人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
仕事に果てはなく
◆総選挙も、自民が300議席に迫る勢いだとか。対抗勢力が頼りないのでしょうね。選択肢がないわけだ。そうなれば安倍君は増長するんだろう。戦後レジームからの脱却というやつに拍車がかかりかねない。集団的自衛権や、派遣法や、論点はありすぎるほどあるのに、その危険性を明確に訴え、それでいいのかと問う野党側の鋭いつっこみがない。民主党の中間層うんぬんは正論なのだが、穏やかすぎるのではないのか。経済政策の是非に収斂することがあってはならない。自民党支持者に有利に働くだけだ。せいぜい公明党の軽減税率くらいの問題に矮小化し、経済政策全般への信任となってしまう。
◆いくらか議席が減るかと思っていたのに。天気が悪けりゃ自民や公明の組織票が強く、天気が良くても関心が薄いため、浮動票が大きく作用するという現象が期待できない。
◆いくらか議席が減るかと思っていたのに。天気が悪けりゃ自民や公明の組織票が強く、天気が良くても関心が薄いため、浮動票が大きく作用するという現象が期待できない。
明日は淡輪
◆宮内庁が発掘調査している淡輪ニサンザイの見学会が明日。今週、雨続きで、準備する宮内庁さんもたいへんにちがいない。見学する側も、足下はだいぶ条件が悪いのではないか。わたしは大仙型、5世紀第2四半期から中頃とみている。墳丘本体の発掘で確認される埴輪で、そこいらの年代観はどこまで迫れるのであろうか。
◆まあ、およそ西小山を含めた年代観は川西論文以来定まっており、被葬者像が問題になる。紀ノ川北岸勢力という見方に対し、田中晋作さんはそうでなく、百舌鳥側から送り込まれた人物像を想定しているように読める。オレはやっぱり紀氏かなとは思うが、地盤は紀ノ川北岸でなく、男里川流域、あるいは泉佐野を含めた日根地域かと考えたりもしている。それもまた紀氏集団の一部ではないかと。葛城氏のもとで、大阪湾岸の海上交通を実質的に差配し、和泉郡の勢力もその配下にあり、允恭朝にはまだ登用されるが、そのあと押さえ込まれると、そして根使主の事件へと続く。これで完全に和泉の勢力交替がなされ、日根県および茅渟県という直轄化に進んでいくと考えている。
◆雄略朝に半島へ派遣され病没した紀小弓は、淡輪ニサンザイ古墳の後継者くらいになるのだろう。淡輪に葬られたというが、該当するような古墳はない。
◆まあ、およそ西小山を含めた年代観は川西論文以来定まっており、被葬者像が問題になる。紀ノ川北岸勢力という見方に対し、田中晋作さんはそうでなく、百舌鳥側から送り込まれた人物像を想定しているように読める。オレはやっぱり紀氏かなとは思うが、地盤は紀ノ川北岸でなく、男里川流域、あるいは泉佐野を含めた日根地域かと考えたりもしている。それもまた紀氏集団の一部ではないかと。葛城氏のもとで、大阪湾岸の海上交通を実質的に差配し、和泉郡の勢力もその配下にあり、允恭朝にはまだ登用されるが、そのあと押さえ込まれると、そして根使主の事件へと続く。これで完全に和泉の勢力交替がなされ、日根県および茅渟県という直轄化に進んでいくと考えている。
◆雄略朝に半島へ派遣され病没した紀小弓は、淡輪ニサンザイ古墳の後継者くらいになるのだろう。淡輪に葬られたというが、該当するような古墳はない。
朝熊山経塚群
◆上ったわけですが、いまいち価値がわからなかった。これ解説を聞いても、という話。現地は史跡、経塚遺物の一部は国宝です。明治に「承安三年」銘の経筒が出土し知られるようになり、伊勢湾台風でさらに露呈し、1962年に発掘され、43基を確認したらしい。
◆うちひとつは、1159(平治元)年8月15日に、比丘尼真妙が勧進したことを記した金銅製経筒が出土しており、13巻のお経、銅鏡4面が副葬されていた。うち1面が宝物館に展示されていたが、これはいいものです。で、お経の1巻の奥書に、平治元年8月14日に死んだ「雅彦」の極楽往生を願って書写されたものを記すのだとか。この人物は、補任記録に残る度会雅彦なんだそうである。勧進尼僧真妙は雅彦の妻だろうと推測されている。
◆うちひとつは、1159(平治元)年8月15日に、比丘尼真妙が勧進したことを記した金銅製経筒が出土しており、13巻のお経、銅鏡4面が副葬されていた。うち1面が宝物館に展示されていたが、これはいいものです。で、お経の1巻の奥書に、平治元年8月14日に死んだ「雅彦」の極楽往生を願って書写されたものを記すのだとか。この人物は、補任記録に残る度会雅彦なんだそうである。勧進尼僧真妙は雅彦の妻だろうと推測されている。
