人を幸せにする人になろう

緊縮財政

◆娘の大学入学関係、息子の下宿の引っ越しがらみと、すべての経費を整理し、また今年度の授業 料、家賃、仕送り等、夫婦の負担区分などを相談中。財政逼迫です。いろいろ試算しましたが、けっこうしんどいです。カツカツ。
[写真]国分駅前の飲み屋の風景です。が、飲みに行くのも控えめにせなあきません。

久津川車塚4月7日

◆自分+道上・佐藤・松原・松本。9:00~17:00。
◆クレーターの下に新規杭P52は打ったが、昨日のP51にマシンを据える(BSP49)。紙はD2を用意し、埋まっていないところに取り組む。クレーターの内部を埋め、掩体壕の突出部および向こう側の前方部側面を測る。クレーター内部では31.5mまで下がり、周囲の平坦面にさしかかり、30.75mまで一部下げる。前方部側面はあまりのばせない。
◆次に、前方部頂西南隅位置に近く、5日に基準点測量を行った既設杭P48にマシンを据える(BSP51?)。そこから、標高42.5mから下げていき、D2の紙の上段はこれですべて埋め終えることが できた。
[来客]城陽市の小泉氏。
◆これで春の陣は終わり。もっとも懸案は後円部の東側だが、今回の経験からいけば、かなり伐採をかければ何とかなるだろう。あとは、チョコチョコの穴があるが、とにかくやれば埋まる。あと3~4日で、線路から西側の史跡地は終わるのではないか。4月~5月の早い時期に出撃し、決着させ、西側本体部分を完了させよう。

久津川車塚4月6日

◆自分+道上・佐藤。9:00~17:30。午前中も、パラパラ雨がくることもなく、ほとんど気にせずに 測量できる。午後は晴れ間が広がっていくが、寒い!。
◆P47にマシンを立てる。最初に、E3紙のY-220付近の埋まっていなかったところを片づける。ついで、E2紙について上から下げるも、かつて家屋があったところの崖肩部までですることがなくなる。
◆次にかつての家屋の地点P49にマシンを立てる。家屋の敷地、その周囲の平坦面、そこから落ちていく肩部などを入れる。下は34mを一部入れたか。その下の空間地はここからは無理だが、あとはそれくらいまで下りてきた。
◆次に、前方部西南稜線上の既存杭をP51として新たに設定し、午後、マシンを据える。北側に大きな掩体壕があり、稜線上にかつての家屋の、もうひとつの敷地がある。張り出した半島状の測量となり、面積稼げず、めんどくさい限り。稜線上で、40.5mから、最後は32.5mまで下がる。ほぼ中段裾の現地盤近くまでは降りてきた。
◆最後に、翌日のことを考え、新杭を掩体壕内にP52を設定し座標を出したところで終わる。
【追記】はじめてのお客さん。凛乃助くん。

久津川車塚4月5日

◆自分+道上・山口。9:00~17:30。午後後半は寒くなる。早めに撤収。すぐ雨が降り始める。
◆昨日に続きP46にマシンを据える(BSP44)。標高36.25mおよび36mで、E3の紙の東端の前方部側 面は終わってしまう。で、前方部前面東半部に取りかかり、32mまで測り下ろし、敷地境界までたどり着く。めでたしめでたし。西側は、樹木の様子で高さによっていろいろだが、おおむねY-215くらいまでは測れた。すごく有効なP46である。
◆ついでE4の紙を用意し、JR線の崖に沿うラインを、踏み切り近くまで描いた後、鉄道敷地の測量をやっつける。
◆P46はこれで限界。そこで前方部前面の西側の測量に向けて、基準点測量を行う。P44に本体を据え(BSP42)、前方部前面上段斜面の既設の測量杭P47を測り込む。次いで、このP47にマシンを立て(BSP44)、前方部頂西南隅角の既設杭P48と、かつて建物があったところの基礎コンクリート上の点P49、前方部中軸下位のP50について、基準点測量を行う。
◆P47にマシンを据え、前方部前面のE3紙の未測量部を埋めつつ下がる。一方で、E2の紙も新たに作り、二つ画板をもってもらい、西側部分についても記入していく。標高39mの等高線を、西南稜線を越えて前方部西側側面に折れる曲がりを入れたところで、寒いのでやめる。高さとしては、前方部前面西半分を削り込んで建物敷地としていた、その崖肩の位置まで降りている。

