人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
教育基本条例
◆けっこう新聞でも取り上げてくれている。ここで議論するつもりはない。ひとつだけ、橋下は市民のニーズという、それのバックデータはなにもないということだ。市民は公教育に何を望んでいるのか、不満があるとするとどういうことなのか、だ。これをアンケート調査し分析し、+それが実現していない要因は何かの分析、その先に、ではどうするのか、という方策を立てる、という順序を踏んでいないことは明らかだ。
◆市民のニーズって簡単に言うな、っての。自分が見聞きする範囲の感触も大事だろう、当たってないとはいわない、しかし、それを裏付けるデータもないのに、いまの公教育が市民のニーズにあわないなんて、簡単に言うな。独善にすぎない。
◆市民のニーズって簡単に言うな、っての。自分が見聞きする範囲の感触も大事だろう、当たってないとはいわない、しかし、それを裏付けるデータもないのに、いまの公教育が市民のニーズにあわないなんて、簡単に言うな。独善にすぎない。
松岳山古墳の測量を再開します
◆GWで止まっていたもの、季節も測量しやすい時期となり、この日曜日から再開する。11月中にあと4日、12月中に2日、年明け含め、終わらんかね~。石田さんのはからいで関西大学の院生・学生にも、お手伝いいただくことができそうだ。うちの日本史の学生にもよびかけてみよう。
◆30日は、大阪市のさくやこのはな高校の学生の実習参加のはずが、不人気で人が集まらずなくなる。発掘現場を経験したいといっても無理。高校生に対処するため、澤田さんにも助っ人に来ていただくことになっているが、そんなんで平板5セットはなくなるので、トータルステーション2台でかせごう。
◆堅山家文書が見れるようになり、柏原市の歴史資料館に移されたらしく、税所篤の松岳山調査関係の地元文書にようやく対面できる条件となった。安村さんに連絡いただいたが、まだ見ていない。調書は小林の報告書に載っているが、出土品の絵図がほかにあり、これが見たいわけである。梅原は見たが、小林調査の段階で既にシャットアウトであったようだが、ようよう見れるのはウレシイ限りだ。フリアの三角縁神獣鏡について、梅原は松岳山とみているとのことだが、それはどっから来ているのかね~、下垣さん。また教えてチョ。
◆だいたい機材は積んだ。忘れもんないかね~。バッテリーチャージャーが見あたらないが、たぶん自宅。作戦もすこし考えた。
◆30日は、大阪市のさくやこのはな高校の学生の実習参加のはずが、不人気で人が集まらずなくなる。発掘現場を経験したいといっても無理。高校生に対処するため、澤田さんにも助っ人に来ていただくことになっているが、そんなんで平板5セットはなくなるので、トータルステーション2台でかせごう。
◆堅山家文書が見れるようになり、柏原市の歴史資料館に移されたらしく、税所篤の松岳山調査関係の地元文書にようやく対面できる条件となった。安村さんに連絡いただいたが、まだ見ていない。調書は小林の報告書に載っているが、出土品の絵図がほかにあり、これが見たいわけである。梅原は見たが、小林調査の段階で既にシャットアウトであったようだが、ようよう見れるのはウレシイ限りだ。フリアの三角縁神獣鏡について、梅原は松岳山とみているとのことだが、それはどっから来ているのかね~、下垣さん。また教えてチョ。
◆だいたい機材は積んだ。忘れもんないかね~。バッテリーチャージャーが見あたらないが、たぶん自宅。作戦もすこし考えた。
誰か教えて
◆3回生の考古の1人が条里をやりたいと・・・。う~ん、とは思う。おおむね現状は一定のところに到達し、なかなか新たな良好事例などは出てくるものではない。7世紀後半は長原、池島・福万寺で決着している。その後の段階的発展もおおむね描かれている。現状をどう把握し、やるならどういうところが突っ込みうるかだが、この分野は考古ではなかなか・・・、と思う。
◆やるとすれば、やりかえ。河内平野でも、長原、池島・福万寺のものは現存条里と違う。すなわち割り直しをやっている。見通しとしては、シワツ道基準から大津道基準への変更ではないかと考えている。島上・島下についても、淀川平行の旧条里がある段階で方位にあわせて割り直しをやってるはずだ。そういうことは対象になりうる。
◆ここで、知っている人に問いたいのは、条里の109mがどこからきたのか、という説明を読んだことがないことだ。代が町反歩制になったところで、出てくるのは106mなんでしょ。そういう地割をさがしちゃいるけど見つからない。それはそれとして、なんで109なんか。オレが思うには、同じでないの。条里を切る際に、106mの田面積を確保するために、その外に両サイドあわせて1.5歩とった、そういうもんではないんかと。誰か教えて!
