人を幸せにする人になろう

つづき2

◆さてシンポ。210名ほどの申し込みがあったが、実際の来客は170くらいだったようだが、ホール がだいたい埋まり、みなさん熱心に聞いていただいた。3本の講演で一休みし、第2部からわたしも登壇し、最初は、ごく短く3人の方に関連のコメントやっていただきディスカッションに入る。
◆細かくいろんなことを書いておく余裕はないが、森ノ宮遺跡が西日本最大級の貝塚であることは確認できたし、そのなかでも遺跡の概略は捉えられていること、基本層序や存続時期もわかり、各時代の土器が連続的に弥生前期まで認められる。そしてカキからセタシジミへという変遷も明瞭。その上でまだわかっていない居住域がおよそ想定できるようになったのがひとつ。加えて、セタシジミは淡水化した目の前の河内「湖」で取ったものでなく、まだ汽水域であるので、交易で淀川で採取したものではないかという見解が新たに提起された。ほかにも生まれたばかりの赤ちゃん骨が新たな見直しで確認され るなど、1970年代の調査時点での理解が、今回のシンポを機に、講演者などみなさんが改めて元資料にあたることを含めて見直し、それをもちよって実態に迫るという試みがなされたシンポであった。
◆森ノ宮貝塚は国史跡になってぜんぜんおかしくないものだ。大阪城・難波宮に加え、森ノ宮遺跡もあるということについて、普及啓発が進められることを望む。

続き

◆そのあと歴博に行く。8階の企画展示室で、発掘速報展と、その一画で特別出品された森ノ宮遺跡 始め縄文時代の遺跡資料を並べてくれているのを見る。宰相山遺跡や勝山遺跡などの資料もある。森ノ宮遺跡では晩期の土器がまとまって出ている。そして弥生前期と、森ノ宮遺跡では各時代の土器が出ている。ちなみに縄文中期に始まり、後期にカキ層の貝塚が形成され、晩期になるとカキは死滅したようで、セタシジミとなるが、下層で晩期、上層で弥生前期土器が含まれる。稲作はさてどっから始まるのか、というのも興味深い。4000年前の後期には上町台地を下りたところは汀になっていてカキが取れたわけだが、その後の沖積化で、ここでも農耕を始める土地条件になっていると理解できる。晩期のどこかで試行が始まっているのかどうか、森ノ宮遺跡はそういう農耕開始の問題にもかかわる遺跡といえる。

10月31日、森ノ宮貝塚シンポ

◆無事、終わりました。とにかく知っている人は名前は知っているが、知らない人も多いだろう し、名前を知っていても遺跡の状況をちゃんと知っている人はさらに少ないだろう。わたしも授業で西日本最大級の貝塚と喧伝してはいるが、実はほとんど知らない。それを概略まず知ってもらうというのが、言い出した者としての趣旨。それを博物館協会のO君が、内容を具体化してくれ、講演者やコメンテーターを考え、先にも書いたが、関連してピロティホールの展示室の公開や、関連展示なども組み合わせることも実現してくれた。ほんとうに感謝に堪えない。
◆で、10時からピロティホールの展示公開があるので出かけていく。この建設にともなう調査が行われたのが1970年代中頃なのだが、聞いていると、坪井清足さんがピロティ方式で残せと指示したのだそうである。下に貝層の大部分を残したということ、これがなにより大事で、関係者の 尽力に感謝しなければならない。
◆入っていくと、次々にお客さんがやってくる。うれしいじゃないですか。ここ、元は週1回、特定曜日は開けていたようだが、指定管理か、大阪市の直接の管理でなくなり、いまは年に1回か数回、公開日を設けるだけになっているのは、もったいない話である。大阪市が管理していると、職員さんの業務の中で、公開曜日の鍵の開け閉めなどをやれたのだろうが、いまはホール利用の管理運営を外に出しているものの、展示部屋の公開は切り離されており、公開するには市教委の担当が貼り付かないといけなくて、限られた数日となっているようだ。
◆土器や石器、人骨など、主要な遺物はここにある(歴博の展示では土器1個に石器いくつか)。が、公開状況が以上のような状態。そしてピロティホールの外側に、この下に西日本有数の貝塚があるという説明板はない。現地に行ったとき、市街地で貝塚が見えるわけではないが、どこにどう貝層が広がっていて、どんな遺跡なのかを知ってもらえる、まずは説明板の設置をやってほしいもの。

