人を幸せにする人になろう

弥生時代後期末はいつなのか

◆弥生後期、土器屋は土器屋、鉄器は鉄器、青銅器は青銅器、それぞれについて時期区分ごとの推移を要領よくまとめたようなものは見あたらない。なので、そ れらを総合しようにもしんどい。土器は土器で平行関係の問題がある。考古資料大観の赤塚さんの表が便利ではあるが、なかなか素人には難しい。西谷3号墓は いつか、楯築はいつか、大風呂南はいつか、そして纒向石塚はいつか。絶対年代はともかく、相対年代でどうならぶのか。前三者が後期後葉、石塚は庄内前半、 25年くらいの差のなかには収まるか。
◆『みずほ』の大和の弥生時代後期の再検討だかなんだかの、各地の報告はすっとばし、座談会の部分をさら~っと読むが、素人にはちんぷんかんぷんですね。土器屋の話 に終始して、語り合ってる人の間ではニュアンスは了解されているのかもしれないが、外部者にとってはよくわからん。書いたものでは、違う意見をふまえても自己の説を点検することも少ないので、ああして議論するのはよいことだろう。が、そのままのヤリトリを起こして収録するのはどうなんだろうか。議論をまとめて、 合意されていること、意見が分かれていて検討課題であることをまとめてもらった方が、読者にはありがたい。

気分がのらない・・・

◆人間は精神的な生き物なので、気分に左右される。今週はなにかと調子が乗らない。といっても月曜日はよかったが、火曜日・水曜日の話だが。いろいろやらなきゃならんこと、考えなければならんことがある。体は大丈夫だが、どうも気分の問題。ぼ~としている。原因は?。だいたいわかっているのだが。
◆石室のスキャンの科研挑戦的萌芽はだめだった。残念。なので、今年度は科研基盤のみ。ちとつらいが、このくらいで大事に使いながら、というのがよいかも。あれやこれやしたいと思っても、オレのパワーも、学生らの人的パワーも限られているので、ぼちぼちペースでちょうどよいかも。
◆鏡の撮影は、10面・20面もっているところは完了した。次の7面より多く所蔵しているところは、京大や関大や阪大には打診済みで、次の3~4面くらいの所蔵先に、火曜日、一斉に問い合わせと協力依頼を送付した。そしたら、水曜日、さっそく、大阪府・八尾市・藤井寺市から連絡をいただいた。ありがたい話である。近場で数面であれば、授業の合間を縫って、半日単位で撮影にいける。メッチャ楽しい仕事であるが、バンバン電話して予定を入れていく元気がなんとなくない。あんまり詰め込むことはせず、かといって今の盛り上がりを失すると行くところまで行かないので、そこは7月までに撮影を終わるように、予定を組んでいこう。
◆見積もりの話はしたっけか。仮組みしたもので岡村印刷に見積もらせると数字は出た。出版費がどっかからでないもんかね~。フルカラーでそこそこはかかる。『玉手山1号墳の研究』以後、売ってペイすることはあきらめた。ペイしないもんだと覚悟せねばならない。出せば出すだけ損をする、自腹は覚悟しないといかん。それを過大でないようにする方策を立てるしなかいな、と。
◆エエ仕事してるんですけどね。ま、そういう自己満足だけが支えかも。

東京国立博物館05月16日

◆東京国立博物館の鏡22面の写真撮影が実現した。古谷さんのほか、この4月から考古室に入った山田俊輔君(うちの桜井茶臼山の測量の時に早稲田組をとりまとめてくれた)にたいへんお世話になる。和泉黄金塚の重文の6面ともご対面。ひたすら写真を撮っていて観察はほぼゼロだが・・・。
◆そのあと、和泉黄金塚の話をする。なんとか、出土遺物の今日的な図面作成ができないかというもの。科研のメニューのひとつであり、摩湯山報告のなかで和泉の前期古墳をまとめる上でのメニューであり、いまかかわっている和泉市史のメニューにもなる。去年、科研が通ってそうそうに依頼をして、秋に一定のリアクションをもらった時にただちに動かなかったことが悔やまれるが、いたしかたない。いまは条件がわるいことがよくわかったが、ここで断念はしたくないので、科研の研究期間のなかでできることを進め、そのあとも粘って何らかの形で公刊していきたい。東博との間で、いますこし調整に時間がかかりそう。
◆いまやっている写楽展の、朝日新聞社側の招待客への披露が、休館日のこの日にあり、平成館入り口には、お偉方がでそろい、招待客に接客していた。