◆やるとすれば、やりかえ。河内平野でも、長原、池島・福万寺のものは現存条里と違う。すなわち割り直しをやっている。見通しとしては、シワツ道基準から大津道基準への変更ではないかと考えている。島上・島下についても、淀川平行の旧条里がある段階で方位にあわせて割り直しをやってるはずだ。そういうことは対象になりうる。
◆ここで、知っている人に問いたいのは、条里の109mがどこからきたのか、という説明を読んだことがないことだ。代が町反歩制になったところで、出てくるのは106mなんでしょ。そういう地割をさがしちゃいるけど見つからない。それはそれとして、なんで109なんか。オレが思うには、同じでないの。条里を切る際に、106mの田面積を確保するために、その外に両サイドあわせて1.5歩とった、そういうもんではないんかと。誰か教えて!
科研申請が終わった
◆科研の申請やっと終わる。最終日の〆切20分前、いつものことながら・・・。このテーマ、今年度落っこちたものだが、改めて別のヒネリをひとつはさんで書き直した。申請書としてはよくなったとは思うが、結果は4月待ち。
大学の変化
◆なんで大学って、こんなんになってしまったんかね~、とはカミさんの弁。
◆1991年、いわゆる大綱化 以下、Weblio
個々の大学が、その教育理念・目的に基づく特色ある教育研究を展開できるように、制度の弾力化を図るために1991年に実施された学校教育法・大学設置基準など関連法令の大幅な改正。この改正により、従来詳細に定められていた教育課程などの基準の詳細の部分が削除され、基準の要件が緩和された一方で、教育研究の質の保証を大学自身に求めるという方針の下、大学による自己点検・評価が努力義務と定められた。この大綱化の動きは、後の認証評価制度の創設の契機となった。
◆教養課程と専門課程の見直し 以下、ウィキ
戦後の日本の大学においては、ほぼ全ての大学に一般教育科目の教育を行うために教養課程が存在した。この教養課程における教育研究を行うために、教養部等 の名称を持つ専門の組織や専用の校舎をおいているところも多かった。その後、1974年に広島大学が教養部を総合科学部へ改組したのを皮切りに、大学設置 基準が大綱化した1991年以降、教養部所属や教養課程担当の教員を他の学部へ移動したり、独立した教養部を4年制の学部へ改組したりする事例が増加し た。これによって昨今では、教養課程と専門課程をはっきりと区分している大学が減る傾向にある。代わって、一般教育科目と専門教育科目を在学中にいつでも 履修できるようにした、いわゆるくさび形教育課程(四年一貫とも言う)が増えつつある。
◆大阪市大は1998年に学科が再編される。教養課程と専門課程の乗り入れ、教養枠教員が撤廃される。
◆シラバス もうちょっとあとか?
◆講義内容の簡単なものをまとめた冊子はどこでもあった。2000年に市大に来たときももちろんある。1999年度、記念物課長がシラバスという言葉をしゃべってた。なにそれ~。アメリカ式の講義計画を導入しようということは既に文科省で議論されていたに違いない。90年代後半くらいから文科省の指導が進むのだろう。2000年段階では、しかし冊子の名前はシラバスではなかった。で、どっからか、数年後に、共通教育科目について15回の内容をならべることが導入され、文学研究科の専門課程では数年前だった。でいまは履修の手引きと(入学時のみ配布)、当該年度の授業案内が2分冊化し、後者はシラバスという名前になる。以下、ウィキ。
この言葉は、米国の学校で慣用され、近年、日本の学校でも流行しているが、ヨーロッパの学校ではあまり用いられていない。米国の学校においては、個々の講座の独立性が強く、教員も外部からの人材が多いために、シラバスは講座の教育方針や教員の連絡方法その他の情報を含んでおり、学生にとって不可欠なものである。教員の多くが学校に所属し、学校としての統一的な教育方針が求められる日本では、シラバスは、もっぱら単なる授業計画の同義語となってしまっている。この奇妙な似非ラテン語は、一時の流行にすぎない可能性もある。
◆15回きっちりやること、休講の場合の補講、評価方法の明示、出席の重視など、文科省の指導の下、かなり裁量にまかされていた部分がきつくなってゆく。京大文学部などでは、カウントすれば、年の半分くらいしか授業をやっていなかったと思うし、出席をとることはないし、こっちも授業に出ていなかった。いまは、休むと学生からクレームが来たりする時代である。しかしこれが、大学という自発的・自主的な学びこそ重要な時期に、指示待ち人間を育成する温床となっているのである。
◆大学院重点化(部局化)1990年代後半~2000年代 以下、ウィキ
従来の国立大学は学部を基礎に教育研究組織が作られ、大学院は学部に付加されるものとされてきた。具体的には教員は学部の教員であり、大学院を兼務することになっていた。(中略)