10月29日、病院に行く

◆レントゲンを撮り、診察。白い骨の間の黒い筋となっている骨折箇所、まだ黒い。治癒し固まってくると、右と左の白い骨と同じような白さの、つまりは一続きみたいになるのだろう。そもそも、このカカト、いっぱい折れていて、単純な骨のように修復するようなことはしない。カカトのショウ骨がいっぱい割れて、真ん中が高く両側に下がる角度をなしているものが、真ん中の部分が陥没した形で、全体として平ら気味になっている。そうすると、上の骨との間の関節部分の隙間が開いており、そのままだと上からの体重を均等にカカト骨が受けられない。それをカカト側から金属の棒を2本入れて、骨折した骨の大きなパーツを串刺ししながら、上にもちあげて隙間を詰めるという手術をした。
◆その状態で骨の固まるの待つのだが、だいたい8週間らしい。11月下旬には固まってくるというところだ。で、ほんとはそれまで動かさないのが骨が固まる上では早く、1ヶ月から2ヶ月入院となる。なので、2週で出てきたので、ぶつけたり、カカトに体重がかかるようなことは絶対するなと言われる。一方で、あまり使わなくなる右足の筋肉が落ちるのと同様に、骨萎縮といったか、体重がかからないために骨密度が疎になるのだそうです。リハビリの意味は、徐々に体重をかけて、骨の密度を元にもどしていくようだ。

ついでに大学史のシンポのちらしも

◆博物館実習展で、文系は「戦争と市大」みたいなテーマでやる。商大事件という治安維持法での 検挙を柱とするが、商大創設から、滝川事件で京大をやめて、末川博と恒藤恭を商大は迎え入れる、そのことにも触れることになっている。
◆商大事件については、論文を3本ほど読み、すこし勉強している。結局は治安維持法のどこの違反とみるかが裁判の総点となり、国家転覆罪は適用されなかったと記憶する。ちなみにこの事件、こないだNHKの番組で放送された。戦争が終わって70年、いまの安保法制、それに対するシールズへの弾圧とまでいかないまでも脅迫、そして身勝手だとかいうヤカラのいる現在、やる価値は高いと実は考えている。むろん、展示は淡々と事実を示し、伝え、考えてもらうものにしないといけません。

11月9日から始まる台場の連続講座

◆うちの梅田にある文化交流センターの9月~12月間の講座パンフレットが送られてきたので、台場のところを挙げて おきます。なんかほかのところに比べて内容の説明文が短いですね。この書式だともう1行欲しい。でも注文の文字数を守るとこんなんだったと思う。

無理はできないし、しない

◆果たすべき最低のことはやる、ということでそろそろとまいろう。それでもアマタやることはあり、そのなかでのメリハリも。無理はしないが勝負しないといけないものはある。

遅々として進む!

◆同じようなこと書いてますね。遅々として進まないのでなく、進んでいる。
◆摩湯山の打ち合わせをしていて、南側のこぶの話になり、その裾線は意味があるのではないか。明確でないし、C字になると断言できないがアリウルのではないかと。で五社神型とみているやつはどうなんだろうということになり、金蔵を見直すと、4段+3段なんだな、これが。前にこの作業をやった時に認識しているはずだが、そうなんかと。これ覚えておかなきゃ。王墓ででかくて4段+3段となり、相似墳ではC字を飛ばして3段+3段かと思いきや、でっかいやつでは段築まで同じにしていると・・・。そういう目で見ると、摩湯も・・・。
◆けっこう日曜日、雑々を処理した。とはいえ、入院中だけでなく、その前の現場段階からのものが山積している、ということか。現場中は、そこそこ間で研究室に来て処理しないといけないものはやっていたが、ほかはメールもほったらかしだったし・・・。また明日です。帰ろう。

11月8日は小豆島

◆なぜだか中村先生の推薦で、わたしが大阪城の話をすることに。比較的時間は短いので、これま で知っている話をわかりやすく、と安易に受ける。小豆島に行きたかったわけです。石切場を見て歩きたいと。いい機会と。で怪我をして断りを入れてもよかったのだが、カミさんが連れて行ってくれることになり、そのままやることとする。だたし資料の〆切が入院中で。前に大阪でやった時のものをそのまま出して、これでこらえてくれとお願いしました。
◆校正が送られてきて、北野先生の資料を見て、こりゃかなわんな~と。なるべくバッティングしないよう、前座的に、概要を・・・、なんとか・・・、するほかない。トホホ。
◆翌日の9日は大阪湾岸の台場の話をすることになっており、この準備もせにゃならんが、これ4回講座の最初で、専門はあとの3人なので、こっちはごくごく入り口の話をなんとか・・・、なんとか・・・。

科研も書かなあかんし

◆1日、たまった仕事をやって17時。一息つこう。藤原さんが訪ねてくれ、摩湯山古墳の報告書の打 ち合わせもする。科研、去年はかなり早く学内で締め切られてしまったが、今年は29日、なんとかなんとか・・・。
【写真】病院から見た大県郡の風景。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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