人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
つづき
◆日本書紀編纂にあたって、神武即位を紀元前660年にすべく水増しはしているわけだが、しかし景初3年は正しく239年に位置づけている。まずはそう認められる。日本書紀という編年体史書の建前からすれば、神功摂政は201~269年に位置付けていることになる。
◆次に、神功摂政期間を何年にするのか、その元年をどこにおくのか、とにかく水増しして最終的に紀元前660年が実現すればいい、といったものなのかどうか。神功元年は181年でもいいし、221年相当でもいい。魏志倭人伝を知っていれば、神功元年が181年なら、景初3年の記事は、神功59年に配置する。神功元年を221年としているなら、景初3年の記事は神功19年に配置することになる。神功元年が201年になっていることが偶然の産物、タマタマなんだとみるならそれまで。
◆がそうじゃないだろう。まずは、垂仁でも景行でも仲哀でもなく、神功摂政期間のなかに景初3年の記事が入っている。それとともに、神功摂政期間が201年から269年に配置することは、計算されて案分されているのではないか。そうかいな、ほんまかいな、とここで意見が分かれよう。
◆一方、初代倭国王が卑弥呼であったことは確実にわかっており、その在位期間も伝承されていたんだろうが、日本書紀編纂時にそれは消し去られる。それを考慮すれば、やはり神功像の一面に卑弥呼が投影されている可能性があるんではないか。その神功の元年が181年でも191年でもなく211年でもなく221年でもなく、201年に設定されている意味はあるんではないかな。
◆201年といえば、そうですよね、卑弥呼共立年なんとちゃうんか、というのがわたしの推測です。神功なんかを間におきつつ欠史8代なんかも入れて、それぞれを案分し、たまたま神功摂政期間とした実年代のなかに239年があたってきて、それに相当する神功39年条に景初3年の記事を置いたにすぎない、とは思えないわけです。
◆繰り返しますが、これは本質的な話ではありません。
◆次に、神功摂政期間を何年にするのか、その元年をどこにおくのか、とにかく水増しして最終的に紀元前660年が実現すればいい、といったものなのかどうか。神功元年は181年でもいいし、221年相当でもいい。魏志倭人伝を知っていれば、神功元年が181年なら、景初3年の記事は、神功59年に配置する。神功元年を221年としているなら、景初3年の記事は神功19年に配置することになる。神功元年が201年になっていることが偶然の産物、タマタマなんだとみるならそれまで。
◆がそうじゃないだろう。まずは、垂仁でも景行でも仲哀でもなく、神功摂政期間のなかに景初3年の記事が入っている。それとともに、神功摂政期間が201年から269年に配置することは、計算されて案分されているのではないか。そうかいな、ほんまかいな、とここで意見が分かれよう。
◆一方、初代倭国王が卑弥呼であったことは確実にわかっており、その在位期間も伝承されていたんだろうが、日本書紀編纂時にそれは消し去られる。それを考慮すれば、やはり神功像の一面に卑弥呼が投影されている可能性があるんではないか。その神功の元年が181年でも191年でもなく211年でもなく221年でもなく、201年に設定されている意味はあるんではないかな。
◆201年といえば、そうですよね、卑弥呼共立年なんとちゃうんか、というのがわたしの推測です。神功なんかを間におきつつ欠史8代なんかも入れて、それぞれを案分し、たまたま神功摂政期間とした実年代のなかに239年があたってきて、それに相当する神功39年条に景初3年の記事を置いたにすぎない、とは思えないわけです。
◆繰り返しますが、これは本質的な話ではありません。
博論口頭試問おわる
◆表題の通り。さまざまなご指摘をいただき、本の原稿に整える際に、いろいろと留意せねばならない。仕事とはいえ、時間を取って読んでいただいた審査の先生方に感謝したい。やはり古代史の側から、かなり批判的な意見を受ける。そう言われてもしゃーないことはむろんある。ひばすの佐紀寺間陵のこととか。が、相容れないな~と思うところも多多。
◆そのひとつ。例えば卑弥呼即位は201ではないか、と。そうは思っていても、そこは断定的にはいけないわけで、最初は註に書いていたことが、最後には本文に括弧で入れているとか、こっちも一定の節度が必要だ。がまあ、これはおまけみたいなもんで、別に話の根幹なわけではない。でもまあ、そういうことを書いてくることに対しては、やはり突っ込みが来るわけである。