1990年代以降に東京大学が先陣を切り、1991年に東京大学法学政治学研究科、翌1992年に京都大学法学研究科、1993年に北海道大学理学研究科がそれぞれ重点化。その後、旧帝国大学などが相次いで大学院重点化を行い、2000年度までに北海道大学、東北大学、東京大学、一橋大学、東京工業大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の9大学で全部局の重点化が完了した。
◆国立大学のコピーである公立大学もそれにならい、大阪市立大学では2001年にそうなる。大学院前期入試(9月)が始まる(2月はマスターでは再募集的な意味合いに)。なんらかわりないんですけど、大学院文学研究科の職員ということになる。影響は、大学院が本体、学部がおまけとなり、大学院は定員を打ったらそれを満たすべしということになる。で、各地で再編時に大学院生の定数をたぶん拡大し、多量の進学者を生み出したが、「大学院は出たけれど・・・」という若手研究者の就職難をもたらすことになる。かつては、大学院に行くかいかないかが大きな分かれ目であったが、いまはマスター後にドクターに行くか行かないかが分かれ目となっている。マスター後の一般就職も少なくないわけだが、いずれにしても、いまの就職の厳しさもあり、そんなに進学希望者が多いわけではない。需要が大きくないのに、定員を満たすために、取る努力をする。大学院生のレベルは下がる・・・。これ2000年代前半、でいまも続く。いまは定員の充足率が問題にされているため、増やした定員を減らすようになってきている。元に戻ったわけだ。
2001年度編入学試験開始
◆2002年度からのCOE21世紀COEプログラム 以下、web
「大学の構造改革の方針」(平成13年6月)に基づき、平成14年度から文部科学省の事業(研究拠点形成費等補助金)として措置されたものです。
我が国の大学が、世界トップレベルの大学と伍して教育及び研究活動を行っていくためには、第三者評価に基づく競争原理により競争的環境を一層醸成し、国 公私を通じた大学間の競い合いがより活発に行われることが重要です。このプログラムは、我が国の大学に世界最高水準の研究教育拠点を形成し、研究水準の向 上と世界をリードする創造的な人材育成を図るため、重点的な支援を行うことを通じて、国際競争力のある個性輝く大学づくりを推進することを目的としています。
◆さて、COEの次はGCOEとしてさらにグレードを上げ絞ったわけだが、COEで拠点整備したそれぞれのところは、いまどうなっているんだろうか。再検証はまだだろう。ま、する気もないか。頭脳循環とかリーディング大学院とか、次々に新メニューが作られていく。
◆2004年度、国立大学の法人化
◆2000年度以降の検討により2002年報告とりまとめ、閣議決定、2003年法案成立、2004年度から国立大学法人に移行した。ウィキによれば、 法人化により一斉に新設された「理事」に、ほぼ例外なく文部科学省の職員が出向している、ということである。大阪市立大学も2006年度に公立大学法人となる。
◆2004年度、大学の認証評価の義務づけ 以下、web
国公私の全ての大学・短期大学・高等専門学校(以下「大学等」という。)は、定期的に、文部科学大臣の認証を受けた評価機関(認証評価機関)による評価(認証評価)を受けなければならない。2004年4月に導入される。7年ごとに、総合的な状況の評価(機関別認証評価)を受ける。(財)大学基準協会、(独)大学評価・学位授与機構、(財)日本高等教育評価機構から、大学が選択する。工学系では、別途、1999年に日本技術者教育認定機構(いわゆるJABEE)ができ、大学など高等教育機関で実施されている技術者教育プログラムを認定する制度がスタートしている。
◆1991年、いわゆる大綱化 以下、Weblio
個々の大学が、その教育理念・目的に基づく特色ある教育研究を展開できるように、制度の弾力化を図るために1991年に実施された学校教育法・大学設置基準など関連法令の大幅な改正。この改正により、従来詳細に定められていた教育課程などの基準の詳細の部分が削除され、基準の要件が緩和された一方で、教育研究の質の保証を大学自身に求めるという方針の下、大学による自己点検・評価が努力義務と定められた。この大綱化の動きは、後の認証評価制度の創設の契機となった。
◆教養課程と専門課程の見直し 以下、ウィキ
戦後の日本の大学においては、ほぼ全ての大学に一般教育科目の教育を行うために教養課程が存在した。この教養課程における教育研究を行うために、教養部等 の名称を持つ専門の組織や専用の校舎をおいているところも多かった。その後、1974年に広島大学が教養部を総合科学部へ改組したのを皮切りに、大学設置 基準が大綱化した1991年以降、教養部所属や教養課程担当の教員を他の学部へ移動したり、独立した教養部を4年制の学部へ改組したりする事例が増加し た。これによって昨今では、教養課程と専門課程をはっきりと区分している大学が減る傾向にある。代わって、一般教育科目と専門教育科目を在学中にいつでも 履修できるようにした、いわゆるくさび形教育課程(四年一貫とも言う)が増えつつある。
◆大阪市大は1998年に学科が再編される。教養課程と専門課程の乗り入れ、教養枠教員が撤廃される。
◆シラバス もうちょっとあとか?
