人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
まぼろしの難波宮
◆講談社から出ている子供向け伝記。最近はアマゾンの便利さで、次々に本を注文する。で、難波宮1号瓦のこともあり、伝記らしいこの本を注文したが、子供向けであった。![e7df09af.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1303695848?w=150&h=110)
![0f487c91.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1303695827?w=101&h=150)
◆ちなみに、山根徳太郎という人物を知ったのは小学校5年か6年か。母親が日本の地理というシリーズ本に続いて、国際情報社刊行の『わたしたちの歴史』という、毎月1冊配本される本を買ってくれ、それを見ていた。その第2回配本が飛鳥時代で、山根徳太郎が出てくるのだ(第1巻は岩宿遺跡の相沢忠洋)。どこまで理解していたかはともかく、先の難波宮第1号瓦のことも出てくる。
◆いま大阪市大にいるのも不思議なエニシである。
【追記】けっこう粘っていると、新しい事実がわかってくるもんだ。で、掲載許可をもらおうと中尾さんに電話したところ、佐藤隆氏もやっぱりこれについて書き上げていて、公表準備中ということを知る。
◆ちなみに、山根徳太郎という人物を知ったのは小学校5年か6年か。母親が日本の地理というシリーズ本に続いて、国際情報社刊行の『わたしたちの歴史』という、毎月1冊配本される本を買ってくれ、それを見ていた。その第2回配本が飛鳥時代で、山根徳太郎が出てくるのだ(第1巻は岩宿遺跡の相沢忠洋)。どこまで理解していたかはともかく、先の難波宮第1号瓦のことも出てくる。
◆いま大阪市大にいるのも不思議なエニシである。
【追記】けっこう粘っていると、新しい事実がわかってくるもんだ。で、掲載許可をもらおうと中尾さんに電話したところ、佐藤隆氏もやっぱりこれについて書き上げていて、公表準備中ということを知る。
田中好子が死んだ
◆55歳だとか。やっぱり世代的には違う。キャンディーズは70年代に4年活動し解散。同世代といえば、昨日、車のなかで聞いていた中森明菜。1980年代は中森明菜の時代でもあった。
◆日曜日、けっきょく家にいて、洗濯物を干し、眠り、うだうだして・・・。起きると、テレビ大阪かなんかで田中好子のドラマを追悼番組として流していた。見る。高校生3人組の話だった。仲良かったのだが、大人になって、・・・というドラマ。
◆高校時代の友達とは基本的に切れてしまっている。2008年、高校1年の時一緒だった蓬莱君から電話が入る。永田登喜代先生が定年退職で集まるからという話。「行く」と返事はしたものの、8月15日か16日の盆休み。玉手山3号墳の第3次調査で埋葬施設を掘っていて、現場を離れるわけにはいかず、改めて時間を知らせてきたが「行けない」と返事。とても残念。永田先生にも、高校1年のときの仲間にも会いたかったが、その機会を失った。こんなくらいで、いまのところあんまり同窓会みたいな話はない。カミさんは、毎年、盆に和歌山で同窓会の集まりがあるが、オレにはない。
◆そのあとJINを見る。おっさんにはたまらないわけだ。中谷美紀演ずる野風さんがおり、綾瀬はるか演ずる「さきさん」がいる。どうでもいいことを書いている。
◆こないだ、NHKの「おひさま」だっけ、を見ていると、戦前の話のはずなのに現代のシーン。なんやと思っていたら、なんと斎藤由紀が出てきた。びっくりである。一時期、斎藤由紀に惚れ込んでいた身としては、あの大げさな演技がなんとも気恥ずかしく、そうか、回想シーンという設定なのだと理解しつつ、やはり感慨深い。80年代、自分が大学にいる頃、テレビに出ていた20代の役者や歌手たちが、いま25年とか30年たって、親の役で登場しする。自分がそうであるのだから同じなわけだ。
◆日曜日、けっきょく家にいて、洗濯物を干し、眠り、うだうだして・・・。起きると、テレビ大阪かなんかで田中好子のドラマを追悼番組として流していた。見る。高校生3人組の話だった。仲良かったのだが、大人になって、・・・というドラマ。
◆高校時代の友達とは基本的に切れてしまっている。2008年、高校1年の時一緒だった蓬莱君から電話が入る。永田登喜代先生が定年退職で集まるからという話。「行く」と返事はしたものの、8月15日か16日の盆休み。玉手山3号墳の第3次調査で埋葬施設を掘っていて、現場を離れるわけにはいかず、改めて時間を知らせてきたが「行けない」と返事。とても残念。永田先生にも、高校1年のときの仲間にも会いたかったが、その機会を失った。こんなくらいで、いまのところあんまり同窓会みたいな話はない。カミさんは、毎年、盆に和歌山で同窓会の集まりがあるが、オレにはない。
