人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
集中講義おわり気仙沼のホテル
◆最終日、午後の3コマは1時間半はもたず、各1時間程度、16:30にすべて終わる。めでたしめでたし。辻秀人さんにご挨拶をし、東北学院大学を辞する。佐川さんは夏から1年間韓国で不在。うらやましい限りである。なので、久しぶりに佐川さんにお会いすることはできなかった。
◆初日の夜、辻さんと飲む。オレが2000年から大阪市大だと言うと、ねつ造事件の年だ、と。舞台となった宮城にいる者として、辻・佐川のお2人は、ねつ造事件の特別委員会の事件解明、検証発掘にたいへんだったと。だが、ほかの腰が重いなかで、オレたちがやらなければという使命感でやっていた気概が伝わる。ねつ造した本人はともかく、それを取り巻いていた人々にそれを認めさせることが容易ではなかったという。
◆辻さんは会津大塚山古墳の測量以来のときから、よくできた方だと思っていたが、いろいろ話をすることができ、学生教育のことや、調査の進め方など、、実践の中からいろいろ考えていることがよくわかった。東北学院大学で20年、毎年調査を重ね、学生が自主的に整理作業に従事する体制を作り上げている様子は頭が下がる。学生に任せることで、学生が育ち大人になっていくという発言は重みがある。不満はあるが、我慢するのが仕事だとも。これもジーンと来る言葉である。任せられないからやってしまう、というのでは学生は育たないわけだ。
◆いまは院生がいないのだという。考古学離れの一端は、就職の厳しさもあろうが、ねつ造事件もそのひとつだろうと・・・。だが、受講していた学部生のなんとしっかりしていることか。むろん全員ではないが、ぱっと見、院生だろうという落ち着いた学生が何人かいる。これも2回生でゼミの希望を出し、彼らは3回生に上がる春休みから調査に参加し、それを重ねている賜物のようである(写真は大学西側を流れる広瀬川)。
◆17:00にレンタカー屋に行き出発し、東北道経由で、20:30に気仙沼に着いた。
◆初日の夜、辻さんと飲む。オレが2000年から大阪市大だと言うと、ねつ造事件の年だ、と。舞台となった宮城にいる者として、辻・佐川のお2人は、ねつ造事件の特別委員会の事件解明、検証発掘にたいへんだったと。だが、ほかの腰が重いなかで、オレたちがやらなければという使命感でやっていた気概が伝わる。ねつ造した本人はともかく、それを取り巻いていた人々にそれを認めさせることが容易ではなかったという。
◆辻さんは会津大塚山古墳の測量以来のときから、よくできた方だと思っていたが、いろいろ話をすることができ、学生教育のことや、調査の進め方など、、実践の中からいろいろ考えていることがよくわかった。東北学院大学で20年、毎年調査を重ね、学生が自主的に整理作業に従事する体制を作り上げている様子は頭が下がる。学生に任せることで、学生が育ち大人になっていくという発言は重みがある。不満はあるが、我慢するのが仕事だとも。これもジーンと来る言葉である。任せられないからやってしまう、というのでは学生は育たないわけだ。
◆いまは院生がいないのだという。考古学離れの一端は、就職の厳しさもあろうが、ねつ造事件もそのひとつだろうと・・・。だが、受講していた学部生のなんとしっかりしていることか。むろん全員ではないが、ぱっと見、院生だろうという落ち着いた学生が何人かいる。これも2回生でゼミの希望を出し、彼らは3回生に上がる春休みから調査に参加し、それを重ねている賜物のようである(写真は大学西側を流れる広瀬川)。
◆17:00にレンタカー屋に行き出発し、東北道経由で、20:30に気仙沼に着いた。
仙台