久津川車塚4月4日

◆自分+道上・山口・佐藤。9:00~18:00。天候は悪くないが風がきつく、ごーごーと竹が揺れてい る。3人いるので、今日も院生に任せ、9:30~16:40までず~と伐採。最後は肩が痛くなる。
◆前方部東南稜線途中のP46にマシンを据える(BSP45)。まず、D3の紙の前方部頂付近の未測量範囲を紙の端まで埋める。そのあと新たにE3の紙を作り、42.25m以下、稜線沿いに、前方部側面および全面南半分を測り下ろす。36.5mまで終了。ほぼテラス面に近づいた。

久津川車塚4月3日

◆自分+道上+佐藤。9:00~18:10
◆上段裾テラス面東くびれ部の位置に打設したP42にマシンを据える。まずC3の紙の未測量部を補足する(わずか)。そのあとD3の紙で、前方部東側面を、昨日に続き36mあたりから下げていく。上段裾の傾斜変換線は、伐採木が積み上げられ、ほとんど入れられず。D3の紙の東端まで行き着いたので、D4の紙を宮崎県立西都原考古博物館でもらってきたユポ紙の方眼紙で新たにセットし、線路に落ちていく中段斜面を入れる。2m弱。この部分では、線路との間が池のような凹部になっている。線路際は樹木が繁茂し、マシンから見える範囲は限られ、埋まらない空白部もでてくる。降りきったところで、線路沿いの測量。
◆そのあと、前方部頂のさらに前端よりのP42にマシンを据える。そして次の展開を考えて、まずP44とP45を新たに打設し(P44は既存杭)、基準点測量を行う。
◆以後、前方部側面を測り下ろす。東南隅角に近いところは遠く見通せないが、P42で線路まで測り終えた。稼ぎました!(P45は使わず)。ここまでで18時前。
◆最後に、明日のことを考え、p44から前方部東南隅角稜線を下った位置にP46を打ち、その基準点測量までをやって、この日は終了とする。

久津川車塚4月2日

◆自分+山口。10:00~14:20。晴天。
◆P40に据え、昨日の続き。やはりチェックは必要。続きをやろうとするも、等高線が変。側点は問題ないが、複雑な地形ながら、点が乏しく、そこをつないでいる怪しさであった。すこし補足し修正を加え、線路際まで下ろせるところをやる。
◆限界まできたところで、線路敷き、線路向こうの史跡地の下場を入れる。
◆午後は、前方部頂東側縁のP41に移動し、40.5m~36.25mまでを入れる。上段裾部のテラスも接近してきたが、あいかわらず伐採した樹木や竹が積み上げてある。どうすんべ。

科研、2浪へ

◆あかんかったようだ。ちくしょー。今日、城陽市から帰ってきて、野口王墓の原稿を書いていた。もう少しのところまできた。やはり7世紀前半は偶数の尋値、7世紀後半になると奇数の尋値になる。どんどん研究は進むのだが、研究費はくれない。

サバティカルに入る

◆4月から9月の6ヶ月、公務免除。

久津川車塚4月1日

◆自分+道上・山口+中世史松本。9:00~15:45。晴天、厚着をしていて実は熱かった。3人いるので、すべて まかせ、1日、樹木の伐採にいそしむ。右の手が痛くなる。明日はつらいか も。
◆まず、P8に立て(BSはP7)、新規杭を4本打つ。
◆次に後円部東側のP40(新)にマシンを立て、線路沿いまでを埋めていく。やった面積的には狭いように見えるが、なにより樹木が繁茂していて、またヤラレ部分で、測りにくい部分で、それにしては順調。ほぼ線路に面した古墳側の崖肩部まで、一部は到達する。あとちょっとで、ここで取れるのはこのくらいか、と3時休みのあと再開すると、バッテリーがダウン。間が空いて使うとフル充電にならないものだから、前日に充電と放電をするようにしていたが、昨日は昼間できず、家に帰ってから1回やるも、うまくいかなかったようだ。日も長くなり、あと3時間はできたのに残念。まあ、そういうこともアラーナ。

プラグイン

カレンダー

01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索