博学連携講座
◆12月1日18:30~20:00。大阪駅前第2ビルにある、大阪市大のサテライト、文化交流センターでの 講座。上町台地の歴史4回シリーズ。大阪文化財研究所の上町台地科研の成果をふまえてと銘打ち、仁木さんに、1回やってと言われ、条里とか、大阪の西成郡とか東成郡とか、住吉郡とかの話をしようと・・・。
◆140名登録があったそうだが、天候悪く、実際に来たのは90名。とても資料を印刷してもっていくのは大変。午前中に送ってもらえれば刷りますから、ということで、なんとか午前中にでっちあげてPDFを送る。それから大阪市域の官道や条里やら郡域、郷の比定地などを落とした追加資料を作成する。午後のどこかから実習展の理学部生がやってきて、その対応もあり、思うにまかせず。なんとか1枚作ってカラーコピー。
◆10分オーバーし、20:10までしゃべる。大阪文化財研究所の大学の先輩でもあるMさん、それに地質のTさんも来ているではないか。で、終わった後、ちょっといこかと・・・。東除川の付け替えの話と、百済郡の位置について指摘を受けた。
◆140名登録があったそうだが、天候悪く、実際に来たのは90名。とても資料を印刷してもっていくのは大変。午前中に送ってもらえれば刷りますから、ということで、なんとか午前中にでっちあげてPDFを送る。それから大阪市域の官道や条里やら郡域、郷の比定地などを落とした追加資料を作成する。午後のどこかから実習展の理学部生がやってきて、その対応もあり、思うにまかせず。なんとか1枚作ってカラーコピー。
◆10分オーバーし、20:10までしゃべる。大阪文化財研究所の大学の先輩でもあるMさん、それに地質のTさんも来ているではないか。で、終わった後、ちょっといこかと・・・。東除川の付け替えの話と、百済郡の位置について指摘を受けた。
研究室旅行、伊賀伊勢
◆11月29日と30日。8:00天王寺、総勢40名ほど。西名阪経由で、伊賀上野には1時間くらいで到着。雨・・・。松尾芭蕉 の門人の庵のうち、唯一残っている蓑虫庵。寺町を歩き芭蕉の生家。そっから城跡公園の松尾芭蕉記念館。国文の研究室旅行みたい。そこで昼をはさんで自由行動、城跡、町並み、人それぞれ。オレは単独で町歩き、本町通り、中の町通り、二の筋町、三の筋町など、そして散髪屋に入って髪を切る。
◆上野市駅に集合し、伊勢に向かい、外宮門前へ。新たにできた「せんぐう館」。まあ、新調される祭祀具というのかそういうものの展示は面白いのではあるが、基調はね~、とやあしは らの瑞穂の国、その安寧を祈る神宮、そういう刷り込みの施設とも言える。
◆外宮の駅前の宿。宴会。2:30までつきあうが、限界。
◆翌日は、外宮と内宮+朝熊山。参拝などしたくないので、1人、外宮前で分かれ、内宮へと歩いていく。途中、倭姫社への地元諸地域による「お白石」献納の行列にでくわす。
◆内宮で合流するが、そこからおかげ横町など、参道の茶店を3軒はしごして、河内の条里について検討する時間にあてる。なんで1700歩かを考え続け、答が出たと思ったのだが・・・。まだすっきりし ないが、すっきり説明できるようになれば、また書きます。
◆19:00くらいに天王寺に戻ったのかな。帰ったら20:00、カンベエを見て、講座の準備をと思うが、バタンQ。
◆上野市駅に集合し、伊勢に向かい、外宮門前へ。新たにできた「せんぐう館」。まあ、新調される祭祀具というのかそういうものの展示は面白いのではあるが、基調はね~、とやあしは らの瑞穂の国、その安寧を祈る神宮、そういう刷り込みの施設とも言える。
◆外宮の駅前の宿。宴会。2:30までつきあうが、限界。
◆翌日は、外宮と内宮+朝熊山。参拝などしたくないので、1人、外宮前で分かれ、内宮へと歩いていく。途中、倭姫社への地元諸地域による「お白石」献納の行列にでくわす。
◆内宮で合流するが、そこからおかげ横町など、参道の茶店を3軒はしごして、河内の条里について検討する時間にあてる。なんで1700歩かを考え続け、答が出たと思ったのだが・・・。まだすっきりし ないが、すっきり説明できるようになれば、また書きます。
◆19:00くらいに天王寺に戻ったのかな。帰ったら20:00、カンベエを見て、講座の準備をと思うが、バタンQ。
まあなんとか理系の展示スタート
