人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
ノートパソコン新しくなる
◆10月にレッツノートを新しくしたが、1週間でなくした。再び新しいのを購入したが、ソフトの入れ替えがめんどうくさいので、古いものを使い続けていたが、今日、4月15日、4回生の徳光君にもろもろやってもらい新たなマシンに移行した。最近は、パソコン周りは、すべて徳光君にお願いしている。
◆インデザインもイラレその他も認証を移行した。これで心機一転。家に帰って、カミさんに、家の無線ランへの接続をやってもらった。これでこのマシンで、家でもブログは更新できる。むろん、スペックも前のからは飛躍し、快適である。
◆近つに電話し、月曜日に紫金山と壺井御旅山、しめて30面くらいの写真撮影をさせてもらうことになった。4月からは関本さんも近つにいる。そうそう金谷君からハガキがきて、なにかと思ったら、結婚したとの報告だった。おめでとう!。
◆娘は明日から韓国修学旅行に出る。行きは船だそうだ。荷物を準備し、デジカメの充電をしている。
◆カミさんの話。大阪府立大学の先生いわく、「市大との合体は既定路線だと」。ええ~、市大側はそんな気はないはずだが(オレはそうなっていいと思っているが)。で、その次がおもしろい。で、できあがる大学は、大阪・府・市・合わせ・大学(大阪不幸せ大学)と言っているんだとか。なんやそれ。
◆インデザインもイラレその他も認証を移行した。これで心機一転。家に帰って、カミさんに、家の無線ランへの接続をやってもらった。これでこのマシンで、家でもブログは更新できる。むろん、スペックも前のからは飛躍し、快適である。
◆近つに電話し、月曜日に紫金山と壺井御旅山、しめて30面くらいの写真撮影をさせてもらうことになった。4月からは関本さんも近つにいる。そうそう金谷君からハガキがきて、なにかと思ったら、結婚したとの報告だった。おめでとう!。
◆娘は明日から韓国修学旅行に出る。行きは船だそうだ。荷物を準備し、デジカメの充電をしている。
◆カミさんの話。大阪府立大学の先生いわく、「市大との合体は既定路線だと」。ええ~、市大側はそんな気はないはずだが(オレはそうなっていいと思っているが)。で、その次がおもしろい。で、できあがる大学は、大阪・府・市・合わせ・大学(大阪不幸せ大学)と言っているんだとか。なんやそれ。
難波宮第1号瓦
◆ずいぶん前にこの話題に一度ふれた。大阪市大にある2点の軒丸瓦が、ほんとうに1919年に山根徳太郎が
置塩章に見せられ、難波宮の存在を確信し、戦後の調査の動機をあたえた瓦なのかどうか。
◆これについて、『市大日本史』に一文を掲載しようと思った。これ昨年のこと。だが、中尾芳治氏がほとんど同じことを既に原稿を準備していることを知る。これは2010年秋に刊行された坪井先生の卒寿記念論文集に掲載された。なので、それを読んでからと先送りにした。
◆で、『市大日本史』14号をいま作っているが、自分なりにやっぱり書くべきか、もう書くこともないのでやめるか、というところに来て、中尾さんのものを読み返し、資料を集めた。こないだ、大阪歴博に行ったときには、高井さんに断って、展示されている瓦の写真も撮った。
◆で、本日、日曜日の見学検討会の資料を作らなあかんのに、この原稿を終日書いてしまった。細部はあるが、書き上げた。結論も出た。その中身を書きはじめるとシンドイのでやめるが、冒頭のテーマでいくと、いま大阪歴博にある軒丸瓦であって市大のものじゃない蓋然性が高い。では、うちのは無意味か?いや違う、という話を書いたわけです。
◆ああ、明日は、日曜日の資料の印刷をしなければならないのに、自分の資料の準備は半分だ。今晩、あと半分ができるだろうか・・・(日が変わった!今日だ)。
