人を幸せにする人になろう

ノブ、フリマやるってよ―尾張・美濃―(9)

◆8:30集合、中世史院生を拾い、まずは春日井市の味美古墳群へ。

ノブ、フリマやるってよ―尾張・美濃―(8)手羽先

◆白鳥塚の後、第1日目は終了。ほかにも古墳はあり要望もあったが、このくらいにしましょう。市 内中心部、金山駅近くのホテルにチェックイン。世界の山ちゃんに、手羽先を食べに行く。

ノブ、フリマやるってよ―尾張・美濃―(8)白鳥塚

◆この一帯にはたくさんの古墳があるのだが、夕刻が近づき、雨も降っており、最大規模の白鳥塚 (しらとりづか)古墳くらいにする。前期古墳。三角形の透孔の埴輪が驚くほどよく残っている。で、例の志段味古墳群のパンフレットを見ると、なんと玉7と比較されているではないか。行燈山型とみているらしい。看板には結論としての段築復元図しかないが、ちゃんと調査区との葺石残存部を確認して確かめよう。別に疑っているわけではむろんなく、資料に即して自分で確認するという意味。
◆後円部のテラス面は1面がよく残り、そこから上にはなさそうで、下のテラスはその下位にあり、不明瞭になっているのだろうとみたが、果たして復元図はそうなっていた。ところが、前方部との落差が大きすぎるのだ。それと斜道部の張り出しがない。後円部頂の縁辺に立つと、前方部がはるか下なのだ。それと前方部の左右で地盤が大きな差がある。後円部3段で前方部2段となると、確かに前方部の短さや広がりは行燈山的なのだが、どのように整理すればいいのでしょうかね。
◆それと石英。各トレンチでの石英粒の点数がかうんとされていたが、現地でもいくらでも落ちているのである。これを白色円礫と結びつけているようだが、確かにそうかもしれませんね。主に墳頂部やテラス面の部分に用いていたのではないか。
◆ここでも看板が設置されたところで、墳丘はロープが張られ、これから整備という段階。

ノブ、フリマやるってよ―尾張・美濃―(7)志段味大塚

◆雨だし、午後もかなり暮れてきたが、志段味古墳群へ向かう。名古屋市域の東北の奧。志段味大 塚といえば、梅原末治が調査し、その遺物は陳列館で見ていた。これは行かなければ。名古屋市が2005年から計画的な発掘調査を実施していて、史跡公園として整備する計画がある。一連の調査のカラーの良いパンフレットができあがっており(800円)、調査概要を知ることができ、また史跡公園の計画も知ることができる。
◆途中、名古屋の中心部を抜けていると、へんな建物が見えてきて、なんだと思ったら県庁だった。そして向かいに名古屋城が。名古屋城にも寄ってみたいところではあるが、次の機会にしよう。遠目から天守閣が見えた。戦災で天守や本丸御殿も失われたのか。そういえば、こないだ大阪城の講演会で、谷先生が、名古屋城の本丸御殿が再建されたという話を紹介していたのを思い出す。
◆志段味大塚一帯は、いま宅地造成が進行していて、大きな道路ができ、古墳群の近くまで宅地ができあがっている。その一画に大塚が残っている。これ帆立貝といった方がいいのだろうか。痛んでいる箇所も少なくないが、いまは周囲の宅地開発と史跡整備の調整が整い、公園区画ができあがっている状態で、本格的な整備はこれからだ。真新しい看板が立つ。

ノブ、フリマやるってよ―尾張・美濃―(6)見晴台考古資料館

◆見晴台へ。弥生時代後期の環濠集落。高台上にあり、早くから出土遺物が知られ、1964年の調査 の後、1979年に資料館を開館させる。市民参加の発掘でも知られる。やや建物はくたびれてきているが、展示はよかった。発掘遺構に覆い屋をかけて、中に復元住居を造っていたが、老朽化し傾いて、安全のために解体し、その部材がまだ片づけられた状態だった。薬研堀の環壕の断面を見せる施設もあるようだが、降雨のため足を運ぶのはやめにする。
◆それとこの笠寺台地に高射砲陣地が置かれ、そのコンクリートの台座がいくつか残っている。そしてB29の垂直尾翼が出土したのだとか。それも展示されていた。

ノブ、フリマやるってよ―尾張・美濃―(5)名古屋市博

◆名古屋市博は30年ぶりくらい?。1977年開館という。馬具展を見に行ったことがある。最初の名古屋。それにしても 人だかりで駐車場も満杯。どうしたことかと思ったら、大浮世絵展というやつの人気のよう。それを横目に常設展の2階へ。300円也。
◆旧石器に始まり、縄文、それから弥生。遠賀川と条痕文系。丸窓があり、パレスの世界がある。断夫山の須恵質の埴輪もならぶ。けっこう名古屋市は古墳の調査をやっていて、資料が並ぶ。志段美の白鳥塚の石英に驚く。
◆古代寺院、尾張元興寺に勝川廃寺、国分寺などの資料。それから猿投窯はじめ中世の焼き物類。灰釉に山茶碗。そして守護斯波氏、守護代織田、信長の時代へと展開する。そこから先、むろん近世・近代・現代へと続く。昭和40年代頃の台所はよかった。
◆面白かったのは、近世名古屋の都市の形。三角形で、南の熱田神宮の門前も取り込まれ、その先の南も細長くのび、へんな形であるのだ。城下町の部分はメッシュになっているとして、こうした形もまた歴史的産物である。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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