◆講義内容の簡単なものをまとめた冊子はどこでもあった。2000年に市大に来たときももちろんある。1999年度、記念物課長がシラバスという言葉をしゃべってた。なにそれ~。アメリカ式の講義計画を導入しようということは既に文科省で議論されていたに違いない。90年代後半くらいから文科省の指導が進むのだろう。2000年段階では、しかし冊子の名前はシラバスではなかった。で、どっからか、数年後に、共通教育科目について15回の内容をならべることが導入され、文学研究科の専門課程では数年前だった。でいまは履修の手引きと(入学時のみ配布)、当該年度の授業案内が2分冊化し、後者はシラバスという名前になる。以下、ウィキ。
この言葉は、米国の学校で慣用され、近年、日本の学校でも流行しているが、ヨーロッパの学校ではあまり用いられていない。米国の学校においては、個々の講座の独立性が強く、教員も外部からの人材が多いために、シラバスは講座の教育方針や教員の連絡方法その他の情報を含んでおり、学生にとって不可欠なものである。教員の多くが学校に所属し、学校としての統一的な教育方針が求められる日本では、シラバスは、もっぱら単なる授業計画の同義語となってしまっている。この奇妙な似非ラテン語は、一時の流行にすぎない可能性もある。
◆15回きっちりやること、休講の場合の補講、評価方法の明示、出席の重視など、文科省の指導の下、かなり裁量にまかされていた部分がきつくなってゆく。京大文学部などでは、カウントすれば、年の半分くらいしか授業をやっていなかったと思うし、出席をとることはないし、こっちも授業に出ていなかった。いまは、休むと学生からクレームが来たりする時代である。しかしこれが、大学という自発的・自主的な学びこそ重要な時期に、指示待ち人間を育成する温床となっているのである。
◆大学院重点化(部局化)1990年代後半~2000年代 以下、ウィキ
従来の国立大学は学部を基礎に教育研究組織が作られ、大学院は学部に付加されるものとされてきた。具体的には教員は学部の教員であり、大学院を兼務することになっていた。(中略)
1990年代以降に東京大学が先陣を切り、1991年に東京大学法学政治学研究科、翌1992年に京都大学法学研究科、1993年に北海道大学理学研究科がそれぞれ重点化。その後、旧帝国大学などが相次いで大学院重点化を行い、2000年度までに北海道大学、東北大学、東京大学、一橋大学、東京工業大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の9大学で全部局の重点化が完了した。
◆国立大学のコピーである公立大学もそれにならい、大阪市立大学では2001年にそうなる。大学院前期入試(9月)が始まる(2月はマスターでは再募集的な意味合いに)。なんらかわりないんですけど、大学院文学研究科の職員ということになる。影響は、大学院が本体、学部がおまけとなり、大学院は定員を打ったらそれを満たすべしということになる。で、各地で再編時に大学院生の定数をたぶん拡大し、多量の進学者を生み出したが、「大学院は出たけれど・・・」という若手研究者の就職難をもたらすことになる。かつては、大学院に行くかいかないかが大きな分かれ目であったが、いまはマスター後にドクターに行くか行かないかが分かれ目となっている。マスター後の一般就職も少なくないわけだが、いずれにしても、いまの就職の厳しさもあり、そんなに進学希望者が多いわけではない。需要が大きくないのに、定員を満たすために、取る努力をする。大学院生のレベルは下がる・・・。これ2000年代前半、でいまも続く。いまは定員の充足率が問題にされているため、増やした定員を減らすようになってきている。元に戻ったわけだ。
2001年度編入学試験開始
◆2002年度からのCOE21世紀COEプログラム 以下、web
「大学の構造改革の方針」(平成13年6月)に基づき、平成14年度から文部科学省の事業(研究拠点形成費等補助金)として措置されたものです。
我が国の大学が、世界トップレベルの大学と伍して教育及び研究活動を行っていくためには、第三者評価に基づく競争原理により競争的環境を一層醸成し、国 公私を通じた大学間の競い合いがより活発に行われることが重要です。このプログラムは、我が国の大学に世界最高水準の研究教育拠点を形成し、研究水準の向 上と世界をリードする創造的な人材育成を図るため、重点的な支援を行うことを通じて、国際競争力のある個性輝く大学づくりを推進することを目的としています。
