人を幸せにする人になろう

3月23日は

◆仕事に行くつもりだったが、休む。2月11日以来か。藤井寺市図書館に行く。展示コーナーがある ことは知っていて、前から行きたかったところ。狼塚の埴輪の実物もここ に展示されている。が、ここのメインは修羅の小さい方と、修羅発見を機会に作られたパノラマ。これが、和紙で作られた人形を配した、よくできた模型なのである。なかなか楽しいですよ。

50歳となりました

◆3月22日、土曜日。何をしていたかというと、野口王墓の記事を書いてました。原稿を書くという よりは、図面をいじっていました。八角墳4基は、いずれも25㎝尺の歩=尋できれいに数字が出ます。しかもやはり、7世紀前半は偶数値、7世紀後半は奇数値できます。
◆それから牽牛子塚古墳の報告書にある野口王墓の写真から、図面に模式図を書き起こしておりました。そんなんで19時になり、帰りました。横で大学院生T君がHPの作業をずっとやってくれていました。

実は今日は

◆40代最後の日なんです。明日からは50代としてくくられてしまいます。薬師丸ひろ子の歌のフレーズでいくと、「50年も生きてきたのにね」というところ。今日は伏見城の後始末で、だいたい日が暮れました。

娘は北大に

◆前期の第1志望がダメだったのは残念だが、ともかくも後期で無事、合格した。昨日、伏見城から 帰ってくる時に連絡が入る。理学部の生物です。去年も合格したのに蹴って浪人したわけだが、それはもう言うまい。こないだ北海道に行ったのもその用で、2次後期の試験の前ながら、親側の時間がまったくないので、先んじて下宿を決めてきたのでした。
◆29日には3人で札幌に行き、いろいろ整えてやり、翌日、本人を残して帰る予定。息子の時は、親2人ともスペインで、1人で東京に行かせて申し訳なかったが、今度は、いちおうスタート時点にいてやることができる。カミさんが就職できたからこそ、2人下宿させてやることができる。
◆まあしかし、いまはピーチがあり早めに取れば交通費もあまりかさばらないが、こないだ、そして29日と、前もってというわけにもいかず、やっぱりお金はかかります。
[写真]北海道大学理学部

3カ年の伏見城現状調査終わる

◆18日から20日まで、最終年度の調査をやりました。空中レーザー測量陰影図をもち、2カ年の全域 踏査をもとに、再点検、略図等の作成など、できることをやりました。残 念ながら、最終日はかなりの雨で、ほんとなら中止するべき降雨だったが強行。石の矢穴について、まとまったデータを取る。ひととおり課題としていたことは15:30には終了し、打ち上げる。
◆今回は、M1のYさん、来年度考古の院生になるSさん、中世史のSさんやIさんにも声をかけ、石の清掃、撮影、略図描きなどに、頑張ってもらいました。Tさんと私、M1のM 君は伏見泊まりだが、2日とも呑み会とあいなり、初日6人、2日目は5人で、楽しく呑む。2晩とも10時~11時には呑んだくれて寝、朝4時・5時からごそごそしつつ、また寝てました。丸1日歩くとやはり疲れているのでしょう、これくらいで丁度です。
◆最終日はあいにくの雨ではあったが、終了とともに、やりきったという心地よい満足感。むろん報告書を出す仕事があるが(1年)、それはそれ。ひとまず現地調査が、宮内庁さんの全面的な協力のもとに実現し、当初考えていた以上の成果も得て終了できることに感謝したい。

鹿児島補遺

◆薩摩国府のある薩摩川内市の遺跡では、嘉祥3年の木簡が出ていて、○条○里の2段の土地のことが書いてある。条里があるんでしょうね。
◆大隅には豊前から2000戸、薩摩には肥後から、人を移住させている記事があるのだとか。薩摩には柵が設置されたとも。隼人とは何か、難しいんでしょうが、前にすこし考えたことがある。
◆特攻基地はまだ行ったことがない。鹿屋が海軍、知覧が陸軍である。知覧の武家屋敷はいいらしい。

鹿児島―古墳の旅(20)上野原

◆時間なく飯盛山古墳はパス。で上野原にむかう。前に家族旅行で行った時、たぶんできていたん だろうが、埋文センターに寄るも閉まっていて、縄文の森にはいかなかったのかな?。あんまり家族には人気なく、シラス台地を見せて下りてきてしまったのか・・・。
◆シラス台地の土取り場が高速道路から見えた。あんな垂直で・・・、そうする方が強いのだという話は聞いていたが、怖い景観だ。
◆こうして古墳の旅は終わる。空港へ向かう人、鹿児島中央駅に向かう人に分かれて解散する。上野原はとても面白かったが、疲れたので、それ以降の話はやめておこう。

鹿児島―古墳の旅(19)志布志市埋蔵文化財センター

◆表題の通り。志布志城は国史跡となっており、入ったところにでーんと模型があった。志布志は 港町として栄える。中国産はじめ陶磁器がまとまって出土している。
◆横穴墓があって8世紀前半の須恵器が出ている。「末期古墳」・・・。むろん関係があるわけでないが、7世紀代に古墳がなくなっていく段階にあって、南北で古墳(墳丘墓でないとしても)が残っていくことも、とても興味深いものだ。
◆近世の密貿易屋敷もとても面白い

鹿児島―古墳の旅(18)

◆肉眼で識別できるソイルマーク。堤が白く、周濠が黒い。わかりますよね。こんなん初めてだ。

鹿児島―古墳の旅(17)横瀬古墳

◆で、お待たせの横瀬。まあすごいわな。100歩138mか。3段築成。これは王墓と対応させないとい けませんね。で、候補を考えたが、いま改めて見てみると口ごもってしま う。ちょっと待ってもらおう。元気がよければやってしまうのだが、伏見城から帰ってきて、やや疲弊気味。迷い出すと、唐仁大塚もちょっと・・・。
◆ちなみに、右写真は1988年に最初に訪れたときの写真です。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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