人を幸せにする人になろう

教育委員会は悪者か

◆あまり定見はないのだが、橋下君はじめ、教育委員会はダメだ議論が多いですよね。ちゃんとした論評ができるわけではないが、まあ当然でしょう。独立行政委員会として政治と切り離すというのが建前だから。別に橋下君に指摘されるまでもなく、教育行政は文科省が仕切っているわけである。役所においても教育委員に重要なものごとを決定してもらおうなんざ、役所はこれぽっちも考えていない。お飾り。仕組み上、必要、というのが大半だから。独立行政委員会というのを育ててこなかったということ。
◆教育委員は名誉職なんであって、そこがなっとらん、と言われてもね~。まあ、しかし、橋下君のターゲットは教育委員会ではなく、教職者を中心とする教育委員会事務局にあるわけだ。組合、日教組、というのも当然ではあるが、むしろ、かなりの職員数を要する教職者のカタマリが抵抗勢力であることへの痛烈な批判だろう。
◆こっから先はよくわからんが。確かに組合の強さが必ずしも教育の自由とかではない政治的圧力団体として機能してきたという面はあるだろう。しかし一方で、それを押さえ込むべく、さまざまな圧力をかけ、処分をちらつかせ、校長の権限を高め、職務命令で押さえ込もうとしてきた。予算は減らされ、非常勤に依存する形が定着した。やる気が削がれてきたことも事実だろう。ゆがんでいますね。
◆どっちもどっち、と簡単に言うことはできないが、どういう形がまっとうなんでしょうか。戦前への反省もある、やっぱり国が公立学校の教育を通して、こういう国民を育成するなんざ、許してはいけないだろう。1人1人が考え生きていくことを身につけさせるということだろう。国に忠実で愛国心に満ちた御しやすい人間を輩出させるために教育があるわけではない。
◆だからやはり学習指導要領みたいなものは必要ではあっても、そこが根本的に文科省から独立したものであるべきなんだ。教科書検定もそう。地方の教育委員会組織をどうするかというよりも前に、政治的に中立な国の行政機関をまずは作ることか。とはいえ、どうせ、東大出身の御用学者の就職先となるだけかもしれない。しかしまあ、とにかくそういうものができればと思う。あくまで小学校ではこう、中学校ではこう、高校ではこうということを、政治家や行政庁の介入なく定める。役所にしてしまうと牛耳られるか。センター試験の問題を作るとか、科研の採択をするとかと同様、研究者や教育関係者からなる組織で、5年おきとかに、必要な手当を支給して参画するようなものの方がいいかもしれませんね。誰をどう選ぶかということが問題になるでしょうが、いずれにしても相当な規模で、10数人程度で決定するというものではだめだろう。数百人は必要だろう。科目別責任者は必要だろうが、それはメンバーの互選とする。そして、そこの決定がすべて。国は介入できない。
◆で、実際の公立学校でのあり方はどうあるべきなんだろうか。そこは実際の運営は地方公共団体の裁量によらざるをえないが、基本はあくまでも定められた内容にしたがい、それを身につけさせることに努力すること、落ちこぼれをなくし、みなを一定の習熟度に到達させる、というのが公立学校の使命だろう。どうなんでしょうね。大阪府下の一斉学力試験をやってもいいと思う。しかし、それを学校の競争に使うのではなく、どうしたって存在する学校による差の解消のために使うべきでは。ベテランやすぐれた教育能力のある教師を配置して、底上げしていく。上はいい、下位を解消していくことこそ大事だろうに。橋下君などが行っていることは、要するに大阪府下の学力を伸ばしたいんでしょうが、それを疲弊する競争で実現させるより、ケアが必要なところを見いだし、そこに手当をしていく方法で、全体を底上げすることが、世の中のためだと思うのですが。

