人を幸せにする人になろう

11月7-8小豆島石のサミット(8)

◆それから土庄を少しだけ中に入り、宿にもどってきました。15時くらいだったか。そこか らです。シンポの打ち合わせも兼ねた関係者の懇親会が19時からで、そこまで必死にパワポを作る。
◆懇親会、小豆島町長、司会の中村先生、講演者、コメンテーター、10数人で、国民宿舎の宴会場で盛り上がる。失敗。カメラをもっていくべきでした。足がこんなんでなければ、取りにもどるんですけど。なにせ、このメンバーで懇親会を囲むことは2度とない一期一会ですから。自己紹介するのかなと思っていたら、町の担当者が名前を呼んで、頭を下げるくらいでした。
◆ここで築城史研究会のみなさんの大阪城石垣の刻印調査がどのくらい進んでいるのか、わたしはまだコンタクトが取れていないので情報収集。すると、水堀のところはできていないんだとか。そんなんなんですかね。でも、基本的に1959年の総合調査の時に悉皆調査をやっているし、とも思う。かつて調査したところはもっとあっても、整理ができていないとか、そういう状況かもしれませんね。そして今のメンバーは写真を取って石垣をなぞり、改めて刻印を確認してはそこに落としていくという作業をイチからやっているのかもしれない。金沢城は石垣すべてレーザーやっているそうですよ。やっぱり負けてます・・・。まあ、勝ち負けは別にいいが、一度、金沢城の研究所に行くべきですね。
【写真】石切場というか採石工場かもしれません。ここまでやられると、一大産業だったのだろうが、自然破壊・・・とも思う。家島も関空埋め立てで、島の山がかなりこんなんになっている。石の産業は復活して欲しいと願うが、しかしこういう風景を見ると、やみくもな石取りも考え物とも思わずにはいられない。

11月7-8小豆島石のサミット2015(7)

◆醤油蔵の町。雰囲気はとてもよい。ゆっくり歩きたいところだが、その前に腹ごしらえを と、飲食店をさがすが、なかなかない。そーめんの町でもあり、そーめん工場のところに店もあるのだが、たぶん麺を売っているものだろう。一番大きい醤油蔵で、資料館があり、大きい駐車場があってバンバン観光客が来るところがあるのだが、そこにも売店はあれど飯を食うところがない。ちなみに、このあたりの醤油蔵のスタンプラリーをやっていた、けっこう、見学できるよう公開しているらしい。これもまた歩き回れるようになったら、再訪しなければ。でもともかく、醤油蔵を歩き、ちょっとコーヒーを飲む喫茶店や、食べるところを整備した方がいいように思う。なんとか記念館にやってきてさっと立ち去り、あまり町歩きをしてくれないのかもしれないな~とは思うが、きっと需要はありま す。
◆で、ふと宿泊場所で見た「島活」という店のチラシを思い出し、昼のメニューが1000円代くらいの、ちょっとよさそうな店があったので、そこへ行こうと。そうすると土庄だった。いろんなところに立ち寄りながら一周しようとしていたわけだが、間をすっとばして再び土庄まで行ってしまうことになるが、そこへ行く。なかなかいい店でしたよ。昼の部はラストオーダーが13:30で、14時までなのだが駐車場は満杯でにぎわっていました。

11月7-8小豆島石のサミット2015(6)

◆それから福田を抜け、東海岸へ。岩ヶ谷丁場跡を見る。国指定。5箇所ほどだったか、あ るのだけれど、道路脇にあるものしか見に行けなかったが、さすがに国史跡ですね。矢穴の開いた石がゴロゴロしていて、たしかに迫力がある(写真上))。ここは黒田の石切場らしい。長政と子の世代である。
◆その先には、天狗岩の丁場はこっちという、やや山を上がっていくところの道路脇に説明看板があった(写真下)。そこには平面図が示されていて、そのゴロゴロ感からすると、なかなか見応えがありそうです。けれども、この足ですから、「また来るぞ」ということにして、あとにする。
◆そこからも基本は島一週。普通だと、途中新たにトンネルが掘られ、坂手に抜けるいい道がついて、そこを通ってしまうのだろうが、岬の先端の燈台をめざす。
◆そしてそこから北上して坂手にはいる。神戸港へ行くフェリーの港があり、二十四の瞳の分教場のある枝分かれする半島基部を抜けると、そこは醤油蔵の世界である。

11月7-8小豆島石のサミット2015(5)

◆そうこうするうちに、北側のなかでは比較的大きな川が流れ水田が広がる平野部をもつ小  海に出る。ここに残念石の公園があったのだが、現在は道の駅となっている。背後には石切丁場が4箇所ほど。ここは細川の石切場であったという。
◆あちこちにあった切り出されたいわゆる「残念石」が集められ、海岸に並べられ、公園になっていた。ここに一度来たかったわけである。が、道の駅ができて、景観はだいぶ変わってしまう。海に面してはいるが、船で大坂に行くはずが残された感が薄らいでいるように思う。
◆資料館があり、大坂築城の石を出した話はもちろん、小豆島の花崗岩石材業の歴史が学べる。いちばん羽振りがよかったのは明治以降のようである。しかし戦後どっかの段階から、外国の花崗岩が入ってくるようになり、石屋さんがどんどんなくなり、いまは3社という。8日のサミット当日、そのうちの1つの会社の社長さんと少ししゃべったが、ベトナム産で、アモイに会社があるのかな、そこから日本に入ってくるのだととか。値段では絶対に勝てないと・・・

11月7-8小豆島石のサミット(4)

