人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2014年9月17日、博論出す
◆なかなかブログを書くという社会復帰が果たせません。表題の通り、お認めいただいて、提出してきました。ますたにでラーメンを食べる(京都駅にも店舗を出したそうな)。そのあと、条里制研究をひたすら書いていますが未完。そうこうするうちに和泉市史、どないあっても26日で切る、と・・・。とほほです。条里制研究は中断し、26日までひたすら和泉市史ですな。それで終わるとは思えませんが、8割くらいまで行けば、なんとか押し込めるか。
サンクトペテルブルクにむかう
◆日本時間6日22'50.エミレーツでドバイ経由。ではまた。
鳥取の旅(1)
◆8月の2日と3日に考古の見学旅行で鳥取に出向きました。前日の夜に入り、鳥取市内で一泊。うち の近現代史の修士課程を出て、いま県の公文書館に勤めているTさんに連絡を取り、一緒に飲み屋に入る。その写真は撮っていないか・・・、残念。鳥取の魚をあてに、おいしい日本酒をいただきました。岩牡蠣は立派ですね。1個1000円。焼いてもらいました。
◆翌朝、まず東に向かい、新井三嶋谷墳丘墓に行きました。後期でも早い時期の大型方墳だったか。実は2000年度、調査しているとき、声がかかり委員をやっていました。それにもとづき保存され、整備されたわけですが、調査時以来、初めてでした。ちょっとくたびれています。川があり、河口部に小さな平野が広がる一画ですが、こうした墳丘墓、これ貼石墓系なのかな、広島の山奥から丹後まで、点々と広がることは意味深長なように思います。
◆翌朝、まず東に向かい、新井三嶋谷墳丘墓に行きました。後期でも早い時期の大型方墳だったか。実は2000年度、調査しているとき、声がかかり委員をやっていました。それにもとづき保存され、整備されたわけですが、調査時以来、初めてでした。ちょっとくたびれています。川があり、河口部に小さな平野が広がる一画ですが、こうした墳丘墓、これ貼石墓系なのかな、広島の山奥から丹後まで、点々と広がることは意味深長なように思います。
7月28日長岡京市恵解山古墳史跡整備、最後の委員会
◆表記の通り。何年からのおつきあいになるのかな。途中からだが、それでもけっこう長かった。 かなり徹底して調査し、確かな復元案を得て、またそれをどう整備するかについても十分議論し、いろんな意味で、根拠をもって説明できる確かな整備ができた。こうした大事業をやり通した関係者の方々に経緯を表したい。乙訓は、いろんな遺跡がいっぱいあって、遺跡見学者も多いだろう。そのなかに、こうした中期の乙訓最大の前方後円墳が復元されたことは、長岡京市にとどまらない乙訓の財産となる。学問的にいえば、大仙型ともみてきたが、調査の結果、上石津ミサンザイ型で、やはり中期前半の大型古墳は、ミサンザイ型ないし誉田御廟山型が圧倒していることを認識させられる。あとクリアできないのは芭蕉塚なのだが。
◆そして、最後に、前に全史協近畿地区研修会でしゃべったことも話をした。いかに活用するか、という課題です。それぞれの地域の特性のなかで智恵を出さないといけないが、乙訓くらいの範囲で、史跡を活かしていくNPOなんかが立ち上げられればいちばんいいんだろうと思う。草引きなんかも、市民参加で毎年の恒例行事にすればいいと思っている。
◆そして、最後に、前に全史協近畿地区研修会でしゃべったことも話をした。いかに活用するか、という課題です。それぞれの地域の特性のなかで智恵を出さないといけないが、乙訓くらいの範囲で、史跡を活かしていくNPOなんかが立ち上げられればいちばんいいんだろうと思う。草引きなんかも、市民参加で毎年の恒例行事にすればいいと思っている。
社会復帰
◆1週間ほどドロンしておりました。和泉市史と条里制の原稿もあるのですが、まずは博論の書き直しです。来年の考古学研究大会の報告の話をいただき、引き受けることにしました。れきはくの古墳時代共同研究の原稿とどう住み分けるか、なにかとありますが、まあ、ぼちぼちでんな。
博論めどがつく
◆2014年8月5日、なんとか終わりました。自分としては・・・。4年あまりの営為も、これでなんとかなりそうか。でもまだ、いろいろ直しの指示があるだろう。まだ提出にこぎつけるまでは気を抜けないが、この仕事で先延ばしになってきた調査に研究を起動していく。
【追記】いくつか指示をいただき、直しております。
【追記】いくつか指示をいただき、直しております。
7月13日は伊勢
◆考古学での見学会で伊勢に行く。あまり元気がないので、簡単に。前方後方墳に行くのはやはり夏はやめた方がいいが、それでも3基は見た。
