人を幸せにする人になろう

神明山の写真撮影

◆結局2時まで準備、寝たのは3時。7時には目が開くが眠い。朝食を取り、神明山古墳へ。たぶん8:20くらいにb16212ef.JPG出て8:40には着く。写真撮影と観察。天気は曇り。
◆墳丘斜面の傾斜のきつさを改めて認識する。テラス面の明瞭な網野銚子山とはかなり異なる。丘陵を最大限利用し、墳端も不明瞭。これも五社神に近いと言えば近い。ただし、五社神と立地地盤が完全に逆で、五社神が前方部を低い側に向けるのに対し、神明山は後円部を低い側に置くので、それによって仕上がりが変わってくることになる。そういうところで説明がつけられるんではないだろうか。
◆写真撮影は改めて出撃しなければならないが、いちおう、報告書を意識して撮影。3脚を立てようかと思ったが、まあ、フットワークがぜんぜんなのでヤメにする。ISOを変え、1/30くらいにはなるようにして撮影。全体に暗いのでキツイ。
◆今回の撮影のもうひとつの目的は、リーフレットの表紙写真。リーフを作成していて、表紙写真がいまいち浮かばない。で、墳丘のいい縦位置写真などを含めて、それを意識しながら撮影する。シャッタースピードが遅くブレが心配。10時には終了し、網野へ。
 

月食を気にしながら

◆ええい、酒でも呑もう。月食じゃ。22:41、月が消えた。その瞬間を見ましたよ。違った、雲や。それ6b24f787.JPGからしばらくは雲。次に見えたと思ったら、右図のようなもの。22:50くらいだろうか。そして23:20頃にはすっかりまたもとの満月に戻っていた。そんなもんなんですかね。欠けていくときは時間がかかっていたが、戻りは早いのか。
◆パワポ、ひととおり作成。もうすぐ2時だ。でも枚数が多くなった。明日、直前にまた絞ろう・・・。寝よ。

峰山のホテルで

◆測量終了後、道上君を河内国分駅まで送り、丹後へ向かう。シンポジウムにどうせ行くなら、せっかくなの6a559eba.JPGで、午前中に神明山古墳の写真撮影や観察をするため、峰山に宿泊することにする。
◆16:50、ガソリンを入れ出発。中森明菜を流して大声で歌う。スローモーション、少女A、セカンドラブ、ミアモーレ、北ウィング、etc。近畿道―中国道―舞鶴道―宮津。何度か丹後に通うのに使ったが、久しぶりだ。が、1人だと寂しいもんだ(ちなみに、同僚の佐賀さんから、昭和歌謡カラオケ大会のお誘いが・・・。どうしたもんだべ)。18:00西紀SAに入り、で晩飯を食う。ついでに松岳山の図面整理。19:00リスタート。私市丸山のライトアップはなかなか目立つ。
◆今日は皆既月食やった。高速道路を走っていても満月が明るい。20:20、峰山のホテルに到着。満杯やで、よう入っている。缶チューハイ2本を仕込むが、それは仕事が終わってから。いまはイエモン濃いめ。
◆松岳山の日誌をアップして、この記事を書き終わったら、明日のパワーポイント作り。資料を出しているので気が楽だが、パワポ作りは金曜日から始めたが、道半ば。1時くらいには終わりたいものだ。
◆カミさんは、今度は鹿児島へ出張。九州新幹線の往復8時間で1本論文を書くと行っていたが、「よく寝れる」とのメールが入る。
◆いま22時、月食が始まっている。丹後は良く晴れている。オリオン座の上に出ている月が左下から暗闇に食われかけている。こんなん初めてみた。