◆そのあとJINを見る。おっさんにはたまらないわけだ。中谷美紀演ずる野風さんがおり、綾瀬はるか演ずる「さきさん」がいる。どうでもいいことを書いている。
◆こないだ、NHKの「おひさま」だっけ、を見ていると、戦前の話のはずなのに現代のシーン。なんやと思っていたら、なんと斎藤由紀が出てきた。びっくりである。一時期、斎藤由紀に惚れ込んでいた身としては、あの大げさな演技がなんとも気恥ずかしく、そうか、回想シーンという設定なのだと理解しつつ、やはり感慨深い。80年代、自分が大学にいる頃、テレビに出ていた20代の役者や歌手たちが、いま25年とか30年たって、親の役で登場しする。自分がそうであるのだから同じなわけだ。
雨で測量を流して
◆今週の後半はあまり仕事にならず。水曜日、午後に博学連携の打ち合わせ。木曜日、大学院の演習、M1中心に2本の発表をしてもらう。30分発表してもらって、1時間ほど議論し、2本だと結局3時間を超える。そのあと、京都で伏見城の打ち合わせに出て、1日が終わる。金曜日、朝早く大学に行き、いくつか事務処理、11時からFD委員会の会議、午後はなにをしていたか?。そうこうするうち、今日は、新任の西洋史の先生の歓迎会で、あわてて難波へ。そのあとも、娘が修学旅行で韓国から帰ってきて学校に迎えに行く。![0facd1e6.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1304094477?w=150&h=112)
◆で、今日は23日。松岳山の測量にいく予定だったが、確実に雨なので流した。で、土日がぽっかりあく。カミさんは2日休めと。それで、和歌山のカミさんの実家と加古川のオレの実家に行く。和歌山では、今年の田植えの日程も調整した。
◆途中、華岡青洲の春林軒に立ち寄る。
◆朝出て、日がかわる頃に帰ってきた。日曜日は1日家にいる予定。予定は未定だが、博学連携のため、大阪市の博物館施設をまわろうかとも思うが(東洋陶磁・市美・天守閣・科学館)、わからん。
◆で、今日は23日。松岳山の測量にいく予定だったが、確実に雨なので流した。で、土日がぽっかりあく。カミさんは2日休めと。それで、和歌山のカミさんの実家と加古川のオレの実家に行く。和歌山では、今年の田植えの日程も調整した。
◆途中、華岡青洲の春林軒に立ち寄る。
◆朝出て、日がかわる頃に帰ってきた。日曜日は1日家にいる予定。予定は未定だが、博学連携のため、大阪市の博物館施設をまわろうかとも思うが(東洋陶磁・市美・天守閣・科学館)、わからん。
若葉の頃
◆毎年、書いているかもしれないが、新緑はヨイ。すぐ緑が濃くなるが、やはり若々しい感じがする。
◆クスノキは、この時期、新
しい葉っぱが生えることによって、古い葉を落とす。完全に落葉し枝のみとなり春を迎える木もあれば、こんなのもあるわけだ(常緑樹ってふつうこうなのかな・・・)。
◆うちの大学の田中記念館のところにメタセコイアがあり、これも芽吹いている(右写真)。と同時に、いま実を落とすんだな、これが。丸い抜け殻が、いっぱい街路に落ちている。
◆被災地も、若葉と同じように再生してほしいものだ。ドイツでは原発廃止に踏み切ったんだっけ。日本は・・・。広瀬隆を読んできたものとしては必然ともいえる(なんといっても『危険な話』)。アメリカ、ソ連、次は日本だ、と広瀬は予言していた。電力需要のまやかしも、けっして安上がりではなく、廃棄物処理に延々と金がかかることも既に明らかにしており、そして代替エネルギーとしての燃料電池やマイクロガスタービンとか、一生懸命、紹介していた。
◆一定、オレも含めて本は売れるのだろう。だが、マスコミが取り上げることはほとんどない。無視される。そして、新聞の編集委員などが、原子力依存からの転換、などと書き始める。
◆こういうのを見ていると、データにもとづく正確なこと、危険度のことなどがきっちり明らかにされていても、けっして主流にならない。主流というか、正しく取り上げていないことの恐ろしさを感じる。多くのことはそうだろう。声の大きさはいろいろだが、きちんとした研究にもとづいて警鐘を鳴らすようなデータを示しているものは多くあるに違いない。だが、そうしたものが、たとえば学会の世界で「そうだ」ということで声を上げる、とか、新聞記者が取り上げるとか、ある程度の無視できない主張にならなければ、そもそも議論の俎上にのぼらないわけだ。むろん、原発の危険性は、そんな小さな声ではなかったろう。だが、マスコミも、これまで原発推進を認めてきて、日本は資源がないんやから化石燃料に代わるエネルギー源をもっとかないかんという理屈もまあそうやなと、そして東電や関電からも広告をもらってきた、そんなマスコミが明確な反対論調をとるわけはない。うるさい広瀬に講演をさせたり、テレビに出演させることもない。前は出てたんだけど