前にカミさんと話をしたこと 日本版バカロレア

◆こういう書きたいことはあるのだが、その時々に書かないと流れ去る。こういうことだ。要するに、いまは大学生としての学力もないのに、大学生になっている、それですべておかしくなってんじゃね~か、という話。勉強したくもないのに、みんなが大学に行くことがそんなにいいことか。ほんとは早く社会に出て食っていけるようになることの方が大事なのだが、要するにモラトリアムであると。大学院生の水増しもそう。ほんとは学部卒で就職した方がいいのに、大学院を拡充し、受け入れることが、本人にとっていいことなのか。結局、余計な時間を費やし、より就職難となり、場合によっては路頭に迷わせているんではないか、と。若いときに、無駄に時間を過ごすことのロスは大きい。それにより、大学も、初年時教育とか、場合によっては、高校の補習みたいなことをやらねばならない、そんなあほな、ということ。
◆別に今の世の中、大学を出たからいい就職ができる時代ではない。1960年代はそうだったかもしれません。中卒・高卒の就職がほとんどで、そのなかで大卒はやはり違ったかもしれない。いまや企業も先は不透明、シャープを見よ。みんなが行くから大学に行くのでなく、本来の学びたいから大学に行く、という正常な状態であるべきだ。
◆で、やっぱりバカロレアみたいなやつがあっていいんではないか、というのが結論。いまの私大の多くは、試験なしでガバガバ学生を取る、なんの関門もなく入ってくる。そうではなくて大学受験資格試験、大学受験とは別ですよ、大学生になるためには、このくらいの学力が必要というガイドラインを設ける。それを合格した者が大学受験に進む、そうあるべきではないかと。これによって高校も変わるだろう、大学もまともになる。義務教育は中学生までなのに、誰でも高校に行き、ほとんど同様に大学へ進む、それが本人にとってほんとうにいいことなのか。選別、そう、それでいい。
◆大きな金銭的負担をして大学に行かせても、本人は無自覚に遊んでいる。結局、中途半端な者が量産される。それが長くなれば、社会的適応さえ危うい。優れた会社経営者、商売人、職人、技術者、芸能者はあらゆる分野におり、そうでなくとも、まっとうな労働者はいっぱい必要だし、そういう人々が社会の多くを占めるのだ。大学はひとつのコースではあっても、それだけに過ぎない。己の人生をどう生きるか、食い扶持をどう確保するか、ということとあまり関係はないのだ。自分はどう生きるかということは、できるだけ早くから真剣に考えさせた方がいい。そうした時に、大学へ行くのがいいのかどうかという判断が当然ともなう。いまは、そんなことお構いなしに流れ込む。実際には、できるだけ早く社会に出て、どんな職種であろうと、給料をもらうためにはこれくらい働かないとアカンということを知り、1人前になった方がいい。
【追記】なにも新しい試験を作ることはない。高卒でないものの検定試験がある。あれでよい。

市大の留学生

◆9月の教授会の前にFD研究会があり、留学生問題が取り上げられた。文科省の政策で、大きな大学は留学生センターが作られ、ケア体制を充実させてきた。1000人以上ですね、全国で12大学くらい。うちは300人だそうです。そのなかでの文学部の比重は高い方。
◆報告者は留学生担当で、日本語の授業をやるとともに、めんどうを見ている。はっきりいって個人に依存する形。大学としての体制を整える気配はない。300人それでもいるのだが、彼ら彼女らのケアはまったく十分でない。折しも、そのあとの教授会で海外交流の大学の方針案が出ていたが、学術交流が主で、留学生対策は謳われているけれども、担当からすれば「やる気はない」らしい。数が多くなればいいわけではなかろう。体力に見合う規模でイイ。やみくもに増やしても、いまの市大では来てもほったらかし、それじゃ口コミで増えるどころか敬遠されるだろう。大阪市大に来てよかった、と思ってもらえるようなケアを充実すべし。それで、中国や韓国の若者に、日本はいいところですよ、と思ってもらうことが何より大学として大事でしょう。
◆日本に来たアジアの留学生、というより英語圏の人間は日本などに来ないのだが、は帰らないのがほとんどなんだそうです。暮らしやすいみたいですよ。いいことじゃないですか。とくに中国の場合、やっぱり言いたいことが言えない不自由さがあり、そういう中国には戻りたくないんだと。帰る帰らないは自由だが、そういう日本である。
◆もひとつ、2000年代前半の文科省の留学生大増員施策のために、市大に来る学生のレベルがあからさまに下がっているのだそうである。大きく水増しし、受け入れやすくなれば、トップ12の恵まれた大学に留学生たちは向かう。そうなると、担当者曰く、赴任した頃の留学生はなかなか優秀だったとのことだが、そういう人たちはヨソへ行き、全体数が多くなる中で、市大に来る層は明らかにレベルが下がったと。日本語教育もしんどくなっていくわけだ。どうなんでしょうね、そういう状態で、ムリムリ数を充足する必要はまったくないだろうに、きちんと見定め、少数でよく、彼ら彼女らを十全のケアをする方が、世の中のためではないだろうか。