◆東北学院大学の集中講義に出かける。26~28日の3日間*5コマ。3連休で準備をしたが、アクシデントもあったが(23日分の3回分のパワポのデータが失われる)、現時点で9回分の資料(55頁)とパワポを用意した。最初は丁寧に、パワポの表題や本文の文字、行間、箇条書きの頭記など統一し、中身もきちんと構成を考えて作っていたが、それでは終わらない。過去の授業や講演のものからとにかく15回分、形を整えるわけだが、ひととおり作り上げないと話にならん。
◆伊丹17時の飛行機。15時に大学を出るつもりが15分出発が遅れ、結局、窓口に到着したのは出発10分前でアウト。19:40に切り替えてもらう(さいわい3席空いていた)。
◆飯を食い、喫煙できコンセントのあるスペースで作業を続ける。19:40発で、20:45分ランディング。仙台まで電車だが、21:32分発まで30分待つ。仙台着は22:00時。ちらほらと粉雪。ホテルまで歩く途中、ラーメン屋に入る。ホテルに入ったのは30分か。無線ランが利用できるようで、ブログを書く。
◆第9回で佐紀古墳群まで来た。いまから10回目を作り終えると、まあ2日分は確保できる。
◆伊丹17時の飛行機。15時に大学を出るつもりが15分出発が遅れ、結局、窓口に到着したのは出発10分前でアウト。19:40に切り替えてもらう(さいわい3席空いていた)。
◆飯を食い、喫煙できコンセントのあるスペースで作業を続ける。19:40発で、20:45分ランディング。仙台まで電車だが、21:32分発まで30分待つ。仙台着は22:00時。ちらほらと粉雪。ホテルまで歩く途中、ラーメン屋に入る。ホテルに入ったのは30分か。無線ランが利用できるようで、ブログを書く。
◆第9回で佐紀古墳群まで来た。いまから10回目を作り終えると、まあ2日分は確保できる。
なにもやる気がおこらん
◆神明山のリーフもほぼでき、ちょこっとやれば印刷屋に出せるが、やる気が起こらん。『考古学雑誌』のたつの市の三角縁神獣鏡も、図面の手直しを、こないだ東京行った帰りにやって、だいたい図は完了に近づいたし、文章もほとんどあるので、ちょこっとやれば終われるのだが、やる気がおこらん。
◆『考古学ジャーナル』の原稿、気がつけば〆切を過ぎている。ようやく書き始めるが、これもやる気がおこらん。
◆そういえば同成社の第1巻が刊行される。自分の原稿を読む。ま、歯切れはよい。でも、えらい高い本や。こんなん、いまの学生は買わへんわな~。原稿料って、いくらくらいあるんやろ。ま、あってもなくても。もうひとつ、三角縁神獣鏡の原稿があるのだが、これもやる気がおこらん。
◆人間は精神的なものなので、やる気がないと仕事はしない。そうも言ってはおられない。東北学院大学の集中講義の準備で3連休は全滅だな。これで年越し・・・。
◆『考古学ジャーナル』の原稿、気がつけば〆切を過ぎている。ようやく書き始めるが、これもやる気がおこらん。
◆そういえば同成社の第1巻が刊行される。自分の原稿を読む。ま、歯切れはよい。でも、えらい高い本や。こんなん、いまの学生は買わへんわな~。原稿料って、いくらくらいあるんやろ。ま、あってもなくても。もうひとつ、三角縁神獣鏡の原稿があるのだが、これもやる気がおこらん。
◆人間は精神的なものなので、やる気がないと仕事はしない。そうも言ってはおられない。東北学院大学の集中講義の準備で3連休は全滅だな。これで年越し・・・。
月曜日、大阪市の会議
◆大阪市の会議。今日から小澤さんの集中講義ながら、朝の9:30から12:30まで拘束される。今年度は、大阪城の魅力作りのマスタープランの策定、3回の会議の最終。
◆来年度は特別史跡大阪城の保存管理計画の策定。本丸から調査研究に着手するプランが盛り込まれるだろう。これをいかに実現するか。そうなると、動き出す、回り出すであろう。大阪市内部での方針にきちんと位置づけられる必要があるし、本丸を調査するといっても、特別史跡だし、きちんとした将来構想や、で本丸をどうするのかというカッコたる構想がないと、文化庁だって認めないだろう。