◆さて、COEの次はGCOEとしてさらにグレードを上げ絞ったわけだが、COEで拠点整備したそれぞれのところは、いまどうなっているんだろうか。再検証はまだだろう。ま、する気もないか。頭脳循環とかリーディング大学院とか、次々に新メニューが作られていく。
◆2004年度、国立大学の法人化
◆2000年度以降の検討により2002年報告とりまとめ、閣議決定、2003年法案成立、2004年度から国立大学法人に移行した。ウィキによれば、 法人化により一斉に新設された「理事」に、ほぼ例外なく文部科学省の職員が出向している、ということである。大阪市立大学も2006年度に公立大学法人となる。
◆2004年度、大学の認証評価の義務づけ 以下、web
国公私の全ての大学・短期大学・高等専門学校(以下「大学等」という。)は、定期的に、文部科学大臣の認証を受けた評価機関(認証評価機関)による評価(認証評価)を受けなければならない。2004年4月に導入される。7年ごとに、総合的な状況の評価(機関別認証評価)を受ける。(財)大学基準協会、(独)大学評価・学位授与機構、(財)日本高等教育評価機構から、大学が選択する。工学系では、別途、1999年に日本技術者教育認定機構(いわゆるJABEE)ができ、大学など高等教育機関で実施されている技術者教育プログラムを認定する制度がスタートしている。
女は損
◆うちのカミさんはJSTのさきがけ研究員というのをやっている。前も書いたかもしれないが、文科省の日本学術振興会特別研究員に対して、旧科学技術庁の理系の同等のもの。官庁は統合されても、まだ縄張りがあるということだ。学振だって文系というわけじゃないのだから、ここにも2重行政が残存しているということ。研究員のサポートとしては、事務局体制がしっかりしている、さきがけの方がすぐれているらしい。
◆毎年1回、成果報告会のようなものがあるそうで、うちのカミさんは途中で正規の職をえたわけだが、研究期間中はなお研究員でもあるから参加しているのだが、要するにそうした期限付き研究員が集まってくると。で、女性同士話をすると。カミさんいわく、やっぱり発表を聞いていると差がある、男の発表に対して女性の発表がいまいちだと、それは明瞭なんだそうだ。だが、20代後半から30代前半とか、研究のいちばんの伸ばすべき時期に、女性は結婚し、(家事をし)、出産し子育てをする。いちばん重要な時期に数年間ブランクができてしまう。一方で、男は結婚しても、当たり前のように研究に没頭すると、差ができるのは当たり前だと。論文の数も。
◆それで、採用に応募して、同等に比べられると、圧倒的に不利なのだと。そうやわな。採用する側は配慮せいと。なかなか難しい問題だ。結局は、やめてしまうことになる。カミさんの前の前の宇宙研の時の理学系の女性研究員も辞めて、ダンナの筑波に行ったそうな。これに対抗しようとすれば、出産をあきらめ、対等にのしていくほかない。
◆国立大学では女性教員採用が、文科省からの命令でかなり取り組まれているという。どこまで進むだろうか。取る方にしてみれば、応募がこれだけあったと、やっぱりふつうは業績で選ぶだろう。配慮せよといっても、なかなか難しかろう。オレは、極論だが、前にも韓国の事例を書いた記憶があるが、国会議員を含め4割を切ってはならないと法律で定めるべきだと思う。縛りを強めても、配慮せよというのにも限界がある、、もしかすると国立大学の場合は運営交付金の減額という恫喝まがいかもしれないが、裁量に委ねても進まないだろう。機械的でいいと思う。50年もすれば、日本で民主主義が当たり前になったように、男女が職場に半々というの当たり前になるだろう(民間もそうすべし)。
◆カミさんも某国立大学から声がかかったことがあったが、結局だめ。女性教員を採用せよというのにピッタリで声がかかったものの、業績がタリンと。どうもこの話も完全な立ち消えではなく、論文を書いて業績を積めば、改めて話がくる可能性があるらしい。「そしたら行く」らしい。数年後に、カミさんはまたどっかに行く可能性はあると思っている。子どもらは、今年、浪人生の息子の受験、来年は娘(そうか3年連続の大学受験ですね)。一家離散ありとみている。いまから、子供らにも年に1回、正月には必ず帰ってこい、と言っている。
