人を幸せにする人になろう

歴史学ソフトボール

◆5月8日(日)、市大グランドで歴史学のソフトボール大会が開催される。オレは言い出しっぺではあるもの55cd2e54.JPGの、実際にコトを実現させたのは佐賀さん。グランドの予約から道具の貸し出し、人集めなど、池本君はじめ学生が協力し、3チームが成立、総当たりで2試合ずつ行った。「井上浩一杯歴史学ソフトボール大会」と名付けられた。
◆この日、『市大日本史』校了予定のどん詰まり。朝から出勤し、最後の校正をやり、午後からソフトボール大会に参加する。戦績、わが塚田監督率いるBチームは、2試合ともサヨナラ負けを喫する。最初の試合などは、10-0からひっくりかえされ、2試合目は2-8で負けていたが、すこしずつ返し、12-8と4点差をつけて最終回の裏の守備についたが、もろくもサヨナラ負け。Aチームが2勝、Cチームが1勝1敗、われわれはゲベである。
◆オレはキャッチャー、小学校の時、平津ソフトボールチームのキャッチャーを実はやっていた。打つ方は、最bc541f60.JPG初は美しい三遊間を抜くヒット、2打席目は3塁線を破るヒット、ここまではよかったが、あとは凡退を重ね、敗因のひとつとなる。それにしても、かつてバッティングセンターに通っていたという塚田氏は、バカスカと大当たりを飛ばし、一同、驚愕。塚田先生の知られざる一面を見る。
◆飲み会。わたしは遅れて参加。その間に、午前の直し、表紙や編集後記の直しをして、あとは印刷所任せの校了となり、18時開催の宴会に19時前には合流でき、学生らと楽しく呑む。井上浩一先生からは金一封!、オレはトロフィーを用意する予定だったが、余裕なく、なし(カッコつかんな~)。あとでちゃんと購入し、第1回優勝の帯をつけて歴史学220教室に置くこととしたい。
◆帰ると、最終の直しのメールが来ていたが、カバンから校正刷りを取り出し、パソコンで送られてきたPDFを開いて、赤が直っているか点検しているままの状態で撃沈、朝をむかえる。まあ、大丈夫でしょう・・・。
◆自分で写真は撮っていないのだが、みなさん、たくさん写真を撮っていたので、そのうち、もらってアップします。

松岳山GW(2011年05月07日)

◆岸本・小西、9:00-18:00
◆05日に続き、まず前方部南の紙B3。P30から測れる範囲をすべてやる。紙の南端まで到達。国分神社西参道b3e3d26f.jpgまでもうす8こしのところ。ただし、西側は竹藪で視界不良、この位置ではのばせない。
◆前方部北の紙B2に転じる。P11から北側面を測り下ろす。ひたすら直線。実に美しく斜面が残る。板石がきっちり積み上げられ、びくともしていないのかもしれない。北側は柏原市は未発掘である。

へとへとだ!

◆5月14日の大会に間に合わないかも、と思っていた『市大日本史』第14号だが、なんとか印刷所、というよりオペea911936.jpgレーターと直接やりとりしているのだが、この方のご尽力で持ち直し、間に合うかも!というところにまでこぎ着けた。このところ、測量も一方でやりつつ、そのあと、大学あるいは家で、編集業務をやっており、ええかげん、へとへとである。それでも間に合ってしまうから(まだ、予断は許されないが)、反省しないのだろうが・・・。
◆まあ、編集作業は好きなので、塚田氏から引き継いで以来、毎年、この季節の年中行事で、苦にならないのではあるが、年老いてくると、正直、しんどい。苦闘の証明である進捗表を掲げておく。

松岳山GW(2011年05月05日)

◆岸本・道上、9:00-17:00
◆まずp12から新杭2本(p30とp31)を打設。前方部南斜面の紙B3を開始する(昨日の前方部北の紙B2は後回91370840.jpgし)。P12で、前方部頂で一段下がった範囲を測量する。そのあと、稜線沿い、そして南斜面を下ろしていく。限界まで達したところで、p30の水準移動の上で、マシンをP30に据えて、南斜面の続き。標高55.5mまで。
◆上段裾のテラスは明瞭である。またp30はその下のテラス面であろう。
◆国分神社さんの山林の管理を任されている人と話をする。発掘の時は、この人に言えば木を切ってくれる。タケノコ掘りに来ていて、5本もらう。
ae19341e.JPG1ccc4e83.JPG