◆ゆとりとみどりが全体を管轄するにしても、特別史跡にメスを入れる点は、文化財保護課がしっかりとプラニングしなければならない。さてと、大阪市の文化財保護課の力量を見させて貰おう。
◆翌日、天理大学の小田木君に会ったので、本丸御殿のレーダー探査を頼んでおいた。細かい点は桑原さんと詰める必要がある。
◆この日、大阪歴史学会の委員会および忘年会。いろいろさぼっているが、現地見学検討会も少しは話を進めて貰っているようだし、ねごろや、陵墓のことなど、最低のことはなんとか・・・。
◆来年度は特別史跡大阪城の保存管理計画の策定。本丸から調査研究に着手するプランが盛り込まれるだろう。これをいかに実現するか。そうなると、動き出す、回り出すであろう。大阪市内部での方針にきちんと位置づけられる必要があるし、本丸を調査するといっても、特別史跡だし、きちんとした将来構想や、で本丸をどうするのかというカッコたる構想がないと、文化庁だって認めないだろう。
◆ゆとりとみどりが全体を管轄するにしても、特別史跡にメスを入れる点は、文化財保護課がしっかりとプラニングしなければならない。さてと、大阪市の文化財保護課の力量を見させて貰おう。
◆翌日、天理大学の小田木君に会ったので、本丸御殿のレーダー探査を頼んでおいた。細かい点は桑原さんと詰める必要がある。
◆この日、大阪歴史学会の委員会および忘年会。いろいろさぼっているが、現地見学検討会も少しは話を進めて貰っているようだし、ねごろや、陵墓のことなど、最低のことはなんとか・・・。
松岳山12月18日
◆岸本・木村(関大)・小西・藤林。まず、全員で前方部西北隅角。P35にマシン(BS=P34)を据える。稜線沿いが土地境界となり、これを尾根上に削り残し、両側が地下げされているのだが、前回の測量がやや荒く細部があまり表現できていないので、まずはその補足から。
◆木村・小西に任せようと思っていたが、地形が複雑で任せるのは困難と判断し、茶臼塚側を任せることにする。それで、マシンを入れ替え、茶臼塚のP42に我が社のマシンを据える(BS=P33)。設定までやって、あとは放任する。
◆【岸本班】前方部西北隅について、細かく細くしながら下げていき、途中からは新規の測量となる。北辺および南面とも伐採した竹がうずたかく積み上げられているので、測量範囲は次第に狭くなる。標高48.25mまで下げる。北側はその先は急斜面の崖面となり、そこへまた伐採した竹が放り込んである。南側は傾斜が緩やかになる。P35からの測量もいましばらくできるが、次の展開を考える必要がある。
◆【木村班】茶臼塚側は、新規用紙(A3)。放任していたが、午前中の成果を見ると、畑の輪郭を入れただけなので、これはダメだとテコ入れする。午後の開始時に4人で、茶臼塚の縁辺の肩を入れ、茶臼塚上面にあたる等高線を2本入れ、あとは下り斜面の測量にかかれるようなところまで段取りした上で、放置する。
◆桜の大木があるため、見通せない方向もあるが、肩部の標高51.75mから、下部の46.50mまで22本等高線を入れることができた。ほぼ緩斜面部まで到達し、茶臼塚上面から続く西側斜面はおよそ完了した。茶臼塚側は、この先、どこまで測量するか考えるべき領域にかかっている。これより下に進むよりも、墳丘本体の測り残し部を優先すべきだろう。
◆これにて年内は終了。年末もやりたいところだが、仙台に集中講義に行かなければならないので、次は1月6日の予定。そこまでは決めているが、その先はまだ予定を組んでいない。
◆木村・小西に任せようと思っていたが、地形が複雑で任せるのは困難と判断し、茶臼塚側を任せることにする。それで、マシンを入れ替え、茶臼塚のP42に我が社のマシンを据える(BS=P33)。設定までやって、あとは放任する。