◆毎年1回、成果報告会のようなものがあるそうで、うちのカミさんは途中で正規の職をえたわけだが、研究期間中はなお研究員でもあるから参加しているのだが、要するにそうした期限付き研究員が集まってくると。で、女性同士話をすると。カミさんいわく、やっぱり発表を聞いていると差がある、男の発表に対して女性の発表がいまいちだと、それは明瞭なんだそうだ。だが、20代後半から30代前半とか、研究のいちばんの伸ばすべき時期に、女性は結婚し、(家事をし)、出産し子育てをする。いちばん重要な時期に数年間ブランクができてしまう。一方で、男は結婚しても、当たり前のように研究に没頭すると、差ができるのは当たり前だと。論文の数も。
◆それで、採用に応募して、同等に比べられると、圧倒的に不利なのだと。そうやわな。採用する側は配慮せいと。なかなか難しい問題だ。結局は、やめてしまうことになる。カミさんの前の前の宇宙研の時の理学系の女性研究員も辞めて、ダンナの筑波に行ったそうな。これに対抗しようとすれば、出産をあきらめ、対等にのしていくほかない。
◆国立大学では女性教員採用が、文科省からの命令でかなり取り組まれているという。どこまで進むだろうか。取る方にしてみれば、応募がこれだけあったと、やっぱりふつうは業績で選ぶだろう。配慮せよといっても、なかなか難しかろう。オレは、極論だが、前にも韓国の事例を書いた記憶があるが、国会議員を含め4割を切ってはならないと法律で定めるべきだと思う。縛りを強めても、配慮せよというのにも限界がある、、もしかすると国立大学の場合は運営交付金の減額という恫喝まがいかもしれないが、裁量に委ねても進まないだろう。機械的でいいと思う。50年もすれば、日本で民主主義が当たり前になったように、男女が職場に半々というの当たり前になるだろう(民間もそうすべし)。
◆カミさんも某国立大学から声がかかったことがあったが、結局だめ。女性教員を採用せよというのにピッタリで声がかかったものの、業績がタリンと。どうもこの話も完全な立ち消えではなく、論文を書いて業績を積めば、改めて話がくる可能性があるらしい。「そしたら行く」らしい。数年後に、カミさんはまたどっかに行く可能性はあると思っている。子どもらは、今年、浪人生の息子の受験、来年は娘(そうか3年連続の大学受験ですね)。一家離散ありとみている。いまから、子供らにも年に1回、正月には必ず帰ってこい、と言っている。
年金
◆近頃のカミさんの口癖。いまのリタイア組みは年金もらいすぎや。総量規制すべきや、と。今年はこんだけしかないから支給はこれだけ、というのは仕方がない、ふつーのことや、と。支給年齢を引き上げようという議論が表面化してから、お怒りである。そうやわな、われわれも掛けてはいるが、先延ばしされ、減額され、さらに若い人はもっと条件が悪くなる。制度を続けるなら、いまの支給そのものも見直して、あとの世代との落差を緩和させ、長続きさせるために、減額することも必要だ、との主張。
◆年金改革もぜんぜんやね。オレは疎いが、厚生年金で月40万円くらいもらってるそうですね。その一方、昨日もテレビでやっていたが、20代の現役の保母さんが、パートらしく、12万から13万で、子どもをかかえている。リタイヤ組は、よく働いてきたんだから貰って当然、なんで減額されなあかんねん、と逃げ切りを図るだろう。が、あんたら、よく働いたかもしれんが、70年代、80年代、イイ時代やったんやで。むろん、姨捨山ではない。リタイヤ組の世代でも年金生活の苦しい人もいるだろう。だが、これからの人、また将来を担う子育てをしてもらわなあかん人が、なんでこんな低給で苦労せなあかんのか。この国はおかしい。
◆年金改革もぜんぜんやね。オレは疎いが、厚生年金で月40万円くらいもらってるそうですね。その一方、昨日もテレビでやっていたが、20代の現役の保母さんが、パートらしく、12万から13万で、子どもをかかえている。リタイヤ組は、よく働いてきたんだから貰って当然、なんで減額されなあかんねん、と逃げ切りを図るだろう。が、あんたら、よく働いたかもしれんが、70年代、80年代、イイ時代やったんやで。むろん、姨捨山ではない。リタイヤ組の世代でも年金生活の苦しい人もいるだろう。だが、これからの人、また将来を担う子育てをしてもらわなあかん人が、なんでこんな低給で苦労せなあかんのか。この国はおかしい。
ああ、1時か、今週もたいへんなのだが