(1)まず、考古学的に卑弥呼の即位が何年であろうが、2世紀末から3世紀はじめくらいで、考古学の事象を考える上ではでよく、実際の議論もそれくらいで2世紀と3世紀の変化をとらえていくということができるくらいで、別に影響はない。が、即位年は実際には歴史上は起こっているのであり、わかるもんなら知りたいのである。応神の即位年もわかるなら知りたいのである。これはこれで好太王碑との関係でいけば、もっとリアルに知りたいところ。まずは、そういう志向性が自分にはある。ない人にはまったく関係がない。
(2)で、神功39年条に景初3年の記事があるわけだ。神功40年条に正始元年のことが書いてある。神功43年条に正始4年のことが書いてある(それでよかったっけか)。で、神功66年条に倭女王が晋に朝貢したことが書いてある。言っときますが、日本書紀はあくまで神功紀は3世紀前半から半ば過ぎのこととして書いてあるというのがタテマエ。しかしそこには4世紀後半の事象も書いてあって、書いてあることは120年あとの4世紀後半のことですよ~という表明があって応神紀へとつながる。
(3)で、魏志倭人伝を知ってれば、正しい間隔で日本書紀紀年に上に配列することは可能であって、それはどこにでも入りうる(実際はそうではないが)。重要なのは、日本書紀紀年の神功39年とは、持統からず~と紀年通りにさかのぼっていけば、西暦239年になるという事実である。そこに景初3年の記事、すなわち西暦239年の事象が正しく配置されているわけだ。晋書に265の晋建国の翌年の266年にに倭国は使者を送ったわけだが、それを配列する神功66年は、日本書紀紀年でいえば266年になるということだ。
◆長くなるので、改める。
◆そのひとつ。例えば卑弥呼即位は201ではないか、と。そうは思っていても、そこは断定的にはいけないわけで、最初は註に書いていたことが、最後には本文に括弧で入れているとか、こっちも一定の節度が必要だ。がまあ、これはおまけみたいなもんで、別に話の根幹なわけではない。でもまあ、そういうことを書いてくることに対しては、やはり突っ込みが来るわけである。
(1)まず、考古学的に卑弥呼の即位が何年であろうが、2世紀末から3世紀はじめくらいで、考古学の事象を考える上ではでよく、実際の議論もそれくらいで2世紀と3世紀の変化をとらえていくということができるくらいで、別に影響はない。が、即位年は実際には歴史上は起こっているのであり、わかるもんなら知りたいのである。応神の即位年もわかるなら知りたいのである。これはこれで好太王碑との関係でいけば、もっとリアルに知りたいところ。まずは、そういう志向性が自分にはある。ない人にはまったく関係がない。
(2)で、神功39年条に景初3年の記事があるわけだ。神功40年条に正始元年のことが書いてある。神功43年条に正始4年のことが書いてある(それでよかったっけか)。で、神功66年条に倭女王が晋に朝貢したことが書いてある。言っときますが、日本書紀はあくまで神功紀は3世紀前半から半ば過ぎのこととして書いてあるというのがタテマエ。しかしそこには4世紀後半の事象も書いてあって、書いてあることは120年あとの4世紀後半のことですよ~という表明があって応神紀へとつながる。
(3)で、魏志倭人伝を知ってれば、正しい間隔で日本書紀紀年に上に配列することは可能であって、それはどこにでも入りうる(実際はそうではないが)。重要なのは、日本書紀紀年の神功39年とは、持統からず~と紀年通りにさかのぼっていけば、西暦239年になるという事実である。そこに景初3年の記事、すなわち西暦239年の事象が正しく配置されているわけだ。晋書に265の晋建国の翌年の266年にに倭国は使者を送ったわけだが、それを配列する神功66年は、日本書紀紀年でいえば266年になるということだ。
◆長くなるので、改める。
2015年を考えよう
◆5日9:00ちょうど、出勤しました。カレンダー通り。2015年の始動である。7日にむけて準備をしつつ、今年の課題を整理したいと思います。
12月29日 一息つこう
◆17時、研究室。今日は息子と娘が帰ってくる。国分では店が限られるので、八剣伝くらいしかないが、呑みに行こうか、と。娘も20才になり、法的に問題なくなりました。で、22:30に関空着なので、迎えに行く予定。
◆大阪城の原稿の段取りをして、シラバスを入力した。博物館科目を点検したら、ぜんぜん入っておらず、よく見ると、今年度のものが反映されておらず、いちから入力しなければならない。これは萎えますよね。なので、5人の非常勤の先生方が未入力なんだろうと。なので、スキャンしてOCRでテキスト化して、こっちで入れました。そんでもって1月4日までに必ず確定してくださいとメールし、一息ついております。さて、修論の原稿を見るか・・・
【追記】そのあとも大阪城の原稿の割り付けがぜんぜん違うことが判明し、やり直すなど、雑多なことをやり、いま21:20。今年の仕事はここまでとします。