◆楽しみにしていたのが三重県博。既に考古の展示なんてたいしたことない、という話は聞いていた。新築が知事が変わり見直しになったが説得して継続にこぎ着けたという『博物館研究』の記事を紹介したこともあり、見に行ったわけです。
◆まあ、自然史が強い、民俗も強いのかな、一体的と言いながら、それでも自然史は手前の一室がある。そして奧室に行くと、まあ渦巻き状になっていて、三重の特性を示すのはいいのだけれど、自然、山・海・里山・・・、で伊勢参り。伊勢ならではを打ち出すのはよい。伊勢の地形や地質や化石もいいだろう。がやっぱり人間ですよね。人間が暮らし生きてきた、その歴史や文化、の方がより重要と文系人間は考えます。観覧に来る人にとっても、子供を連れてくるには化石や昆虫の方が人気だし、それはそれでいいのだが、大人の感覚でいえば、伊勢の人々、いろんな地域、そこで生まれた、さまざまなできごと、その厚みの方を、人は知りたいと思うのではないか。
◆見直しで、設計とかも縮小したのかもしれません。オレの感覚で言えば、いまの展示は導入としてはいいいかもしれない。が、本来はその先があるべきだと思った。県博だったらいるでしょ。縄文や弥生、古墳もいっさいない。古代、官衙もなければ壬申の乱もない。安濃津はかろうじてあったが・・・。4月にできて、今は人が来ている。子連れは継続的に来ても、大人は1回行けばもうええ、という博物館のように思う。
◆楽しみにしていたのが三重県博。既に考古の展示なんてたいしたことない、という話は聞いていた。新築が知事が変わり見直しになったが説得して継続にこぎ着けたという『博物館研究』の記事を紹介したこともあり、見に行ったわけです。
◆まあ、自然史が強い、民俗も強いのかな、一体的と言いながら、それでも自然史は手前の一室がある。そして奧室に行くと、まあ渦巻き状になっていて、三重の特性を示すのはいいのだけれど、自然、山・海・里山・・・、で伊勢参り。伊勢ならではを打ち出すのはよい。伊勢の地形や地質や化石もいいだろう。がやっぱり人間ですよね。人間が暮らし生きてきた、その歴史や文化、の方がより重要と文系人間は考えます。観覧に来る人にとっても、子供を連れてくるには化石や昆虫の方が人気だし、それはそれでいいのだが、大人の感覚でいえば、伊勢の人々、いろんな地域、そこで生まれた、さまざまなできごと、その厚みの方を、人は知りたいと思うのではないか。
◆見直しで、設計とかも縮小したのかもしれません。オレの感覚で言えば、いまの展示は導入としてはいいいかもしれない。が、本来はその先があるべきだと思った。県博だったらいるでしょ。縄文や弥生、古墳もいっさいない。古代、官衙もなければ壬申の乱もない。安濃津はかろうじてあったが・・・。4月にできて、今は人が来ている。子連れは継続的に来ても、大人は1回行けばもうええ、という博物館のように思う。
ベ平連
◆とにかくものごころついた時、ベトナム戦争をやっていたが、確かなことは知らなかった。なんとなく新聞のことを憶えている。アメリカが負けてサイゴンから逃げたのが1975年だったか。フランスが撤退したのに(それもほんとのところは知りません)、アメリカが介入して北爆を始めるのが1960何年か、ですよね。生まれてから10歳くらいの間、ず~とベトナムで戦争が続いていて、沖縄から爆撃機が出撃していたわけである。相模原市に3年住んだが、あそこには、死んだ米兵がドライアイスに入れられて戻ってきて、そこからアメリカへ遺体を搬出したとか、そういう仮埋葬の場所があったんだっけか。そんな話を聞いた。相模大野駅の北に、いま中央公園というのがあり、そこで子供を遊ばせていたが、そこは元々はそんな場所だった、と聞いたかすかな記憶がある。
◆深夜に、NHKのテレビの再放送があり、湯川秀樹は見逃したが、2回目の鶴見俊輔、3回目の丸山真男を見た。で、鶴見俊輔と『思想の科学』。鶴見がよく知らない小田実に電話をして、やりましょうということになり、ベ平連ができた、というエピソードも面白かったが、横須賀基地に出掛けていって脱走せよと働きかけ、実際に脱走兵が出た、というのを知り驚いた。
◆丸山真男の民主主義運動は永久革命である、というのも面白かった。敗戦後の、食べ物に困る状態ながら、新しい国を作っていくというマグマを感じたが、朝鮮戦争により警察予備隊として再軍備され、短い春だったという感慨も面白かった。いろいろ感じるところはあったが、それは行動で、ということで。
◆ついでに、今日の朝日新聞での梶山静六の話は、よかった、野中広務も数日前になんか寄稿していましたね。戦争を経験している世代と、アベみたいなアホ世代の差が、ここまであるかと感じざるをえない。
◆深夜に、NHKのテレビの再放送があり、湯川秀樹は見逃したが、2回目の鶴見俊輔、3回目の丸山真男を見た。で、鶴見俊輔と『思想の科学』。鶴見がよく知らない小田実に電話をして、やりましょうということになり、ベ平連ができた、というエピソードも面白かったが、横須賀基地に出掛けていって脱走せよと働きかけ、実際に脱走兵が出た、というのを知り驚いた。