◆【岸本班】前方部西北隅について、細かく細くしながら下げていき、途中からは新規の測量となる。北辺および南面とも伐採した竹がうずたかく積み上げられているので、測量範囲は次第に狭くなる。標高48.25mまで下げる。北側はその先は急斜面の崖面となり、そこへまた伐採した竹が放り込んである。南側は傾斜が緩やかになる。P35からの測量もいましばらくできるが、次の展開を考える必要がある。
◆【木村班】茶臼塚側は、新規用紙(A3)。放任していたが、午前中の成果を見ると、畑の輪郭を入れただけなので、これはダメだとテコ入れする。午後の開始時に4人で、茶臼塚の縁辺の肩を入れ、茶臼塚上面にあたる等高線を2本入れ、あとは下り斜面の測量にかかれるようなところまで段取りした上で、放置する。
◆桜の大木があるため、見通せない方向もあるが、肩部の標高51.75mから、下部の46.50mまで22本等高線を入れることができた。ほぼ緩斜面部まで到達し、茶臼塚上面から続く西側斜面はおよそ完了した。茶臼塚側は、この先、どこまで測量するか考えるべき領域にかかっている。これより下に進むよりも、墳丘本体の測り残し部を優先すべきだろう。
◆これにて年内は終了。年末もやりたいところだが、仙台に集中講義に行かなければならないので、次は1月6日の予定。そこまでは決めているが、その先はまだ予定を組んでいない。
12月17日、飛鳥
◆奈文研の小澤さんに集中講義をお願いしている(講義は月曜日から)。17日はその一環の飛鳥の現地講義、オレも安全係で参加。この冬いちばんの寒気で、前日、金曜日の帰り、明日はどうなることかと・・・。が、9:30、飛鳥駅に行くと、比較的穏やかだった。参加者は14人、中世史の院生が山の寺の研究会、歴科協委員は例会で、ほぼ3回生で占められる。レンタサイクルを予定していたが、車で行き、小澤号とも7人乗りなので、12人までなら車にしようと相談していたが、14人となり、レンタサイクル。
◆越岩屋山、ケンゴシ塚、平田梅山、中尾山、カナヅカ古墳、鬼の雪隠・俎、天武・持統合葬陵、亀石、川原寺、石舞台古墳、酒船石遺跡、飛鳥資料館で昼食、展示見学、「磐余池」現地説明会(小澤氏は「百済池」と)、紀寺、藤原宮、大官大寺、奥山久米寺(「小墾田寺」)、水落遺跡、明日香村展示館、飛鳥板蓋宮跡、菖蒲池古墳、五条野丸山古墳。以上、たくさん遺跡を見ることができた。
◆越岩屋山、ケンゴシ塚、平田梅山、中尾山、カナヅカ古墳、鬼の雪隠・俎、天武・持統合葬陵、亀石、川原寺、石舞台古墳、酒船石遺跡、飛鳥資料館で昼食、展示見学、「磐余池」現地説明会(小澤氏は「百済池」と)、紀寺、藤原宮、大官大寺、奥山久米寺(「小墾田寺」)、水落遺跡、明日香村展示館、飛鳥板蓋宮跡、菖蒲池古墳、五条野丸山古墳。以上、たくさん遺跡を見ることができた。
年内最後の鏡の撮影12月13日(211面達成)
◆まず豊中市。前に行ったとき、ピンが甘かった1面の俯瞰を陣内さんにお世話いただき撮影。それから吹田市博物館(写真)。西本さんにお世話いただいて、倭製鏡の再鋳造のために打ち割られたとされる鏡片、および小形倭製鏡の石製鋳型の撮影を行う。この鏡片、重要でしょうね。報告書もいただき、じっくりと勉強する必要がある。垂水遺跡の遺跡評価にかかわる。
◆それから溝クイ神社(写真)の画像鏡。これイイ鏡でした、ほんとに。が、大阪出土品ではなさそうだ。
◆それから阿為神社の三角縁神獣鏡。
◆そして高槻市の伊勢寺さんの倭製鏡。ご住職さんに「難波潟 短き葦の節の間も 逢わでこの世を過ぐしてよとや」を歌った伊勢の話、能因法師の話などを聞く。