もひとつ新聞から

◆最近はトンと政治には関心がなくなった。どうでもよい、勝手にどうぞ。とはいえ、いまの日本国の制度では、この仕組みでしかモノゴトは変わらないわけだから、そうも言っていられないが。たとえば憲法で、納税者は、納税時に使途を指定する、原則はその枠内でしか予算配分されない(むろん流用枠は必要でしょう)ということが規定されていれば、あとは各省庁のなかでの配分の問題となり、大枠は納税者が決定するのであり、「あとは考えて」ということもありだが、いまはそうは行かないという意味。
◆本題。3日水曜日の朝日朝刊の、尖閣で何を慰めたのか、という記事が面白かった。山谷えり子などの、自民の領土を守れ、と声高に叫ぶヤツラが、それだけにしとけばいいのに、尖閣での慰霊ということを一枚入れようとして、遺族に蹴られた話。でウソをつく。考えてみれば、この世でもっとも正々堂々と平気でウソをつくのは国会議員などの政治家でしょうね。そういう人たちが、教育行政も担うのかと。うまくウソをつけるようになると、国会議員になれますよ、ということを子供たちは学ぶのであろう。
◆ウソも方便というのもむろんあろう。だけど、やっぱり何を考えているのか、どこまで真剣に考えているのか、ということは言葉の巧みさではなく、語りに現れよう。美辞麗句はいらない、この人はこういう問題をこう認識し、なんとか改善したいと思っているんだな~、と、それは伝わりますよね。たとえば自民党総裁選。候補者がテレビに出てきて話をしてましたよね。誰が見ても、顔はともかく、石破氏が自分がどう考えているかを、わかってもらおう伝えようとしていたと思いませんか。意見の違う部分はあったとしても、この人は信頼できるな、平気でウソをつく人種とは違う、ということはわかる。
◆本題戻り。尖閣列島戦時遭難者遺族会会長のこの記事は、いろいろ考えさせてくれる。国境の島だからこそ、守るのではなく、開いていった方がいい、実に鮮やかですね。今年の慰霊祭で、石垣市は国に頼らず、東京都の下請けなんかやらずに、アジア各都市と「外交」すればいいと挨拶したというのも、まったくそうだろう。来年3月に新しい石垣空港ができ、上海や台湾やソウルとの直行便就航が期待されていたのに・・・、という言葉も切実。石原や国はどう責任取るんだ。八重山の東アジアのなかで息づいていこうという、まっとうな希望は、ずれこみ、へたをすれば閉ざされるかもしれない。
◆きわめつけは、領土の問題は主権を守るためだという問題。だったら米軍基地はどうよ、日米地位協定はどうなんだ、という言葉は重い。国の安全保障の前に、国民主権は侵害されるということだ。国が主権者でなく、国民が主権者なんですけどね。オレは、日米安保堅持よりも、日米安保の枠を解消し(国軍を復活させるという意味ではむろんないですよ)、在日米軍を撤退させ、対等な形でアメリカや韓国などと、安全保障上の協定を必要なら、改めて結べばいいと思っている。

新聞から

◆博物館展示論のイントロの1回が終わり、後期第1週の山を超え、ブログに向かっています。きのう10月2日の朝日朝刊の、哲学者國分さんという人の記事は面白かった。安倍晋三が総理大臣だったとき。「美しい国」の例として、3丁目の夕日を挙げたときは「開いた口が塞がりませんでした」というのは痛快ですね。そんなこと憶えちゃいないけど、確かにアホなアナクロニストということだろう。続けて、勇ましいことは言うが、具体性の想像力がないんだろうと。そうでしょうね~。
◆趣旨は、経済成長時代が長いこともあり、暮らしはよく、政治は一任され参加しようとは思わず、国会やらの政治は「出来の悪い芝居」で、マスコミも政局をおもしろおかしく報じるだけ。だが、そうはいかなくなったと。お任せ民主主義ではダメだとの自覚が生まれつつあると。考え始めたと(それを動物的と表現するのはこの人の独特の言い方)。次は、それを政治への圧力とするための方法論だと。加えて行政の政策実行過程にも市民参加できるようにすべきという。なるほど。いまの選挙制度の問題はさておき、首長や議員を選ぶために選挙という権利はある。が、この日本で実際に税金の使い道を考え額を決めて執行する行政(むろん予算案は議会で審議を受けるが)、その行政権力にコミットする仕組みがないのはおかしい、というもの。
◆1974年生まれ、でかでかと顔写真も載っている。これから、いろいろマスメディアにも登場してきそうですね。