◆これについて、『市大日本史』に一文を掲載しようと思った。これ昨年のこと。だが、中尾芳治氏がほとんど同じことを既に原稿を準備していることを知る。これは2010年秋に刊行された坪井先生の卒寿記念論文集に掲載された。なので、それを読んでからと先送りにした。
◆で、『市大日本史』14号をいま作っているが、自分なりにやっぱり書くべきか、もう書くこともないのでやめるか、というところに来て、中尾さんのものを読み返し、資料を集めた。こないだ、大阪歴博に行ったときには、高井さんに断って、展示されている瓦の写真も撮った。
◆で、本日、日曜日の見学検討会の資料を作らなあかんのに、この原稿を終日書いてしまった。細部はあるが、書き上げた。結論も出た。その中身を書きはじめるとシンドイのでやめるが、冒頭のテーマでいくと、いま大阪歴博にある軒丸瓦であって市大のものじゃない蓋然性が高い。では、うちのは無意味か?いや違う、という話を書いたわけです。
◆ああ、明日は、日曜日の資料の印刷をしなければならないのに、自分の資料の準備は半分だ。今晩、あと半分ができるだろうか・・・(日が変わった!今日だ)。
不敬?
◆天皇が千葉県だが被災地に入った。いまの象徴天皇制における大きな役割だと思う。年配の方などは、感激するだろう。こういう事態に、一定の癒し機能が働くと思う。それで不満や憤りがいくらかでも緩和されるなら、日本的風景ではあろうが、別に反対ではない。現代社会における君主は、そういう役割が期待されているだろう。
◆だが、天皇ももうエエ年です。自分の親よりもやや下だが、公務が普段でも激務だという。オレも丸くなったのか、映像を見ても、あんまり悪い気はしない(いまのアキヒトさんはまあよくできた人だと思うし、親と同世代というのもある。重なってくるわけだ)。そうした映像では、まだしっかりしてはる。だがやっぱりもうエエ年ですよね。だからこそ、オレらの世代、そう皇太子夫妻は、娘などほっといて、被災地に入って半年ボランティアをしてはどうなのか。
◆ブログで天皇制にふれるのは危険かもしれないが、それが「仕事」ではないのか、こういう時こそ、と思うのだ。
◆だが、天皇ももうエエ年です。自分の親よりもやや下だが、公務が普段でも激務だという。オレも丸くなったのか、映像を見ても、あんまり悪い気はしない(いまのアキヒトさんはまあよくできた人だと思うし、親と同世代というのもある。重なってくるわけだ)。そうした映像では、まだしっかりしてはる。だがやっぱりもうエエ年ですよね。だからこそ、オレらの世代、そう皇太子夫妻は、娘などほっといて、被災地に入って半年ボランティアをしてはどうなのか。
◆ブログで天皇制にふれるのは危険かもしれないが、それが「仕事」ではないのか、こういう時こそ、と思うのだ。
弥生化
◆考古学研究が送られてきて、『発掘調査の手引き』についての座談会をまず読んだ。そのあと、パラパラ見ていると、総会の発表要旨などがある。とくに列島内の文化圏のとらえ方を再考するのだそうだ。とんとご無沙汰だが、聞いてみたい気もする。【追記:延期だそうです】
◆ただ、これまでのがおかしい、「純粋」に考古資料からすると違う、みたいな言葉が出てくるのだが、ではどういう理解がいいのか、考古資料からするとこうした文化が並び立っているのだ、という結論はあんまり見えない。これまでの見方を再考することは重要だろうし、それに取り組まれることには敬意を表する。ただ、「ダメだ」ではなく、こうではないかというのが欲しい。それは参加して確かめよ、ということだろうが。
◆寺前君の文章のなかに、松木さんの『列島創世記』がでてきたので、読んでみる。「内なる弥生化」と「外からの弥生化」、ともに変だ。縄文中期と後期の変動は重要だが、それを弥生化という言葉で表すのは、「とりあえず」の選択ではダメだろう。いまのわれわれの認識では弥生化にはほど遠いし、無関係。