、小田実と同じで、うるさいことを言って、オモシロイ議論にならないわけだ。商品価値がない、ということだろう。そういう判断に埋もれていくわけである。![2a22d870.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1305599275?w=150&h=112)
◆発電の未来は、各家庭や営業所の自家発電を含め、小地域単位で送電ロスの少ない、また危険分散型でいくのは必然。なので東電や関電などの広域電力会社は解体される。これが正しいことは論理的に答の出ている話、あとはこれをどう実現させるか、ということなのだが。まあ、どうするのがよいとわかっていたって、できないのが現実。いわゆる知識人は、正しいことを言ってもしゃーないわけで、「そんなんわかってら!」といわれるだけ。それを実現してナンボ、つまりはやって見せる、ちゅーこっちゃ。声を出すのも大事、出さなさすぎるんやろね、でも一方で、圧倒的に効率のよい例えばこないだ書いた光合成装置を作り上げたら勝ちである。その存在の前に、原子力など無価値になる、それを開発することや。
◆クスノキは、この時期、新
◆うちの大学の田中記念館のところにメタセコイアがあり、これも芽吹いている(右写真)。と同時に、いま実を落とすんだな、これが。丸い抜け殻が、いっぱい街路に落ちている。
◆被災地も、若葉と同じように再生してほしいものだ。ドイツでは原発廃止に踏み切ったんだっけ。日本は・・・。広瀬隆を読んできたものとしては必然ともいえる(なんといっても『危険な話』)。アメリカ、ソ連、次は日本だ、と広瀬は予言していた。電力需要のまやかしも、けっして安上がりではなく、廃棄物処理に延々と金がかかることも既に明らかにしており、そして代替エネルギーとしての燃料電池やマイクロガスタービンとか、一生懸命、紹介していた。
◆一定、オレも含めて本は売れるのだろう。だが、マスコミが取り上げることはほとんどない。無視される。そして、新聞の編集委員などが、原子力依存からの転換、などと書き始める。
◆こういうのを見ていると、データにもとづく正確なこと、危険度のことなどがきっちり明らかにされていても、けっして主流にならない。主流というか、正しく取り上げていないことの恐ろしさを感じる。多くのことはそうだろう。声の大きさはいろいろだが、きちんとした研究にもとづいて警鐘を鳴らすようなデータを示しているものは多くあるに違いない。だが、そうしたものが、たとえば学会の世界で「そうだ」ということで声を上げる、とか、新聞記者が取り上げるとか、ある程度の無視できない主張にならなければ、そもそも議論の俎上にのぼらないわけだ。むろん、原発の危険性は、そんな小さな声ではなかったろう。だが、マスコミも、これまで原発推進を認めてきて、日本は資源がないんやから化石燃料に代わるエネルギー源をもっとかないかんという理屈もまあそうやなと、そして東電や関電からも広告をもらってきた、そんなマスコミが明確な反対論調をとるわけはない。うるさい広瀬に講演をさせたり、テレビに出演させることもない。前は出てたんだけど
◆発電の未来は、各家庭や営業所の自家発電を含め、小地域単位で送電ロスの少ない、また危険分散型でいくのは必然。なので東電や関電などの広域電力会社は解体される。これが正しいことは論理的に答の出ている話、あとはこれをどう実現させるか、ということなのだが。まあ、どうするのがよいとわかっていたって、できないのが現実。いわゆる知識人は、正しいことを言ってもしゃーないわけで、「そんなんわかってら!」といわれるだけ。それを実現してナンボ、つまりはやって見せる、ちゅーこっちゃ。声を出すのも大事、出さなさすぎるんやろね、でも一方で、圧倒的に効率のよい例えばこないだ書いた光合成装置を作り上げたら勝ちである。その存在の前に、原子力など無価値になる、それを開発することや。
近つで(2011年04月18日)
◆紫金山12面、壺井御旅山22面、計34面の鏡を撮影する。特展の準備が忙しい時期に、ありがとうございました。撮影は順調に終わったのだが・・・。大学に戻り画像を見ると、ナヌ!、俯瞰写真のいくつかのピンが甘い!なんでや?