◆そして今城塚資料館に行く。早川さんにまたまたお世話になり、土室石塚の個人蔵の同型鏡、センター保管の塚原遺跡出土後漢鏡片、萩之庄1号墳の鏡片、この2つの再撮影、梶原D1号墳の珠文鏡の撮影。閉館後、展示物の郡家車塚の倭製鏡の再撮影。芥川の後漢鏡はテグスで貼り付けられているのでフィルムを貸し出していただく。そのあと、27日だかに開催される高槻市史跡整備検討委員会に出席できないので、闘鶏山古墳、安満遺跡、今城塚に関しての報告事項をお聞きした。19時頃、今城塚資料館を出る。
◆新規撮影は、吹田2+溝クイ1+阿為神社1+伊勢寺1+石塚1+梶原1の、合計7点ということになる(再撮影4面)。年内はこれで終わり。土日の疲労が残っている。
◆それから溝クイ神社(写真)の画像鏡。これイイ鏡でした、ほんとに。が、大阪出土品ではなさそうだ。
◆それから阿為神社の三角縁神獣鏡。
◆そして高槻市の伊勢寺さんの倭製鏡。ご住職さんに「難波潟 短き葦の節の間も 逢わでこの世を過ぐしてよとや」を歌った伊勢の話、能因法師の話などを聞く。
◆そして今城塚資料館に行く。早川さんにまたまたお世話になり、土室石塚の個人蔵の同型鏡、センター保管の塚原遺跡出土後漢鏡片、萩之庄1号墳の鏡片、この2つの再撮影、梶原D1号墳の珠文鏡の撮影。閉館後、展示物の郡家車塚の倭製鏡の再撮影。芥川の後漢鏡はテグスで貼り付けられているのでフィルムを貸し出していただく。そのあと、27日だかに開催される高槻市史跡整備検討委員会に出席できないので、闘鶏山古墳、安満遺跡、今城塚に関しての報告事項をお聞きした。19時頃、今城塚資料館を出る。
◆新規撮影は、吹田2+溝クイ1+阿為神社1+伊勢寺1+石塚1+梶原1の、合計7点ということになる(再撮影4面)。年内はこれで終わり。土日の疲労が残っている。
京丹後市シンポジウム
◆会場はアミティ丹後。13時スタートで、12時に昼飯兼打ち合わせに来いと。11:45くらいには着いたかな。岡林さんとカッチャンと3人が報告し、三浦到さん(いま市丹後資料館の館長)の進行でそのあとディスカッション。
◆岡林さんの銚子山の発掘調査のスライドのあと、1時間しゃべる。まあ、ちょうどですね。よくいえばピッタシだが、行き当たりばったり。つかみは抜群。噛みつきの反応も強い。アジテーションにも力が入る。「さきみささぎやまこふん・さきみささぎやまこふん・さきみささぎやまこふん」と3回連呼して洗脳した。
◆終了後、下でお茶でもという話も断る。なにせ遠い。あしたもあるし、帰りますと辞する。宮津までの道は、いまは野田川までのびており、帰りは野田川ICから高速に乗る。ほぼ17時頃か。頭を冷やすために、帰りは『冬のソナタ』のサウンドトラックを全曲聴く。で、やっぱり西紀SAで晩飯を食っている。カミさんが鹿児島から帰るのに新大阪まで迎えに行く。このところ伊丹や新大阪まで迎えが多い。
◆あしたは9:30から長岡京市。それがなかったら、神明山のリーフレットは完成するのだが、明日、印刷屋に入れるのはあきらめた。
◆岡林さんの銚子山の発掘調査のスライドのあと、1時間しゃべる。まあ、ちょうどですね。よくいえばピッタシだが、行き当たりばったり。つかみは抜群。噛みつきの反応も強い。アジテーションにも力が入る。「さきみささぎやまこふん・さきみささぎやまこふん・さきみささぎやまこふん」と3回連呼して洗脳した。
◆終了後、下でお茶でもという話も断る。なにせ遠い。あしたもあるし、帰りますと辞する。宮津までの道は、いまは野田川までのびており、帰りは野田川ICから高速に乗る。ほぼ17時頃か。頭を冷やすために、帰りは『冬のソナタ』のサウンドトラックを全曲聴く。で、やっぱり西紀SAで晩飯を食っている。カミさんが鹿児島から帰るのに新大阪まで迎えに行く。このところ伊丹や新大阪まで迎えが多い。
◆あしたは9:30から長岡京市。それがなかったら、神明山のリーフレットは完成するのだが、明日、印刷屋に入れるのはあきらめた。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。