松岳山2011年12月10日

◆京丹後の準備もあろうと予定していなかったが、先週土曜日も雨で流れたため、急遽、実施。c0878934.jpg
◆【岸本・道上】茶臼塚より西方の畑を稼いでもよかったが、B3の紙の残り、複雑に地形が改変され、山車小屋などもあって測りにくい箇所をすべてやっつけてしまうことにする。
◆まず、こないだの新規杭P40・41・41にレベルを落とす。次にP40にマシンを据え、茶臼塚南辺の谷部を下ろしていく。ひととおり紙の端まで行き着く。
◆次にP42に据え、土地境界のところに竹を横に積み上げ(測りにくいったらありゃしない)、見通せなかった前方部前端部あたりを完了させる。竹垣のむこうから来る等高線とも矛盾なく接続。
◆次にP40から山車小屋にむけて2点を落とす。P43は山車小屋周辺のみで、チビミラーによる(-653.524/-583.994/53.118)。他方、P44は、小屋の向こうの前方部側面を測るためのものなので、大目玉e0883b39.JPGをちゃんと据えて算出(-657.196/-578.462/52.998)。
◆まずP43に据え、山車小屋のために、前方部西南稜線部を削り込んだ法面、小屋の平坦面、コンクリート舗装の部分を、紙の範囲についてすべて測量。
◆次にP44に据えて、前方部南側面の末端部の測り残し部を測量する。少し高いところの取りこぼし箇所は、今回も大木等で無理だったが、基準点からすぐ東側の斜面については、順調。もう少し、30分あれば終わったのだが、時間がきたので撤収する。右の成果図ではぜんぶ上がりとして処理したが、あと30分くらいの作業が残る。だが、これでB3の紙のシンドイところはすべてやっつけた。
 

浮き沈み

◆今週は浮き沈みの1週間だった。月曜、神明山のリーフレットがかなりできた。図は掲載用の丹後の古墳b985c7d9.jpg分布図。もうちょっとだな。
◆一方、こないだ和泉市に行ったときに、『和泉市史紀要』で和泉平野の条里復元を編集中だが、予定通り、今年度末刊行と決める。それで、木曜、濱道君の作業状況を確認し、小字記入が85%近く入力されているようなので、インデザインのリンクを更新し最新版をプリントアウトすることに。今朝、やってみて眺め、大きく仕様を変更することにする。紀要が縦組みが多いので、縦組み仕様の展開でレイアウトしていたが、やっぱり図面上よろしくないので、横組み仕様に反転させることにする。金曜、高島さんに配列を変えてもらう。すると、昨夜から一生懸命リンクを変更したものがなぜだか反映していない。またまた作業をせなあかん。
◆が、なんとなくできるような気がしてきた。編集は、イラストレーターのデータが更新されると自動的にインデのリンクも更新されるとはいえ、そもそもの条里復元、それと小字記入の点検がかなりたいへんだ。その点検と直しにだいぶ時間をとられるだろう。それを見越して計画を立てる必要がある。
◆今回は和泉郡中心で大鳥郡もちらりと入るが、日根郡は切り離した。それと小字記入はあくまでも和泉市域。岸和田や貝塚、泉大津など入っていない。本来ならばすべてやれればいいが、奈良県のようにはいかない、あくまでも和泉市史の仕事の一環でやっているから仕方がない。理想は、今回なんとか刊行し、さらに更新していくことだろうが・・・。
◆そう考えると、ふと思う。こんなことは、狭山池博物館が府下全域についてやるべきではないのか。河内も摂津も・・・。土木開発の最たるものが水田開発だ。大阪府下の条里復元をやり、市町村の協力をえて小字調査をして、奈良県の条里復元のような刊行物を出してほしいもんだ。
◆今週はこの手のことが多かった。(1)木曜、大学院生の発表を聞いていて、大阪砲兵工廠について、たとえば大阪歴史博物館が企画展で取り上げればいいのに。それで数年かけて調査し、いい図録を作れば、それが大阪砲兵工廠にかかわる基本文献になる。(2)大阪城もそう。木曜、大阪城の研究会に行ったのだが、レーダー探査の成果がいまいち。オレがもうちょっと出張ってもよかったのかとは思うが、そこは文理融合で理学部がやることに意義があるので、あんまり口出しはしなかった。が、やはり文化財分野の蓄積はかなりのものがあり、そこは地質屋のより深いところを探るものとは異なっている。
◆まあ、そんな、やれればいいこと、というのが多々思い浮かぶ。すべて興味があるが一人でできるわけではない。そこは組織的にコトを動かしていく能力が求められる。