◆確かに老眼でなかなかピントを合わせにくい。だが、1点、1点、もちろんあわせた!、はずだ・・・。でも現実が違うんだから・・・。高槻市の1点も甘く、それは撮影時点から技術的問題からなんとなくわかっていたが、今回は違う。なんでや!、と言ってみても恥ずかしい結果である。まあ、しゃーない。その対策も考えた。5月には東博のもっている大阪府出土の鏡すべてを撮影させてもらう(和泉黄金塚はじめ)ことになっているが、こっちは失敗するわけにはいかない。こんな機会はもうないだろう。ばっちりの写真をすべてそろえるぞ!
◆確かに老眼でなかなかピントを合わせにくい。だが、1点、1点、もちろんあわせた!、はずだ・・・。でも現実が違うんだから・・・。高槻市の1点も甘く、それは撮影時点から技術的問題からなんとなくわかっていたが、今回は違う。なんでや!、と言ってみても恥ずかしい結果である。まあ、しゃーない。その対策も考えた。5月には東博のもっている大阪府出土の鏡すべてを撮影させてもらう(和泉黄金塚はじめ)ことになっているが、こっちは失敗するわけにはいかない。こんな機会はもうないだろう。ばっちりの写真をすべてそろえるぞ!
あるところまでの確信
◆継体没年は527(『古事記』)でいいのではと思う。立脚点は安閑没年が古事記と日本書紀で535年で一致していること。で大塚山をあそこまで作り上げ、埴輪生産を進めるまでには、一定年限が必要だろうということ。
◆継体は無事に死んで今城塚に入り、安閑が継承する、それから墓作りを始めたであろう。そこから考えて、水谷さんは、安閑の死没の直後に、安閑が継承したものの殺害された、というのは厳しくなったと思う。
◆そういうことで、安閑即位は、531年でも534年でもやや厳しく、継体没年は527年で、安閑は8年くらいは在位していたというのがいいのではないか(ベースは古事記崩年干支はいけるという点にあるのだが)。
◆「辛亥の変」は安閑排除のクーデタなので、実は535年は辛亥ではないので、「辛亥の変」ではないと考えている。
◆で、仏教公伝を伝える記事から、欽明即位が532年になるという記事は尊重すべき。安閑が継承したが、それに対抗するように欽明を立てる動きが数年後にあり、そしてまた数年後に安閑を殺害したと思う。そういう経過が事実ではないかと。
◆問題は宣化。宣化が皇后と合葬されているのは不審である。だが宣化の即位を疑うには相応の根拠がいる。しかも、即位してなきゃ、そもそも宣化皇后陵だってないわけだ。そのへんをどう考えるかだ。宣化と欽明は近いのではという水谷説は尊重するが、それなりに検証が必要だ。やはり、安閑殺害後、息長系は宣化を立て、再びクーデタがあったということもありうるかもしれない。そうなると、やっぱり宣化未完陵が必要となる。十河さんが話してくれたように、それが五条野丸山というのも、あながち・・・とも思う。が、もうすこしこれは考えてみたい。
◆安村さんには宿題をもらったので、『ヒストリア』にまとめる際は、より緻密に未完の根拠をしっかり提示したいが(墳丘についてもしっかりまとめたい)、いずれ結論は変わらない。大塚山古墳が安閑未完陵であることは、十河論文で確定している。われわれはその先へ進むべきである。それが宣化の問題。
◆継体は無事に死んで今城塚に入り、安閑が継承する、それから墓作りを始めたであろう。そこから考えて、水谷さんは、安閑の死没の直後に、安閑が継承したものの殺害された、というのは厳しくなったと思う。
◆そういうことで、安閑即位は、531年でも534年でもやや厳しく、継体没年は527年で、安閑は8年くらいは在位していたというのがいいのではないか(ベースは古事記崩年干支はいけるという点にあるのだが)。
◆「辛亥の変」は安閑排除のクーデタなので、実は535年は辛亥ではないので、「辛亥の変」ではないと考えている。