博学連携記念シンポ05月15日

◆大阪歴博で、大阪市博物館協会と大阪市立大学の包括提携を記念してのシンポジウム。最初に脇田先生64d8f17e.JPGの講演があり、そのあと仁木さん、自然史博の初宿(しやけ)さん、そして生活科学の谷先生の3本の報告があり、あと鼎談。
◆自然史博のセミの話はすこぶる面白かった。まず、大阪が世界でいちばんセミのウルサイ町である、ということを、一定のデータをもとに主張。で日本じゃ、アブラゼミ優位であったものが、大阪が80年代以降、クマゼミ優位となり、ほぼクマゼミのみに近くなっていることを、データをもとに明らかにした。あとは、マーキングしての観察に寄れば、ほぼ1ヶ月は生きているんだとか。長い年月地中にいて、成虫になって1週間、というのは、いつどこでできた神話なのだろうか。あるいは、ある種のものでは事実だったのだろうか。
◆まず、自分の経験でいえば、オレがセミを取っていたのはいつか。小学校高学年から中学校とすると、ほぼ1970年代後半ということになる。経験的な比率でいえば、アブラゼミ3、クマゼミ7くらいだったろうか。既にクマゼミ優位だったのは間違いない。次に、生きている期間だが、うちの文学部の建物の南の桜の木にはクマゼミがうじゃうじゃいてウルサイ。一斉に地中から出てきて1.5㎝くらいの大穴がぼこぼこに開く。で死ぬときは一斉に死んでいく。いっぱいいるもんで、8月半ばくらいから後半にかけてだろうか、バタバタと落ちている。
◆で、なぜクマゼミか、というのはどうも理由がわかっておらず、鹿児島に行ってもアブラゼミが多く、温暖化とは関係ないという。しかしこれはこれで鹿児島の方が大阪より熱いとは言い切れまい。夜も含めいちばん不快指数の大きいのが大阪で、気象データと厳密に相関関係をたどる必要がある。あるいはそれとも関連するが、好む木々の問題もあるんだろう。話のなかでは出てこなかったが、そのへんは専門的な研究もきっと進めているのだろう。
◆本題にもどって、谷先生のいうように、大学側がよほどの覚悟をもって労力をかけていかないと実効的な活動はできないのだろう。かくゆうオレも、その都度、考えている程度で、体系的になにができるかトコトン考えていないし、またそれを実現させる努力もいまはしていない。いっぺんにはいかないが、学生が博物館へ足をのばす仕掛けの点と、共同研究の点で、1コずつくらいから、まず始めたい。共同研究としては、大阪城の石垣調査と、近世絵図の集成ということは考えているのだが・・・。


