人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
カミさんのボーナス
◆冬のボーナスが出たという。ま、こっちの倍ですわ。ダブルスコア。私学はすごいもんだわ。その分、働かされているが・・・。貯金0の我が家も、カミさんが「さきがけ研究員」になり、京都大学に受け入れてもらい、同居するようになった数年前から、ようやく少しずつ貯まるようになっていた。それが、この4月に摂南大学に着任し飛躍することになった。この状態がずっと続くわけではない。そのうち子供2人が大学に行くし、カミさんがどっかの遠隔地の国公立に転じたら、とたんに厳しくなる。いまのうちが花。
◆2005年に、東北地方に家族で貧乏旅行をしたことがあるが、8月前半、途中でお金をおろしたら、すべての口座の残高が1000円未満になったことを思い出す。
◆2005年に、東北地方に家族で貧乏旅行をしたことがあるが、8月前半、途中でお金をおろしたら、すべての口座の残高が1000円未満になったことを思い出す。
竹城台で大阪府教委の鏡2011年11月29日(204面達成)
◆三宅さんにまたまたお世話になり、北玉山、板持、牛石、+新規の安威城跡遺跡から出土したもの、計4面の撮影を行った。
◆そういえば、府・市の二重行政の解消となった場合、文化財保護行政はどうなるんだろう。行政は法律にもとづくので、枠組みは今の東京都と同じ?、都と区市町村かな?。調査部門はどうなるのか?。こっちは、財団の統合という話が浮上するかも。
◆そういえば、府・市の二重行政の解消となった場合、文化財保護行政はどうなるんだろう。行政は法律にもとづくので、枠組みは今の東京都と同じ?、都と区市町村かな?。調査部門はどうなるのか?。こっちは、財団の統合という話が浮上するかも。
いよいよ
◆今日は大阪市長選と大阪府知事選。結果はご承知の通り。いよいよ大阪・府(ふ)・市(し)・合わせ大学が誕生しそうですね。大阪市立大学の歴史もひと区切りとなる。
松岳山11月27日
◆【岸本・道上・小西・山田(関大)・木村(関大)】9:00~17:00
◆岸本チームはB3の紙。P33に据え、山車小屋裏をいくつか追加し、いよいよ土地境界を越えて茶臼塚側に。標
高56mから52mまで、前方部前端裾部の斜面を下ろすと、茶臼塚のある畑地の平坦面にかかる。紙の端まで埋めて、ここでの作業を終える。次の展開のために新杭を3本打設する。P40(X-645.838/Y-592.085)、p41(X-631.801/Y604.767)、P42(X-653.515/Y-610.482)。
◆次にこの紙の西北隅部、つまり前方部前面を測るため、新規杭を打つ。この部分のみの補足なのでチビミラーで座標を出し水準もそれによる(P36=X-621.739/Y-601.222/H54.279)。ここに据え、標高56.75m以下、53.75mまで埋める。この西側は、A3の紙を新たに用意し、いましばらく測量が可能。
◆道上チームは、P34から、B2紙の残り範囲を標高54mまで下ろす。紙をA2に変え、引き続き測量し、そのあと、前方部西北稜線を下ったP35に移動することにする。水準が出ていなかったので、水準移動した上でセット。測れる範囲について、一部で標高49.75mまで下ろして終了。
◆岸本チームはB3の紙。P33に据え、山車小屋裏をいくつか追加し、いよいよ土地境界を越えて茶臼塚側に。標
◆次にこの紙の西北隅部、つまり前方部前面を測るため、新規杭を打つ。この部分のみの補足なのでチビミラーで座標を出し水準もそれによる(P36=X-621.739/Y-601.222/H54.279)。ここに据え、標高56.75m以下、53.75mまで埋める。この西側は、A3の紙を新たに用意し、いましばらく測量が可能。
◆道上チームは、P34から、B2紙の残り範囲を標高54mまで下ろす。紙をA2に変え、引き続き測量し、そのあと、前方部西北稜線を下ったP35に移動することにする。水準が出ていなかったので、水準移動した上でセット。測れる範囲について、一部で標高49.75mまで下ろして終了。