◆土庄の町。エンジェルロードというのがあり、潮が引けば白砂の陸橋で島がつながるところがある。その基部にいくも、足がこれなので、そこまで。
◆土庄の町は「迷路の町」というキャッチコピーがつけられているが、あとまわしとする。 この町は、小豆島本体と、厳密にはわずかな海峡というより水路で隔てられた島がある。写真はその水路。世界一幅の狭い海峡というのをウリにしている。
◆基本的に全周をめざして外をまわることにする。で、島をめぐり、また水路のところに戻ってくるが、ここが土庄港。カネヤのゴマ油工場が土庄港の西にある。ゴマ油というとなじみのあの黄色い蓋のやつである。独特の香りがあたり一面に広がる。そこから小豆島の西海岸を北上する。
◆北側は全体に山がちで、海まで山塊がのびる。ところどころに川が流れ村があったか。ま た山の方には棚田で有名なところがあるらしい。山は高い。最高峰は・・・。11月、観霞渓の行けば、かなり紅葉が進んでいるかと思われる。

11月7-8小豆島石のサミット2015(3)

◆翌日、朝ご飯を食べて、8時過ぎには出かける。いま町村合併で、およそ東北から西南方向の山地にもとづき、南半分の小豆島町と北半分の土庄町の2町となっている。で、土庄町に向かう。
◆途中、なんとかの桟敷という段々の石垣があり、神社の背後の傾斜地に設けられたもの で、祭りの時、ここでは御輿なのか不明だが、その観覧用である。石の島、小豆島ならではといえるかもしれない。
◆一眼レフデジカメを、先に書いたようにもって出れなかったが、いつものイクシーがポケットに入っていて、姫路飾磨港とか写真を撮っていたのだが、気づけばSDが入っていなかった・・・、大ショック。で、この日、コンビニに「もしかしら」、と寄ってみるとちゃんとあるではないか。8ギガが1000円。安くなったものですね。まあ、これで観光にもやる気が沸くではないか。

11月7-8小豆島石のサミット2015(2)

◆19:05に福田港に着く。島の東側から南へまわり、三都半島を抜けたところの国民宿舎に 入る。1組だけ、本体の国民宿舎でなく「ふるさと荘」という離れだという。食事のあと、部屋に案内されて納得。バリアフリー室になっているツインの洋室だった。入り口はスロープで少し上がるが、そこからは部屋、バストイレに段差なく、風呂には風呂用の椅子がある。ありがたい話である。この日は「ふるさと荘」はわたしらだけ、職員もフロントにおらず、23時消灯という。まあ、パワポ作りに困らないというか、好都合。
◆その前に「ふるさと荘」フロントのところの、あらゆるチラシをもらい、小豆島の情報収集。観霞渓、二十四の瞳の分校場、坂手の醤油蔵(そう醤油が特産なのである)、オリーブ 園はもちろんあるが、あまり興味はない。小海の残念石は北岸のまんなかあたり、岩ヶ谷は東海岸、といったことを学習する。
【写真】上は国民宿舎から見た、2泊した「ふるさと荘」。それと、国民宿舎から海を見た写真だが、石のサミットの幟。これ、あちこちにはためいてました。屋島がすごく近い!。

11月6-7小豆島石のサミット2015(1)

◆8日は小豆島石のサミット。7日もプレイベントがあるが、この足なのでクルージングは辞 退し、だけど6日入りして、土曜日は小豆島を回ろうという計画。行きは姫路―小豆島(福田港)、帰りは小豆島(坂手港)―神戸とする。
◆5日木曜日段階、シンポジウムのパワポは0。金曜日、2箇月の現場で車も汚く、点検の時期でもあり、例のタカタのエアバッグのリコールもあって、日がないので、ホンダに予約を入れ、朝から車を点検整備に出す。これが9時に入ったのに11:30までかかる。これだと大学に寄る時間がない。必要なものは持ち出していたが、一眼レフデジカメラはフル充電して準備していたのに、置いてきたので持ち出せず。
◆カミさんに付き添いを頼んでおり、13時京橋。姫路飾磨港15:10発、30分前として14:40。あと30分早くしておけばよかった・・・。
◆結局、着がほぼ15:10で、港に着いたとき、ちょうどフェリーは離れたところでした。が、この日は、明石海峡大橋の工事渋滞が第2神明にのび、無茶苦茶な大渋滞になっていたのである。あれはひどかった。それがなければ間に合ったんですけど。
◆1本遅らせ、次は17:25発。天ぷらそばを食べ、銀の馬車道の展示を見たあと、パワポを作り始める。乗るつもりの15:10発だと、1時間40分で着いて、国民宿舎に入るにはちょうどよかったのですが、遅れたので外ももう暗い。まだ明るければ外を眺めていたいところ。が、外の夜景をながめることなく、パワポ作り。国民宿舎に電話を入れると、チェックインしたら食堂直行でお願いしますとのこと。
【写真】オリーブ

11月3日(明治の日なんて認めません)台場資料なんとか

◆だいたい昨日の2日にパワポ含めてアバウトできる。本日、もうちょっとやって資料はもうこんな ものとしよう。パワポはまた当日にチョコチョコっとやって、なんとかなるだろう。趣味で、やっぱりこういう年表を作る。

ハイガイ、ハマグリ、アサリ

◆潮干がりといえばアサリ。が縄文の貝塚でいえば、松島湾とか岩手とか、そっちの方で、森ノ宮にはない。大阪湾岸で工場が進出する前、ず~と浜辺が伸びていたわけだが、じゃあ何が取れたのかを聞くと、大浜あたりでハイガイ、住吉ではハマグリだったそうです。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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