松岳山GW(2011年05月04日)

◆岸本・濱道、9:00-18:00
◆後円部東の紙D2の取り残し部分、東側の住宅地に接する東北隅部をP19にマシンを据え埋める。aae11209.jpg
◆P5にマシンを据え、後円部南の紙C3の上部(北側)の取りこぼしを埋める。
◆めでたく終了し、15時からいよいよ前方部。P11にマシンを据えて前方部墳頂を測量する。
◆途中、同志社考研OBの音村政一さんが松岳山の見学に来られ、話をする。広瀬和雄氏と同学年だとか。われわれが神明山を測量した話などを、佐藤さんから聞いているらしい。
【追記:このとき、同志社考研の50周年記念誌を出したので、送ります、と言っていただいたブツが5月9日届く。ありがたいことである。】

松岳山GW(2011年05月02日)

52fef58c.jpg◆岸本・所・藤林、9:30-18:00
◆後円部東の紙D2。まずp29に立て、国分神社社殿裏の崖面まで。次にp28に立て、これまで測ってあった斜面上方のうち見通せず測れなかったところを埋めた後、標高43.5mまで下ろす。境内地の平坦面まではほぼ下りる。ただし、後円部東南の隅部は、境内地の高さから下方に自然丘陵の斜面が続いているが、標高43.5mまでが限界。
◆崖面で、樹立状態にあり、外側に傾いた楕円筒埴輪を確認。外側のものは落ち、内側が内面を見せて、40センチほど続きそう。3b1bc525.JPG墳端には楕円筒埴輪をめぐらせると考えられているので、ほぼ墳端の位置を示すものになろう(slightly out of focus)。

竜田道から生駒・宝山寺へ

◆測量したいのはヤマヤマだが・・・、4月30日、カミさんと歩く。まず、行こうと思って行けていなかった河内国分寺に行く。塔跡、だいたいの位置はわかっていたので、適当にジェイ2106a6d5.JPGed6fd499.JPGクトの裏を歩いて行き、ちゃんとたどり着くが、わかっているのはこれだけか?。
◆川の北に移動し、1年前も歩いたのと同じだが竜田道を歩く。なにやら新しい看板が立っていてうれしい。国の地滑り事業もそろそろ終わりなんだろう。こないだの市広報に、レモンの植樹を市民がやったという記事があった。なんでレモンなんだろう。
◆そのものズバリ、峠というところがあり、峠八幡神社がある。それをさらに下っていったところに、板石の露頭がある。f358bf7e.JPGcefd5149.JPG
◆こないだは、そこから川をまた渡り明神山を戻ったが、今回は、竜田川をめざそうということになるが、すぐに生駒の宝山寺へ行こうということになり、近鉄の駅(王寺の次の駅)をめざす。途中、昼飯(おもしろい店だった)。
◆旧道をたどる。前は車で行った竜田大社に寄り、そこから道は竜田川(?)西岸の斜面を北上する道が続く。旧家があり、田んぼがあり、まっすぐ行くと自然と近鉄の駅にたどり着く。
◆そして生駒へ。有名なイヌネコのケーブル(犬だったが)に乗り、ひとえき、宝山寺参道にとりつく。宝山寺に205b201f.JPG前に来たときは、精神状態が下降線を下っていた時だった(3年前か)。それに92279ce4.JPG比べれば幸せである。ただし、おみくじを引くと、凶だった。生まれてから2回目だ。ひどいことが書いてある。一家離別!。現実にならないよう、気をつけよう。
◆帰りは生駒駅まで歩いて下りる。空き屋がけっこう目立つ。旅館や店も閉めているところが少なくない。商店街でコーヒーを飲む。

松岳山GW(2011年04月29日)

◆岸本・高島・藤林ae385b71.jpg(9:00-16:00)
◆後円部東の紙D2。以後のために新規にp28とp29を打設。機械点p26、バックサイトp22で測量開始。穴の空いていた西南隅部を埋める。これでほぼ15:30。
◆同じ場所で後円部東南の紙D3。前に52.5mまで下がっていたが、その続きを始めるも、52mを入れてもう限界。新しく打った2本に移る方が効率よし。そこで、p28とp29の水準移動をやって、参加者2名の都合により、今日はおしまい。p28とp29からはまた明日。

これはスゴイ!