◆ついでに、言いたいことをいくつか。ひとつ、鳩山がTPPがらみだったか、アメリカの言いなりになるなと語ったか書いたか、といった記事を数日前に新聞で見た。あほか。おまえのフテンマを見よ。総理大臣をやめてから言うな。誰しもそうかもしれない。そんな強くはあるまい。だが、自分がそういう役割を果たしうるそういうポジションにあった時にどれだけできるかだ。むろん、やめてから、いまの現役にアドバイスすることは悪くないし、あってよいし、教訓を垂れることも必要だろう。だが、おまえが言うか?。
プロメテウスの罠
◆いま朝日新聞で連載している《プロメテウスの罠》を毎日楽しみにしている。放射線量測定にかかわり、いかに文科省が、そうした計測にあたる研究者や職員に情報統制を命じているかというもの。これは恐ろしい。被災地の住人がそのまま暮らす中に、車で乗り付けて、防護服を着て、できるだけ車から出ないで測定している様子、数字はいくらなのか、機器が二つあるならひとつ寄こせという声をまったく無視し、なにも答えないという恐ろしさ。ただちに影響のない安全な数値の範囲だという政府発表の裏側を教えてくれる。
◆原発の、問題なければ再稼働していくという大臣の話。どうなんだろうか、この夏の節電と電力供給の総括をすべきですよね。言い分は、代替エネルギーに転換するにも時間がかかる、だから原子力も必要だというもっともな意見。だが、広瀬隆が言ってきたように、原子力がなくても電力需要に対してほぼまかなえるという、それがこの夏にわれわれが学んだことではないのか。このまま、しばらくは節電への協力をすれば、原子力を再稼働しなくても乗り切れるのではないのか。そういうことをハッキリさせることを、電力業界が反対し、経済界も後押しし、政治家も言い含められ、しないのではないのか。新聞は、もっとそのことをハッキリ打ち出したらどうなのか、眠っている火力発電所を動かし、水力発電をフル稼働させれば、当面は乗り切れるから、その間にソーラーその他、一方で電力自由化を進め、家庭の屋根で自家発電し余った電力を買う条件整備を進めれば、完全に10年先には安定供給できる。このまま点検で止まった原子力発電は、これでやめにしても、エネルギーはまかなえるんとちゃうのか、ということをキャンペーンせよ、と言いたい。
◆原発の、問題なければ再稼働していくという大臣の話。どうなんだろうか、この夏の節電と電力供給の総括をすべきですよね。言い分は、代替エネルギーに転換するにも時間がかかる、だから原子力も必要だというもっともな意見。だが、広瀬隆が言ってきたように、原子力がなくても電力需要に対してほぼまかなえるという、それがこの夏にわれわれが学んだことではないのか。このまま、しばらくは節電への協力をすれば、原子力を再稼働しなくても乗り切れるのではないのか。そういうことをハッキリさせることを、電力業界が反対し、経済界も後押しし、政治家も言い含められ、しないのではないのか。新聞は、もっとそのことをハッキリ打ち出したらどうなのか、眠っている火力発電所を動かし、水力発電をフル稼働させれば、当面は乗り切れるから、その間にソーラーその他、一方で電力自由化を進め、家庭の屋根で自家発電し余った電力を買う条件整備を進めれば、完全に10年先には安定供給できる。このまま点検で止まった原子力発電は、これでやめにしても、エネルギーはまかなえるんとちゃうのか、ということをキャンペーンせよ、と言いたい。
このところ
◆一時期に比べると、ブログを書く元気が出てきた。月曜日の大歴の委員会を乗り切った。毎月、ちょっと憂鬱である。ほんとうは、もう企画委員長を辞めて、考古の2人目の編集委員になって、委員会には出て、当面は運営にかかわりたいが、企画委員長の代わりを誰かやってくれないものか。10月号は少し遅れて明日納品だそうだが、またまた編集に迷惑をかけ、委員会でもちくりと。
◆自分の原稿があったこともあるが、毎号、わたしたちの文化財と、企画がらみの報告原稿など、2ヶ月ごとに入稿や校正のやりとりをずっとやっている。今回のような特集号が加わる。わたしたちの文化財も、結局、ぜんぶやっている。オレがいなくなっても継続してくれるような体制を作る必要はあるが、なかなかね~、頼みがたい。だから、この先もず~とやってもいいのだが、そのためには委員会に残る必要があり、月1回(そうか編集委員になると編集会議が増えるか)会議に出るのはいいのだが、企画委員長はそろそろ降りたいものだ。でも、わたしたちの文化財もなんとか続いている。実は、東日本大震災がらみの時は、ついに途切れたのが実情で、それを埋めるためにレスキューの写真を入れた。12月号の大会特集号ではなし、次の2月号では旧大阪府庁舎を取り上げる。府文化財センターに受けていただいた。