◆12月2日。今朝7:40に出勤し、パネルの残りの調整。2限の授業に行き、3限の考古学実習は、土器の実測中 だが「やっといて」と展示準備。理学部生等も少しずつ集まり、できるところのパネル作りを進め、5限となる。パネル製作の2名を残し、設営する学情(図書館)へ。事務室へ行き、パネルボードを倉庫から引き出す。実物化石の提供をいただく大阪市立自然史博の学芸員の方にも来ていただく。
◆そこからである。彼らは、昨日、ようやく展示レイアウトを考えたようで、ボードと展示ケースの配列案をもっているが、そこは絵に描いた餅。現場のスペースを考えながら、現場あわせで、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲの各コーナーのボード数を勘案し、展示ケースの置き場を確定させ、展示組みとパネル貼り組に分かれて作業開始。製作中の追加パネルも来て、今日のところの設営を完了して引き上げてきました。現在18:30。
◆全体として、思ったよりもスッキリと収まったように思う。学情の担当の方には、いつも借用するボードの数が決まらず迷惑をかけているが、今日もいろいろとご配慮いただいた。こうした協力の上に成り立っている。大学広報室の方も来て、設営の取材をしていった。ま、ホッと一息である。明日、2限に未完成部分の手直し予定。それで現場はすべて終えたい。
◆そこからである。彼らは、昨日、ようやく展示レイアウトを考えたようで、ボードと展示ケースの配列案をもっているが、そこは絵に描いた餅。現場のスペースを考えながら、現場あわせで、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲの各コーナーのボード数を勘案し、展示ケースの置き場を確定させ、展示組みとパネル貼り組に分かれて作業開始。製作中の追加パネルも来て、今日のところの設営を完了して引き上げてきました。現在18:30。
◆全体として、思ったよりもスッキリと収まったように思う。学情の担当の方には、いつも借用するボードの数が決まらず迷惑をかけているが、今日もいろいろとご配慮いただいた。こうした協力の上に成り立っている。大学広報室の方も来て、設営の取材をしていった。ま、ホッと一息である。明日、2限に未完成部分の手直し予定。それで現場はすべて終えたい。
厳しいのは厳しいが楽観的に行こう
◆12月27日の木曜日、10時から考古の研究会、昼をはさんで14時頃までだったか、もっと早く終わったか。14:40から4限の授業、これが延長して16:40まで。それから職員課に呼び出され、そのあと修論の相談を少し。18時から臨時教授会、そのあと明日の埴輪整理の打ち合わせ、これで19時。
◆合間合間で、条里制の原稿を縮める作業をやり、22時前に終える。朝、10時までの間で、実習展のパネルの原稿に目を通し、履修生に考えて欲しいことを投げる。22時に大学を出る前、メールを見ると、実習展履修者からの追加原稿やらのメールが山ほど・・・。帰宅し、カミさんと飯を食いに出かけ、戻ってきて新聞を読み終わると0時。風呂に入り、いま0:40。さて実習展の原稿を読むか・・・。明日も朝から面接があり、午後はパネル作りにあてている。月曜日の講座の資料はまったく手つかず、18:30からではあるが、行って「ごめんなさい、できません」とでも言おうか。まあ、そんなことはしませんが、最悪、資料もなく、1時間半しゃべるということもアリかもしれません。
◆こんな調子ではあれ、なんとかなるもんです。
◆合間合間で、条里制の原稿を縮める作業をやり、22時前に終える。朝、10時までの間で、実習展のパネルの原稿に目を通し、履修生に考えて欲しいことを投げる。22時に大学を出る前、メールを見ると、実習展履修者からの追加原稿やらのメールが山ほど・・・。帰宅し、カミさんと飯を食いに出かけ、戻ってきて新聞を読み終わると0時。風呂に入り、いま0:40。さて実習展の原稿を読むか・・・。明日も朝から面接があり、午後はパネル作りにあてている。月曜日の講座の資料はまったく手つかず、18:30からではあるが、行って「ごめんなさい、できません」とでも言おうか。まあ、そんなことはしませんが、最悪、資料もなく、1時間半しゃべるということもアリかもしれません。
◆こんな調子ではあれ、なんとかなるもんです。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。