大阪市大と大阪府大

◆大阪市大の運営費交付金は110億円だそうです。公立大学でやっぱり首都大がいちばんらしい。市大は、8bc84483.jpg全学で9000人の学生がいて、学生1人あたり134万円となる。この表の公立大学では最下位。
◆大阪府大は1000人少ないが、運営費公費金はあんまりかわらず。大阪市大と大阪府大が合併すると、ひとまず単純に足すと220億円規模で学生数1.7万人規模のマンモス大学となる。が、
◆が、運営費交付金は、東京大853億、京都大568億、大阪大495億、東北大479億だそうです。+外部資金(というか科研費)の獲得額は、もっと開きが大きく、収入総額の格差はより大きくなる。
◆市大と府大が合体すると、1.7万人で220億円という公立大学では最大かもしれないが、阪大は1.3万人で500億なわけだ。
【追記】『大阪府立大学の改革指針(案)~変革と挑戦~』(平成22 年2 月、大阪府)によると、次のような記述が出てくる。「特に、大阪市立大学とは、同じ圏域の公立大学として、切磋琢磨をしながらも、連携強化に努めているところである。」、「なお、府立大学は、この改革を通じて、理系を中心とした大学へと特色化を図るものであるが、大阪市立大学は、特に文系や医学で存在感の高い大学であり、この双方が力を合わせ融合を図ることで、府域や関西圏、ひいては全国大学の中でも、強力な大学が誕生するものと考えており、今後ともその可能性を探っていく。」と明記されている。

2011年12月4日のつづき

◆そのあと摩湯山に行く。目的は濠が干上がっているかどうかの確認。満水でした。
◆カミさんが毎年の沖縄出張(プランクトンの採取)から帰ってくるので、伊丹に迎えに行くことに。すこし早く、中途半端なので、大学に戻る気はしない。
◆とちゅう、ファミレスで『考古学雑誌』の原稿を手直しするが、眠くて寝ていた。それから伊丹へ。ちょっと聞いてくれますか。受験生って、勉強スペースを探していますよね。図書館のフリースペースは当たり前。こないだ、狭山池博物館に行ったとき、仕切られた机に受験生。どうも通っているらしい。空調は効いているし・・・。で、伊丹空港のフリースペースの机で、勉強している奴を見て、こんなところにもいる!とびっくりした。
◆帰ると、子供らがニコラスケイジの映画を見ている。そのあと、ひさしぶりにイサンを見る。このところ、1回なく、次が福知山にいるときで見逃し、先週は大阪市長選挙の報道でなく、実に4週間ぶりである。カミさんは疲れ果てて寝ているので、誰もつきあってくれず、1人、シャンパン1本をあけて飲んでいる(とくにメデタイわけではない)。明日は月曜日か。また週が始まる。また、次の日曜日は京丹後のシンポジウム、それでこの手のやつは今年は終わり。ああ、東北学院大学の集中講義の準備をしなければ、たいへんだ。
◆年末、ようやく伊丹-仙台の航空券を取る。高い!。航空券の値段って、あってないようなもの。こんなデタラメがはびこっているのはどうしたものか。格安とか、なんとか割とかなくして、単純化されないものか。正規の値段で買う方がバカ、というのは、世の中、間違ってませんか。集中講義終了後、被災地を見たいと考え、気仙沼のホテルを予約する。どうなるかわからんが、集中講義終了後、レンタカーを借りて気仙沼に行き、翌日、陸前高田や石巻などを見て回ることにする。

