインストリームといえるが。
◆ちなみに調べていると官公立という言葉が出てくる。いまでいう国公立なわけだが、国家が枢要で「官」なる言葉のもつ重みがあったのでしょうね。官憲とかも。が引っかかるのは「公」の方で、むろん設置者の区別のために、ここでいう「公」には国が入らないという形で識別する必要性はあるのだろうが、国は「公」ではないみたいな気持ちになってしまう。本来はすべて公立で、そのなかに国立と都道府県立と市立がある、というのが現代社会では望ましいのだろう。
◆大学史資料室も、府大と一緒になるとさらにたいへんですね。ちなみに、いま大学史が図書館でやっている大学の歴史の展示は、図書館のなかでももっと東側の広報スペースに移して、いまの展示部分は企画展でまわしていくべきだ、と言っているのですが、そう簡単ではないようです。
さて12月19日
◆橋下市長の勇退。しばらく前には府?自民党の方針変更で、府・市両大学統合案が可決見込み との新聞報道。昨日の教授会でも冒頭おそらくそんな話になったのだろう。頭のところ、博物館実習展でパネルを作っている履修生等の仕事作りで、いなかったが。共通教育をどうするか、教室のキャパとか、そういうことが現実問題では大きいのだろうが、学部教育はそう変わりなく移行できると思うが。いよいよ進んでいくことになろう。
◆このところ気になる新聞記事を見ても、マメに切り取って保存することができていない。数日経って古新聞をめくる気力もない。なので、その時の引っかかりだけで流れていくのはよくない。博物館実習展で、戦前の「大阪商大事件」を勉強させてもらっています。マルクス主義経済学者はどこでも目をつけられていただろうが、自由主義的な考え方、あるいは反戦・厭戦の気風となると、大学によって差はあろう。しかし大阪商科大学では100人くらいの学生がケルングループの運動に参加しているという、そこは客観性が必要であれ、全国の大学でもレジスタンスの隠れた拠点になっていたわけです。しかしやがて特高に目をつけられ、30人くらいが治安維持法違反で検挙され、取り調べを受けた者が60人くらいはその外にいるという。
◆そして戦後、大学から追い出された教員の復帰、当局に協力的だった教員の排除という、大阪商大の戦後処理、これもまた面白い。学生等が集会を開き、ただちに辞職させるべき者3名、辞職勧告する者8名といったことを決め、学長に提出。大きく報道され、影響は大きい。教授会も、GHQそして文部省からの復職させる方の対応とともに、逆に出て行ってもらう者の取り扱いにもおよぶ。こうして大阪商大では半分がいなくなり、新たに若手の研究者を採用し、それは1949年の大阪市大へ移行する。広川先生の言でいくと、戦後、大学の民主化、戦後処理で、ここまでのことをやった大学は、全国的に見ても特筆すべきと。
◆京大法学部はそれはそれで大変だったろうし、滝川事件報復人事が行われたとも。大阪商大では単科大学だったのでそこまでだが、京大でも他学部のなかにはいろんな思想の人がいただろうが、戦後の刷新というのはほとんどなかったのではないか。東大とかは・・・。
◆まあよい。仕事、
◆このところ気になる新聞記事を見ても、マメに切り取って保存することができていない。数日経って古新聞をめくる気力もない。なので、その時の引っかかりだけで流れていくのはよくない。博物館実習展で、戦前の「大阪商大事件」を勉強させてもらっています。マルクス主義経済学者はどこでも目をつけられていただろうが、自由主義的な考え方、あるいは反戦・厭戦の気風となると、大学によって差はあろう。しかし大阪商科大学では100人くらいの学生がケルングループの運動に参加しているという、そこは客観性が必要であれ、全国の大学でもレジスタンスの隠れた拠点になっていたわけです。しかしやがて特高に目をつけられ、30人くらいが治安維持法違反で検挙され、取り調べを受けた者が60人くらいはその外にいるという。
◆そして戦後、大学から追い出された教員の復帰、当局に協力的だった教員の排除という、大阪商大の戦後処理、これもまた面白い。学生等が集会を開き、ただちに辞職させるべき者3名、辞職勧告する者8名といったことを決め、学長に提出。大きく報道され、影響は大きい。教授会も、GHQそして文部省からの復職させる方の対応とともに、逆に出て行ってもらう者の取り扱いにもおよぶ。こうして大阪商大では半分がいなくなり、新たに若手の研究者を採用し、それは1949年の大阪市大へ移行する。広川先生の言でいくと、戦後、大学の民主化、戦後処理で、ここまでのことをやった大学は、全国的に見ても特筆すべきと。
◆京大法学部はそれはそれで大変だったろうし、滝川事件報復人事が行われたとも。大阪商大では単科大学だったのでそこまでだが、京大でも他学部のなかにはいろんな思想の人がいただろうが、戦後の刷新というのはほとんどなかったのではないか。東大とかは・・・。
◆まあよい。仕事、
三国へ行き
◆簡易裁判所に出頭、略式起訴?、罰金8万円納付・・・。これだけありゃ、久津川の打ち上げをやれるだろうに。心配いりません、2月に城陽飯店でやりますので。
ヘナチョコ軍隊が最大の抑止力
◆と誰かが言ったそうな。コンビニがないとか、スマホがつながらない、とか。前にピースの集会に行った時も、似たような話を聞いた。いまの自衛隊は、若い者の要望にいかに合わせていくかに、大きな労力を傾けていると。そうでないと来てくれない。そしてもし戦場に行っても、上官の命令に従わないかもしれない。憲法で特別法を作ってはいけないという規定があるのだそうです。軍の法律をつくって、上官の命令にしたがわなければいけないとし、したがわなければ軍法会議にかけられ裁かれる(いまは無論そんなものはない)、という仕組みを作らないと、実戦は困難。だから石破は法制化を主張している。そうすると憲法改正が必要。
