人を幸せにする人になろう

3月3日ひなまつり

◆ひさしぶりに研究室でと思っていたら、そうか今日は考古の作業日にしていた。上原先生の本をこのところ整理を続けている。あと、書いてませんが、作業をしている301という部屋、昨年、考古の研究展示室としてもらったものですが、なにかと倉庫に押し込めていた資料を、ケースにならべるものはならべ、参考資料は桐の引き出しにいろいろと収納する作業も1ヶ月前くらいにやりまして、なんとなく研究展示室として姿形がそれっぽくなってきています。ひとつの壁のところに収納棚を入れており、ここにコンテナを積む予定ですが、そこに今は本の入った段ボールを置いております。本の整理が片づいたら、整理中のコンテナを搬入したい。
◆午後、大学史移転のWGの会議に出る。0査定が多い中で、なんとか移転費が計上された。が額が1900万が600万・・・。まあ、大学史のいまの機能を移転させる経費への支出が最優先で、展示の費用は、また別途、手当しないといけない、と。とはいえ、金はなくてもできることをやるべし。すこし躊躇していたが、来年度の博物館実習Ⅰでは、大学史の展示を1年かけてやることを宣言してしまいました。大学史、恒藤、そして学内標本の3つ(もひとつ杉本村の古文書)。いよいよ本格的にやらないといけません。すぐ4月が来る。
◆そのあと収蔵庫の話を続ける。どんだけ書架を入れるか、収蔵棚を入れるか、いまある上等のマップケース状のもの5つをどこに配列するか、といったことを具体的に検討する。生活科学部の建築の先生が、設計等を担当しており、いろんな絵を描いてくれている。理学部の先生もメンバー。そのなかで展示部門を担うことになるが、設計側、それと理学部の標本関係など、いまのWGのメンバーとも密に打ち合わせながらやらんといけませんね。
◆そんなんで、4日の第1回卒論演習の準備をやろうと思っていたができず、資料は既存の昨年のままでいくことにする。

西都原2015年度(続々)

◆やはり露出展示は難しいですね。100号も再整備。それと171号の現状を見たが(写真)、なかな かしんどい。両者で状況は違うのだが、171の場合はモグラなんだとか。無数の土が起きた箇所があり、これぜんぶモグラです、とのこと。昨年も生目で地下式の壁がモグラにやられてたのを見たような・・・。あまり近畿ではお目にかからないように思うのですが、そうでもないのでしょうか。
◆豊臣石垣の公開でも、徳川の盛土を剥ぎ取りも劣化は必定だし、地べたにしても地球とつながっている面をそのまま出すのは困難、といった議論をしている。「精巧なつくりもの」が管理上もいいのだろうと話をしている。宇治の太閤堤も、見ていないが、遺構を保護した上にレプリカをのせるようで、作成作業が進めれらていると前に聞いた。
◆そのあと、博物館で、今年度残りで何をやるかと、来年度の調査方針について話し合う。いろいろ過去の報告書をチェックしながら、こうした議論ができたのも有意義でした。最後、博物館の企画展を見る。船がテーマでした。
◆帰り、車で送っていただきましたが、時間帯が時間帯で、空港についてのはけっこうぎり ぎりでした。伊丹には20時着で、いつも外をみてますが、やっぱり進入路がよくわからないまま、奈良盆地だというのがわかり、平群谷が見え、生駒山系を越え大阪側に入ると、まあ明かりだらけです。「東高野街道」は細く、いまの170は太い。古代の直線官道を楽しみました。
◆まあ、けっこうヘロヘロで。

西都原2015年度(続)

◆再整備した100号墳?。発掘中の小型方墳101号墳。そしてメサホの外周溝の調査。昨年に続く265号墳の発掘。現在調査中の3箇所はいずれも実に面白かった。
◆101号は、5世紀前半段階のメサホ・オサホの時期に、ひとつ離れて前期以来の段丘縁辺のところに築かれた小方墳ながら埴輪をもつ。甲冑形、家形、蓋形など、立派。ところが、それが故意に壊され、周溝が埋められているんだとか。う~ん。半分納得。あとは、埴輪を接合して、打ち割られた具体像がわかればきわめて面白い。なぜ壊されたのか?、出過ぎた?。
◆メサホの外周溝は実に面白かった。およそ復元は可能になりつつあり、あとは171号との 取り付き、あるいは陸橋部が明らかになると、宮内庁管理地外での遺構表示が可能となる。写真はメサホの周堤である。実に美しい。だいたい導線からしてメサホ前方部を見ても、なかなかぐるりと西にまわり、オサホ側まで足をのばして見に行くことはないのではないか。かといって東側は、密に杉が生えていて見にくい。西側から見るような環境整備をしてやれば、柵越しにメサホ・オサホとも近づいて見ることができるわけである。そっち側を整備していこうというのは、実にいいことである。
◆265も、二重の周溝になることがほぼはっきりした。確かに松本塚とよく似た、土師ニサ ンザイか軽里大塚くらいのもの。去年、造り出しを掘っていたことはよく覚えているが、周囲の溝の調査はほとんど忘れていたが、これも俄然面白いですね。メサホ・オサホでドカンといくが、そこまででポシャッたものの、5世紀後半に再び前方後円墳が現れ、しかしそれも続かない。が一方で、前方後円墳でないが円墳や地下式横穴が現れてきて、甲冑ももつと。雄略期に軍事編制に取り込んでいくようなことか、な。