◆明日からGW、松岳山後半戦だ。もうちょっと人を集める算段を、と思っているb6ea4a09.JPGうちに時間が過ぎた。やっぱり零細な測量になりそうだが、5月7日まででいいところまで行きたいもの。カミ92abc4e9.JPGさんは「(GWなのに)使えんな~」と怒る。
◆近つ飛鳥博物館で面白いチラシをもらったので掲げておく。水野先生が4時間しゃべりまくる。これはすごい。統一地方選挙の折、選挙ポスター風のデザインもよし。でも、もうちょっとイイ写真もあるんとちゃうの、とは思うが。水野先生、元気である。行ってみたいが、明日は測量だ!
◆ついでに、うちと大阪歴史博物館の包括提携記念シンポのチラシも掲げておく。実はこの日、前に佐賀さんや学生たちとボーリングに行った記事を載せたが、そのときに次はソフトボールと話をしていた、それが具体化し日程調整してきた日だった。が、博物館の企画が入り込んできて、さすが歴博で仁木さんが話をしているのに、自分らはソフトボールをやっているわけにはいかず、ソフトボールを動かすことになった(5月8日、前倒しになる!)。
◆さっき文学部事務室へ行き、残ってはった高松さんと澤田さんと話をしていると、ブログ見てますと。おっとビックリだ。
◆火曜日、ずうっと前(いったい何年前だったか)の香芝の邪馬台国シンポを本にする、その校正が返ってきていた。で、今日、木曜日は考古学研究の校正も届いていた。さらに1頁削れという殺生な話。泣く泣く、1行削り、2行削り、けっこう削った。で、この2本とも校正を済ませ返却した。
◆『市大日本史』14号、絶望的になってきた。はじめて大会に間に合わないかも・・・。
◆青木書店でなく同成社だっけか、なんか原稿があったような、確か3月締め切りで・・・。1行も書いていない!どうしたもんだべ。
◆東博、22面に確定。5月16日(月曜日)。特別観覧の書類を出す。今日は、なんやかや、この手の書類を書きまくった。

不条理

◆東北大震災のあと、塚田先生の言葉である。今日、報道ステーションでもこの言葉を聞いた。天災の被害は、なにも被災者が悪い結果を招くような種をまいていたわけではない。それによる理不尽な死。
◆大学の研究室でも義援金の箱がそっと置かれ、全学でも何ができるか考えろと対策会議ができ、学会でも・・・。自分は?。ほんとど何もしていない。自分が一所懸命生きることだ、とも思う。直接、東北の被害にコミットする手段、義援金を送ること、ボランティアに行く、文化財レスキューに参加する、東北産の食品を買うとか、いろいろと考え得るだろう。やれることをやればいい、塚田氏いわく、一人一人ができることを真摯に考える、それが大事だと。
◆一方で、カリブ海に隕石が落ちて恐竜は死滅したし、錦江湾は大爆発してATが降り注いだし、火山で言えば、ポンペイもヘラクレニウムも、子持村も橋牟礼川も火山灰をかぶった。洪水も河内平野は壊滅的な大洪水を繰り返してきた。多くの人名が失われ田畑は埋没した。慶長の大地震もすごかったのだろう。だから?、それは不条理ではあっても仕方ない・・・、受け入れるしかない。それはそうだ。だが、重要なのはそれにどう対処するかなのだろう。
◆やれることをやるしかない。月曜日、ひとつ考えたことがあるので、それを実現できるように努めよう。
◆その一方、こうした自然災害よりも、戦争はじめ、人災でより多くの人が死んでいることにも注意を払うべきだ。震災で死んだ一人一人に家族、親兄弟、友達がいて、取り上げられ報道される。それと同じように、かつて中国などで、不条理にも多くの人々を殺害してきたことも忘れてはならない。過去だけではない、リビアはじめ、今でも。自然災害は対策を取るにしても止めることはできない。しかしもっと人命を損なうことがこの世には存在し、それにNOをいう責務は、いま生きているわれわれ全員にあるのだということを。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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