◆で、仏教公伝を伝える記事から、欽明即位が532年になるという記事は尊重すべき。安閑が継承したが、それに対抗するように欽明を立てる動きが数年後にあり、そしてまた数年後に安閑を殺害したと思う。そういう経過が事実ではないかと。
◆問題は宣化。宣化が皇后と合葬されているのは不審である。だが宣化の即位を疑うには相応の根拠がいる。しかも、即位してなきゃ、そもそも宣化皇后陵だってないわけだ。そのへんをどう考えるかだ。宣化と欽明は近いのではという水谷説は尊重するが、それなりに検証が必要だ。やはり、安閑殺害後、息長系は宣化を立て、再びクーデタがあったということもありうるかもしれない。そうなると、やっぱり宣化未完陵が必要となる。十河さんが話してくれたように、それが五条野丸山というのも、あながち・・・とも思う。が、もうすこしこれは考えてみたい。
◆安村さんには宿題をもらったので、『ヒストリア』にまとめる際は、より緻密に未完の根拠をしっかり提示したいが(墳丘についてもしっかりまとめたい)、いずれ結論は変わらない。大塚山古墳が安閑未完陵であることは、十河論文で確定している。われわれはその先へ進むべきである。それが宣化の問題。
4月17日大歴現地見学検討会
◆この企画は、例年以上に企画が遅くなり、こうなったら自分の関心で、またなんとか頼めるところで組むしかない
と、ばたばたと、十河さんと水谷さんにお願いし了解してもらって成立に
こぎつけた。コーディネイトも安村さんが引き受けてくださった。
◆今日が本番。カミさんに車で送ってと頼み、9:10には河内松原駅に。もう1人・2人参加者がいた。天気は快晴、見学日より。土曜日は寒く、翌日の月曜日は荒れ模様、その間のすっきりしたお天気によくはさまったものである。
◆午前の見学会は70名、午後100名、万々歳の人数だ。朝の70名はちときつく、一団で動くにはかなり多いが、西田孝司さんの先導で、大塚山古墳および周辺を見て回った。むろん中に入れるわけではないが。
◆11:30にオレは企画委員の院生一人と午後の会場に行き、机・椅子のセット、プロジェクターのセット。コーディネイトの安村さんに討論の筋を
考えていただいており、いざ本番。3名ともほぼ予定通り、最後の討論もおおむね各報告をもとに、その理解を補い、また思っているところを引き出してもらって、よかった。
◆関係者の方々、ほんとうにありがとうございました。
◆そのあと飲み会。みなさん河内松原駅からあべの橋に向かうが、オレは逆方向、土師ノ里で下りて、河内国分まで歩いた。なんとか終わってほっとした満足感にひたりつつ歩く。
◆帰ってからJINを見ていた。いま日が変わったが、ブログに速報を掲げておく。
◆今日が本番。カミさんに車で送ってと頼み、9:10には河内松原駅に。もう1人・2人参加者がいた。天気は快晴、見学日より。土曜日は寒く、翌日の月曜日は荒れ模様、その間のすっきりしたお天気によくはさまったものである。
◆午前の見学会は70名、午後100名、万々歳の人数だ。朝の70名はちときつく、一団で動くにはかなり多いが、西田孝司さんの先導で、大塚山古墳および周辺を見て回った。むろん中に入れるわけではないが。
◆11:30にオレは企画委員の院生一人と午後の会場に行き、机・椅子のセット、プロジェクターのセット。コーディネイトの安村さんに討論の筋を
◆関係者の方々、ほんとうにありがとうございました。
◆そのあと飲み会。みなさん河内松原駅からあべの橋に向かうが、オレは逆方向、土師ノ里で下りて、河内国分まで歩いた。なんとか終わってほっとした満足感にひたりつつ歩く。
◆帰ってからJINを見ていた。いま日が変わったが、ブログに速報を掲げておく。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。