◆丸山真男の民主主義運動は永久革命である、というのも面白かった。敗戦後の、食べ物に困る状態ながら、新しい国を作っていくというマグマを感じたが、朝鮮戦争により警察予備隊として再軍備され、短い春だったという感慨も面白かった。いろいろ感じるところはあったが、それは行動で、ということで。
◆ついでに、今日の朝日新聞での梶山静六の話は、よかった、野中広務も数日前になんか寄稿していましたね。戦争を経験している世代と、アベみたいなアホ世代の差が、ここまであるかと感じざるをえない。
日韓の未来
◆基本的に、わたしが知っている韓国人はわずかだが、それでも知っている。この人たち、とても親切で、便宜を図っていただき、友好的。この関係を大事にしたいと、普通に思う。嫌韓の人たちは、韓国の知り合いはいないのかもしれないな、と思う。
◆まず併合は絶対悪であるということ。日中戦争もそう。出て行ったのは日本であり、日韓修好条規以来、朝鮮をぶんどり、さらに中国をぶんどろうとした。その大局の前に、日本がいいこともしたとか、柳宗悦みたいな人もいた、ということはマスターベーションにすぎない。まずこれ。
◆そしてそのことの重みがどこまでわかっているか。国を奪われ、半日運動であまたの命が失われ、土地が奪われ、やむなく出稼ぎに出る、慰安婦として屈辱を味わう、そうした尊厳をずたずたにされた感情は、やった側にはわからないのである。嫌韓とか、ネット上の言葉遊びで扱う問題ではそもそもない、と思う。そんな議論で扱われるべき問題ではない、重く重いもの。
◆また、なんのために議論をするのか、ということ。相容れず、相手側の話に耳を傾けないなら、はじめから議論にならない。歩み寄るための議論であるべきだ。読んだ直後には、もっといろいろと頭をめぐったが、もう忘れた。
◆まず併合は絶対悪であるということ。日中戦争もそう。出て行ったのは日本であり、日韓修好条規以来、朝鮮をぶんどり、さらに中国をぶんどろうとした。その大局の前に、日本がいいこともしたとか、柳宗悦みたいな人もいた、ということはマスターベーションにすぎない。まずこれ。
◆そしてそのことの重みがどこまでわかっているか。国を奪われ、半日運動であまたの命が失われ、土地が奪われ、やむなく出稼ぎに出る、慰安婦として屈辱を味わう、そうした尊厳をずたずたにされた感情は、やった側にはわからないのである。嫌韓とか、ネット上の言葉遊びで扱う問題ではそもそもない、と思う。そんな議論で扱われるべき問題ではない、重く重いもの。
◆また、なんのために議論をするのか、ということ。相容れず、相手側の話に耳を傾けないなら、はじめから議論にならない。歩み寄るための議論であるべきだ。読んだ直後には、もっといろいろと頭をめぐったが、もう忘れた。
ご無沙汰しています
◆先週来、調子を崩しております。先週の木曜日だったか、嫌韓流の反対本を読む。竹島は韓国のもんですな、と。それはおそらくそれで決着でしょう。日本政府が太政官布令を隠して出さないんだそうですね。沖縄密約と同じ。あるのだが、表にしない、そんなものはない、と。話にならないわけだ。
◆それで、従軍慰安婦の問題にしても、どちらの立場であれ、防衛省や旧内務省の文書を、強制があった、強制がなかった、という立場を越えて、史料を出せという運動をすればいいのに、と思う。軍人でも、兵士は戦後黙して語らず、に対し、上のものは業務として詳細な日誌を作成し、提出されたものが多量に中央官庁の倉庫に眠っているという。調べた調べてない、強制という記述があったとか、なかったとか、の議論以前の問題である。そもそも本体ともいえる史料群が隠されているわけだ。むろん、一緒にというのは無理で、強制はなかったという側は、そんなものをほじくり出すことは金輪際ない。
◆とにかく嫌韓流反対本、では、多くのことを学ぶ。項目を改める。
◆それで、従軍慰安婦の問題にしても、どちらの立場であれ、防衛省や旧内務省の文書を、強制があった、強制がなかった、という立場を越えて、史料を出せという運動をすればいいのに、と思う。軍人でも、兵士は戦後黙して語らず、に対し、上のものは業務として詳細な日誌を作成し、提出されたものが多量に中央官庁の倉庫に眠っているという。調べた調べてない、強制という記述があったとか、なかったとか、の議論以前の問題である。そもそも本体ともいえる史料群が隠されているわけだ。むろん、一緒にというのは無理で、強制はなかったという側は、そんなものをほじくり出すことは金輪際ない。
◆とにかく嫌韓流反対本、では、多くのことを学ぶ。項目を改める。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。