◆外からの弥生化も、中国文明の到達ということを言いたいらしい。そうした、大きなとらえ方が不適当というのではない。が、やはり水田稲作は重要である、というか、それこそが弥生文化だと、古い人間は考えるのだが・・・。そして、北部九州での水田稲作の伝来そのものには、中国文明は無関係だろう。中国文明とかがおよぶみたいな言い方には、なんとなく朝鮮半島が軽視されているように見えるのだ。別に中国の意図があるわけではなし、朝鮮半島が通過点でもない。倭よりも早く農耕社会に入り、普及と定着があってこそ、倭への渡来がある。籾を入れた壺を渡されて「やってみられい」と倭人が始めたのではない。農耕文化総体が、朝鮮半島からのまとまった人々の移住により倭に持ち込まれ、弥生時代が始まるのだ。それでなぜあかんのかがわからない。震源は中国としても、あんまり関係ない。中国の文明の波及というのを、それとして論ずるならいいが、弥生化というのは適当じゃない。
◆北海道や琉球などの文化を軽視しているんではぜんぜんない。弥生文化というのは、あくまでも本州に広がった倭の文化であって、列島全体がひとつの文化なんて、誰も思ってはいない。むしろ問われるのは、弥生時代とされる東日本であろう。また、列島外との境界はないというが、ほんとうだろうか。北部九州が無紋土器に塗りつぶされるわけではない。わりと対馬海峡は境界として機能していると思うけど。無紋土器文化が移植されたのは確かだろう。だが、在来縄文人とともに、独自の文化を創っていくのだ。そしてまた人口増とともに、人が移動することで農耕への転換が繰り返される。遠賀川式土器の広がりに示される文化圏が拡大する。それと外との境界が明瞭になっていく。結局のところ、農耕化が実現した範囲に古墳が築かれ、古代国家が誕生するのである。
◆もうひとつだけ。グローバルパターンってあるんだろうか。
◆ただ、これまでのがおかしい、「純粋」に考古資料からすると違う、みたいな言葉が出てくるのだが、ではどういう理解がいいのか、考古資料からするとこうした文化が並び立っているのだ、という結論はあんまり見えない。これまでの見方を再考することは重要だろうし、それに取り組まれることには敬意を表する。ただ、「ダメだ」ではなく、こうではないかというのが欲しい。それは参加して確かめよ、ということだろうが。
◆寺前君の文章のなかに、松木さんの『列島創世記』がでてきたので、読んでみる。「内なる弥生化」と「外からの弥生化」、ともに変だ。縄文中期と後期の変動は重要だが、それを弥生化という言葉で表すのは、「とりあえず」の選択ではダメだろう。いまのわれわれの認識では弥生化にはほど遠いし、無関係。
◆外からの弥生化も、中国文明の到達ということを言いたいらしい。そうした、大きなとらえ方が不適当というのではない。が、やはり水田稲作は重要である、というか、それこそが弥生文化だと、古い人間は考えるのだが・・・。そして、北部九州での水田稲作の伝来そのものには、中国文明は無関係だろう。中国文明とかがおよぶみたいな言い方には、なんとなく朝鮮半島が軽視されているように見えるのだ。別に中国の意図があるわけではなし、朝鮮半島が通過点でもない。倭よりも早く農耕社会に入り、普及と定着があってこそ、倭への渡来がある。籾を入れた壺を渡されて「やってみられい」と倭人が始めたのではない。農耕文化総体が、朝鮮半島からのまとまった人々の移住により倭に持ち込まれ、弥生時代が始まるのだ。それでなぜあかんのかがわからない。震源は中国としても、あんまり関係ない。中国の文明の波及というのを、それとして論ずるならいいが、弥生化というのは適当じゃない。