西都原2015年度

◆1日は16:55発の飛行機。とても天気良いが寒い。東海道新幹線も混乱したよう。四国の石鎚山あたりか雪がかなり顕著。四国の西海岸あたりも耕地に雪があるように見える。トレースをしていたか、某原稿を書いていたか、忘れたが、あっという間に宮崎。ホテルに入り懇親会に向かう。年1回の楽しい顔合わせである。終了後、いつものように織田薪の釜揚げうどんで占める。九州だと、最初は生ビールでも、あとは焼酎である。部屋にもどってばたっと寝る。
◆4時に目が覚め、のどが渇き、コーラやお茶でアルコールの分解を助ける。シャワー。ちょっと原稿を書くも、眠くなり、起きたら8時前。ひさしぶりに「あさがきた」を見て、朝食。9時前にフロントに。そこから西都原。
◆高千穂もよく見える。もっと連なったように見えるのかと思ったが、手前の高千穂が独立山塊のように姿を現している。

久津川測量図

◆3月1日、午前と宮崎に行く間に、ひととおりトレースする。

2016年2月29日久津川車塚

◆自分、原田、大澤、吉村、安藤。龍神様が暴れ雨との天気予報。9時の現場では雨が落ちていた。 なんとか昼まではやるかと始め、藪のなかでもあり、なんとかやれ、そのうち雨も止まる。最初はP205で残り部分をやる。D5の紙の西南部分の空白も、フラットで、レベリングと、1本ほど等高線を入れて埋めたような気もします。その後、P207に移動し、まずは茶畑E4。だいたいフレームは取った。紙の範囲外も、周囲の街路をめぐらせる時にやればよい。これで昼。
◆ガストで昼飯を食っていると、雨が激しくなり、14時まで待機。まあそのあとは上がっていく雲模様だったので、再開。マシンの位置のD4に立て、線路、北側の竹藪との境界、畑地の境界などなど、輪郭を入れつつ、レベルを落とし、等高線も何本か入れる。D4は完了し、D5の紙に変え、東の道路沿いの周堤の高まりを入れていくが、再び降雨もあり、16:20頃には撤収したように記憶する。
◆老いると、ぐったりです。まあけっこうきましたよ。今日のように、南半分は開けているので、楽。踏切近くまで一気にやれるだろう。問題は竹の密生する北半の線路沿いである。これはちょっとボランティアさんの伐採を入れてもらい、なんとかするほかない。あと2日あれば、終わるかも知れませんね。4月はじめの学期開始までに、なんとか終わってしまい、測量調査概報の作成に進みたい。

打ち合わせアンド打ち上げ

◆14時から城陽市の整理室で、来年度以降の予定、今年度の図面のトレース分担、遺物の洗浄や注 記の予定、月1回の打ち合わせ兼勉強会の予定など、参加者で確認しておくべき事項を打ち合わせる。
◆場所を移動して城陽飯店で17時から打ち上げ。21時過ぎまで、楽しく思い出話に花が咲きました。現場中、作成された、「そうだ、○○を粉砕しよう」といったポスターなど、各種遊び画像をストックしておいてほしい。測量調査概報に掲載しよう(行政用ではありません)。

2016年2月28日久津川車塚 記事№3200

◆自分、長友、道上、木下、安藤、伊藤
◆今日は久津川発掘の整理作業の打ち合わせ、その後、打ち上げとなっており、午前中のみの測 量。刃物がやってきたので、行く手をはばんでいた竹その他の伐採をかなりやり、P205にずっといたが、徐々に周囲へと広げる。史跡になる前の様子はちゃんと知らないが、畑地か、その区画があり、境界溝がめぐり、ところどころに高まりがある。全体はきわめてフラット。その境界の溝の輪郭もなんとか入れていく。

2016年2月27日久津川車塚

◆自分、道上、園原、土井、木下
◆まずP204に立て、道路沿いの園路一体を測量する。P205に据えて昼。午後、P205で測量するも、竹に阻まれる部分も多い。ちなみに、今回、図面を管理していないので、日々の範囲を写真に撮っておらず、正確ではなくアバウトである。
◆天気予報ではあまりよくなかったが17時過ぎまでやる。最後、新たにP206とP207を2本打つ。

2016年2月26日久津川車塚

◆本日より4日間、線路より東の測量。初日は陵墓立入りのため不在。道上・土谷・木下・伊藤・土 井。P203・204・205が26日に打設した新規杭。
◆聞くところによると、まずP200でいま少しやり、次に203に行くもまわりは伐採した竹の牙城があり稼げず、東の道路沿いの高まり(周堤部)のP204に移ったとのこと。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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