人を幸せにする人になろう

考古学展示室

◆前にすこし話を出した考古学の展示室兼収蔵庫。全学予算はつかなかったが、文学研究科で手 当してもらえることになり、展示ケースと、それに次ぐ資料類を収める収納棚、それとコンテナを積み上げる収蔵棚を見繕う。
◆ささやかながらも、新たに確保した。次は、暗室を特別収蔵庫にするのが目標か。

1月22日、土師ニサンザイ

◆午前、ニサンザイの現場を見せていただく。宮内庁の護岸工事が進んでおり、これまでのやり方 を改良したジオなんとか工法によるものを見ることができた。現在、植生 土嚢を積み上げ中のようである。
【追記】新聞発表もなされたので、わたしの理解を示しておく。

1月21日、大阪城探査打ち合わせ

◆朝、山里丸の探査の打ち合わせに行く。理学部の先生が担当。いま、刻印石の屋外展示のあるあ たりが、絵図から見て、豊臣期山里丸の内部を区切る石垣推定地で、そのあたりで、地下2~3mくらいで反応をえられるかどうか、というところ。それと、今年度、残りどういうことをするかの相談。
◆午後、2つの授業。5限の博物館概論でこける。18時以降、なにもする気が起きず、岩波講座の第1巻をず~と読んでいた。

1月19日、19時

◆朝から高槻へでかけ現場を見て、午後は城陽に。高槻が長引き、かなり待ってもらうことになったが、久津川車塚関係の打ち合わせをする(城陽市+大阪市大+大阪大谷)。17:30くらいに出て、いま大学に戻ってきた。
◆車塚の現場は、思ったより、こっちサイドの比重が高い。頭を切り換えて、現場のことを考えないといけない。2月中頃から3月中旬まで、出張が入っている以外は貼り付かないといけないだろう。アナタ任せでは済まなさそう。およよ、現場、2月22日の改新シンポと、4月のコウケンと、これを何とか乗り切るのが当面の課題である。けっこうきつい。

関宿はいいですよ

◆亀山でゆっくりと町あるき、という企画であったが、博物館を見終わって夕刻も近づき、 機会を改めざるをえない。がすこし雰囲気を味わおう。だが、亀山宿のメイン でなくヘリを通過したようで、そこから関宿へ。関宿はデンケン。えんえんと町並みが続く。いや~関宿はすごいわ。今度は、朝から1日かけて歩くべきですね。
◆亀山の博物館で、市内の宿場町のガイドマップを手に入れる。これがデザインを含めてすぐれもの(右は関宿のマップを開いたもの。。むろん東海道という国道1号線が通り、江戸時代に繁栄し、その町並みがかなり残っているという面はあるのだが、地域地域でこういうガイドマップは作れるはず。A3両面で縦にさらに折った、このくらいのガイドマップがまずは欲しい。むろん、より見所を解説した小冊子が別にあってもいいが。
◆雨というか雪が舞い、夕暮れになり、降りて歩くことはできなかったが、関宿はいいですよ(写真)。それでもって、東に伊勢別街道で津に向かい(古代の駅家があるらしい)、西で鈴鹿越えの 東海道と伊賀への道が分岐し、またそこに古代鈴鹿関があるわけだが、そうした分岐点にある関は、実に味わい深いと思います。
◆本来の目的からそれてしまったが、得るところの多い1日であった。