◆北海道や琉球などの文化を軽視しているんではぜんぜんない。弥生文化というのは、あくまでも本州に広がった倭の文化であって、列島全体がひとつの文化なんて、誰も思ってはいない。むしろ問われるのは、弥生時代とされる東日本であろう。また、列島外との境界はないというが、ほんとうだろうか。北部九州が無紋土器に塗りつぶされるわけではない。わりと対馬海峡は境界として機能していると思うけど。無紋土器文化が移植されたのは確かだろう。だが、在来縄文人とともに、独自の文化を創っていくのだ。そしてまた人口増とともに、人が移動することで農耕への転換が繰り返される。遠賀川式土器の広がりに示される文化圏が拡大する。それと外との境界が明瞭になっていく。結局のところ、農耕化が実現した範囲に古墳が築かれ、古代国家が誕生するのである。
◆もうひとつだけ。グローバルパターンってあるんだろうか。
ふと思ったこと
◆平城宮・京出土軒瓦の型式一覧を改訂したことがあるが、これ、もはや拓本は捨てるべきですね。図録で写真というのはよいとして、同定をおこなうための標式一覧としては、これからは、すべて、状態のよい資料の3次元計測画像によるのがベストだろう。もう着手されているのかもしれないが・・・。
例年のことだが
◆4月4日に春休みの測量を区切りにし、火曜日から金曜日は大学に出勤したが、このシーズン、また市大日本史の編集で忙しくなる。またヒストリア4月号の、わたしたちの文化財で松原市の河合遺跡を紹介いただけることになり、それと誉田御廟山に立ち入った報告の自分の原稿もこの間にすませた。そして現地見学検討会である。
◆今日は10日の日曜日。もう検討会まで1週間、今日、その準備をしなければと思って大学に来た。世の中は花見日和である。昨日、カミさんと呑んで、頭が痛い。
◆今日は10日の日曜日。もう検討会まで1週間、今日、その準備をしなければと思って大学に来た。世の中は花見日和である。昨日、カミさんと呑んで、頭が痛い。
ひさしぶりに自転車で
◆金曜日だから4月8日。ひさしぶりに自転車で出勤。タイヤの空気がかなり抜けていたので、途中、土師ノ里駅前![a7d1e712.JPG](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/9b81cb9acec3d207b2fd2f606e86b648/1302399172?w=150&h=112)
の藤井寺市の公設駐輪場で空気入れを借りてぱんぱんにする。
◆家を出てすぐ、原川の桜が満開なので写真を撮る。また島泉丸山古墳を通ったら、裾部の木を切って、かなりきれいにしてあったので、またシャッターを切る。
◆この日、雨となり、帰りは電車となる。京大に紫金山の写真を撮影する許可をもらったので、近つに電話して壺井御旅山のものと30面以上の撮影をお願いするつもりだが、4月17日の大歴の現地見学検討会までは、あわただしいのでやめておこう。その先で日程調整をしてもらおう。東博とも話がついて、5月になるが、和泉黄金塚含め、すべて鏡の写真撮影をさせてもらうことになる。この東博行きは、別の目的もあるのだが、それは話が一段落した段階で報告する。
◆家を出てすぐ、原川の桜が満開なので写真を撮る。また島泉丸山古墳を通ったら、裾部の木を切って、かなりきれいにしてあったので、またシャッターを切る。
◆この日、雨となり、帰りは電車となる。京大に紫金山の写真を撮影する許可をもらったので、近つに電話して壺井御旅山のものと30面以上の撮影をお願いするつもりだが、4月17日の大歴の現地見学検討会までは、あわただしいのでやめておこう。その先で日程調整をしてもらおう。東博とも話がついて、5月になるが、和泉黄金塚含め、すべて鏡の写真撮影をさせてもらうことになる。この東博行きは、別の目的もあるのだが、それは話が一段落した段階で報告する。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。