◆月曜日の委員会。前から委員会で挙がっていた近畿における災害特集号を組もうと企画委員で話をし、各時代、どんな人がいるかを調べてもらっていたが、まだ人名だけだが、企画案を提案した。寒川さんとか、だいたい著名な人は同様な企画で呼ばれているだろうし、依頼原稿も多かろう。むしろ、依頼原稿もあってよいが、企画委員で勉強して、古いところから新しいところまで、近畿の災害史については、これを見たらおおよそわかり、参考文献もちゃんと挙がっていて、こうした分野のガイドブックになるようなものをまとめては、という提案をした。けっこう、代表委員・事務局長も乗り気で、どうせやったらブックレットにしたら、といった話も。それを承けて、別冊第2弾もありですね、と。で、終了後、地下の喫茶店で企画委員の打ち合わせをおこない、別冊を目標にこれから作戦を立てようと相談。
◆またまた、自分の首を絞めることになりそうだが、是非ともやりたいという気持ちがむくむくと。大学院生の企画委員に、自分の専門とは別に原稿を書いてもらうこともいいことだと思っている。報告や、最近やっている委員会報告のあとの企画委員の報告も、それぞれ分担してやっているいろんな会合の状況などを、できるだけタイムリーにヒストリアに書けと。災害史については、近畿地方についてということだが、是非、情報をお持ちの方、情報―どこそこでこんなことを書いた物があるというもの―があれば教えてください。お願いします。
◆もひとつやりたいのは戦争遺跡なのだが、これも、もしかすると、年内くらいに決めなければならない現地見学検討会の選定で、もしかするかも。
◆自分の原稿があったこともあるが、毎号、わたしたちの文化財と、企画がらみの報告原稿など、2ヶ月ごとに入稿や校正のやりとりをずっとやっている。今回のような特集号が加わる。わたしたちの文化財も、結局、ぜんぶやっている。オレがいなくなっても継続してくれるような体制を作る必要はあるが、なかなかね~、頼みがたい。だから、この先もず~とやってもいいのだが、そのためには委員会に残る必要があり、月1回(そうか編集委員になると編集会議が増えるか)会議に出るのはいいのだが、企画委員長はそろそろ降りたいものだ。でも、わたしたちの文化財もなんとか続いている。実は、東日本大震災がらみの時は、ついに途切れたのが実情で、それを埋めるためにレスキューの写真を入れた。12月号の大会特集号ではなし、次の2月号では旧大阪府庁舎を取り上げる。府文化財センターに受けていただいた。
◆月曜日の委員会。前から委員会で挙がっていた近畿における災害特集号を組もうと企画委員で話をし、各時代、どんな人がいるかを調べてもらっていたが、まだ人名だけだが、企画案を提案した。寒川さんとか、だいたい著名な人は同様な企画で呼ばれているだろうし、依頼原稿も多かろう。むしろ、依頼原稿もあってよいが、企画委員で勉強して、古いところから新しいところまで、近畿の災害史については、これを見たらおおよそわかり、参考文献もちゃんと挙がっていて、こうした分野のガイドブックになるようなものをまとめては、という提案をした。けっこう、代表委員・事務局長も乗り気で、どうせやったらブックレットにしたら、といった話も。それを承けて、別冊第2弾もありですね、と。で、終了後、地下の喫茶店で企画委員の打ち合わせをおこない、別冊を目標にこれから作戦を立てようと相談。
◆またまた、自分の首を絞めることになりそうだが、是非ともやりたいという気持ちがむくむくと。大学院生の企画委員に、自分の専門とは別に原稿を書いてもらうこともいいことだと思っている。報告や、最近やっている委員会報告のあとの企画委員の報告も、それぞれ分担してやっているいろんな会合の状況などを、できるだけタイムリーにヒストリアに書けと。災害史については、近畿地方についてということだが、是非、情報をお持ちの方、情報―どこそこでこんなことを書いた物があるというもの―があれば教えてください。お願いします。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。