人を幸せにする人になろう

翠鳥園遺跡

◆前から、この近所のコインランドリーに梅雨時など洗濯に来ることが年1~2回あり、イズミヤにも行ったことがあるのだ171c507e.JPGが、ここは初めて。翠鳥園が発掘されたのはいつだったか。【1991年だった】。山中先生が、京大文学物博物館ee573537.JPGの展示で取り上げる。
◆もとは開発予定地だったんでしょうね。それが発掘で旧石器の製作遺跡として希有な出土状況で確認され、保存されたんだろう。【府営住宅だそうです】。サヌカイトの打割をイメージしたモニュメントはじめ、出土状況の模型や展示などがなされてる。史跡指定されていないようだが(府史跡?)、いろいろ保存をめぐってあったのかもしれない。
◆旧石器時代の史跡整備は初めてみたかも。相模原の田名向原遺跡は史跡になったが、そのあと整備された姿は見ていない。地味ではあるが、なかなかほかにはないものだろう。とはいえ、展示も少々くたびれている。遺構といえるものが石器の出土状況で、立体構造物があるわけでもなく、旧石器の遺跡の整備はなかなか難しいのだろうとは思う。
 

墓山

◆応神陵陪塚でありながら史跡でもある。丸々ダブル指定なのは、これと大仙陪塚丸保山くらいなもんだ。なんb2bae7f2.JPGで、それが可能だったのか、誰に聞けばいいんだろうと思いつつ数年が経過している。史跡指定もそんなに古いわけではない。なぜだ・・・(墓山1975年、丸保山1972年)
◆墳頂に長持形石棺があり蓋石が露呈しているらしい。『倉敷考古舘報』には図面まで出ている。これまた、なんででしょうね。けっこう埴輪や滑石製品が採集されている。近つの展示にも、いろいろならんでいる。
◆この手前には方墳の浄願寺山古墳もある。
 

たつの市で見つかった三角縁神獣鏡

◆2004年に、龍野市で三角縁神獣鏡が見つかり、歴史文化資料館の市村さんから電話がかかってきた。その44ba325e.jpgあと、元東博の西田守夫さんから電話が入り、『考古学雑誌』に紹介してくれと頼まれる。それで4日ほど、とびとびに通った。最初に写真を取り、権現山や雪野山の時みたいに2倍大に引き延ばし、それを下図に、フィルムをかぶせ、現物を見ながら絵を描いた。3日くらいを要したか。
◆が、そのあと、なぜだかわからん、図面類がどっかいってしまったように思いこんでいて、そのまま放ってあった。で、この夏、「所沢の西田です」とまた電話が入り、まずい!、「ぜったい書きます」と返事。急遽、ところさんに、鏡の写真処理を中断してもらい、三角縁神獣鏡のデジタルトレースをお願いする。で、そこはさすがに早いしうまいもんである。アバウト3日(3週)くらいで上がる。で、お披露目しておく。
◆原稿書き始めたが、書けない・・・。鏡の記述ってどうすりゃいいのさ。簡単に書けると思いきや、うだうだ細かく書く気にもなれない。同笵鏡のない新種で、配置Eという変わり者だが、まあそれくらいなもんだ。図面・写真・拓本を、ひととおり版面にあわせて6/10でそろえてレイアウトしたが、なかなか行は埋まらない。

2001年11月06日(日)松岳山

◆【岸本・道上・藤林】8:45~17:00
◆p33にマシンを据え、前方部の削平部を標高58mから56.5mまで下ろす。茶臼塚の手前まで。それから山車小屋の竹藪に突入。小屋の裏側まですべてやりたかったが、午後、学生2人に任dcf988b1.JPGせることになるので、11:30片付け、据え変える。fa1154db.jpg
◆それからp34に据え、10月30日の続き。標高60m以下、前方部西北稜線沿いに、前面と北側面について、L字の等高線を下ろしていく。54.75mまで完了。現在、竹を組んでデッキが作られているが、その付近まで。
◆この間、岸本は、柏原市歴史資料館で、大阪市立さくやこのはな高校の学生相手のシャベリで昼から15時まで抜ける。
◆この先の予定、11月19日、11月27日、12月3日、12月18日、1月6日、先は長い・・・
 

続いて誉田御廟山

◆同じ文献、初版は昭和41年。道路が建設中だ。よく見ると、アリ山がはげ山状態。北野先生調査時とすると昭a8f0e272.JPG和33年らしいが、そこまでは古くないか。外濠・外堤を道路が横切っている様子が見て取れる。府営住宅はすっかりできているが、まだ三ツ塚のあたりは家は少ない。

箸墓と上ツ道

◆茨木高校で話をしたとき、小学校の時に読んでいた本を紹介した。見返してみると、けっこういい写真があっ3fb6c860.JPGた。けっこう古い時期ですよ。まず1枚目、箸墓。カミツミチ。

2011年11月5日よみうり伊丹文化センター

◆学園祭のシーズン、後期のなかでまとまって休みのある期間なので、外国出張者も多い。オレも、この時期に2944d686.jpg毎年、韓国に行きたいもんだが、今年はなし。誰やらのピンチヒッターで伊丹に出向く。見た顔が多い。初ネタだが、この調子では同じ話を場所が違うからってやってられないことになる。
◆昨日は夕方から梅田で会議。予想していなかった呑み会に突入。誰かさんのおめでたで、その産まれてくる子の名前で、ず~とオッサンたちがああでもないこうでもないと提案し合う。
◆ペーパーは前から準備していたが、パワポはゼロ。朝9時前から大学にやってきて、資料を3枚にすべく行をけずり、そのあと、石室の画像を集めてきてパワポを作る。まあまあか。
◆この手のヤツ、しばらく受けないことにしたいのだが・・・。
◆この表紙だけ見ても、天王山式と石舞台でぜんぜんちゃうやん!そう思いませんか。できるなら、丸山の石室のレーザースキャンをやってみたいものだ。
 

野中宮山

◆ここは幼稚園があって、前方部がちょん切られている。だがどうなんでしょうか、子どもも減っているんとちゃい7362cc8e.JPGますか。幼稚園を統合し、ここは廃止にすることも可能では。
◆住宅地のなかにあって、ここまでの古墳の中で子どもたちがいちばん遊んでいた。南側の濠に相当するところを公園にして遊具等を置いていることもある。で、後円部には野中神社がある。神社の背後は急な崖面になっているためか、墳丘の流出をふせぐためにフトン篭を積んでいる。全体としては痛みがはげしい。

はざみ山古墳

◆いつも横を車で通過するものの、中に入ったのは初めてだ。傷んでますね。後円部後端側のみならず、下段673480b7.JPGがほぼ濠でで浸食されてしまっているように思う。
◆ここの場合、土地がらみでゴタゴタやっていたように思う。濠があると、安全管理の問題もある。そんなんで、なかなか整備というわけにはいかないのだろうが。

大鳥塚

◆これもまた110mのきれいな前方後円墳。行者塚と同形同大か。いま、五社神で論文を書き始めているが、相e53119af.JPG似墳候補としてみているもののひとつなのだが、前方部は低いですね~。勉強に2540598a.JPGなる。古相の根拠にはなるが、五社神の前方部はもっと隆起している。違うんかな~。ま、それはぼちぼちやるとして、要は、ああいう頭でっかちで前方部の短いタイプというのは、五社神型で平面形的には説明がつくのだが。
◆墳丘は荒れているところは荒れてますよ。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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