あと16年半

◆こないだ9月の教授会で、定年規定の変更が紹介された。まったく経緯等は知らないが、2年前くらい?、63定年だけど、1年は再雇用となり、井上浩一先生はもう1年いらした。それがさらに65年へと。退職は、65歳の年度末なんですね。そんなこと、まだ意識することもなかったが、教授会資料を見ながら指を折る。
◆誕生日が3月なので、2029年3月退職。いまが2012年10月だから、あと16年半、たぶん。大学に来て12年半が経過した。あっという間ですね。折り返しも近い。16年半、ひとまず市大に(数年先はフシ合わせ大学か?)考古学の教員として居続けることが大事だし、増員は困難でも、確実に1枠は継承されていくことを確保する必要がある。もっと考古の学生や院生が増えて、日本史全体の希望者が増え、またオレの業績のアピール力もあれば、博物館の科目担当もあり、なんとかとも思います。が、大学の定員増なんて、例えばいまの市長が「考古を充実せよ」といったような天の声でもない限り、1世代一生懸命やって実現できるかどうかくらいな話である。マイブン業界も就職口がどんどんあった時代は遠くへ過ぎ去り、全体に希望者が減っているところで、市大で考古学をやる学生が飛躍的に増えることはない。1人1人に丁寧に対応し、多くは一般就職するが、考古学の勉強を通じて自分で考えて一定の形にまとめることのできる人材として送り出し、何年かに1人くらいは、この業界でやっていく若手を送り込めればよい。自分の名前を売り込むには、マスコミとつきあい、取り上げてもらうようなことも必要なんでしょうが、こればっかりはやりたくない。新聞やテレビに出たいとは、まったく思わない。ま、その前に、相手にされるような業績を積みなさいって、「はい」・・・。
◆あと16年半だそうです。まだ、けっこうやれますよね。カミさんと退職したら、世界一周放浪の旅に出よう、としばらく前に盛り上がる。そのためには、これくらいタメとかなあかんな~という話にもなり、月々の額を決め、2ヶ月分になる(そのくらいの最近の話です)。しかし最近は、「あんたとずっといると思うとな~」と敬遠気味な発言に。実現しないかもしれませんね。構想としては1~2年の貧乏旅行なのですが、1人ではね~。

次は展示論の準備

◆概論は約90人。ちょっと予定通りにはいかなかったが・・・、まあ、ぼちぼち。日本史の院生が入ってきたときには驚いた。お前ら、まだ取ってないんかよ・・・。
◆いくつか。ひとつは最近買った古本に入っていた新聞の切り抜き。もうひとつは、今年も誘われていたが、合宿で疲れていたので行かなかった、ドイツビールを呑むオクトーバーフェスティバルで、昨年、エゲレス人と話をしていたときのメモ。ブリテンとは何で、グレートブリテンとは何で、ユナイテッドキングダムとはなにか、を教えてもらったときのもの。まったく相互の関連はありません。
【追記】スコットランドの独立住民投票をするんですって?。ちなみにアーサー王とかは、ケルト人時代の王国であり、王である、ということですよね。d88bd3a7.JPGe9222f16.JPG
 

後期がはじまる

◆10月2日、昨日から10月に突入。9月27日から29日は日本史研究室の和泉市合宿でした。3日間で11時間半ほど、和IMG_8287.JPG泉市和気というところを、オレは歩いていました。帰ってきた翌日の日曜日、台風も近づいているし、疲れもあり、家におりました。まだすこしだるい感じは残っている。
◆さてと、オレの授業としては今日が最初。で、博物館課程のカリキュラム変更にともない、担当となったので、前期から通年の学内実習をやっていますが、今日から、はじめて概論の講義が待っている。明日は展示論で、大阪市博物館協会にお願いしていますが、初回はやれということで、明日もあり。今日の概論、準備が・・・。でもまあ、なんとかなるかな、というところまでは来た。

やっと根来 記事№1400

◆専門家であれば、誰が見ても納得できるような、わかりやすい図を作らなければ説得力がないと考え、8月19日の検討会の直後にほぼ80%の作業をしていたのですが、そのあと仕事に追われて未完でした。大阪歴史学会の委員会の9月24日には、絶対に要望書案を作り承諾をとらなければならず、なんとか原案を提示し、合意を取り付けることができました。本日、それに添付する、上のような意図で作成した質問書をようやく作り上げました。これにA4で1枚、総評的な文章をつけたいと思っています。
◆これを和歌山県に送付するとともに、文化庁、文化財保護審議会委員、史跡保存管理策定委員会委員に送付したいと思います。むろん、『ヒストリア』10月号で公表しますが、『考古学研究』にも頁数を勘案してアレンジし、12月号に掲載して貰うべく、投稿したいと思います。マスコミへの資料提供も考えましょう。
◆これで再調査が指示されないなら・・・。まあ、やめときます。とにかく、このまま簡単には終わらせません。まあ、それにしても、こういう作業をなんでやらんなあかんねん、と思う。こういう作業というのは谷部の遺構などと合成し、どうつながるんだろうかと考えたり、古い空中写真や地形図と対比して、痕跡をさがしたり。普通、調査報告書というのは、そういうの込みで検討し、その遺跡の評価を与えるのんとちゃうのか、ということ。そんなこともしないで、よくまあ・・・。
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近現代史教育施設

◆8月から担当課を置き検討が進められているらしい。まだ公式なものはないのでは、と思うが、先週、新聞に載ったもの4e252be7.jpgを掲げておく(確か9月20日朝刊)。
【追記】旧NHK大阪放送局を候補地にしているとの記事。難波宮の内裏である。そういった経緯も知ってか知らずか。しかし、これは難波宮の保存問題に発展するかもしれません。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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