◆大阪城の原稿の段取りをして、シラバスを入力した。博物館科目を点検したら、ぜんぜん入っておらず、よく見ると、今年度のものが反映されておらず、いちから入力しなければならない。これは萎えますよね。なので、5人の非常勤の先生方が未入力なんだろうと。なので、スキャンしてOCRでテキスト化して、こっちで入れました。そんでもって1月4日までに必ず確定してくださいとメールし、一息ついております。さて、修論の原稿を見るか・・・
【追記】そのあとも大阪城の原稿の割り付けがぜんぜん違うことが判明し、やり直すなど、雑多なことをやり、いま21:20。今年の仕事はここまでとします。
学校教育法改悪にともなう規則の改定
◆学長がすべて決めるとか。学部は意見をのべるだけ。それにともない、学則やら研究科の規則やら、すべて改訂作業が行われる。法令的には学部の自治権限は取り上げられる。教育委員会とまったく同じ構図である。
◆うちの場合、来年4月から、教員組織としてはなんたら研究院となり、人事等は研究院会議、学生院生にかかわることは研究科教授会なんだとか。こういうの、教員組織に対し、同じ教員が教育組織のいくつかにかかわるという場合は、所属と職務で2つありえるわけだが、文学部・文学研究科の場合はこれまでと変わりはないので、分ける意味はない。これから○○会議を始めます、終わります。これから△△会議を始めます・・・、という虚しい区分け。
◆うちの場合、来年4月から、教員組織としてはなんたら研究院となり、人事等は研究院会議、学生院生にかかわることは研究科教授会なんだとか。こういうの、教員組織に対し、同じ教員が教育組織のいくつかにかかわるという場合は、所属と職務で2つありえるわけだが、文学部・文学研究科の場合はこれまでと変わりはないので、分ける意味はない。これから○○会議を始めます、終わります。これから△△会議を始めます・・・、という虚しい区分け。
パチンコ
◆パチンコはしませんが、ラジオを聞いていると、広告の半分はパチンコではないかと思えるほど、なんとか店がオープンとか、なんとか店がリニューアル、とかのCMが流れる。データによると、産業規模は28兆円あって、自動車産業の1/2だとか。胴元は儲かってしゃーないんでしょうな。それだけ膨大なカネが刹那的な快楽のために捨てられると。むろん中毒にしてやらねばならないから、適当にもうかることもあるようにしておかねば。が、パチンコをやる人間がつぎ込んで戻ってこないカネは膨大だろう。これは生産じゃないのですよ、消費です。
◆そのカネが介護にまわれば、文化的活動にまわれば、飲食でも良い、それだけで日本のカネのめぐりはよくなろうに。無駄、無駄、無駄。28兆円、リニアだって1年でできまっせ。それだけのカネが、多くはあほな男が、家庭を顧みず、カネを投入する。庶民からカネを巻き上げる巧みなシステム。カネの使い方を間違っている、としか思えない。
◆そのカネが介護にまわれば、文化的活動にまわれば、飲食でも良い、それだけで日本のカネのめぐりはよくなろうに。無駄、無駄、無駄。28兆円、リニアだって1年でできまっせ。それだけのカネが、多くはあほな男が、家庭を顧みず、カネを投入する。庶民からカネを巻き上げる巧みなシステム。カネの使い方を間違っている、としか思えない。
1票の格差より投票率による信任確保の方が大事
◆新聞によると、もっとも投票率の高かったのが島根県(前回も同じ)で、低かったのが青森県(これも前回と同じ)という。投票率を上げるために提案する。有権者の2/3以上の投票があり、はじめて意志が表明されるとする。66.6%でなくても65%でいいだろう。ちょうどそのくらいが、現実的な目標だと思う。それを越えなければ、その選挙区からは代議士は出せない、とすべし。これにより論点が明確にされ、論争が活発化し、投票行動へとつながるだろう。立候補する側は、選ばれるために、もっと努力すべし。結局、これでいいのではないか。
原子力による電気は廉価なんだって
◆国の小委員会の報告。どんどん建てることを謳っているとか。そして、原発の電気は廉価だって。それに異を唱えた委員も2人いたとか。次回ははずされるんとちがいますか。オカミの決めたことに従わないヤツとして。これがこの国の行政の、専門家の意見を聞いたとしてお墨付きをえてモノゴトを決定する仕組み。原発の発電単価が安いなどという大ウソが、大手を振ってのさばり、その世界だけの閉じた世界で、専門家とかいうヤツが結託して、なんら咎められない。
思うんですけど