和泉市講演会2011年12月4日

◆無事、終わりましたよ~ん。その実態やいかに。前日3日、測量はヤメにして朝から晩まで研究室にいたc4523321.jpgが、ほとんどは雑務整理、メール処理など。おかげで少しすっきりとしたか。一段落して資料作りにかかる。22時に大学を出て、サイゼリヤで2時まで資料作りの続き。が、どこまでいったっけ。6世紀までだったような。
◆家に帰り、今日は徹夜かと思いつつ寝る。で、日が変わり当日。朝、9時に大学に行き、3時間の勝負。資料はなんとか作り上げる。50部と言われていたような気がして、カラーの図をふんだんに盛り込み、これ白黒コピーじゃわかりにくいからカラーコピーをすることにする。が、いずみの国歴史館に電話し、資料は何部でしたかというと80部というので、A3カラーコピー、コンビニで50円として、80部で4000 円、それが3枚、1.2万円、こりゃかなわん、出血大サービスはできないので、モノクロのコピーにする。資料を刷って12時、車で和泉中央に向かう。
◆13 時に到着し、20分ほど、最後のパワーポイントの作成にかかる。最後は尻切れトンボだ・・・。13:30スタート。1時間30分あまり、しゃべる。まあまあか。けっこう身近なみなさんも来ていただいて、専門のみなさんにはものたりないかもしれないが、こっちの趣旨は別。普通のみなさんに池田谷の開発の進展のイメージをもってもらう、という点は成功したかな。
◆終了後、まず展示を見る。池田下の高橋家のすごい絵図がまずでーんと展示されている。けっこう、味わい深いいい展示ですよ、これは。いずみの国歴史館には、これで3回目か4回目だが、ちゃん展示を見たのは初めてかも。たとえ1室でもこういう施設があり、企画展をやっていくのはよいことですね。
◆どうなんでしょう、博物館展示論など学んだことはないが、説明板が縦組みでした。そうなると、導線が反時計回りになる。横組みだと時計回りか。いや、解説文が今どき縦なのに、妙に感心したわけである。やっぱり文書中心だとこうなるということか。そのあと、市史のテーマ叙述編1と紀要の打ち合わせをして、16:30頃、歴史館を辞す。

四天王寺(205面目)2011年12月2日

◆和泉市のシャベリは日曜日、なので土曜日は松岳山にしていたが、またしても雨。こう書くと、完全にオレはdc240b0e.JPG雨男ということですね。違うと思っていたんですけど・・・。だいたい大丈夫、どっちかというと晴男と思っていたのだが・・・。まとまった雨だそうですが、まだヤメにはしていない、未練たっぷり。その一方、明日、一日あれば、日曜日の準備もできるし、たまった仕事も片付くという気持ちに傾いている。中途半端よりも、すぱっとヤメて、そうすべきかなと、思いつつ。
◆四天王寺に赴き、学芸員の一本さんのお世話になり、高槻市の慈願寺山古墳群から出土した立派な内行花文鏡の撮影をおこなった。宝物館が補修工事中だったが本坊で対応いただいた。
◆30分で終わる。そのあと、授業などで使うため、四天王寺の写真を撮ってまわろうかとも思ったが、研究室でバイトも仕事をしているし、なにかと気持ちがあせっていて、せっかくだがヤメにした。最初に四天王寺に行ったとき、いろいろ写真を撮ったのだが、この時、デジカメが汚れていて、撮った写真のすべてに黒い斑点がポツポツと写り込んでいた。あれはどうしてああなったんかね。
◆そういえば、数年前から大学にいっぱい売り込みのチラシを入れる業者があり、このノートパソコンもそこで買ったのだが、デジカメのチラシが数日前に入っており、キャノンの5DMarkⅡがズームレンズ付きで25万円になっていて、これは買い!と思った。どう買うかは別にして、ただちに一個確保の連絡をしとかなきゃと思いつつ、まだ。もうないかもな~。ただでさえ納品待ちの人気機種だというし。とはいえ、いままで200面もイオスキッスで撮影してきて、今さらなのだが・・・。
◆鏡の写真、絶対うまくなりました。前にほのめかしながら恥ずかしくて書いていない、長い間きわめて初歩的なミスに気づいていなかった点もあるのだが、ライティングも含め、近頃はずいぶんと進歩し、安定してイイ写真が撮れていると思う。思えば振り出しは高槻市さんでした。が、郡家車塚の鏡がピンぼけで・・・。今度、新たにお寺さんや個人蔵のものも手配いただき、前の時の再撮影分を含め、改めて出向きます。
◆鏡の写真集ができたとして、いつまで意味があるんですかね。そのうちに、ハンディな3次元計測機器が発達すると、それによる計測、そしてそれによる陰影図の時代がくるかもしれない。それでも観賞用にはなるかな。
【追記】3日、松岳山をなしとし大学で仕事をする。朝起きたら晴れ間もあり「しまった」とも思ったが、午後は暗くなり、夕方は嵐になる。和泉市でしゃべる準備はできていない。これはマジやばいです。

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HN:
雲楽
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男性
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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