ようやく亀山

◆で、ようやく亀山。午後もかなり時間が経過し、16時に博物館に入る。外は雪が舞い始め、か なり寒い。ノボノの鰭付朝顔形埴輪がある。開館20周年ともらったものにあったので、1994年にできたのだろう。
◆いろんなことをやろうとしていることがわかる。例えば、子供達を意識して、小学生と中学生の学習に対応させて見てもらおうとしている。それと手作り感がよい。そこが鈴鹿の考古博とだいぶ違う。説明しようという意識。それで自分らで作ったパネルがごちゃごちゃあって、逆にすっきり感がないともいえる。むろん、説明を読もうとする人にはいい。全体として好感がとてももてる。これに加え、プロのライターがベストだが、学校の先生でもよい、展示+解説パネルを客観的に評価してもらうようなことをすれば、より洗練されてくるだろう。でも、好みから言えば、自分らで語ろうとパ ネルを作る方が前提で、よりよくす るのは+α。また、すっきりしすぎるのはよくない。
◆井田川茶臼山古墳のパネルも、そうした象徴的なもののひとつ。県の住宅供給公社が、保存協議をしているのに壊したことに抗議している。

まちかど博物館

◆日永郷土資料館というところにあった無料のもろもろのパンフレットをもらい、東海道のガイド マップ500円を購入する。で、この「まちかど博物館」は、三重県が音頭を取ってやっているようだが、とてもいいものである。お酒や醤油や、陶器や、和菓子や、特産品なんでもいい、いままで公開するような性質でなかったものも、この企画に賛成し、博物館として認定を受け、公開施設として見学者を受け入れるもの。東海道筋でもあり、町歩きなどしているあちこちで、こうした施設があれば、ふらりと立ち寄ることができ、話も聞ける。これぞ、エコミュージアムの考え方そのものである。
◆で東海道のガイドマップ、これも便利です。A5冊子で、見開きA4で地図があり、東海道が書いて あり、見所を配置している。立ち寄った日永郷土資料館のところを掲げて おこう。桑名から鈴鹿峠まで、見開き19葉。これをもって、桑名の渡しから歩いてみたいものである。
◆あちこちで「まちかど博物館」のような事業ができれば、日本もずいぶん文化的になるだろう。そして四日市の地場産品売り場で胡麻油を買ったが、地域地域の品物を買い求める文化とともに。

四日市

◆お昼どうしよか、というので、四日市に行く。博物館はリニューアルで閉めているという記憶が あったが、やっぱり閉まってました。3月に開くそうです。
◆東名阪とかいまの1号線を車で抜けてしまうと、東海道は味わえない。東海道を歩いているグループもあり、車で通るのは申し訳なかったのですが、市街地からしばらく旧道を行く。1号線が込んでいて、抜け道で利用する車の量も多く、すいません。本来は歩くべき。
◆で、資料館と銘打つ旧家があったので立ち寄ると、おじさん3人にどうぞどうぞと中へ招き入れられる。なんて言ったか、ここのもとの家が紀州藩のなんとかで、と、そう いう近世文書から、明治以降のもろもろの器具、扇風機やらアンカやら、和文タイプから、最近、こういうの見る機会が多いですな~。須恵器もありました。日永郷土資料館というのだそうである。

1月17日は鈴鹿亀山

◆17日、センター1日目は仕事はやめ出かける。前にノボノへ行ったとき、中途半端な時間で、亀山 の博物館や町なみを見ることができなかったので、そこを選択。
◆で、まず鈴鹿の博物館(1998~)。3度目くらいでしょうか。いま国分寺の整備が進められている。90年代には長者屋敷の発掘もやっていて、国府の所在地が動いているみたいな話を聞いた記憶がかすかにある。河曲郡衙正倉も見つかっているのだ、これは知らなかった。ちょっと展示は?。考古博物館といえばそうなのだが、モノがありキャプションがあり、が地域の歴史を語るという意識が希薄。いま現在の仮設的な姿なのかも知れないが。資料をさわれるようにしてあり、この日もトンボ玉作りのイベントが行われるようで準備が進められていた。
◆それと古代鈴鹿郡といまの鈴鹿市はかなりずれとんのとちゃうかな。市の名前はしゃーないこと ではあるが。調べてみました。鈴鹿郡の鈴鹿郷はまあ関であり、井田川から東がいまの鈴鹿市で、旧鈴鹿郡でも安楽川一帯の北部が鈴鹿市域のようである。でもいまの鈴鹿市の中心部は河曲郡になる。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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