市大日本史学会5月14日

◆講演は工楽さん。ため池、韓人池の話。九州には実際に「韓人池」というものが複数あるそうな。開発史の画2d1a9b80.JPG期のひとつが7世紀にあり、大きな飛躍があるのは確実だろう。だが、6世紀以前がゼロであるわけではなく、ただしく把握されなければならんだろう。事例が少なすぎてわからんのだが。
◆古市晃さんの茅渟宮の話。これはすこぶるオレにはおもしろく、ちょっと本格的にレジュメにもとづき主張を整理し、きっちり咀嚼した上で、考古学ではどうなるのか、ということを考えてみたい。ウト川上宮=茅渟宮というのが結論だが、栄原先生のいうように、日根に川上宮が、和泉に茅渟宮があってもいい、同一実態とする論拠は弱いというのはそのとおりか。いずれにしても刺激たっぷり。一番の興味は、泉南の鳥取、あんなところで(これも現代の見方なんでしょうね)武器を作ったなんてホンマか、と思ったりしていたが、鳥取氏というのが柏原市大県、鳥坂寺が本拠という点。日本最大の鍛冶工房がある。武器作りで、ちゃんとつながる!という点だ。
◆大澤さんの本願寺の話。これもおもしろかった。この時期の本山って、京都?、山科?、とにかく御坊っちゅーもんがどういうものか、教えてもらった。ちなみに調べてみると、蓮如は子供を27人作ったんだって。で、彼らが各地に散って浄土真宗大谷派のいまを作ったということだ。
◆三田さん、近世史で準備会をやってきたということもあるが、さすがですね。3年で博士論文を書いてPDもらっているだけのことはある。きっちりとしたレジュメに、わかりやすい話し方。ただし、近世史や近現代は、古い時代をやっている者からすると、個別的に感じてしまう。とはいえ、個別事例を広げていこうとすると、それぞれに史料が残っていて、ひとつひとつ明らかにした上で総合化せよと言われてもツライのだろう。古い時代は、特定資料から立論し、あとは敷衍する、というので済むアンチョコなのかも。
◆懇親会のあと、発表者全員を含むメンバーで2次会へ。この場もよかった。楽しく飲みながら、今日の報告や周辺について語り合う。ほとんど覚えていないが。

チェリー

◆これタバコの話。いま震災の影響でタバコがぜんぜんない。で、JTの広告で、以前からあまり数の出なかった25(?)銘柄の廃止を決定したとあり、そのなかにチェリーが含まれている。
◆タバコなんて吸わない方がいいに決まっているが・・・。タバコをはじめて吸ったのは大学4年。五十川伸矢氏がチェリーを吸っていて、これがカッコよかったわけだ。で、このキッツイが、しかしいい香りのするチェリーをオレも吸っていた。そのあとの経歴としては、ラッキーストライクはすっきりした感じがよく、ケントマイルド赤の時代も長かったような。で、奈文研時代はサムタイムライト。これマイナーだが、この頃から細身のメンソールになる。上司の町田章氏いわく「おまえ、そんなインポタバコすっとんのか!」。玉田芳英さんも同じだった。で文化庁に勤めていたとき、文部省4階のエレベーターのところに自販機があり、このマイナーな銘柄を入れてくれていて助かった。このサムタイムライトも今回で生産停止となる。
◆大学に来て、定まらなかったが、いまはピアニシモワン(1㎜)。で、これがいまないわけだ。コンビニに行ってみられい。タバコの大半は品切れで、ならんでいるのは普段売れないヤツ、ということなのです。


久津川車塚古墳

◆月曜日は東博。和泉黄金塚の資料は常設展示されているため、休館日の月曜日。候補日を3つほど挙げて申請する。で、16日613f002d.JPGと言ってきたもんだから、前から決まっていた城陽市の芝が原の整備委員会は欠席。だったら見に来いということで、本日13日、朝、城陽に出向く。
◆竹藪なので、根っこを起こすため、結局は造成地みたいになってしまうのはやむをえないか。写真の手前側の斜面上方に古墳はあり、むこうに見える部分も城陽市が土地を取得して、一体的に整備しようというもの。まわりがすべて住宅地であるなかで、もともとの尾根の状態をしのばせる貴重な場所なので、向こう側一帯は雑木林にするのが目標だが、竹藪(まだ少し残っている)をバッコンして一からのスタートなので、最初はやっぱりツクリモノくさくなってしまう。ほんとうに山林状になるには、何年くらいかかるんだろうか。いくつかコメントする。
◆で、最後に、次は久津川古墳群(芭蕉塚の指定もまだ)をやっていきたい、まず車塚の測量が必要だが協力してもらえませんかと頼まれる。前々からそういう話をしてきたので、頭の隅っこにはあった。人様から頼まれて仕事ができるうちが花、今日、小泉さんに頼まれ、やる気になってきた。すぐすぐでの話でないとはいえ、こっ9da5e679.JPGa530d639.JPGちも別の計画はあるので、「少しずつやっていきましょか」ということになる。
◆今日はこのあと藤井寺に寄って、14:40からの研究会へ行けばいいので、帰り、予定にはなかったが、久津川車塚を見に行く。
◆車塚20数年ぶりか?、前に来たときは、1人ではなかったような気もするが、まったく記憶はない。ここもけっこうな竹藪、前方部西側から入り、後円部の例の(長持形石棺を抜いた)掘り割りを見て、線路越しに分断された史跡地東側を遠望する。そのあと、前方部の頂部を前端へ抜け、樹木の状況を確認した。
◆トータルステーション1組3週間くらいの仕事量か。2チ-ムなら半分、3チームなら1週間。スポーツセンターみたいなところに宿泊施設はあるらしい。