明石市立文化博物館でのシンポジウム11月26日
◆13時開始。よく見ると、資料は11日までに送れと書いてありましたが、だいたいオレはいつも当日持ち込む
ような状態です。数日前に電話があり、前日の金曜日に打ち合わせをするので、午前中までに送ってくださいと頼まれ、PDFを送る。
◆パワポは、時間が15分ということで、せいぜい20枚くらいと、先週、和歌山で2時間しゃべった時のパワポを削る。五色塚の報告書をもっていないので、復元図がどっかになかったかと探し、ヒバスと五色の比較図を作るなどの、明石仕様の多少のアレンジ。が、このところ休みなく働いていて、とくに木曜日はつらかった。ま、15分だから、行きの電車の中で十分と見切りをつける。で、難波から阪神で三宮にむかう。そのあと山電で明石へ。いいところまでいくが、残り2~3枚のところでフル充電状態でなかったためパソコンの電源切れ。駅のマクドでコンセントにつなぎ、完成。博物館に30分前に入る。
◆やっぱり五色の報告書は画期的ですね。また、廣瀬君という適任者がいたのも大きい。小壺古墳との関係
など、周囲の調査成果も上がっているようだし、埴輪の緻密な分析はすごいものだ。それに比べると、オレの似ている似ていないの議論は、なんと非科学的なんだろうとも思う。桜井茶臼山以来、その都度、やってきたが、佐紀陵山については、基本は修論以来あまりかわっておらず、きちんと分析的に相似墳・類似墳を上げなきゃいけないのだが、実はやれていない。ま、しかし、五色が相似ではなく前方部がやや短いことはわかっていて、前方部を10歩縮めているとの理解もたぶんいけるだろう。網野銚子山は測量図がすこし?ので測量からやる必要があるのだが、今の段階はだいたい同じくらいとしか・・・。
◆で、12月11日には京丹後市で、ま、今日と同じ話をするのだが、蛭子山・網野銚子山・神明山の一応の結論を導かないとイカン。明日は松岳山の測量に行く。
◆パワポは、時間が15分ということで、せいぜい20枚くらいと、先週、和歌山で2時間しゃべった時のパワポを削る。五色塚の報告書をもっていないので、復元図がどっかになかったかと探し、ヒバスと五色の比較図を作るなどの、明石仕様の多少のアレンジ。が、このところ休みなく働いていて、とくに木曜日はつらかった。ま、15分だから、行きの電車の中で十分と見切りをつける。で、難波から阪神で三宮にむかう。そのあと山電で明石へ。いいところまでいくが、残り2~3枚のところでフル充電状態でなかったためパソコンの電源切れ。駅のマクドでコンセントにつなぎ、完成。博物館に30分前に入る。
◆やっぱり五色の報告書は画期的ですね。また、廣瀬君という適任者がいたのも大きい。小壺古墳との関係
◆で、12月11日には京丹後市で、ま、今日と同じ話をするのだが、蛭子山・網野銚子山・神明山の一応の結論を導かないとイカン。明日は松岳山の測量に行く。
辰馬考古資料館2011年11月24日(200面達成)
◆学芸員の青木さんのお世話になり、寝屋川市の太秦で出土した鈴鏡の撮影を行う。辰馬、久しぶりである。、高井梯三郎館長がまだいらっしゃった時に、宮川さんに頼まれ、景初4年鏡の解説文をめぐってなんかやりとりしたカスカな記憶があるが、それが最後だったような・・・。
◆夙川駅を下りて南下して行ったもの。黒川古文化研究所にしばらくバイトに行ったときは(鏡の拓本を取っ
ていた)、夙川からカヤンドウ行きバスに乗って行っていた。今日は車ですが。辰馬に行くと、おじょうさま、というのがいたのを覚えている。庶民がいろんな話を聞かされて、世の中に金持ちがいること、階級差があるということを感じたものだ。
◆いま開催している縄文土器と銅鐸の展示を見る。兵庫県から公益財団法人に認定されたそうです。紀要も第6冊まで出ていた。銅鐸が何個あるんだっけか。全国の1割だったか、もっとか。50個くらい?、忘れた。