◆現状で、かけつけ支援とかに行って、偶発的になにかに巻き込まれたとき、自衛隊の若い者が果たして役に立つのか。どうもだめみたい、という認識なんだろう。だから、これでは戦えない、というのが最大の抑止力になる、というブラックな話です。
◆前のピースの時、アメリカ軍では、市街戦の至近距離で命のやりとりをする場合、相手を撃っても、即死でない場合、絶命まで8秒くらいあり、その間にとどめを刺す訓練をしているのだそうだ。そうでなければ、自分がやられるかもしれない。そんな極限の世界で、果たしてそういうことができるのか。
◆朝、国分駅前のぱんのいえでコーヒーを飲みつつ、土曜日の朝、パンを買いに来る人たちを見ていた。おいしいパンがいっぱいならんでいる。平和である・・・。70年間、戦争をしてこなかったからこその風景。平和ボケでなにが悪い。その平和を維持する努力をし続けないと、やられてしまうこの日本というのもまっとうとはいえないだろう。
◆現状で、かけつけ支援とかに行って、偶発的になにかに巻き込まれたとき、自衛隊の若い者が果たして役に立つのか。どうもだめみたい、という認識なんだろう。だから、これでは戦えない、というのが最大の抑止力になる、というブラックな話です。
◆前のピースの時、アメリカ軍では、市街戦の至近距離で命のやりとりをする場合、相手を撃っても、即死でない場合、絶命まで8秒くらいあり、その間にとどめを刺す訓練をしているのだそうだ。そうでなければ、自分がやられるかもしれない。そんな極限の世界で、果たしてそういうことができるのか。
◆朝、国分駅前のぱんのいえでコーヒーを飲みつつ、土曜日の朝、パンを買いに来る人たちを見ていた。おいしいパンがいっぱいならんでいる。平和である・・・。70年間、戦争をしてこなかったからこその風景。平和ボケでなにが悪い。その平和を維持する努力をし続けないと、やられてしまうこの日本というのもまっとうとはいえないだろう。
研究はアナがあるからやるのではない
◆そう、面白いからやるのです。なんでも、誰かの本のことがテレビ?で紹介されていたが、スキというパワーを知るべし、と。はやりとか、トレンドとか(同じか)、金がつくとか、先生が言うからとか、そんなものはニセモノなのである。面白いからやるのです。スキだからやるのです。スキだからこそ、求めるのです。眠らずともやるのです。雑用をほっといて、やってしまうのです。だって、やりたいんだもん。理屈じゃねえ。意義じゃねえ。そういうおもしろさ、スキのパワーを知るべし、ということだろう。それこそパワーの源泉なのでしょう。
2012年12月12日の土曜日
◆今日もまた、朝からこの1週間の片付けをやっとります。早く文系の博物館実習展の仕事にかからないといけないのですが、到達しません・・・、とほほ。文化庁にいるときは、とにかく、毎日の片付けをやって、むろんぜんぶ切りがつくことなどありえませんが、出張したら出張して部門への報告はその日のうちにまとめるとか、持ち越さないようにしていた。いまは無理。なので、土曜日、その週にあったことを、メモを見返しつつ整理したり、片付かないメールを処理したり、事務的なことをやったりとする。土日のうちのどっちかはそんなんで、片付けば、日曜日は自分のことができる。いまはどこかの論文が1本。まあしかし、これは年末年始の休み期間で、一挙に仕上げるほかはない。
◆いまは博物館実習展ほか、それどころではない。博物館実習展の前半が22日に終わり、その日は展示替えで、文系展示を完成させないといけない。翌日から、娘の様子を見に北海道に出かけることになっているので、リーフレットも含めて、デッドラインが22日。そこにむけてスパートです。
◆ボーナスが出たが、ぜんぜん増えやしませんね。この10年、給料は上がりません。さて、昇任すると、いくらになるんでしょうか。あまり期待をせず・・・
◆いまは博物館実習展ほか、それどころではない。博物館実習展の前半が22日に終わり、その日は展示替えで、文系展示を完成させないといけない。翌日から、娘の様子を見に北海道に出かけることになっているので、リーフレットも含めて、デッドラインが22日。そこにむけてスパートです。
◆ボーナスが出たが、ぜんぜん増えやしませんね。この10年、給料は上がりません。さて、昇任すると、いくらになるんでしょうか。あまり期待をせず・・・
全学人事委員会でプレゼン
◆2回予行演習をして、指摘を受け、少しずつ直してきた。あとはしゃべり。とはいえ、そうしゃべ ることが変わるわけでもなく、木曜日、朝から院ゼミ、午後、考古の研究会をやり、昼休みに一通りパワポを見返しながらしゃべることを頭に入れ、15時出頭する。副学長2名のほか、センターにおられたのは誰だろう。理事の方なんでしょうか、理系の方なんでしょうか。
◆20分のプレゼン、1分ほどオーバーしたかもしれないが、まあ。質疑10分の受け答えもまあまあ、か。スライドの最後のところ、当初は、もうすこし突っ込んだものを入れようかと思ったりもしていた。全学中枢に直訴できるいい機会ですし。が、おとなし目にした。
◆自分はどんな仕事をしてきたか、いましているのか、客観的に見つめるいい機会ですね。
◆20分のプレゼン、1分ほどオーバーしたかもしれないが、まあ。質疑10分の受け答えもまあまあ、か。スライドの最後のところ、当初は、もうすこし突っ込んだものを入れようかと思ったりもしていた。全学中枢に直訴できるいい機会ですし。が、おとなし目にした。
◆自分はどんな仕事をしてきたか、いましているのか、客観的に見つめるいい機会ですね。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。