有光先生が亡くなる

◆有光先生が亡くなる。103歳。むかし、学部生・院生の頃、京大の考古学談話会に出席されている時にお会5ddbb064.JPGいしたくらい。半島のことを勉強していたわけでもないので、それくらいしか接点はない。そのころ、80歳くらいだったのだろうが、階段をあがっても息も切れないとの話に、一同、感嘆したもの。103歳はすごい。
◆『朝鮮考古学75年』はもってなかったが、アマゾンで注文した。学部卒で1931年に朝鮮総督博物館勤務を命じられ、終戦まで勤務、翌1946年5月に帰国する。アジア太平洋戦争末期、博物館の優品を守るために疎開させ、敗戦直後の混乱の中で博物館資料の保全に尽力し、占領軍の下で韓国中央博物館としての開館を任される。ソウルの日本人が少なくなり、当然のことながら白い目で見られるなか、韓国の博物館として運営する教育と、発掘調査技術の教育のため、翌年春の発掘まで残留を命じられる。帰国後、GHQの九州の文化財調査の担当官を3年ほど務め、その後は2年間のUCLAでの日本文化の講義。1952年9月から大学の研究室に落ち着くという。
◆この記事の当初では、有光先生が朝鮮のために資料の保全に尽力し、またいまの中央博物館の基礎を作ったが、発掘調査を含めてやはり植民地でやってきたことについて、どのように考えていたのか興味があると書いたが、なかなか難しい。精一杯、与えられた職務に励み、資料を守り、韓国の研究者と戦後も長く交流が続いた。コレクションを作り持ち帰った多くの人々とは異なっている。確かに、例えば新羅の古墳の発掘にしても、ほっといたら掘り荒らされたものを、きちんと掘ったからこそ散逸せず、また研究は進んだ。エジプトでもメソポタミアでも同じだろう。とはいえ、とも思うがやめておこう。それよりも日本国内にある資料のことを、いまのわれわれは考えるべきなのだろう。

ナルナル詐欺

◆朝日土曜版BEの青版の相談コーナーが面白い。とくに、岡田斗司夫さddeb5524.JPGんという方の回答はいつも抱腹絶倒である。a406ec70.JPG回答者は交代で、上野千鶴子の回答の時もやっぱり見てしまうけどね。
◆解説は不要ですね。

研究室のサッシを掃除する

◆毎年、1回、窓ふきの業者がまわってくるが、机回りに立ち入られるのがイヤで断ってきた。なので、窓回りが実に汚い。今日、あまりにきた6c66ea4e.JPGないので、この際、きれいにしようと、思いつきで洗浄することとし、バイトの濱道君がいたので、助けてもらってサッシをはずし、文学部棟南の水道のあるところに持っていき、水をぶっかけて洗う。
◆画像は夕方になったからということもあり、あんまりわからないが、実に画期的にきれいになった。
◆写真右の整理棚が、使いにくいと言うこともあり、乱雑だ。ここをスッキリさせたいのではあるが、まあボチボチ。
◆とにかく今日は何もする気にないので、昨日まで散らかしたものを片付け、『市大日本史』にかかりっきりで、できていなかったことなどを片付ける。そして早く帰ろう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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