◆むろん、散逸したかもしれない銅鐸を買い集めた功績は大きい。銅鐸って、そりゃエエもんやけど、研究者も特定の人しかいないし、研究は遅れてるンとちゃいますか。そんなん手を出そうと思わへんし。たくさんもってはる銅鐸が辰馬に行けばぜんぶ並んでいるわけではない。きつくいえば死蔵。私設博物館も、むかしのままというわけにはいかないだろう。弥生博にぜんぶ寄贈いただけないものか。そりゃ無理だろうが、出土地のわかっている銅鐸など、各地の博物館・資料館に長期で預けるくらいのことをしてくれたらええのに。それが世の中に役立つ手段だと思うが。
◆夙川駅を下りて南下して行ったもの。黒川古文化研究所にしばらくバイトに行ったときは(鏡の拓本を取っ
◆いま開催している縄文土器と銅鐸の展示を見る。兵庫県から公益財団法人に認定されたそうです。紀要も第6冊まで出ていた。銅鐸が何個あるんだっけか。全国の1割だったか、もっとか。50個くらい?、忘れた。
◆むろん、散逸したかもしれない銅鐸を買い集めた功績は大きい。銅鐸って、そりゃエエもんやけど、研究者も特定の人しかいないし、研究は遅れてるンとちゃいますか。そんなん手を出そうと思わへんし。たくさんもってはる銅鐸が辰馬に行けばぜんぶ並んでいるわけではない。きつくいえば死蔵。私設博物館も、むかしのままというわけにはいかないだろう。弥生博にぜんぶ寄贈いただけないものか。そりゃ無理だろうが、出土地のわかっている銅鐸など、各地の博物館・資料館に長期で預けるくらいのことをしてくれたらええのに。それが世の中に役立つ手段だと思うが。
狭山池博物館と大阪狭山市立郷土資料館(記事№1000)
◆1000件目の記事だそうですが、この1ヶ月、非公開にしてメモを書
いたことがあり、用が終わると削除し
ているのだが、そうすると通しナンバーは欠番になってしまう。なので、実際にはカウントすればやや少ない。
◆さてと、狭山池、久しぶりだ。学生らは行ったことがないというので、今回の優先。結局、時間的に近つには行けなかった。
◆やっぱり豪華すぎますよね。いまさらですが。前に何度か行ったときは、いつもけっこう駆け足だったりしたが、今回、じっくりと中世や近世やもふくめてひととおり見た。展示そのものも贅沢なもんですが、内容はいいんですけどね。どうでしょう、こないだの谷先生の話になる。企画展示室が別にあって、それも見たわけだが(解説図録が安いのはウレシイ)、こうして研究が進んでいるわけだ。そういう成果を常設部分に加えていってはどうなのか。導線にしたがって、すっきりと観覧できるようにできあがっていて、それを邪魔するようにも思うが、すっきりお上品なんだが、丹比の開発にしても、もっともっとバックデータはあるはずだ。一般観覧者ではない立場ではあるが、そういうのをゴテゴテ並べてくれないものか、とも思う。
◆要するに土木史の博物館としてこれでデキアガリではなく、深化発展させていくべきではないだろうか。
◆そして狭山市立郷土資料館。2009年に移転したと。その前は行ったことがない。しかし1室のみ。しかも気づかずに通り過ぎそうになる。「協働運営」というものの実態がよくわからないが、いまは間借りみたいにしか見えない。同居して住み分けているわけだ。もうちょっと何とかならんのか。
◆さてと、狭山池、久しぶりだ。学生らは行ったことがないというので、今回の優先。結局、時間的に近つには行けなかった。
◆やっぱり豪華すぎますよね。いまさらですが。前に何度か行ったときは、いつもけっこう駆け足だったりしたが、今回、じっくりと中世や近世やもふくめてひととおり見た。展示そのものも贅沢なもんですが、内容はいいんですけどね。どうでしょう、こないだの谷先生の話になる。企画展示室が別にあって、それも見たわけだが(解説図録が安いのはウレシイ)、こうして研究が進んでいるわけだ。そういう成果を常設部分に加えていってはどうなのか。導線にしたがって、すっきりと観覧できるようにできあがっていて、それを邪魔するようにも思うが、すっきりお上品なんだが、丹比の開発にしても、もっともっとバックデータはあるはずだ。一般観覧者ではない立場ではあるが、そういうのをゴテゴテ並べてくれないものか、とも思う。
◆要するに土木史の博物館としてこれでデキアガリではなく、深化発展させていくべきではないだろうか。