◆自分が貪欲に本を読んできた、とはいえない。むしろ少ないし偏っている。だが、大学時代、例えば『貧困なる精神』が刊行されると、むさぼり読んでいた。面白そうな本を、古本屋で見つけると買っていた。買っただけでならべるだけのものも少なくなかったが。こないだ、歴博に行くとき、ネルーの『父が子に語る世界史』第1巻をもち、電車で立っているときは読んでいた(新幹線で座っている間はPCに向かう)。この本も全6巻でサラのまま本棚に眠っているもの(カミさんは読破したらしい)。何がいいたいか。要するに、ひとそれぞれ関心は違っても、読みたいとか、知りたいとか、学びたいとか、そういう欲求があった。まんべんなくという必要はないが(ヒマ人でなければ無理)、知識欲というのか、そんなんがあった。いまはどうだろう。スマホをさわっているだけではないのか。
◆新聞を読むことも、世の大学生の大半はしないだろう。われわれの感覚では、大学生になれば、下宿生活の1ヶ月の生活費は限られていたが、新聞をずっと取っていました。当時、どこまで実際に読んでいたかは定かではないけれど。いまのネットの見出しのニュースなど、ごくごく限られている。新聞は、ニュース性ではなく、あらゆる分野についての話題について取材し、取り上げ方はさまざまであれ、いろんな記事がある。情報の宝庫です。
◆自分の側が未熟でも、目を通し、気になった記事は読み、すこしずつでも蓄積されていく、その営為は重要ですよね。世の中のことをだんだんと知る、それを通じて考える。いま、ものすごく情報が溢れているようでありながら、実際に知っていることはごく限られ、またその理解も表層的なのではないか。なにか自分が年をとり、いまの自分から「いまの若いヤツは」と言っているみたいで、イヤなのですが。だけども、ず~とスマホをはなさず、仲間内のコミュニケーションとゲームばかりやっているなら、やはり危惧せざるをえないように思うわけです。
◆卒論演習をしてて思ったのですが。論文を読むと。がバックボーンがないわけです。近年の良質の概説本などもいくつもありますよね。古いものでも、単に古いだけでない。そういうものを読んで、自分がやろうとしている時代がどんなものなのか、おおよそのところを知ることは大事だと思う。が、たぶん読みはしない。で、関心が定まっているヤツは、そのまま論文に行く。これはこれで悪くはないかもしれない。それに突き進む中で、どうしてもまわりを知る必要があり、それをも吸収していくならば。が、関心がボンヤリしている場合は、決められなかったり、たまたま手に取ったもの、読んだものでテーマを決めていったりする。何が面白いの、それやってどういう意味があるの、という問いに答えられないわけです(そんな明確なものでなくとも、実際やろうとすることについて、なにか語ってほしいわけです)。ひどいのは、「何か面白いことありますか」、と聞くヤツ(うちではない)。そういう興味関心のないものは去れ。大学に来る必要はない。
◆新聞を読むことも、世の大学生の大半はしないだろう。われわれの感覚では、大学生になれば、下宿生活の1ヶ月の生活費は限られていたが、新聞をずっと取っていました。当時、どこまで実際に読んでいたかは定かではないけれど。いまのネットの見出しのニュースなど、ごくごく限られている。新聞は、ニュース性ではなく、あらゆる分野についての話題について取材し、取り上げ方はさまざまであれ、いろんな記事がある。情報の宝庫です。
◆自分の側が未熟でも、目を通し、気になった記事は読み、すこしずつでも蓄積されていく、その営為は重要ですよね。世の中のことをだんだんと知る、それを通じて考える。いま、ものすごく情報が溢れているようでありながら、実際に知っていることはごく限られ、またその理解も表層的なのではないか。なにか自分が年をとり、いまの自分から「いまの若いヤツは」と言っているみたいで、イヤなのですが。だけども、ず~とスマホをはなさず、仲間内のコミュニケーションとゲームばかりやっているなら、やはり危惧せざるをえないように思うわけです。
◆卒論演習をしてて思ったのですが。論文を読むと。がバックボーンがないわけです。近年の良質の概説本などもいくつもありますよね。古いものでも、単に古いだけでない。そういうものを読んで、自分がやろうとしている時代がどんなものなのか、おおよそのところを知ることは大事だと思う。が、たぶん読みはしない。で、関心が定まっているヤツは、そのまま論文に行く。これはこれで悪くはないかもしれない。それに突き進む中で、どうしてもまわりを知る必要があり、それをも吸収していくならば。が、関心がボンヤリしている場合は、決められなかったり、たまたま手に取ったもの、読んだものでテーマを決めていったりする。何が面白いの、それやってどういう意味があるの、という問いに答えられないわけです(そんな明確なものでなくとも、実際やろうとすることについて、なにか語ってほしいわけです)。ひどいのは、「何か面白いことありますか」、と聞くヤツ(うちではない)。そういう興味関心のないものは去れ。大学に来る必要はない。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。