人を幸せにする人になろう

和泉府中と和泉寺周辺

◆和泉の古代の国府はどこなんですかね。大園ってほんまか?ちょっとやっていると、フジケンの5町四方の推定範囲の0124912b.jpg中央に、条里の坪の中心を通る地割が追いかけられる(黒波線)。これなんか意味深なような・・・。和泉寺の脇には郡衙もあるんでしょうね。

いくつか図を

◆9月2日だ。18時だ。あとは図面132枚の点検までにこぎつけた。この間の図を披露しておこう。まずは和泉国の条里。1f9e59de.jpg鳥取とか箱作とか、横山とか(あるのかな~)、というのを見ていると、やっぱり徹底した意志を感じますね。ちっちゃいところも、とにかく約109mで切らせている。これはすごいことだ、と改めて感じる。
 

23日、堺市の現場

◆百舌鳥古墳群の委員会。なんとか古墳、何だっけ。筒井さんの家のところ・・・。この筒井さん、鏡をもってはって、市博c94fff97.JPGで連絡先をお聞きし、昨年、一度、電話したのだが、お手伝いさんにケンもホロロにあしらわれ、それっきりになっていたのだが、実は、いま堺市が掘ってるのが筒井さんの土地で、なんとトンデモナイ屋敷なのである、これが。まあ、知っている人は知っているよう、一瀬さんもよく知っており、所蔵のいろんな資料を調査することがあったらしい。
◆まあ、すごい屋敷である。和泉市の合同調査で近世に庄屋さんだったお宅にうかがうことがあるが、筒井家はちょっと格が違うくらいデカイ。外からだけだが、まあ塀の長いこと。平野屋新田会所みたい。それでも聞いてみると、国の重文にはちょっとならないんだとか。
◆そう古墳、葺石も埴輪もちゃんと残っています。現場を見ながら思ったのは、土層を見たりする能力が、現場をしばらくやっていないので落ちてるんではないか、というもの。一度、一定程度までいくと、あんまり落ちないのかもしれないが、この石たちをどう思うか聞かれた時、なんとなくぼんやりしていて確信のようなものがないのだ。自分が掘るとなれば、決断してはずすものははずす、残すものは残さないといけないわけだが、そうした切実さを長いことやっていないゆえに、むろん自分で掘っていないからではあるが、ぐらぐらしているように感じた。

そう22日には和歌山大学へ行った

◆カミさんがまた和大のシステム工学の先生のところに行くので、送ってくれへんと言われ、送っていく。9時にアポ、1時9d276a20.JPG間だけしか時間が取れないという約束だそうで、有能な人々は忙しそう。ちょっと遅刻したのだが、まあ9時過ぎには着き、10時までと短い間、和歌山大学を探索した。前に土器などをもって計測してもらいに行ったが、車で行くと、システム工学は奥の方で、まわって入り込むため、まったくほかを知らなかったので。
◆メインストリートがあり、両側に校舎がならぶ。開いているところにふらっと入ったり。海津さんに聞いた、観光学部の建物も見る。カンカンデリで、山のはしっこから、和歌山の海がきれいに見えた。それと、図書館に立ち寄り、和大のいろんなパンフレットがならんでいるのを一式もらってきた。地域貢献、生涯学習、どこもたいへん。
◆今度、南海の新駅ができるのだそうだ。が、しかし、カミさんからはいろんな話を聞く。南海の紀ノ川鉄橋は老朽化しているんだが、架け直す金がないから、もう市駅まではやめて北岸止まりにするといった話があるんだとか。市街地のさびれがひどいとか。同窓会で毎年そんな話になるのだと。手狭で大学は山の上に上がったが、やっぱり市街地にあったほうがどれだけよいか、医大も海南に行ってしまって、とか。やっぱりIR和歌山駅と南海の市駅が離れていて不便や、とか。で、根来も再開せなあきません。8月中にまとめをと思っていたが・・・。

盆休み

◆今年の盆休みは、前にも書いたが、カミさんがつくばに詰めていたのと、息子が17日にならないと帰省しなかったのc4db2673.JPGで、1週ずれた。加古川へは22日、和歌山へは25・26日。息子は26日に東京へ戻った。
◆息子のことですが、17日に帰ってきたら、テニスで焼けて、まあチャラ男。「勉強してない、試験やばい」、「マジメ組には属していない」と。まあしかし、ちゃんとしている。とにかく、よくしゃべる。「おまえ、前はそんなしゃべった?」と聞く始末。また、しゃべりが東京弁で腹が立つ。とはいえ、これはしゃーない。まともにしゃべったのは帰ってきた日くらいで、その日のうちにブログに書いておけばよかったが、いろいろしゃべるも、もう忘れかけている。前期試験が8月はじめで終わりでなく、9月はじめにもあるらしく、生物がヤバイといって、試験勉強のために帰って行った。
◆息子は、帰省しても友達と遊び歩いていて、カミさんの予定とを加味して、田舎に戻る日もこの日しかない、といった状態。加古川に帰る日は前日に決まった(いつものことながら親には迷惑をかけています)。電話すると、妹夫婦も戻る日で、今回は姉のところ(加古川)に集まることになっているらしく、「急で申し訳ないけど・・・」と断って、おじゃまする。大学生の甥っ子は一人旅に出ており不在。例によって、ひとしきり飲み食い後、子供らと妹夫婦、+父親で、ド貧民が始まる。ちなみに、うちで買ったブロックスというボードゲームがあるのだが、これがなかなか面白いもので、正月に持って帰ってやったりしている(好評、しばらく前の話だが)。23日は、娘の学校が始まるので、日が変わる頃、辞する。あわただしくてスイマセン。