◆そして狭山市立郷土資料館。2009年に移転したと。その前は行ったことがない。しかし1室のみ。しかも気づかずに通り過ぎそうになる。「協働運営」というものの実態がよくわからないが、いまは間借りみたいにしか見えない。同居して住み分けているわけだ。もうちょっと何とかならんのか。
堺市泉北すえむら資料館
◆泉ヶ丘の駐車場は最低である。わかりにくい。30分近くうろうろ。いくつもの駐車場があるが、空情報が表示されていない、第3駐車場がいっぱいなら、第4駐車場に誘導してほしい。ま、いろいろある。昼飯を食べる。
◆堺市に移管された資料館を見に行く。手作り感でいっぱい。展示ケースも古いんだろうし、パネル等を新しくする予算もないのだろうが・・・。だれも来る雰囲気のない博物館は寂しい。
◆まずやっぱり須恵器の勉強をするならまずここに来る、というものにならないといかんだろう。例えば大庭寺の須恵器はどっかで展示されているのだろうか。一部借り出して展示してあったが、もしどっかで並んでないんなら、多量にここに集められないのだろうか。模型なんかも必要![f95b9228.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1322139164?w=105&h=150)
でしょうね。ほとんど予算はないのかもしれないが、ただちに建物が新しくなったり、展示のリニューアル予算がつくなくても、誰か貼り付けて、できることからやってほしいもの。オレやったら日曜大工からするけどな。
◆また《日本の焼き物のふるさと陶邑》として陶芸教室を開くなど、焼き物をテーマに機能を広げていくことも考えられる。陶芸家にアトリエや窯場を提供し、登り窯を作って陶邑焼を売り出したり。公園としての点検も必要かもしれない。あの地点の近場に遺存している窯があるのかどうかはわからんが、窯場の遺跡を見せるのと組み合わせることも考えられる。
◆堺市が大阪府から引き取って開館したものの、何度も恐縮だが、ほとんど来る人がいないのでは寂しい。ビッグバンやビッグアイの金のかけ方(むろんあれらがイイというわけではない)との対比があまりにもありすぎる。
◆堺市に移管された資料館を見に行く。手作り感でいっぱい。展示ケースも古いんだろうし、パネル等を新しくする予算もないのだろうが・・・。だれも来る雰囲気のない博物館は寂しい。
◆まずやっぱり須恵器の勉強をするならまずここに来る、というものにならないといかんだろう。例えば大庭寺の須恵器はどっかで展示されているのだろうか。一部借り出して展示してあったが、もしどっかで並んでないんなら、多量にここに集められないのだろうか。模型なんかも必要
◆また《日本の焼き物のふるさと陶邑》として陶芸教室を開くなど、焼き物をテーマに機能を広げていくことも考えられる。陶芸家にアトリエや窯場を提供し、登り窯を作って陶邑焼を売り出したり。公園としての点検も必要かもしれない。あの地点の近場に遺存している窯があるのかどうかはわからんが、窯場の遺跡を見せるのと組み合わせることも考えられる。
◆堺市が大阪府から引き取って開館したものの、何度も恐縮だが、ほとんど来る人がいないのでは寂しい。ビッグバンやビッグアイの金のかけ方(むろんあれらがイイというわけではない)との対比があまりにもありすぎる。
今城塚は剣菱形?
◆整備のための補助事業での発掘調査、調査は進められ、整備は完了しても、報告書が未完であるものはザラ。今城塚の場合も、前方部は直線だったということになっている。が、実際には、直線に整備し切ることはできていない。そのへん、外部者には未報告段階ではなんともいえない。
◆今城塚の整備で、裾部は葺石風の部分復元で、その上は植生土嚢と聞いている。こういう裾部表現と宮内庁の洲浜工法あるいはフトン篭とどっちがいいと思いますか。オレは、墳端を明らかにし、墳丘斜面を図上で復元した上で、実際の汀付近の表現はこうした復元的手法で雰囲気を出すのがいいとは思うが、どうだろうか。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。