9月をむかえ社会復帰を

◆長山さんと関本さんから電話が入る。この間、引きこもっていたわけではない。あんまり元気ではないが、仕事はしていました。毎日、9:30から10時までには研究室に行き、22:00まで基本的に仕事をしている。この間、休んだのは3日ほどか。例の「○○市史紀要」(もはや口に出せないほど迷惑をかけている)だ。本日、やっと区切りがついた。区切りであって完成ではない。昨日・今日、DVDに焼いて打ち出しとともに送付して終わりにしたいと思っていたが、この1週間ほどでも、ひとつの図を作るのに1日かかったりして、しんどい話である。よくやっと区切りがついて、すべて打ち出し、帰りに、またまた松原のサイゼリヤで見直していると、まあ文章はさらに校正がいるとしても(インデ入稿)、本体の図に関しても、全体点検をしたらオワと思っていたが、ながめているとそう簡単には終われそうにない。
◆おかげで、塚田さん・仁木さんと約束していたことはできていないし、どこぞの原稿も、レキハクの原稿も、すべてがズレ込んでいる。とはいえ、ゴールは近い。さて、あと何日だろうか。気になって図を直し始めると、1日が終わっていったりするので、ええ加減にしておく必要がある。
◆そんなんで、いま2日午前3時、缶チューハイを呑みながら、ようやくブログに向かう。この間、メールも見ていないし、いっぱい不義理を重ねていよう。あすは社会復帰しよう(メールを見るという意味)。

根来寺発掘調査報告書に対する疑問(1)

◆8月19日に、例の一乗閣移転候補地の発掘調査報告書についての検討会をもった。われわれは「城郭的性格をもつ」bef1775c.jpgと言い続けてきたが、フツーの子院で残りも悪いと移転を強行しようとしている。文化財保護審議会での反対意見も押し切り、岩出市の保存管理計画策定の会議にゲタを預け、なんとか言いくるめて是が非でも進めようとしている。その基本的方向は既にたぶん決着済みなんだろうが、先生方はどのように言い含められたかは知らないが、このままというわけにはいかない。
◆既に指摘があるものをまとめているに過ぎないが、自分なりにまとめて、質問状を作成し、大阪歴史学会として、和歌山県ならびに、このまま移転仕方なしという方向に同意するセンセー方(原子力村と同じ)に問いたいと思う。
◆まず1枚目。丘陵頂部。考古のセンセー方や同業のみなさんは、文章より図ですよね。できるだけパッと見てわかるものを、と。どうですか。民間なら、あるいは公共工事他部局なら、残りはあんまりよくないようでも、遺物も出てくるし、普通は開発区域を全面調査必要と指示するんではないだろうか。もっとも残りが悪いかどうかも怪しい。たしかに斜面部や平場でなく丘陵頂部ですから、普通でも土は流出気味で表面の礎石とかは残らないだろうが、言うほどにパイロット事業等での改変はないだろう。和歌山県の判断は「丘陵頂部には遺構は一切確認できない」というもの。が、地山の高低差は「子院間の段差の名残」と認める・・・。それ、フツー「遺構」というんですけど。考古学には素人らしい(層位図の緑はすべて現代の整地土とするが、そんなもの信じられません)。
 

2時間の作業がフイ

◆現在17日の3:30。家に帰ってきてから、和泉の地形図のトレースをしていたが、2時間やった作業がパーになった。クジケルよな~。まあ、しゃーない。もう寝よ。

今日もまた原稿を書き図を作り・・・

◆論文2編はあがったが、冒頭に和泉国の条里研究のあゆみや簡単な紹介文をつけようとしている。その原稿を書きつ1ba6e633.jpgつ、図を作成中。なかなか勉強は楽しいのだが、道遠し。
◆ところで、条里を復元し、何町か数えたら、『和名抄』の田面積と近くなるんかね~。
 

これも記録として和泉郡プロジェクト

◆2003年に、和泉市史編纂のために、栄原先生が組織した和泉郡研究会だかなんとかで、1回発表してくれということにab48b77f.jpgなり、準備した。それまでにも、2000年・2001年・2002年と合同調査には参加していたが、1d6aff91.jpgほとんど和泉市史編纂とはかかわっていなかったわけだ。
◆この時、大阪府航空写真地図をコピーし、貼り合わせ、なって言ったっけ、そうそうクーピーという色鉛筆で、遺跡を落としていったが、そうなると山を書く、平野部をみると実に見事な条里地割が地図に現れており、一生懸命に作図した。この巨大な巻物はしばらくこの部屋に存在していたが、デジタルで画像化したので捨てた。しかし、人間が無心に色をつけ、遺跡を落とし、いろいろと考えてみる、そういう営為は大事ですね。
◆結局、こういう作業を通じて、古代和泉国の輪郭を理解し、前期古墳なども所在を確認し、陶邑谷山池支4358a1d7.jpg群などについても勉強し、いまの基礎となっている。さて、過去は過去。しかし、この図のようなものがあるに越したことはない。全体がよくわかる。和泉の条里復元を8000の1でやっているが、それはそれとして全体像はこっちの方がスグレモノだ。こうした図をいまから合成であれやっていくのは並大抵ではないし、どうしたもんだべ。
◆下の図は、カラーのヤツを見せつつ、資料として用意したものでベースマップは仮製図。科研の報告書に使い、なにか和泉で発表する時に使っていたが、原図はどこにいったのやら、まあ、デジタル化ですな。
◆条里紀要の産みの苦しみを味わっているのだが、やりながら、今度は大阪府下ぜんぶやったる、という気持ちがわきあがってきている。これで研究費を取ることもありかも。前にも書きましたが、こんなん狭山池博の仕事ですよ。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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